地政学リスクの高まりやAI技術の進展を背景に、自動車業界の競争・事業構造は大きな転換期を迎えています。KPMGジャパンが2026年6月30日に主催したセミナー「自動車業界の新たな競争軸と事業機会」では、業界を取り巻く最新動向を踏まえ、日本企業が取るべき戦略の方向性を考察しました。
本稿は、セミナー当日の登壇者の発言内容を基に作成しています。
【登壇者】
セッション1:自動車業界への地政学リスクの影響
本セミナーでは最初に、自動車業界の前提を揺るがす地政学リスクの高まりについて、「経済安全保障・地政学リスクサーベイ2026」のインサイトを交えながら、KPMGコンサルティング アソシエイトパートナーの新堀 光城が解説しました。
KPMG 新堀
新堀:
現在の国際環境は、自由貿易や国際協調を前提とする従前の構造からの転換期にあります。米国による関税・安全保障等を巡り、同盟関係にあった米国・欧州・カナダの関係は変容しています。中国は対日輸出規制を段階的に強化し、現在、レアアースを含む重要鉱物の対日輸出が滞っています。さらに中東では、ホルムズ海峡の封鎖が現実となり、サプライチェーンの混乱が生じました。
「今まで大丈夫だから、今後もリスクは低いだろう」という正常性バイアスは、このような環境において企業の足枷にもなります。特に、自動車産業を支える重要鉱物・エネルギーや半導体といった戦略物資は、関係悪化の際に経済的威圧等の標的とされやすいです。
戦略物資を中心とする供給確保は喫緊の課題です。「経済安全保障・地政学リスクサーベイ2026」では、中国サプライチェーンへの依存低減策を検討していると回答した企業が33.7%に上り、売上高5,000億円以上の企業では57.4%を占めました。同サーベイ(2026年2月20日時点)では、エネルギー価格高騰に備える企業の割合が2025年の調査より低下しましたが、2026年3月以降、リスク管理施策が急ピッチで進められています。欧州電池規則等の循環経済施策は、環境だけではなく、供給網安定のためにも推進する動きが見られます。
こうした環境では、コストや効率だけを追求した従来型のサプライチェーンは機能しにくくなるとともに、変化への迅速な対応力が問われます。海外勢との競争が激化するなか、競争力を維持するため、環境変化に対応できるレジリエンスのある構造や、コストに耐え得る付加価値のバランスが求められています。
パネルディスカッション1:高まる地政学リスクへの向き合い方
地政学リスクの高まりは、単なる外部環境の変化にとどまらず、各企業の競争力に直結する重大な課題になっています。セッション1の内容を踏まえ、こうした変化が自動車業界のサプライチェーンにどのような影響を与え、その影響をどのように乗り越えていく必要があるのかについて、オートインサイト代表の鶴原 吉郎氏とKPMGコンサルティング パートナーの犬飼 仁、同社シニアマネジャーの大熊 恒平がそれぞれの視点から見解を述べました。
左から KPMG 大熊、オートインサイト 鶴原氏、KPMG 犬飼
鶴原氏:
中国における自動車関連企業の台頭によって、競争の前提が大きく変わってきています。特にサプライヤーの領域では、コストの安さに加えて開発スピードでも優位に立つ企業が増えており、従来の競争バランスは崩れつつあります。
これまでは品質や信頼性が主要な差別化要因でしたが、現在はそれらに加えて、コスト競争力や開発スピードも一層重要になっています。その結果、品質や信頼性を中心とする従来の強みだけでは競争優位を維持することが難しくなっています。
さらに、LiDARなどの先端技術やソフトウェア領域でも、中国企業の存在感は急速に高まっています。低価格にとどまらず、技術面でも競争力を持つ存在へと変化しており、この変化を前提に戦略を見直す必要があります。
犬飼:
データを巡る規制の違いは、企業のグローバル戦略を大きく左右しています。一部の国や地域ではデータの国・地域外への持ち出しや利用に制約があり、ほかの地域と同じ形でデータを活用することが難しくなっています。
従来は、システムやデータをグローバルで統合することで効率性を高めることができましたが、現在は市場ごとに対応を分ける必要が生じています。その結果、運用の複雑さやコストが増加しています。
今後は、どこまでをグローバルで共通化し、どこからはローカル化するかという判断が重要になります。データは単なるITの問題ではなく、事業戦略そのものにかかわるテーマになっています。
大熊:
電池をはじめとする技術領域においても、地政学の影響は一段と強まっています。どの国・地域から材料を調達するのか、どの技術を採用するのかといった判断は、性能やコストだけでなく、政治情勢や規制動向にも大きく左右されるようになっています。
そのため、今後は性能やコストに加え、供給の安定性や規制リスクを含めた総合的な意思決定が求められます。短期・中期・長期それぞれのシナリオを描き、戦略的なロードマップに沿って対策を講じていくことが重要です。
また、その実現には、OEM、サプライヤー、商社、金融機関、政府、業界団体などを巻き込んだ横断的な取組みが欠かせません。技術と地政学を切り分けて考えるのではなく、一体のものとして捉え、戦略に落とし込むことが競争力の強化につながります。
パネルディスカッション2:グローバル競争戦略と新事業創出
地政学リスクを前提としたうえで、議論は今後の競争軸であるAIや新規事業へと移りました。パネルディスカッション2では、従来の延長線上ではない、AIが形成する新たな競争や事業について鶴原氏とともに、KPMG FAS パートナーの井口 耕一、KPMGコンサルティング パートナーの宮崎 智也が考察しました。
左から KPMG 宮崎、井口、オートインサイト 鶴原氏
鶴原氏:
今後の競争は、AIやソフトウェアの開発力によって大きく左右されます。ハードウェア中心の競争から、ソフトウェアやデータを軸とした競争へと移行しています。
特に中国企業は、人材の層の厚さや開発スピードの面で強みを持っており、開発サイクルの速さが競争力に直結しています。この点で、日本企業との差が広がりつつあると感じています。
一方で、サブスクリプションモデルについては、必ずしも容易に収益化できるものではありません。ユーザーが継続的に価値を感じるサービスをどう設計するかが重要になります。
井口:
現在の自動車業界では、「どの地域で、どの仕様の車を、止めずに(計画通りに)作れるか、そして売れるか」が問われています。
サプライチェーンの分断や規制の変化によって、調達や生産が止まるリスクが現実のものになっています。そのため、企業は「最適化」ではなく「再構築力」を競争力として捉える必要があります。
ただし、供給の安定性を高めるために冗長性を持たせると、コストは増加します。どこまでリスクを許容し、どこまでコストをかけるのか。この柔軟性のコストを誰が負担するのか、が本質的な問いです。
宮崎:
自動運転やロボタクシーといった新しいビジネスは、車両だけでなく、AIによる制御、通信、地図データ、運行管理など複数の要素が組み合わさって成立します。
そのため、自動車メーカー単独で完結するのではなく、IT企業や通信事業者、サービス事業者などが役割を分担しながら価値を提供する構造になります。
これは、企業単体で競争するのではなく、「どの企業と組むか」「どの役割を担うか」が重要になるということです。競争の単位が企業から連携体へと変化しています。
また、「交通事業者の事業継続性を高める」という目的に対し、交通事業者が“生き残る”ためのビジネスルール形成が肝要です。“浸食”になってはいけないと考えています。交通事業者が担うべき事業領域を定めて、それ以外を周辺事業者がどう支えられるか?これが日本における導入シナリオであると考えます。
まとめ
本セミナーでは、地政学リスクの高まりとAI技術の進展により、自動車業界の競争軸と事業領域が大きく変化していることが示されました。半導体や重要資源、データ、電池材料をめぐる規制や供給制約は、調達・生産・販売の前提を揺るがし、従来の効率性やコスト重視の事業運営だけでは対応が難しくなっています。
また、中国企業の台頭やAI・ソフトウェアの重要性の高まりを受け、競争力の源泉はデータ、ソフトウェア、開発スピード、エコシステム形成力へと広がっています。今後は、供給の安定性とコストのバランスを見極めつつ、複数のシナリオに基づいてレジリエンスを高めることが不可欠です。
さらに、ロボタクシーなどの新事業では、OEM単独ではなく、IT企業、通信事業者、サービス事業者などとの連携が競争力を左右します。誰と組み、どの役割を担うのかを明確にし、持続可能なビジネスモデルを構築することが必要です。
今後は、「どこから調達するか」「どの技術を開発するか」に加え、「どうレジリエンスを高めるか」「誰と連携するか」という視点が一層重要になります。不確実性が高まるなか、事業再構成力を備え、総合的な視点で意思決定を行うことが求められます。
左から KPMG 小見門、宮崎、オートインサイト 鶴原氏、KPMG 新堀、井口、大熊、犬飼
※本稿に記載されている登壇者の所属・職位等は、公開時点の情報に基づいています。