ますます期待される社外取締役の役割と経営者の覚悟

日経平均株価が3月末に4万0369円で終了(前年同期比で43.9%の上昇)し、マーケットは2024年度への期待感で沸いていた。昨年より一週間程遅れた桜の開花宣言後、多くの観光地が外国人観光客で賑わう中、円安・ドル高が更に進み、IMFの最新の推計によれば2025年に日本のGDPはインドに抜かれ世界5位となる見込みが公表された。常態化するロシア・ウクライナ戦争、ガザ・イスラエル紛争とイランの介入などが与える世界における地政学上のリスクにも晒されている現状、強いドル・弱い円の構図は当面変わらないと見られている。日本の少子高齢化などの質的変化による国力の衰えを捉えて、金利差のみでは語れない相対評価であるとも評されている。

少し前に時を戻せば、東京オリンピック前後でSDGs等の環境への対応気運が盛り上がり、機関投資家のESG投資方針の下、コロナ渦もあり環境問題に対する企業経営者の姿勢も持続可能な経営へと大きく舵を切った。各社創意工夫の統合報告書・サステナビリティ報告書等を公表する様になり、自社の環境問題への取り組みを経営の重要な方針として打ち出している。この頃、多くの脱キャピタリズム論が展開され、従来の自然資源の収奪・労働力の搾取型資本主義モデルからの転換が求められたが、資本主義に変わるシステムは少なくとも先進国の間では見出されていない。未だ、資本主義体制の中での環境対応という矛盾した難しい問題に直面している。

図表1:東証プライム上場企業の業種別発行企業数と業種内発行割合

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注記1:統合報告書発行企業

図表2:マテリアルだと判断された事象

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注記2:マテリアリティとは、重要社会課題を指す

図表3:GHG排出量(Scope1、2)の当期実績が開示されているか

Japanese alt text: 図3
注記3:温室効果ガスの削減に向け、WRI(世界資源研究所)とWBCSD(持続可能な開発のための世界経済人会議)の共催により「GHGプロトコル」が組織され、GHG(Green House Gas)排出量を算定・報告するための国際的基準が作成された。
GHGプロトコルは、温室効果ガスの算定基準を排出源に応じて「Scope1」「Scope2」「Scope3」の3つに区分している。
Scope1:自社が直接排出するGHG
Scope2:自社が間接的に排出するGHG
Scope3:自社の活動に関連した他社のGHG

TCFDとは「気候関連財務情報開示タスクフォース(Task force on Climate-related Financial Disclosures)」を指し、G20財務大臣・中央銀行総裁会議の意向を受けて金融安定理事会が設立した組織。

出所:KPMGジャパン 2024年4月発行 「日本の企業報告に関する調査2023」
https://kpmg.com/jp/ja/home/insights/2024/04/sustainable-value-corporate-reporting.html

そして、コロナ渦が落ち着いた現在、経済活動も以前と同様エンジン全開で動き出した中、東証は2022年に抜本的に市場区分を再編、上場企業経営者に対して、2023年には資本コストや株価を意識した経営を要請し、「PBR1倍割れ」企業に対する改善を強く求め始めた。また、経産省も「企業買収における行動指針」を基に、企業経営者に企業価値向上につながる提案については真摯に検討することを求め始めた。既に数件の「同意なき買収」も実行されている。

この様に企業経営者は大変なのである。利益を産み・還元していく中、様々なステークホルダーの利益を守り、業界内ではライバル企業と凌ぎをけずり、最終的にバランスシートに残った剰余金を投資家に還元する必要がある。それも一過性ではなく半期・毎期と永続していく事になる。これが企業経営の本質であり、経営者の責任として資本主義下の経済活動を担っているのである。

一昔前の我が国の株式市場では、買収防衛策を導入する企業が多くみられ、「アクティビストと呼ばれる投資家からの株主提案は企業価値を棄損する」と経営者は買収防衛策を盾に自社を守ってきたが、今や、コロナ渦を境に、確実に潮目が変わった様相を呈している。企業経営者は東証のガイドラインに準じ自社の資本コスト(株主からの期待値)を意識する様に求められ、資本コストに見合う様に事業運営・投資を実行する事が求められている。また、経産省の指針によれば、自身の経営手腕より企業価値向上に資する買収提案が出されれば、取締役会で検討されなければならない。なぜか?株価を上げる努力を要請されているからである。かつてアクティビスト投資家との買収防衛戦を繰り広げていた2000年前半からほぼ20年経った今、ようやく我が国の株式市場におけるガバナンスルールが定着しようとしている。

経営者は株価をコントロールできるのか?

果たして、経営者は投資家の期待通り株価を上げる事は可能であろうか?株価はあくまでも期待値であり結果である。期待値により株価が形成されるのである。少なくとも株価を決めるのは需要と供給の場である市場のメカニズムである。理論的には、経営者は自社の利益を最大化、株主資本を必要最低限のレベルまで減らせば、株主リターンは最大化され、株価の改善は期待できる。PLで利益を最大化し、BSの剰余金を最低レベルに維持するという事である。要するに必要以上の現預金や、有価証券、政策保有株式や不動産等の余剰資産からなる剰余金を株主還元するという事になる。このPLでの利益の最大化とBSでの必要以上の剰余金の圧縮を一度のみならず毎期期待されるのである。成長著しい企業には当てはまらないが、高成長あるいは高マージンではないが安定した利益を産みだしている企業は、株主還元により株主資本を減らす事を求められている。また、事業において余剰資金を投資する際には、明確な「投資基準」や「成長ストーリー」が必要となる。「以前から欲しかった会社が売りに出た。他社には取られたくはない。高値でも買うべきだ。」これを「誰が判断」し、どの様な期待リターンのストーリーを「誰に対し」発信するのか?20年前の様に実力者であるトップの決断とその判断だけでは限界がある事を、今の経営者は、過去の大型買収案件とその後の減損処理、又は、関連する不正会計処理などで企業存続の根幹を揺るがせた事件を通して、理解しているはずである。では、利益率を改善し、BSを筋肉質に変えるだけで株価は改善するのであろうか?

流動性が大前提

投資家・経営者双方にとって「流動性」は重要な要素である。投資家サイドに立てば、資金調達の手段が多く、売却先の選択肢も多く存在する投資案件は、自らがサプライ・デマンドサイド双方に対し価格決定権を有する事が出来る。経営者サイドにとっても同様である。事業に必要なリソースへのアクセスが豊富で自社製品・サービスの提供先が多い程、価格決定力を維持する事が出来る。反対になんらかの理由で流動性が制限されている投資案件はそもそも投資対象とならないか、リターンは投資先企業の株主還元に頼らざるを得なくなり、価格に関するコントロールが制限されてしまい、調達コストに見合ったリターンも制限されてしまう。同様に、経営者もサプライヤー及び顧客の数が限定的な事業環境においては、価格決定力が制限されてしまい、コストに見合った事業を創出する事が出来ない。まして競合他社が多ければ事業として成り立たない。本質的にこの様な環境が経営者をM&Aへと駆り立てるのである。それが業界内での水平統合かバリューチェーン上の垂直統合かに関わらずにである。日々の経営において経営者が投資家の目線を持つ場面がM&Aを検討する機会ではなかろうか。ここで経営者が投資家の行動パターンを体現するのである。従って、自らの企業に流動性を制限する大株主や持ち合い株主の存在は、投資家にどう映り、その投資判断をどう左右するのであろうか?

流動性の手段としての株式市場

言うまでもなく、投資家にとって、株式市場が健全に機能していることは大前提であり、且つ、流動性を担保する取引量と時価総額の規模も重要な要素となってくる。経営者は自社の株式の流動性を上げようと株式分割などの手段をとるケースもあり、本質的に成長余力のある企業による株式分割であれば、一般投資家など新規の投資家を呼び込むことに成功する可能性はある。一方、成長余力が乏しく、大株主や持ち合い株主が既に存在している場合は、企業に対する支配権は変わらず、結果、流通株式数が増加した分、株価の動きは経営者が意図していた動きにはならないケースもみられる。株価対策を講じたいのであれば、先ずは、自社の支配権などの構造上の問題にメスを入れるべきである。

また、株式市場が健全性を担保する上で、上場各社の透明性が求められており、ガバナンスが有効に機能していることが大前提となる。そもそも取引量・出来高も少なく透明性に疑義がある市場は市場として機能しておらず、投資家は別の健全な市場を選択する。昨今の東証のガイドライン及び経産省の指針は株主至上主義を謳っている訳ではなく、我が国の株式市場の健全性を国際社会に喧伝しているのであり、株式市場に上場している各企業に対して、市場の構成メンバーとしての努力を促しているのである。

資金調達手段としての株式市場

では、経営者にとって、株式市場に上場する事、上場している事の意味は何であろうか。先に述べた通り、投資家に対して市場の健全性を保つべく、東証や経産省からの要請を受ける受け身の立場である一方で、経営者は自社を上場するに際し、又は、事業を拡大するに際し、新規株式の発行を通じ、資金を調達する場として、株式市場を活用する事は言うまでもない。若しくは、安定期に入った企業では、自社の資本構成を変える目的で自社株買いを実行する際に、市場を活用するのである。これらの機会を通して経営者は株価を他人事ではなく自らの事として実感するのではなかろうか。では、株式市場を活用する機会が無い企業にとって果たして上場していることの意味はどの程度あるのであろうか?経営者の仕事は限られたリソースを有効活用し、事業を起こし、リソースを提供してくれた各ステークホルダーに利益を分配する事である。そのうちリスク許容度が一番高い投資家は、最終受益者として他のステークホルダーより高い利益を求めるのである。創業間もないころ創業者は経営者であり株主であった。自社の成長を通し、株式市場で新規株式を発行し上場を果たした時点で少数株主への責任が経営者として生まれる。上場している以上、投資家への責任を果たす義務即ち株価への責任が生まれる。その投資家と経営者の間で余剰資金運用に関する方向性に差異が生じてきた場合、どちらを犠牲にすれば良いのであろうか?将来の為に、今、大胆に投資を実行したい、若しくは、構造改革を実施するので利益配当は相当先になると思った時、経営者は自らの経営方針を貫くべきであろうか?果たして投資家への責任を他のステークホルダー同様に果たせるのであろうか?通信販売会社を一代で築き上げた創業社長の言葉がストレートに響く。「これだけ規模が大きくなったにもかかわらず上場していないのは、不特定多数の株主より社員を大事にしたい思いがあるから。」

経営者の選択

東証が「PBR1倍割れ」企業に対する改善を強く求める背景は上述した通りであるが、言うまでもなく「PBR1」を超えた途端に、資本コストを意識した経営を忘れて良いとはならない。経営資源は無尽蔵にあるわけではなく常に有限である。今後インフレが進むとされる中、投資家からすると余剰資金は運用されずに塩漬け状態と同じである。経営者は将来の不確定要素を見据え、現状では、資本コストよりも負債コストの方が低い事も承知しているが、出来る限りBSに資金を貯めておきたいと考える。一方で、株主が企業の所有者であるという事も理解している。短期のリターンを求める投資家と中長期で事業計画を遂行していく責任のある経営者の間では当然利益配分の方針に関して違いが出てくる。少数株主を代表してアクティビストから株主還元を要求され、特別配当や自己株買いなどで対応し、BSの剰余金を減らした結果、ROE、ROICは改善し、一時株価を上げる事に成功したとしても、なんらかの理由で事業の成長性が将来それ程見込めない場合、新規事業に投下するリソースは手許にどれだけ残っているのであろうか?果たして、この様な状態の企業の株に継続的に買いが入るのであろうか?上場維持如何に関わらず、企業運営は継続性が大前提である。常に事業ポートフォリオを最適な状態に保ち、グループ内でコングロマリット・ディスカウントが発生していれば、ベストオーナーの観点から、当該事業や子会社を売却し、投資家からの期待リターンを超える事業運営を担う事が経営者の責任のはずである。対処療法は時間稼ぎ以外の何物でもなく、東証や経産省も望んでいない事は明白である。我々は火宅無常の世界に生きている。市場も新陳代謝が必要であり、株式市場に上場している事が今の自社の成長段階若しくは状態にそぐわない場合と判断する際は、最後の株主還元をして、自らの経営方針を理解する投資家と上場廃止を目指すことは一つの選択肢であることは言うまでもない。それにより経営に集中出来、更に社会に貢献出来るのであれば、上場企業としてのステータスは必要が無いはずである。では、一体、経営者は自社の資本政策を先ずは誰に相談すべきであろうか?コンサルタント、顧問弁護士や税理士、証券会社であろうか?

期待される社外取締役の役割

取締役会の機能は大きく2つとされる。一つは、監督機能、二つ目は、意思決定機能である。各意思決定は適切になされているか、事業運営は法令遵守に則ってなされているか、各ステークホルダーの利益は守られているか等の観点から業務執行を監督し、また、業務執行を実行する上での最高意思決定機関として機能する。その中で社外取締役に求められる機能は、監督機能はもとより取締役会での意思決定の後押しをする事と期待されている。殊に自社の資本政策に関して相談すべきは社外取締役が適任だと考えられる。経営者が自社の現状と自らの思いを整理した上で、社外取締役に相談するのである。株式市場と自社の相関関係を株式市場の観点から助言する事が期待されている社外取締役の需要な役割の一つでもある。自社の現状、自らの思いと株式市場の観点を率直に話し合うのである。経営者は、その対話の中から得た株式市場の観点を自らの思い若しくは方針・計画に照合し、自らの思いを固め、正式に取締役会に諮るのである。大前提として、社外取締役には高い倫理観とともに資本市場のメカニズムと自社に対する期待値を正確に理解できる資質と経験が備わっている事は言うまでもない。ある特定の利益団体若しくは株主の命を受けている社外取締役はその任にあらず。従って、資本政策論に限って言えば、経営者は社外取締役を選ぶプロセスに接する際に、少なくとも、資本市場に関する経験と知識がある人材を念頭に置くべきである。経営者経験があれば尚可である。事業に関しては、一生懸命勉強して頂くのである。

図表4:社外取締役に求められる資質

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図表5:社外取締役がリスクテイクの観点から重視するポイント

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出所:KPMGジャパン 2018年11月発行「コーポレートガバナンスOverview2018」
https://kpmg.com/jp/ja/home/insights/2018/11/corporate-governance-overview-2018.html

経営者の覚悟

経営者の仕事は判断を下す、決断する事である事は言うまでもない。そして、その判断・決断に責任を持つことが問われている。前述の通り、事業を創出し、各ステークホルダーの利益を守り、利益を産み、最終的に株主に還元する。経営者はこの事業運営の各場面において判断を下し、責任を持つ事になる。とりわけ株式市場からの要請がある際には、社外取締役の役割を経営者が明確に理解し、その見識を活用する事により、株式市場との建設的な対話が成立すると期待できる。社外取締役の役割は前述したが、各種コンプライアンスと企業価値論に関して、経営者は俯瞰的に見、傾聴する姿勢を如何に保てるかがガバナンス経営において重要なポイントとなってくる。事業運営においてコンプライアンスに抵触していないであろうか??自身の経営力よりも他者の方が企業価値を向上させる能力があるのではないか?様々な局面で判断を下す際に、社外取締役のアドバイスに傾聴した上で、判断し、行動し、責任を取る姿勢が求められている。耳根清徹・不遇苦患である。

日々の生活に根差している仏教の教えによると、人は因・縁・果の大海に浮かんでいるという。その事を、人は自我を持つが故に見えなくなっている。自我は自己の個体の保存を最優先しようとする。従って、極めて自己中心的となる。その様な自我は自己を存在せしめている因・縁・果の大海を無視し、自己が自由にものごとを決定出来るかのように行動する。あるいは、自己に都合の良い様に周りの環境を作り上げてしまうという。そこに人間の「忘れる」という機能が付加され、ますます、自らに都合の良い環境の都合の良い面しか見なくなってしまい、それを現実だと自らに思い込ませ将来の期待の中で生きている。

資本主義はこの自己中心性が発揮する欲望を満たし、快楽を人生の価値とする限り、便利で豊かな暮らしを提供してくれる。資本主義の根源は、永遠に成長を強いるメカニズムにあり、自然環境を破壊し、リソースを搾取しながら、消費者の飽くなき欲求を満たすべく、日々、エンジン全開で前進し続けている。一方で、自然環境は悲鳴を上げ、地球温暖化による海水温度上昇、干ばつやハリケーンなどの異常気象、地震や大規模火災、コロナなどの未知のウィルスなどにより、人類に様々な形で警鐘を鳴らし続けている。これ以上、忘れて見ないふりを続けた先に、期待していた将来とならないと分かった時、一体どうなるのであろうか?これからの経営者は、超高齢化社会を背負い若者達への仕事を創り出しながら、破壊的な資本主義のメカニズムの中で利益を産みだし続ける責任を担っている。戦後80年となる2025年を迎える今、成熟した資本主義経済の中、如何にその責務を果たすか?地球上の限られたリソースの中、経営者一人一人に難しい舵取りと覚悟が求められている。

※本文中の意見に関する部分については、筆者の私見であることをお断りいたします。

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