量子コンピュータとは何か?
「現実の枠を超えて踊る情報の精霊」
従来型コンピュータの情報の基本単位は2進数(ビット)の0か1のどちらかの状態で表現する。量子コンピュータは、情報の基本単位に量子ビット(キュービット)を用いる。量子コンピュータは、0と1の両方が存在する量子的重ね合わせの原理を利用して並列計算を行う。原理として何が凄いのかというと、従来型コンピュータの3ビットは、000、 001、010、011、100、101、110、111と8回(パターン)計算する必要がある。量子コンピュータの8量子ビットは、0と1の両方の状態を取れることができるため、1回で済むということである。4ビットであれば16通り(回)、5ビットであれば32通り(回)、10ビットになると1024通り(回)と処理するビット数が増えると従来型コンピュータは計算量が膨大になるが、量子コンピュータは量子ビットを増やすことができれば、1回で計算が済むわけである。
実用レベルの量子コンピュータには100万量子ビットが必要とされるが、現在の量子ビットは2022年11月IBMの量子処理ユニット(QPU)「Osprey」が実現した433とされている。100万に対して433とまだまだ発展途上である。量子コンピュータ方式の一つである「超伝導回路方式」の集積度は、指数関数的に年々増加しており、このトレンドは「量子版ムーアの法則」と呼ばれている。このトレンドが順調に続くと、2035年頃に100万物理量子ビットの量子コンピュータが実現するが、解決すべき技術課題があるため、もう少し時間を要するとも言われている。
図表1:量子版ムーアの法則
量子コンピュータの技術課題と技術ブレークスルー
量子コンピュータを実現する、つまり量子ビットを集積させる方式として超伝導回路方式を紹介した。超伝導回路方式の技術課題を起点として、様々な方式の研究開発が進んでいる。
超電導回路方式で直面している課題が大きく二つある。量子ビットは0と1の重ね合わせ状態が同時計算を可能にするわけだが、実は量子ビットは極めて脆い。環境ノイズや他の量子ビットとの相互作用によって容易にエラーを起こす。よってこの量子エラーを訂正する技術が必要となる。もう一つは、超電導回路方式は、超伝導回路に流れる電流の向きや回路上の電荷を蓄える金属電極の電荷(正・負)の状態(電子がどちらの電極にいるかや数)などを0と1の情報として表現する。この際に、超低温に冷却して電気抵抗を0にした超伝導状態の電子回路(超伝導回路)のチップとする必要がある。よって絶対零度(-273℃)近くの極低温環境を実現する「希釈冷凍機」が必要になる。超伝導量子ビットの大きさは数ミリ角であるため、100万量子ビットを二次元に集積化すると会議室サイズの冷凍機が必要になる。1億量子ビットの場合は体育館サイズになる。当然、こんな巨大チップを絶対零度近くに冷やす巨大希釈冷凍機の開発は現実的ではない。そこで超電導回路方式に変わる量子ビット方式が提唱されている。
図表2:超伝導回路量子コンピュータの構造と使用形態
イオントラップ方式は、磁場により空中に浮かしたイオン(+や-の電荷を帯びた原子)を量子ビットとして実現する方式である。イオン上の1個の電子に着目し、その電子が特定の2つの軌道(位置)のうち、どちらにいるかで0と1の情報として表現する。量子ビットの精度が高いものの、量子ビット数の大規模化が困難なことが課題である。光方式は、光源から放出した光子を量子ビットとする方式である。光子は空間を波のように一定の方向に振動しながら進む。光子の振動の向きは様々だが、特定の振動方向の光子を0と1の情報として表現する。常温・待機中で動作し、量子ビットの精度が高いものの、量子ビット数の動作が遅いことが課題となっている。その他にもシリコン方式や冷却原子方式があるが、現時点では、IBMとGoogleの超伝導回路方式が先行し、IonQとQuantinuumのイオントラップが続き、光方式の技術ブレークスルーが期待されるといった状況と言える。
図表3:量子ビット方式毎の特徴
これまで解説したのは、量子ゲート方式と言われる技術である。量子コンピュータは広義の概念もあり、それがイジングマシン方式である。イジングマシンは、交通における経路探索、金融における投資資産の最適分配、化学における材料の最適配置といった組合せ最適化問題を近似的に解くことに特化したコンピュータであり、アニーリングマシンとも呼ばれる。アニーリングマシンにはイジングモデルという概念がある。統計力学の基本的なモデルとして定義されたもので、その構造は+1と-1のいずれかの状態を取る膨大な個数のミクロ要素が相互作用しあい、またそれぞれのミクロ要素に強制力が与えられているとき、全体(マクロ)としてどのような振る舞いを示すかを表現するモデルである。
量子ゲート方式のビット数が発展途上であることと大型化に課題がある一方、イジングマシン方式は、既存の半導体技術を活用した疑似量子コンピューティングで、デジタル回路はシリコン半導体のため小型化が容易である他、常温で安定稼働が可能な点で使い勝手がよい、といった特性から実用化がいち早く進んでいる。特に、量子コンピュータの計算手法を取り入れた古典コンピュータである量子インスパイアードコンピュータは、組み合わせ最適化問題を高速に解くマシンが各メーカーで開発されている。
図表4:量子コンピューティング技術の全体像
量子技術の産業応用への道筋
量子コンピュータは、量子力学に基づく化学反応に関する計算(量子化学計算)が得意と考えられている。そのため、量子化学計算を必要とする創薬や材料開発などに最初に活用されるのではないか、という期待がある。量子コンピュータを使って、材料を構成する電子の振る舞いを正確にシミュレートすることで、新しい薬や材料などの開発期間を大幅に短縮できる可能性が示されている。他方で金融計算や機械学習などへの応用も積極的に研究されている。Q-STARが策定した量子技術の産業応用ロードマップは、金融や物流の分野では25~27年、電力分野は25~30年が目標時期とされている。
図表5:量子関連技術の産業応用ロードマップ
量子コンピュータもDeep-techであるがゆえ、商用化は10年単位で取り組むことになろう。ハードウェアに関してはIBMやGoogleなど北米勢が先行している。しかし、量子コンピュータとして最有力である超伝導回路方式を実現する超電導量子チップ、制御装置、低雑音アンプ、低雑音電源、配線ケーブル、配線コネクタ、希釈冷凍機といった部材・部品は日本勢が強みを有している。ソフトウェアは、スタートアップが興隆しており、1Qbit、Qu & Co、ClassiqなどがIBMのQシステムに参加して、次世代ソフトウェアの実験とテストを実施している。
多くの日本企業は、量子コンピュータのハード・ソフトウェアへの事業参入というより、量子コンピュータをどのように活用するか、の検討を始めるタイミングに来ている。量子関連技術の産業応用ロードマップが示されているが、各ユースケースにおいて自社の活用用途の調査から始めるといいだろう。特に金融・製薬・素材・物流・製造といった産業は、量子コンピュータの活用が将来的な競争力に直結する可能性がある。ハードウェア、ソフトウェアの企業やスタートアップとの連携を模索し、先行投資も視野に実践的な取り組みを図ってはどうだろうか。