データと分析技術で実現するネイチャーポジティブトランスフォーメーション―「次世代ビジネスを牽引するテクノロジー最前線」
KPMG × 先進技術をビジネスに取り入れるイノベーション企業との対談/株式会社シンク・ネイチャー取締役社長COOの舛田陽介氏をお迎えし、企業が取り組むべきネイチャーポジティブトランスフォーメーションについて伺いました。
KPMG × 先進技術をビジネスに取り入れるイノベーション企業との対談/株式会社シンク・ネイチャー取締役社長COOの舛田陽介氏に、企業が取り組むべきネイチャーポジティブ
2030年までに生物多様性の損失を食い止め回復させる世界的目標(≒ネイチャーポジティブ)が生物多様性条約COP15で合意され、これまで自然(ネイチャー)に大きく依存し、インパクトを与えてきた企業活動がネイチャーポジティブにどのように貢献するのか、社会的な期待が高まっています。
2023年9月、自然関連リスク・機会の管理と開示のために「TNFD(Taskforce on Nature-related Financial Disclosures:自然関連財務情報開示タスクフォース)フレームワーク」が公表され、さらにISSB(International Sustainability Standards Board:国際サステナビリティ基準審議会)においても生物多様性・生態系・生態系サービス(BEES)に関する開示基準の開発が検討されています。気候変動に加え、今後、各国・地域において自然に関する情報開示規制が適用される可能性が高まり、企業における対応の必要性はさらに大きくなっています。
そこで今回は、日本最大の生物多様性ビッグデータと最先端のデータ分析技術を保有する研究者集団である株式会社シンク・ネイチャーより取締役社長COOの舛田陽介氏をお迎えし、KPMGあずさサステナビリティ株式会社の斎藤和彦、伊藤杏奈、KPMGアドバイザリーライトハウスの松尾英胤が、企業が取り組むべきネイチャーポジティブトランスフォーメーションについて伺います。
1.生物多様性に関する知識や技術を社会に広げていくためのチャレンジ
松尾:まず、株式会社シンク・ネイチャーが設立された経緯をお聞かせください。
舛田:弊社は代表取締役CEOの久保田康裕が2019年に設立したスタートアップです。久保田は琉球大学理学部海洋自然科学科の教授を務めており、実際に山に入ってデータを集めたり、世界中のデータを集めて論文を執筆したりするなど、マクロ生態学という領域で実績を積み重ねてきました。そうして研究を重ねても、研究はアカデミアの世界に閉じてしまい、自然はどんどん失われていきます。それではダメだということで、社会実装を目的に起業されました。
私が入社したのは2年ほど前です。以前から生物多様性に関して企業の方々を支援する仕事をしていましたが、シンク・ネイチャーのデータや技術はビジネスにおいても非常に重要で、世の中に出していく価値があると思い転職いたしました。
松尾:展開されているソリューションはどのようなものでしょうか。具体的な事例を交えてご説明いただけますか。
舛田:いくつかありますが、1つ目はTNFD1対応を支援するサービスです。TNFDでは、14の開示項目に対応するためにLEAP2アプローチの実践を推奨しています。具体的には、“Locate”では弊社の持つデータでロケーションの評価を、“Evaluate”では展開している事業でどのようなネガティブなインパクトが発生しているか、自然や生物多様性に配慮した企業の活動がどのくらいポジティブな効果を生んでいるかといったインパクト評価をします。そこから進んで、“Assess”ではシナリオ分析をします。たとえば、調達する原材料に対してノーアクションだった場合、生産量がどの程度落ちるか、生物多様性への影響が悪化すると予測したうえで、どのようなアクションを取れば改善するのかといったことを、定量的なモデルの下でシナリオ分析します。これは将来的なリスク評価となり、裏返せば機会の評価となります。そして最後が“Prepare”、すなわち開示に向けた準備です。この一連の流れをサポートします。
また、事業そのもののリスク評価や事業改善の支援もします。開示にとどまらず、実際にその企業がどういうふうにトランスフォーメーションするか、ということをお手伝いするのです。最近では「気候と自然(ネイチャー)は切り離せない」というムードが強くなってきていますので、気候変動と一体的に捉えたような解析、それこそ気候と自然のネクサス戦略をどういうふうにやっていくかといった支援も少しずつ始めています。
株式会社シンク・ネイチャー
取締役社長COO
舛田 陽介 氏
2つ目は、影響の定量化とアクションの支援を提供しています。これまでは、企業の従来の環境活動や生物多様性保全活動が、実際にどのくらい生物多様性にポジティブな効果を及ぼしたのか、なかなか定量的に表現できませんでした。そこで、活動の効果を弊社のデータとアルゴリズムを使って定量的に見える化し、今後のアクションにつなげていく支援を行っています。たとえば、どこにどういう樹種を植えれば、ポジティブな効果を最大化できるか、などです。
松尾:アカデミア内だけで議論するのではなく、社会に広げていこうとするところが大きなチャレンジのように思えます。KPMGあずさサステナビリティでは、今、舛田さんがお話されたような相談は増えていますか。
伊藤:はい、増えていますね。特に、2つ目の「今までの活動を定量化」するという考え方は、TNFD対応の第一歩として捉えている企業も多いように感じています。日本企業としては「今までもいろいろな環境活動や生物多様性保全活動をやってきた」という自負があり、それを効果的に伝えるための手段として”定量化すること”を魅力的だと感じているようです。
一方で、1つ目の「TNFD対応」は市場を動かすフックになっているものの、内実は従来の取組みをきれいに開示することにとどまりがちで、大きなビジネストランスフォーメーションが起こっているわけではない状況です。ネイチャーポジティブと財務的な利益を両立させるのは容易なことではありませんが、最近では先進的企業が追加的な打ち手にチャレンジしようという動きがあるのも事実で、TNFD開示を一巡した企業から、徐々に本質的対応に進んでいくのではないかと期待しています。
松尾:企業活動は営利目的ですから、開示から定量化への移行で利益と紐付けできるようになると、さらに一歩踏み込んで前に進むような気がします。
伊藤:そうですね。ネイチャーポジティブに取り組むことの、ビジネス上の蓋然性が立証できないと社会全体として前進しないと思いますので、定量化等の手段をとおして積極的に研究されるべきと思います。
舛田:説明しやすいセクターとしにくいセクターがあると思います。たとえば、パームオイルや天然ゴムなどの原材料は直接的に調達リスクに影響するのでわかりやすいです。しかし、排水基準よりも厳しくして排水をきれいにしたとしても、それがどれだけの利益につながるかはなかなか説明しにくいものです。
株式会社KPMGアドバイザリーライトハウス
執行役員 パートナー
松尾 英胤
斎藤:生物多様性に大きなインパクトを与える業種には、農業や畜産、そして直接地面を掘る鉱山業などが含まれます。農産物のサプライチェーンは比較的短いので比較的に把握しやすいですが、金属のサプライチェーンは非常に長く、複雑で、何段階もサプライヤーを遡ってもなかなか鉱山まで行き着かないことが多いです。サプライチェーンの全貌が見えないというのも、対応しにくいところですね。
舛田:一歩引いて見たときに、リスクに対してアクションをどう取るかというフィージビリティーがどこにあるかということも、考える鍵にはなります。たとえば、特定の金属が生物多様性に大きなリスクをもたらす可能性が見えた場合、その金属を使用しない製品への移行が必要になってくるかもしれません。サプライチェーンの複雑さも障壁の1つですが、使用している原材料自体に潜むリスクを認識し、対応策を検討しておくことが重要です。
KPMGあずさサステナビリティ株式会社
代表取締役パートナー
斎藤 和彦
2.今、企業は生物多様性関連のアクションや投資について模索している
松尾:TNFDという言葉は知っている、その概念も理解はしている、しかし次のアクションに迷っている日本企業が多いように感じられます。
舛田:Tier1レベルの先駆的な大企業は2~3年前から取組みを開始し、具体的なアクションにつなげている企業も出てきました。小さな規模の企業は、TNFDに取り組まなければいけないと感じつつも、具体的な方法がわからないという状況が見られますが、TNFDへの関心が広がっているように感じます。
伊藤:同じ感覚です。ただ、比較的中小規模の会社の方が自由に興味深い試みをしているかもしれません。Tier1レベルの大企業の場合は「とりあえず他社に負けないレベルでTNFDに取り組もう」という姿勢がみられる一方、Tier1以外の会社ではリサイクル材の使用や節水機能といった自社の製品の環境性能をネイチャーポジティブへの貢献に紐付けて営業に活用できないか、という興味深い検討をしている例も見ます。KPMGでもそのニーズに応えるために「生物多様性フットプリント」のサービス開発を行いました。
舛田:TNFDに取り組む日本企業は世界的に見ても多いと言われていますが、2010年の愛知でのCOP10開催を機に、多くの日本企業はこれまでにも生物多様性に関して何らかの対策をしてきました。そういうベースがあって、今回改めて生物多様性という波が来たので、「何か開示できるものがありそう」という感じで、入りやすかったのかもしれません。企業のなかに当時からの担当者がいる場合もあり、まったく新しい取組みというわけでもないのでしょう。
KPMGあずさサステナビリティ株式会社
マネジャー
伊藤 杏奈
伊藤:まったく新しい取組みというわけではない、その点が1つの障壁にもなっているかもしれません。従来のCSR活動の発想のままで取組みを進めると、どうしてもコスト面ばかりが目につき、それによるビジネス面での利益、本質的意義が評価できないままになってしまいます。
松尾:財務的インパクトへのつなぎ込みはすごく大事なテーマですからね。それでは、企業のそういう意識を変えるにはどうしたらいいのでしょうか。ファクトベースや定量ベースで示していくことが重要なのでしょうか。
斎藤:経営層にその重要性や効果を明確に伝えることが大事だと思います。担当者レベルで取組みが留まってしまうと、会社全体として動きだすことが難しいからです。
舛田:確かにサステナビリティ部門で止まっていると、なかなかビジネスにはつながりません。事業部や経営層を巻き込む必要があるでしょうし、そのためにはデータを示すことも説得材料になるでしょう。
斎藤:事業活動がどのように自然にインパクトを与えうるか、事業活動がいかに自然に依存しているのか、それらがどのような財務的インパクトを持ちうるのか、食品や飲料の領域は比較的わかりやすいですが、それ以外の領域は因果関係がわかりにくいかもしれませんね。
舛田:そうですね。ただ、しっかり解析して可視化していけば因果関係も導き出せるのではないか、新たな価値を見出すことができるのではないかと思っています。まだ行われていないだけで、つなぎ方を工夫していけば、それに対して投資をしていくこともできるようになっていくでしょう。
伊藤:企業の課題は、自然や生物多様性の価値を増加させることで企業はどのくらいのリスクを回避できるのか、逆に損なうことでどのくらいの金銭的損失があるのかを定量化することだと思います。これはシンク・ネイチャー社の持つ学際的なビッグデータや、自然資本会計の概念など、さまざまな学問分野を組み合わせれば実現できるように思います。しかし、まだ実現するための体制が整っていません。
舛田:そうですね。ビジネスの文脈で生物多様性が語られるようになってから日が浅いからでしょう。しかし、環境経済学ではヘドニック法やwillingness to pay(支払意思額)といった概念を用いた計算方法もあります。今は定量化が難しいとされていても、まだ手掛けられていないだけで、実は適切な方法ならば定量化できると認識しています。
3.財務インパクトを定量化し価値を創出するための取組み
伊藤:今後は、現実路線のサステナビリティの動きが強まっていくと予想します。実際、各国で急進的なESG推進に対する反発もある状況では、本質をとらえ、ビジネスにとって本当に価値のある部分を見定めて対応していくことが重要となります。効果的にサステナビリティ対応をしようとした時、投資対効果を測れなければ、意思決定はできません。ネイチャーポジティブも同様だと思いますから、財務インパクトをどのように定量化していくかがチャレンジすべきところだと思います。
舛田:日本企業よりも、海外企業は投資に対する意識が強いと感じます。たとえば、リジェネラティブアグリカルチャー(環境再生型農業)にしてもそうですが、投資をして生産性を上げて、リターンを得るという考え方をします。
また、日本も、今後はクレジットなどの話が民間ベースで出てくる可能性があるでしょう。ネイチャー単独としてのクレジット、カーボンクレジットに対するプレミアとしてのネイチャークレジットなどです。英国にはバイオダイバーシティネットゲイン(生物多様性ネットゲイン:BNG)3という規律があり、それをベースにクレジットの議論がされています。
斎藤:よく言われるように、CO2はどこで排出しても同じですが、生物多様性は等価交換できないという議論があるため、生物多様性のクレジットは実現が難しいように思われます。
舛田:たしかに同質性が求められるオフセット目的のクレジットは難しい面がありますが、単純にポジティブな効果に対して価値をつけるというのもあります。
日本は過去に環境影響評価法の文脈でオフセットを導入しようとした時に失敗していますが、オフセットと異なるアプローチでのクレジットも可能性はあると考えています。
伊藤:自然や生物多様性の「オフセット」は、非常に厳しい条件の下認められるべきだという考え方もあります。その場所での開発などによってインパクトを及ぼした分と同種かつ同じ程度の回復を行うものでないとオフセットとは認められない、などです。そうなると、ほとんどの活動はオフセットには該当しづらくなり、企業が取り組むメリットが薄れてしまう気もします。科学的な正しさと制度を使ってもらうためのインセンティブのバランスをとるのは難しいですよね。
舛田:1対1対応でも違う生命体なので、完璧を目指すのは無理ではあるのですが、生物多様性に対する価値という意味では尺度を設計することができます。ですから、そこはしっかりと科学的なコンセプトとアルゴリズム、アプローチを基に実装していくことになるでしょう。それをやらないとネイチャーに対して大きく投資されるようにならないため、しっかりと考えていく必要があります。
松尾:いずれにせよ、民間企業だけではなかなか難しい面があります。やはり国も含めて戦略的に投資していく必要があるように思いました。最後に、今後の展望をお聞かせください。
舛田:社会全体のサステナビリティを担保するには、ネイチャーポジティブに向かっていかなければなりません。社会の基盤を支える生物多様性がどんどん失われているという現状がある以上、これは確実なことです。ただ、実現させるには経済的なトレードオフを避ける必要がありますから、経済や社会に対する負荷はできるだけ小さくし、しっかりとベネフィットが出てくるような形にしていく必要があると思っています。そのためにはデータやその解析技術が不可欠ですが、それらの多くはアカデミアや我々のような研究者集団の企業が持っています。我々のデータや知見を活用して、企業のなかに眠っているネイチャーポジティブでサステナブルなビジネスの種を見つけて育てていただければと思っています。
1 Taskforce on Nature-related Financial Disclosures(自然関連財務情報開示タスクフォース)企業・団体が自身の経済活動による自然環境や生物多様性への影響を評価し、情報開示する枠組みの構築に取組む。
2 TNFDでは、4つの柱(ガバナンス、戦略、リスクと影響の管理、指標・目標)から成る14の提言(開示推奨項目)で構成された開示フレームワークを公開し、自然関連リスクと機会を特定して開示することを求めています。LEAPアプローチは、14の提言に対応するための分析アプローチで、Locate(自社事業と自然の接点を発見する)、Evaluate(自然への依存と影響を診断する)、Assess(自然関連のリスクと機会を評価する)、Prepare(開示に向けた準備をする)の4つのプロセスがあります。
3 英国では開発事業者に、開発前よりも生物多様性を10%以上増加させることを義務づけています。
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