1 Introduction to A Theory of the Allocation of Time by Gary Becker - PMC
2 The Future of Jobs Report 2025 | World Economic Forum
3 Could a four-day work week reshape the labour market? | World Economic Forum
4 AI Perception of Time Goes Beyond Human Limits - IEEE Spectrum
5 Henri Bergson (Stanford Encyclopedia of Philosophy)
1.はじめに
多くのビジネスパーソンは日々「時間が足りない」と感じながら経営や業務推進に取り組んでいます。これまで時間は「お金」と並ぶ資源や制約とされてきましたが、生成AIの登場により、この時間の意味そのものが変わりつつあります。生成AIが人間の生産性や働き方を劇的に変える今、時間を単なる「コスト」ではなく「資本」として捉え直し、その価値を最大化する発想が重要になっています。本稿では、既存の時間配分理論や人的資本論を踏まえつつ、生成AI時代の経営戦略における「時間資本(Temporal Capital)」を再定義します。これは経済学者ゲーリー・ベッカーの時間配分理論に端を発し、AI技術の進化によって時間が「投資され、再配分される資本」として機能するという新たな視座です。
2.時間資本 — ベッカーの時間配分理論から拡張する概念
ゲーリー・ベッカーは1965年の論文「時間配分の理論」で、時間を財やサービスと同様に希少な資源と捉え、限られた24時間をどの活動に配分するかで得られる効用(価値)が変わると指摘しました1。このベッカーの理論では、家事・労働・余暇といった活動間で時間を最適配分し、人々が効用を最大化しようとする姿が描かれています。つまり「時間の経済学」は半世紀以上前に提唱されていたのです。
では今日、生成AI時代の私たちは時間をどのように捉えればよいのでしょうか? 現代では単に時間を配分するだけでなく、時間それ自体を資本(時間資本)と見做す考え方が広がっています。時間資本とは、一人ひとりが生まれ持つ可処分時間を投資可能なストックと考える概念です。時間は均質ではなく、その価値の転化率(ある時間から生み出せる価値)は、健康状態やスキルによって異なります。たとえば、健康を損ねて生産性が低下すれば、どれだけ時間があっても価値創出は限定的です。反対に、生成AIや自動化技術を活用すれば、同じ1時間から従来以上のアウトプットを得ることができます。こうして時間資本の価値を高めることが可能になるのです。つまり「時間」は、企業が保有し活用できる資産であり、時間資本は「将来の選択肢を保持している状態」、すなわち不確実性を引き受けながら意思決定の余地を残すための投資ストックと定義することができます。生成AI時代において、業務プロセスの自動化や意思決定の高速化により、人間の時間はより貴重な「資本」へと変貌しています。
3.時間価値の三層構造 ― 個人・組織・社会へのインパクト
この時間資本をどう最大化し運用するかが、個人・企業・社会の競争力を左右します。人間が働かなくても生産が維持できる世界では、各人が持つ時間を資本として再定義し、有効活用する戦略が重要です。そのためにはまず、時間資本の価値構造を理解する必要があります。以下では、時間の価値を(1)個人、(2)組織、(3)社会という三層で捉え直し、それぞれのレベルで生成AIが時間資本に与えるインパクトを整理します。
| 層 | キーコンセプト | AIがもたらす変化 | 具体例 | 課題・留意点 |
|---|---|---|---|---|
| 個人層 | 時間最適化と生産性向上 | 単純作業・情報収集・文章作成をAIが代行し、「有効時間」が増加。エントリーレベル業務の30%が自動化可能(世界経済フォーラム2) | レポートのドラフト作成が数分で完了、新人でも高度な分析レポートをAIの助けで作成可能 | テクノロジー誘発型バーンアウト(休む間もなく働き続けるリスク) |
| 組織層 | OODAループによる意思決定の高速化 | AIがリアルタイムで観察・判断・行動のサイクルを高速回転。サイロ化を打破し、決断の速度と精度が向上 | システム障害の全社横断での早期発見、不具合の予測と自動修正、稟議・承認待ち時間の削減 | 迅速さと慎重さのバランス(倫理・長期ビジョンの観点からのブレーキが必要) |
| 社会層 | 能力の民主化と時間再配分 | 高度な知識・技能がAIでコモディティ化。労働時間短縮で、余剰時間をウェルビーイングや創造活動に再配分 | 専門医と同水準の遠隔診断、低コストで一流講師の指導、週4日勤務制の普及 | 賃金低下・雇用不安への対策、UBIや成果報酬型給与など、新たな分配モデルの制度設計が必要 |
さらに、企業に所属するビジネスパーソン、特に経営層においては、AIの導入によって労働時間そのものが増えるというよりも、1日8時間という既存の労働時間枠の中で、シームレスに業務密度が高まっているのが実態です。AIによる効率化で生まれた「余白」は、より高度な意思決定や、AIアウトプットの検証・統合といった新たな業務に即座に再配分され、結果として同じ時間内でより多くの成果を求められる構造になっています。一方、世界経済フォーラムの報告では、生成AIなどの技術による効率化で生じた余剰時間を短時間労働や余暇に振り向けることで、福利厚生の向上や社会的不安の軽減につながると指摘されています3。つまり、AIによって生まれた時間の余裕を単にさらなる生産に投入するのではなく、人々のウェルビーイングや創造的活動に再配分する動きも出ているのです。
もっとも、社会的な時間再配分には政策や制度の整備も欠かせません。労働時間の短縮が可能になっても、それが賃金の低下や雇用不安につながっては本末転倒です。ユニバーサルベーシックインカム(UBI)や成果報酬型の給与体系など、時間に縛られない新たな分配モデルを模索する必要があるでしょう。ポスト・労働時間社会とは、言い換えれば「人間が労働から解放される社会」です。その実現には、テクノロジーだけでなく、制度設計や倫理観のアップデートが求められているのです。
4.2025~2026年の「時間変革トレンド」の多角的考察
2025年から2026年にかけて、AIと時間の関係は単なる「高速化」を超え、より複雑で多面的な変容を遂げています。ここでは、4つの視点からそのトレンドを考察します。
| 視点 | パラダイムシフト | 具体的変化 | 時間への影響 | 2026年の姿 |
|---|---|---|---|---|
| 技術的視点 | 即答型から推論・熟慮型へ | AIが回答前に内部で試行錯誤・論理検証を実行。「思考時間」をあえて長くする | 人間が数週間かけた検証作業を数分に凝縮 | 高度な数学・プログラミング・科学的発見が可能に |
| 運用的視点 | 対話型から自律実行型エージェントへ | AIがPC画面を認識し、複数アプリを跨いだ業務を自律遂行。「Task Horizon」の拡大 | 自律作業時間が数時間から数日間へ拡張 | 人間が寝ている間もAIがリサーチ・設計・コード記述・レポート作成を完遂 |
| 予測的視点 | 点予測から時間推論(Temporal Reasoning)へ | 数千の変数を同時処理。カレンダー・天候・過去トレンド・因果関係を総合判断 | 事後対応の時間から事前予防の時間へ転換 | 供給網のボトルネックを未然に防ぐ自律提案が可能に |
| インフラ的視点 | ソフトウェアから物理産業化へ | データセンター・電力・半導体など物理資産が必要に。エッジコンピューティングが進化 | 物理的エネルギー制約が「未来を創るスピード」を規定 | ヒューマノイド等でAIが物理作業の「実時間」を支配 |
以上の技術トレンドは、いずれも「時間」を巡る制約を打破し、人間の時間資本の生産性を上げる方向に作用しています。推論型モデルは時間遅延というロスを削減し、自律エージェントは人間の不在時にも価値創出を継続、時間推論AIは未来の不確実性を低減します。まさに時間科学の発展と言えるこれらの技術をうまく取り入れることで、企業と社会は、これまで不可能だった時間活用の最適化を実現できるのです。
5.AIと人間における時間認識と時間価値の差異
しかし、これらの技術革新がいかに進んでも、AIが瞬時に出した答えを人間が理解し、納得し、意思決定に結びつけるまでには一定の時間が必要であり、処理速度における最終的なボトルネックは「人間の時間」にあります。
特に組織においては、合意形成という追加的な時間が必要となりますが、ここでも近年は、複数のAIエージェントが協調して合意形成や交渉を自律的に行う「マルチエージェントシステム」の実用化が進んでいます。しかし、マルチエージェントシステムは定型的な調整業務や契約交渉の効率化には威力を発揮するものの、組織の文化や歴史的文脈を踏まえた高度な合意形成、ステークホルダー間の感情的な調整、長期的な信頼関係の構築といった領域では、依然として人間の関与が必要です。
そもそもAIと人間の時間認識には本質的な相違があります4。人間にとっての時間は、脳が作り出した「時間統合窓(TWI: Temporal Window of Integration)」と呼ばれる仕組みに基づいて「統合された瞬間」であり、五感を通じて「今」を統合する能力には物理的な限界があります。一方でAIにとっての時間は、ネットワークの状況や計算速度に左右される「断片化され、再構成可能なデータ」であると言えます。つまりAIは「永遠の現在」を生きているのです。わかりやすく言い換えますと、AIは入力された瞬間に最も確率の高い回答を生成しますが、そこには過去の経験から紡がれた「記憶」や、未来への「切実な展望」はありません。対照的に、人間は時間を「物語(Narrative)」として生きています。
哲学者アンリ・ベルクソンは、人間が主観的に感じる時間の流れ(durée:持続)と、時計で計測される客観的な時間(temps)を区別し、前者の質的な重要性を説きました5。人間にとって時間は一様な秒刻みではなく、状況により「長く感じられたり短く感じられたりするもの」であり、創造性・直観・共感といった人間的価値は、この「生きられる時間」の中でこそ醸成されます。
経営において重要なのは、AIによる断片的な効率化に翻弄されるのではなく、組織の歴史と未来を繋ぐ「生きられた時間の連続性」を人間が守り抜くことです。これを組織やビジネスの文脈で具体的に言い換えれば、以下のようなことです。
- 「この会社は何のために存在するのか」という問いに答え続けること:AIは効率最適化を提案できますが、企業の存在意義やパーパスは、創業者の想いや歴史的な経緯を踏まえて人間が語り継ぐものです。
- 長期的な信頼関係を築くこと:顧客や取引先との関係は、一朝一夕では構築できません。困難な時期を一緒に乗り越えた経験、約束を守り続けた実績など、こうした「時間の蓄積」が信頼の基盤となります。
- AIの限界を理解すること:AIは過去のデータに基づいて予測するため、前例のない状況や、データに表れない「関係性」「暗黙知」を考慮することは苦手です。こうした領域では、人間の経験やコミュニケーションが重要になります。
- 「なぜやるのか」を問うこと:AIは「何をすべきか」を提案できますが、「なぜやるのか」という意味づけは人間の仕事です。経営者が自らの言葉でビジョンを語り、組織もそのビジョンについて考え、実行に移していくことは、AI時代においても変わりません。
以上を踏まえると、AI時代の時間戦略とは、「AIを速くすること」ではなく、「人間の認知から納得を経て合意形成に至るプロセスをいかに支援するか」という問いになります。
第4節で整理した技術トレンドは、いずれも人間の時間資本の生産性を高める方向に作用しています。しかし、これらの技術を活用する際に重要なのは、AIの処理速度を活かすべき領域(データ分析、定型業務、初期ドラフト作成など)と、人間の時間軸で進めるべき領域(組織内の重要な合意形成、ステークホルダーとの関係構築、長期戦略の策定など)を峻別することです。ここで言う「人間の時間軸で進めるべき領域」とは、必ずしも「時間をかけたから良い結果になる」という意味ではありません。むしろ、「人間が納得し、コミットするためには一定の時間が必要である」という現実を認識することです。AIが最適解を瞬時に提示しても、組織内で合意形成し、実行に移すまでには、人間の時間がかかります。その結果、「結局AIの最初の判断で良かった」となることも少なくないでしょう。しかし、そのプロセスを経ることで、関係者のコミットメントが得られ、実行段階での推進力が生まれるのです。
第2節で述べたように、時間資本とは単に「使える時間の量」ではなく、「将来の選択肢を保持している状態」、すなわち不確実性を引き受けながら意思決定の余地を残すための投資ストックです。
AI時代には常に情報が流れ、何もしなくても暇を埋めるコンテンツが供給されます。しかし、あえてデバイスを置いて内省する時間(例:瞑想や散歩、ゆっくり本を読む時間)は、時間資本の「価値転化率」を高める重要な投資です。こうした時間の中で得られるひらめきや深い理解は、将来の意思決定の質を高め、新たな選択肢を生み出す源泉となります。一瞬で結果を出すAIには代替できない、人間固有の時間資本の運用法と言えるでしょう。
6.さいごに:時間価値の変革と経営への問いかけ
生成AIと時間科学の発展は、ビジネスモデルや経営手法にも変革を促しています。たとえばAIの導入で作業時間あたりのコストは劇的に下がり、人手に依存する従来モデルでは測れなかった成果が得られるようになりました。その結果、料金体系を労働時間ではなく成果価値に連動させる、価値ベース課金への転換が加速しています。企業は単にソフトウェア使用料を請求するのではなく、「AIによってどれだけ意思決定が最適化されたか」「業務効率が何%向上したか」といったビジネス成果に基づき、価格設定を見直し始めています。これは時間そのものよりも、時間をどう使って価値を生み出したかに焦点を当てた発想と言えます。
これまで見てきたように、生成AIと関連テクノロジーは私たちの時間の価値観を変化させ、その経済学を再編しつつあります。時間は単に短縮されるものではなく、蓄え、投下し、将来に備えるべき資本となりました。最後に、経営層や戦略担当者が自社の時間資本戦略を構築するにあたり、自問すべきいくつかの問いを提示したいと思います。
- 時間を単なるコストではなく「資本」として捉えているか?
日々の業務効率化だけに留まらず、余剰となった時間を戦略的プロジェクトや人材育成など将来の価値創造へ再投資しているでしょうか。 - AIと人間の役割分担を設計できているか?
どの領域をAIエージェントに委任し、どの領域で人間が判断するか、明確な境界線を引けているでしょうか。マルチエージェントシステムが効率化できる領域と、人間の関与が不可欠な領域を峻別できているでしょうか。 - AIの処理速度と「人間の時間」を峻別できているか?
AIが瞬時に答えを出せる領域と、組織内の合意形成や関係構築など人間の時間軸で進めるべき領域を区別し、それぞれに適したアプローチを取れているでしょうか。 - 「人間の時間」を尊重した変革スケジュールを組んでいるか?
AIが最適解を提示しても、それを組織に浸透させるには人間の時間がかかります。この現実を踏まえた、現実的な変革計画を立てているでしょうか。
時間資本の最大化とは、単に効率を上げるだけでなく、時間に新たな価値を見出し、再配分し、未来への投資につなげることです。そして何より、AI時代においても「人間の時間」を中心に据える姿勢が重要です。本稿で述べた視点が、みなさまの経営判断や日々の働き方を見直す一助になれば幸いです。
参考資料:
執筆者
KPMGアドバイザリーライトハウス
デジタルインテリジェンスインスティテュート
コンサルタント 齊藤 弓
監修者
KPMGコンサルティング
テクノロジートランスフォーメーション
シニアマネジャー 山邊 次郎
KPMGアドバイザリーライトハウス
デジタルインテリジェンスインスティテュート リード
マネジャー 佐藤 昌平