財務諸表の作成、監査実務への影響必至!? PRI報告書から考える気候変動リスク開示の今後
「旬刊経理情報」(中央経済社発行)1627号(2021年11月10日)に「財務諸表の作成、監査実務への影響必至!? PRI報告書から考える気候変動リスク開示の今後」に関するあずさ監査法人の解説記事が掲載されました。
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ハイライト
この記事は、「旬刊経理情報1627号」に掲載したものです。発行元である中央経済社の許可を得て、あずさ監査法人がウェブサイトに掲載しているものですので、他への転載・転用はご遠慮ください。
ポイント
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1.はじめに
2021年9月17日に、気候変動リスクの開示に関する報告書「Flying blind - The glaring absence of climate risks in financial reporting(仮訳「目隠しでの飛行 - 財務報告における気候変動リスクの明らかな欠如」)」(以下、「本報告書」という)が公表されている。
本報告書は、The PRIとCarbon Tracker(両組織の概要:図表1参照)が共同で、温室効果ガスの排出量が大きいグローバル企業の年次報告書において気候変動リスクに係る課題と対応が財務諸表に適切に開示されているか、および監査の実施において適切な対応がされているように見受けられるか否かに関する調査結果をまとめて公表したものである。
2021年10月31日から11月12日にかけて国連気候変動枠組条約第26回締約国会議(COP26)の開催が予定されており、気候変動リスクへの対応についてグローバルレベルでのコミットメントが強化されようとしている。また、こうした動きを踏まえ、企業において気候変動リスクが適切に識別され、対応が図られているかについて、投資家やその他のステークホルダーによる関心が急速に高まっている。
本稿では、こうした動向を踏まえ、本報告書が公表された背景、本報告書の概要(調査アプローチ、調査結果、提言)について解説するほか、提言を踏まえて考えられる日本企業への示唆について考察する。なお、本文中の意見に関する部分は筆者の私見であることを申し添える。
図表1:The PRI及びCarbon Trackerの概要
組織 | 概要 |
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The PRI |
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Carbon Tracker |
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出所:The PRI及びCarbon Trackerのウェブサイトに掲載されている情報を踏まえ、KPMG作成
2.本報告書が公表された背景
2015年12月に開催された国連気候変動枠組条約締約国会議(COP21)で合意されたパリ協定において、産業革命前の水準と比較してグローバルの気温上昇幅を2℃よりはるかに下回る水準(well below 2°C above pre-industrial levels)に抑えるとともに、当該上昇幅を1.5℃までにとどめるように取組みを進める方向で気候変動リスクに対処することが合意されている。しかし、2021年8月に気候変動に関する政府間パネル(IPCC)から公表された第6次評価報告書でも示されているとおり、気候変動のスピードは当初想定を上回るスピードで進んでいるほか、2℃上昇と1.5℃上昇とでは将来の帰結が大きく異なるという認識が広がっている。また、そうした認識を踏まえ、企業部門に対して温室効果ガス(特に、その大層を占める二酸化炭素)の排出量の削減が強く要請されるようになっている。
同時に、こうした要請に企業が適時・適切に対応できているかは企業活動の持続可能性に強く関連し、これが投資リターンにも関連するという認識が共有されるようになっている。このため、企業が気候変動リスクに適切に対応できているかについての投資家の関心は急速に高まっている。
これを踏まえ、一部の投資家グループは、企業に対して気候変動リスクの開示を適切に行うことを強く促すようになっている。世界最大の資産運用会社であるBlackrock社は、投資先の企業のCEO宛に毎年レターを送付し、資産運用会社としての期待を示している。2020年1月に投資先企業のCEO宛に発出されたレターでは、ネットゼロ経済への移行を見据えてどのようにビジネスモデルを見直していくかが事業戦略に組み込まれ、当該戦略がどのように取締役会によってレビューされているかについて年次報告書等で報告することを要請している。また、2020年9月には、機関投資家の代表として、The PRIをはじめとする7つの団体から連名で、投資先企業に対して、主に以下の点を要請するレターが公表されている。
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このように投資家からの関心が特に高まっていることを踏まえ、2020年11月にIFRS財団から教育文書「IFRS基準を適用して財務諸表を作成する場合における気候変動リスクの考慮(The effects of climate-related matters on financial statements prepared applying IFRS Standards)」が公表され、IFRS基準の適用にあたって気候変動リスクをどのように考慮すべきかが明らかにされている。同教育文書の内容は、2019年11月にIASB審議会のニック・アンダーソン理事が個人の見解として公表した文書「IFRS基準と気候変動リスクの開示について(IFRS Standards and climate-related disclosures)」で示されていた内容とおおむね整合的である。財務諸表の作成にあたって気候変動リスクに係る事項をどのように考慮することがあり得るかについて、各基準の要求事項に照らして説明がされたうえで、財務諸表の作成にあたって会計上の見積りにおける重要な仮定について開示する旨が必要となる場合があること等が説明されている。
また、2020年10月には国際・監査保証基準審議会(以下、「IAASB」という)からスタッフによる監査実務に関する注意喚起文書「財務諸表監査における気候変動リスクの考慮(The Consideration of Climate-Related Risks in an Audit of Financial Statement)」が公表され、国際監査基準(ISA)に準拠して監査を実施するにあたって、気候変動リスクに係る事項をどのように考慮すべきかが明確化されている。
3.本報告書の概要
(1)調査アプローチ
こうした経緯の下、The PRIは、投資家コミュニティにおいて、会計および金融に精通する者から構成される特別なチームを組成し、年次報告書において気候変動リスクの開示が適切に実施されているかについて調査(Climate Accounting Project)を行った。本報告書は、Climate Accounting Projectが実施した調査、および別に進められていたCarbon Trackerによる年次報告書の調査を合わせて公表されたものである。調査アプローチの概要は、図表2の通りである。
図表2:調査アプローチ
1.財務諸表の作成にあたって気候変動リスクの影響が考慮されていると認められるか 2.気候変動リスクに関して会計上の見積りや仮定が定量的に開示されているか 3.気候変動リスクについて財務諸表で開示されている情報が年次報告書における財務諸表以外の開示と整合的か 4.財務諸表監査の実施において気候変動に関する事項が考慮されたように見受けられるか(注1) 5.気候変動リスクに関する企業報告について、監査報告書で重要な相違があったか否かについて検討がされているか(注2) 6.会計上の見積りやその仮定がパリ協定の目標と整合的(注3)であり、目標達成に関連する財務的な影響が開示されているか (注1)具体的には、「監査上の主要な検討事項」(KAM)または「監査上の重要な事項」(CAM)において、気候変動リスクに関する監査上の検討が記載されているかが分析されている。 (注2)具体的には、気候変動リスクに係る事項について財務諸表と財務諸表以外の開示に重要な相違があるにも関わらず、監査報告書において「その他の記載内容について報告すべき事項はない」と記載されているかどうかが分析されている。 (注3)具体的には、開示されている仮定が、国際エネルギー機関(以下、「IEA」という)が2021年5月に公表した「Net Zero by 2050」で示されている将来における石油・ガス・二酸化炭素の価格予想と整合的か否かについて分析がされている。 |
なお、調査対象企業の業種別の分布は、図表3に示した通りである。また、調査対象会社の母集団(107社)のうち94社はClimate Action 100+(詳細:図表4参照)の対象会社である。
図表3
図表4:Climate Action 100+
項目 | 概要 |
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取組内容 |
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メンバー |
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対象企業 |
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対象企業に対する要請 |
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出所:Climate Action 100+のウェブサイトに掲載されている情報を踏まえ、KPMG作成
(2)調査結果
本報告書では、図表2に示した1.から6.の調査項目のそれぞれについて、調査対象企業ごとに4つの区分(よい、小さな懸念がある、懸念がある、重要な懸念がある)のどれに該当するかを評価したうえで、評価の理由を示している。なお、調査結果について、「よい」とされていた対象は投資家が要請している情報を提供していると認められる事例、「小さな懸念がある」とされた対象は投資家が要請している情報を概ね提供していると認められる事例、「懸念がある」とされた対象は投資家が要請している情報を一部は提供していると認められる事例、「重要な懸念がある」とされた対象は投資家が要請している情報を有意な程度に提供しているとは認められない事例、として説明されている。
これらの評価結果について107社のデータをまとめたものは、図表5のとおりである。
図表5:調査結果のデータ概要
図表5で示された結果は、次のような点でショッキングともいえる。
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前記を踏まえ、本報告書では、図表6が調査結果の総括として示されている。
図表6:調査結果
1.調査対象会社(重要な気候変動リスクに晒されていることが想定される)の70%超の年次報告書において、財務諸表の作成にあたって気候変動リスクに係る事項が考慮された旨を裏づける開示がされていなかった。 |
2.気候変動リスクに係る仮定について定量的な開示がされていた企業は、調査対象会社の25%にとどまっていた。 |
3.調査対象会社の72%の年次報告書において、財務諸表における気候変動リスクに係る事項の開示が財務諸表外の開示と相違しているように見受けられた。たとえば、財務諸表外において気候変動リスクに係る事項は財務的に重要な影響があるとされているにもかかわらず、財務諸表において気候変動リスクに係る開示がされていない事例があった。 |
4.調査対象会社の財務諸表に対する監査報告書において気候変動リスクに関連する事項(例:温室効果ガスの排出目標の達成見込み、気候変動リスクを踏まえた規制変更の影響、消費者の嗜好の変化を踏まえた会社の製品やサービスに対する需要の変化の影響)をKAMまたはCAMとしていた事例は20%に留まっていた。 |
5.気候変動リスクに係る事項について、財務諸表と財務諸表以外の開示に重要な相違があるにもかかわらず、監査報告書においてそれが報告されていない事例が59%あった。残りの41%においても、その半分は財務諸表と財務諸表外の双方において気候変動リスクに係る事項が開示されていないため、両者の間で重要な相違が生じていないものであった。 |
6.権威ある機関が公表している気候変動シナリオで示されているデータを用いている事例もあったが、IEAが2021年5月に公表した「Net Zero by 2050」で示されている石油・ガス・二酸化炭素の価格予想と整合的な仮定が開示されている事例はなかった。このため、使用されている仮定がパリ協定の目標と整合的でない可能性がある(注)。 (注) 本報告書は、2020年12月期の年次報告書を調査対象としているため、2021年5月に公表されたIEAによる報告書で示されている仮定と整合的な開示がないのは、ある意味当然とも考えられる。調査対象とした企業のなかに、IEAから公表されている2℃超のシナリオ(Beyond 2 Degrees Scenario)に沿った開示をしている事例は一定程度あった旨が報告されている。 |
(3)本報告書における提言
本報告書では、調査結果を踏まえ、以下の提言が示されている。
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4.日本企業への示唆
本報告書における調査は、主に2021年3月から7月にかけて実施された。このため、3月決算会社の日本企業の年次報告書は本報告書の作成にあたって調査対象とされず、結果として、日本企業の年次報告書やこれに関する監査が個別に評価されることはなかった。ただし、今後同様の調査がされる可能性は十分にある。
本報告書では、各業種における大手企業の開示を対象として図表2に示した6つのテーマごとに詳細な分析と評価が示されている。このため、気候変動リスクに関心を有する投資家のニーズを満たすためにはどのような開示が必要なのか、また、どのような取組みをすべきかについて具体的に理解することができる。したがって、本報告書で示されている自社が属する業種の企業の開示に対する分析や評価を参考にして、自社の取組みを再評価することは、「気候変動リスクの影響」という新たな情報ニーズを踏まえた開示の高度化を進めていくうえで有用と考えられる。
国内では、2021年6月に公表されたコーポレートガバナンス・コードの改訂を踏まえ、最近、TCFD提言への対応をはじめとして、財務諸表外における気候変動リスクの開示に対する関心が高まっている。しかし、本報告書で指摘されているように、気候変動リスクやそれを踏まえた対応は財務諸表の作成においても考慮され、財務諸表注記において開示すべきとされる可能性がある重要な事項である。また、その場合、財務諸表監査との関係はさらに強いものとなる。
COP26を踏まえ、気候変動リスクに関する開示がますます注目されていくことが想定される。これを踏まえると、今後、二酸化炭素排出量が大きい会社を中心として、日本企業による財務諸表の作成実務やこれに関する監査実務の双方において、本報告書で示されている調査結果や提言を踏まえて対応を図っていくことが必要になっていくものと考えられる。
執筆者
有限責任 あずさ監査法人
パートナー 公認会計士
関口 智和(せきぐち ともかず)