シミュレーション技術とは何か?

「未知を探求するコンパス」
シミュレーション技術とは、プロセスの変更や仮定シナリオの影響を検証するために視覚的表示を利用することで意思決定を容易にするエビデンスベースのアプローチと記述できる。特定の分野に限らず、銀行の日常業務、組立ラインの運転、病院やコールセンターにおけるスタッフの割り当て等、日常生活に至るまでのさまざまな分野において、既存または提案中のシステムの動作を模擬するモデルとも言い換えられる。

シミュレーションを可能にするシミュレーション要素技術は、FEA(Finite element analysis:有限要素解析)、 CFD(Computational fluid dynamics:計算流体力学)、EMW(Electromagnetic waves:電磁波解析)に大別され、これらは、自動車、電子、航空宇宙・防衛等の分野での活用が広く知られている。これら3つのシミュレーション技術に共通している原理は、物体を小さな領域(有限な要素)に分割(離散化)して、その要素内で平均的に満足させる解を見つける近似手法を採用していることである。

図表1:シミュレーション要素技術のイメージ

Japanese alt text:図表1:シミュレーション要素技術のイメージ

FEAは数値的手法である有限要素法を用いた物理現象をシミュレーションする要素技術である。設計段階でコンポーネントを最適化することで、物理的なプロトタイプの数を減らし、高品質な製品の開発をサポートする。自動車、航空宇宙・防衛、電子産業で、製品の品質・性能・設計のテストに広く使用される。

CFDは数百万の数値計算を実行して液体や気体の流れをシミュレーションする要素技術である。設計プロセスの早い段階で実行され、自動車エンジンのガソリン燃焼・シェールガスの生成における化学溶液の孔内移動・ジェットエンジンのタービン内の気流・プリント回路板部品間の熱伝達等の解析等で活用される。

EMWは電磁気的挙動を解析するコンピュータシミュレーション技術である。迅速かつコスト効率の高い方法を提示する用途で電気および電子製品の設計用途に活用される。

これら3つの要素技術をベースに、シミュレーションソフトウェアとして、CAE(Computer-aided engineering:コンピューター支援エンジニアリング)が展開されている。CAEは、設計の変更が製品の実際の性能に与える影響を予測し、コンポーネントや部品の性能の頑強性(ロバスト)を確保し、性能強化に寄与する。

シミュレーション技術は、より高度なバーチャルプロトタイプの開発やエンジニアの生産性向上に向けて、

1. 複合現実
2. ハイブリッドシミュレーション
3. デジタルツイン

の3つの新興技術の潮流が見られる。

1. 複合現実(以下、MRという)シミュレーションは、物理的環境と仮想環境を融合する技術で、コンピューター、モーションセンサー、プロジェクター、複数のビデオゲームエンジンの間のリアルタイム通信を生かして開発される。MRシミュレーションは、製造、軍事訓練、リモートワーク等で使われるようになってきている。

2. ハイブリッドシミュレーションは、離散事象、システムダイナミクス(SD)、エージェントベースシミュレーション(ABS)等の複数のシミュレーション手法を組み合わせた技術である。システムの構造が非常に大きく複雑で、システムの一部で実際の状況下での物理的なテストが必要とされ、他の部分については関連する数値モデルを適用することでシミュレーションできるような場合に適用される。

3. デジタルツインは、現実世界の物体から連続的なリアルタイムデータを取り込む技術である。この技術は、物理的実体のバーチャルなレプリカをシミュレーションに活用することにより、デジタルと物理的実体との間で互換性のある洞察情報に変換される。サイバーフィジカル生産システムに使われることが多い。

シミュレーション技術のアプリケーション展開状況

産業機械分野におけるシミュレーション技術の展開として、組立ライン管理、ロボティクス、人間工学、性能解析、クラウドベースシミュレーション、サプライチェーンマネジメントが挙げられる。

図表2:産業機械分野におけるシミュレーション技術活用状況

Japanese alt text:図表2:産業機械分野におけるシミュレーション技術活用状況
出所:“Cloud based simulation platform for manufacturing and engineering“, EFFRA,Link,“Implementing line balance with simulation”, Simul8,Link,“Robotics and automation simulation”, Siemens, Link,“Analysis of Shop Floor Performance through Discrete Event Simulation:A Case Study”,Journal of Industrial engineering, Hindawi,Link,“Human simulation and ergonomics”, Geometric solutions,Link,“Three ways to build better supply chain with manufacturing simulation”, aPriori,Linkを基にKPMG作成

組立ライン管理は、主にシステムのボトルネック特定や生産スケジュール検証に活用される。組立ラインのバランス調整をシミュレーションすることで、ダウンタイム、共用リソース、チェンジオーバー、過剰なサイクルタイム、異なる製品構成、同時タスクを検証し、最適化することが可能となる。これにより、必要なバッファや製品構成等の設計とスケジュールに関する決定の影響を評価することができる。

ロボティクスは、単一ロボットの工程から生産ラインや生産ゾーン全体に至るまで、幅広いロボットシミュレーションとロボットワークステーションの開発に役立つ。協働ツールを利用することで、製造領域間の連携を強化し、よりスマートな意思決定を実現することができる。さらに、自動化システムをオンライン化することで、エラーを削減し、大幅なスピードアップを図ることが可能となる。

人間工学は、バーチャル環境でのヒューマンモデリング技術を活用することで、人間による組立作業における健康上、安全上、法律上の重要な側面をコスト効率の高い方法で遵守することが可能となる。

性能解析は、部品の数量、オペレーターの人数、生産プロセスにおける部品の流れのパターンを調整することで、機械と労働力の利用やスループット率への影響を分析することが可能となる。

クラウドベースシミュレーションは、利用量課金方式であるSaaSによりワンストップで提供され、製造・エンジニアリング分野の中小企業のシミュレーションニーズに応える。

サプライチェーンマネジメントは、サプライチェーンのボトルネックを分析し、生産施設ごとのコスト差を比較することで、最も経済性の見込めるサプライチェーンプロセスを特定することに活用される。

シミュレーション技術の導入要因

世界のシミュレーションソフトウェア市場規模は、2020年は96億米ドルであったが、2028年には339億米ドルに達する見込みとなっており、年平均成長率(CAGR) 17.1%で成長し続ける計算になる。

図表3:世界のシミュレーションソフトウェア市場規模推移(10億米ドル)

Japanese alt text:図表3:世界のシミュレーションソフトウェア市場規模推移(10億米ドル)
出所:“Simulation software report”,Grand view research,Link,“Automotive simulation market
   size”,Global markets insights,Link,“Simulation software market size to reach USD 16280 million by 2027 at CAGR 13.2% - valuates reports”, PR
   Newswire,Linkを基にKPMG作成

一般的に、シミュレーション技術の導入する理由としては、高コストや時間を要するという問題を抱える試作品開発・テストをシミュレーション技術で代替することにより、研究開発費の削減が可能になることや、製造プロセスにおいてエラーが減り、欠陥品の生産を回避できるという点等が挙げられる。また、研修目的でのシミュレーションソフトウェアの利用増大や、航空宇宙、防衛、製薬、ヘルスケア、建設、自動車等のさまざまな業種におけるシミュレーションソフトウェアの導入も期待されている。

2020年の世界のシミュレーションソフトウェア市場において、自動車産業は25%以上と最も大きな割合を占め、航空宇宙・防衛と電気・電子産業がそれに続いた。EVと自動運転の登場は、自動車産業のシミュレーション活用を促進している。尚、シミュレーションソフトウェアの主要プレイヤーは、Altair Engineering、Ansys、Autodesk、Bentley Systems、Dassault Systemsが挙げられる。

図表4:シミュレーションソフトウェアの主要プレイヤー

Japanese alt text:図表4:シミュレーションソフトウェアの主要プレイヤー
出所:“About”, Altair Engineering company website, Link; “Client list”, Altair Hyper works, Link; “About”, Ansys, Link; “Featured customers”, Ansys, Link;
    “Simulation”, Autodesk, Link; “Products”, Bentley Systems, Link; “About”, Dassault Systemes, Link; “Industries”, Dassault Systemes, Link; “Customer
   Stories”, Dassault Systemes, Link;を基にKPMG作成

そして、製造プロセスにおけるシミュレーション技術の導入要因として、

1. 効率的で将来に備えた工場の必要性が高まっていること
2. デジタルツインの応用が進んでいること
3. エネルギー効率への注目が高まっていること
4. 複雑なプロセスを簡素化できること

等が挙げられる。

1. デジタルでフレキシブルな工場へのパラダイムシフト
 世界中の生産施設が、デジタル化・仮想化・資源効率化へと進んでいる。廃棄物をなくし、材料歩留りを増やし、エネルギー消費を削減する方法を特定するための施策として、シミュレーションツールを広く利用する企業も既に存在する。近い将来に備え、フレキシブル生産が可能な工場への進化に向け、IoTやロボティクス等先進技術のプロトタイプを構築するためにシミュレーションソフトウェアの利用が徐々に増えるだろう。

2. デジタルツインにおけるシミュレーション利用の広がり
 シミュレーションの発展に伴い、センサーから収集した現実世界の動作データを用いた実環境シミュレーションが進行している。デジタルツイン市場は、2021年から2028年にCAGR 42.7%で成長し、2028年には860億900万米ドルに達すると予想される1 。デジタルツインの成長は、シミュレーションソフトウェアに対する需要につながる。

3. エネルギー効率への注目の高まり
 最終消費部門のエネルギー消費において、精錬・鉱業・製造業等の産業部門の占める割合が最も大きい。例えば、2020年は世界のエネルギー消費の38%が産業部門によるものだった2 。エネルギー利用を最適化するために、エネルギーシミュレーションツールを使ったエネルギー需要の予測とエネルギー分析が活発化すると予想される。

4. 複雑なプロセスの簡素化
 よりスマートで、効率的で、高品質な製品に対する需要の高まりにより、製造プロセスが複雑化している。多くのメーカーは、製造プロセスを簡素化し、パフォーマンスを効率的に検証するために、バーチャルなプロトタイプの構築によってオペレーションにシミュレーションを組み込んでいる。また、シミュレーターは、製品のライフサイクル全体にわたって使用できる。メーカーの間では、シミュレーションソフトウェアがもたらす戦略的価値を活用しようという動きが広がるだろう。

シミュレーション技術の社会浸透課題

「デジタルツインにより、スマート工場をエネルギー効率良く運用する」
こうした世界が、シミュレーション技術の導入により蓋然性が高まってきた。一方、シミュレーション技術を社会浸透させる障壁として、データ標準化プロセスと導入費用という2つの障壁も顕在化している。

データの収集は、現実世界のシステムを再現するシミュレーター精度を左右する重要なタスクである。データ源は観察結果等の一次情報、報告書等の二次情報を始め多種多様であり、その収集には時間がかかる上に、一貫性を欠くこともある。データ収集における標準化の遅れは、シミュレーションモデルにおけるエラー・重複・一貫性の欠如等の問題を招き、ソフトウェア技術の導入にブレーキを生じさせる。

また、シミュレーションソフトウェアの導入には、ソフトウェア・ハードウェア・メンテナンスの3種類の費用が計上される。例えば、高度で複雑な製品には、処理能力が高い高価なCPUを実装したコンピューターによって、高性能なシミュレーションソフトウェアを利用する必要がある。このようなソフトウェアの利用契約費用とメンテナンスコストは非常に高額になるため、利用できる企業は大企業中心になりがちである。

以上の2つの障壁が解消されない場合、シミュレーションモデルの設計・構築・実行・分析に時間を要することになる。その結果、分析サイクルを少ない回数で実行することになるため、シミュレーションモデルのさまざまな段階で効率性を向上させるという新たな課題が生じる。

現在、制御技術(OT:Operational Technology)ではOPC-UA3 が普及過程にあり、産業用途でのデータ標準化基盤が整備されつつある。2023年4月に経済産業省をはじめとする関係省庁や情報処理推進機構(IPA)のデジタルアーキテクチャ・デザインセンター(DADC)、新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)が、人手不足や災害激甚化、脱炭素への対応といった社会課題の解決に向けて、企業や業界、国境を跨ぐ横断的なデータ共有やシステム連携を行うための、日本版のデータスペース(データ共有圏)である「Ouranos Ecosystem(ウラノス・エコシステム)」の概要を発表した。このようにデータ標準化プロセスは、官民連携で早晩整備されていくと思われる。

一方、導入費用については生成AIの発達もあり、CPU・GPUは一層高性能であることが求められ、むしろ高まっていく方向に振れるのではないかと考えられる。こうした傾向からシミュレーション技術は、予算を確保して重点投資すべき技術として位置付けるべきかもしれない。あらゆる物理現象を仮想空間でシミュレーションする世界は、すぐそこまで迫っている、そんな意識でシミュレーション技術と向き合うべきではないだろうか。

1 :“Global Digital Twin Market Size, Share & Trends Analysis & Forecast Report 2021-2028”, PR Newswire, Link
2 :“A review of energy simulation tools for the manufacturing sector”, Science Direct, Link
3 :マルチベンダー製品間や異なるOSにまたがってデータ交換を可能にする安全で高信頼の産業通信用のデータ交換標準。「産業通信用」を掲げていることから、高い
 可用性など一般向けとは異なる機能や性能を保有していることが特徴。

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