規制緩和のベクトル
金融側からの他産業への乗り入れは、他業リスクの排除、利益相反取引の防止、優越的地位の濫用の排除といった視点から長らく規制されていた。歴史的背景として、これらは戦前期の財閥とその中核となる銀行による産業支配といった事象を省みての制度設計であった。
良くも悪くも金融業を特別視してきたこの規制上の境界線は、近年おおいに緩和方向にある。21世紀初頭のタイミングで検討された銀行法等の改正*1では、『「異業種」からの銀行業への参入の動きなどを踏まえて、銀行の健全性を確保しつつ、我が国金融の活性化を図ることにより、安定的な金融システムを構築するため、所要の措置を講ずるもの。保険会社についても同様のものとする。これらの措置は経済構造改革にも資する。』との趣旨が打ち出されている。逆にライセンスの存在による実質的な他産業からの乗り入れ防御機能は、主要株主規制の適格性審査の中に残るものの、『セクターの活性化により安定的な金融システムを構築する。経済構造改革にも資する』緩和により、異業種の乗り入れは今や奨励される行動とも言える。
資本の論理によるドライブ
一方資本市場の中でも、長らくPBR1倍割れが常態となっていた金融セクターについては特殊・異質と見る向きもあったが、昨今のアクティビスト株主の働きかけにみられる通り、市場一般の金融セクター株へのリターン面の期待も、一般のセクターと同様になってきている。スルガ銀行の近年の主要株主の異動(ノジマおよびクレディセゾンの参画)やSBIによる新生銀行へのTOBなどは、金融セクターでも資本市場を介した経営交代が起きうる先例となった。また、大手生命保険会社による、いわゆる同意なき買収の形をとった福利厚生会社の買収は、金融機関側が厳然たる資本の論理をもって通常の資本市場のプレーヤーとして行動する先駆けとなった。安定性に鑑みて成長性への期待は低め、短期的なリターンの水準も低め、という期待水準は今や過去のものとなり、他産業と特に変わらぬ要求を受けているといえる。そのような環境の下では、金融機関も自社エクイティストーリーの維持・拡充に常に注力する、という要請のもとで、おのずと事業分野の拡大をドライブする方向に働くことになる。
金融セクターからの乗り入れ
以下は近年の大手銀行・生損保による国内M&A案件の件数の推移を示したものである。金融セクター内での買収を(同業でないにしても)セクター内の案件として分類することとすると、セクター内案件の推移は全期間ほぼ一定であるのに対して、2019年ごろより異業種への乗り入れ(グラフ中の「その他」)にかなりの増加傾向がみてとれる。生保による保険代理店買収(純然たる金融とも非金融とも区分しがたい)を除外すると、その傾向は一層明らかである。
図1:銀行・生損保の国内M&A件数推移
出典:SPEEDAよりKPMG FAS作成
注:SPEEDAにおける「買収」のみを抽出(少数持分取得は対象外)
グループ内再編等は除外
2015年損保ジャパン日本興亜HDによるプロダクト・ワランティ・ジャパン(製品延長保証)は金融にカウント
“べストオーナー”を目指す銀行業界
金融セクター内でもさらに区分すると、銀行セクターによる他産業への乗り入れは、後述する保険会社によるものほどには業際のギャップを超える印象の案件は少なく、本業と地続きではないにしても、シナジーの想起は比較的容易でエクイティストーリーとして連続性のある分野への進出が目立つ。以下は直近5年の主要な国内異業種案件の一覧である。
表1:国内大手銀行の主要な異業種M&A案件
出典:各社公表資料、報道記事、SPEEDA
資産運用、証券、カード・リース事業といった本業の隣接領域までの強化を目的とする案件が目立ち、DXやIT系の投資先がみられる場合も本業周辺での機能強化が多く、金融セクターの枠から完全に出るような事例は少ない。
一方その反面で、ベストオーナーの議論とのフィット感は良いともいえる。経産省が2020年にとりまとめた事業再編実務指針におけるベストオーナーの定義は「当該事業の企業価値を中長期的に最大化することが期待される経営主体」とある。具体的には「成長投資を行う意思とそのための経営資源を保有していること」や、「付加価値を創出するオペレーション能力が他社に比べて高いこと」、「組織能力(ケイパビリティ)や資本力を活かして競争優位を築き、当該事業の成長戦略を実現する可能性が他社より高い」といった項目があげられるが、銀行各行による周辺事業の投資・買収は、これらの要件に合致する可能性が高いように見受けられる。たとえば事業会社による傘下の金融事業の切り出しによる売却(いわゆるカーブアウト)については、潜在的なニーズを含めて検討の俎上に載るケースが多く、また実際の案件実施に関与する例も近年ことのほか増えているが、その際の売却先はやはり銀行グループとなることが多いのは、このベストオーナー像として銀行グループがイメージしやすいことの証左といえるのではないか。
保険業界の活発な多角化
保険セクターの異業種乗り入れはさらに活発なものといえる。金融庁と各保険会社の諸課題をめぐる対話・モニタリングの内容の公表となる「保険モニタリングレポート」でも、顧客基盤の強化・収益の多角化の事例として紹介されている。また、「保険業高度化等会社」導入以前より、保険持株会社の傘下では当局の認可を得ることで実質的に多様な業種の運営が可能であった点も要因として挙げられよう。
表2:国内保険会社の主要な異業種M&A案件
出典:各社公表資料、報道記事、SPEEDA
損保勢は、政策保有株ほかの業界独特の営業慣行によるグリップが失われていく新しいマーケットの中で、契約者への付加価値の提供による差別化を必要としている。これを受けて、医療、ヘルスケア、防災・減災、データ活用といった新しいサービスの品ぞろえに貢献する業種の取り込みとなる案件が多い。
生保勢は、本業との親和性が高い健康・医療・介護の領域の強化を本格化してきている。また第二の本業ともいえる資産運用に加えて足元では特に不動産の領域を拡充する方向性が目立つ。
とりこまれる異業種の側としても、資本基盤のスケールと安定性に優れ国内外のネットワークの豊富なこれら保険会社をオーナーとすることは、当該事業単体の成長の上でも大きくプラスに働くケースが多く、また相互のエコシステムを活用することで、クロスセル効果も期待されるポジティブなアライアンスとなろう。
おわりに
先述のベストオーナーの定義「当該事業の企業価値を中長期的に最大化することが期待される経営主体」の議論は、資本の論理に止まらずオーナーチェンジつまりはM&Aの行動原理として働く。近年の金融の業務範囲規制の緩和と異業種との相互乗り入れの流れとも共鳴する状態にあり、足元は金融セクターにおいても資本の論理の浸透から透徹へむけた過渡期となっているようにみえる。金融セクターにはベストオーナーの要件を充たすプレーヤーが多く存在するものと思われ、資本市場による選別にさらされつつも、コングロマリットプレミアムの実現に向けて異業種への越境M&Aへの流れは今後も継続することが期待される。
なお、本稿における意見にわたる部分は筆者個人の見解です。
執筆者
バックナンバー
- M&A Commentary #8 2024年のM&A動向についての振り返り
- M&A Commentary #7 事業承継型M&Aの現在地 ~後継者問題は解決するか~
- M&A Commentary #6 ますます期待される社外取締役の役割と経営者の覚悟
- M&A Commentary #5 2023年のM&A動向についての振り返り
- M&A Commentary #4 PBR1倍割れ改善要請について考える
- M&A Commentary #3 スタートアップ企業による資本業務提携から学ぶM&Aのポイント
- M&A Commentary #2 海外法人売却増加の背景と売却時における実務上の留意点
- M&A Commentary #1 事業成長における資本政策 - ゴールはIPOだけではない