企業におけるAI導入は急速に進んでいます。一方で、AIを自社固有の業務に深く適用するには、依然としてハードルがあります。たとえば、AIが生成した内容を顧客に直接提示できるかというと、現状では慎重な確認を要します。本稿では、その背景にある「AIによる自社データの理解」という課題に着目します。
自社の業務をAIにより高度化するためには、AIが自社のデータを、文脈や社内用語を含めて正しく理解できることが重要な条件となります。ここでは、AIが自社の業務データを理解するとは具体的にどのようなことか、またその整理の方法を、金融業務の例とともに解説します。さらに、データ理解のキーファクターとして注目されているコンテキスト層の役割についても説明します。
本連載は全3回を予定しています。第1回では、業務とデータの整理およびコンテキスト層の役割を扱います。第2回では、コンテキストに係る各論点の解説と、従来のデータマネジメントとの関係を中心に取り上げます。そのうえで第3回では、自社のデータをより高度に管理・活用するための論点を解説します。
なお「コンテキスト層」は現時点で統一された標準用語ではありません。本稿ではデータの意味や関係性、業務上の定義・ルールなどを、AIが参照可能な形で提供する仕組みを総称した呼称として用います。
1.AI本格適用のネックとなる自社データの理解
先に述べた状況を、実務の観点からもう少し具体的に見ていきます。AI活用施策で一定の成果を得つつも、次のような段階で足踏みしているケースが見られます。
- 導入が容易なAI機能は普及し、個別業務の部分的な効率化は進んでいる。
- 一方、AIの出力精度に対する懸念から、重要な判断を伴う業務への適用は限定的にとどまっている。
- その結果、AIによる業務プロセス全体の変革・高度化には至っていない。
この状況を打開するうえでの課題はいくつか存在しますが、そのなかでも根本的な課題として「AIが自社のデータを、その業務上の意味や使われ方とともに理解できているか」という点が挙げられます。
「AIは、優秀だが、まだ自社のことを知らない新入社員のような存在」とたとえられることがあります。新入社員に業務ルールや用語、参照すべきデータを教えるのと同様に、AIにも自社の業務上の概念とその関係性、それらに対応するデータを、AIが利用可能な形で与える必要があります。
AIは一般的な知識、たとえば融資業務の一般的な流れや金融用語の一般的な定義については、一定の理解を有しています。しかしながら、各企業固有の事情までは把握していません。たとえば「稟議」という言葉であっても、どの申請区分を指し、どの規程が判断根拠となるのかは企業ごとに異なります。同様に「格付」「与信」といった用語も、自社の定義や運用ルールと結び付けなければ、実務で使える回答には至りません。
ただし必要となる理解の深さは、AIに何を期待するかによって異なります。文書の要約や文案作成といった形式面を支援する用途であれば、自社固有知識を有しない汎用的なAI機能でも一定の効果が得られます。
一方で、業務そのもののAIによる代替など、内容面を支援しようとする場合は、自社の業務の進め方とデータの意味をAIが理解している必要があります。ここが満たされないままでは、AIの出力は一般論の域を出ず、業務プロセスの変革や高度化は困難であると言えます。
2.AI適用のベースとなる業務とデータの整理
次に、AIが業務を代替・支援するために具体的にどのようなデータが必要となるのかを、例とともに解説します。併せて、業務とデータの整理作業の重要性についても述べます。
AI活用の検討では、どの製品を使うか、どのようなアーキテクチャを構成するかといった技術面に議論が向かいがちです。しかしそれと同様に重要なのは、対象とするユースケースにおいて業務上どの情報を参照して判断を行い、そしてAIがそれを代替・支援するにはどのデータが必要になるのか、という整理です。
例として、銀行業務における融資の審査業務の一部をAIにより支援するユースケースを説明します。
業務プロセスを整理すると、営業担当による顧客との商談(融資条件の交渉)、融資稟議の申請、審査部門による融資審査、融資実行という業務の流れがあることがわかります。
このうち融資稟議申請において参照されるデータとしては、その顧客への融資の可否判断の元となる顧客属性情報・財務情報や、過去の取引履歴、また判断根拠となる融資関連規程のドキュメントなどが存在することも整理できます。これらを業務の流れに沿って整理したものが図表1です。
【図表1:融資審査の業務プロセスと参照データ】
このように、業務プロセスをアクティビティ単位に分解し、それぞれのアクティビティでどのデータが参照され、どのような判断が行われるかを整理していく作業が、AI適用の基礎となります。「融資審査をAI化する」という粒度のままでは、必要なデータは定まらず、一定の粒度まで分解して初めて、参照すべきデータが具体的に特定できます。
この「必要なデータの特定」は、決して単純な作業ではありません。業務担当者が当然の前提として参照している情報のなかには、明文化されていないものや、複数の資料・システムに分散しているものが含まれます。また、一見関係がありそうなデータであっても、実際の判断には用いられていないものもあります。
どの情報が判断に効いているのかを見極め、AIに参照させるべきデータを取捨選択する作業には、相応の工数と、業務・データ双方に対する理解に基づく判断が求められます。
この作業には副次的な効果もあります。アクティビティごとの参照データを洗い出す過程では、マニュアルやガイドライン上に明文化されているものもあれば、ベテラン担当者が経験的に参照している情報もあります。どの情報を、どのような理由で参照しているのかを言語化していくことは、AI適用の準備であると同時に、暗黙知の形式知化と属人性の解消を図る取組みとも言えます。
本稿の後段で述べるコンテキスト層の構築においては、対象とするデータとその意味付けを定義していくことになりますが、その際の精度は、ここで述べた業務起点でのデータ特定の整理に依存します。
業務の対象データ例
融資審査のユースケースに登場するデータについて解説しておきます。
図表2のとおり、対象となるデータには、構造化データと非構造化データが混在します。構造化データとは主にデータベースに格納されているデータ、非構造化データとは文書・テキスト情報などのデータを指します。
構造化データとしては、これまで人がレポートや画面を通じて確認していたデータと同様、KPIなどの指標のように、一定の集計や加工がされたデータが対象となるケースが多く見られます。たとえば、売上高営業利益率、債務償還年数などの顧客企業の財務状況、平均貸付残高などの取引状況を把握するための指標などです。また、顧客の格付や与信区分、業種区分といった区分値・コードも参照の対象となります。
従前の予測モデルの構築では、明細レベルのデータを大量に用いるケースが多く見られました。一方、AIが業務上の判断を支援するケースでは、人がレポートを参照するのと同様、集計・加工されたデータを参照する場面が多くなります。
非構造化データとしては、融資規程や商品規程、各種ガイドラインといった社内文書が挙げられます。これらの文書には、たとえば「この商品はどのような顧客に適用可能か」「どの条件を満たした場合に利用できるか」といった、業務上の判断基準が記載されています。このほか、顧客との面談記録や交渉履歴、稟議書に付された所見なども対象とする場合があります。
【図表2:融資審査で参照される主なデータ】
データ | 形態 | 所在 |
顧客属性・財務情報 | 構造化データ | DWH(CRM、勘定系等より) |
取引・融資情報 | 構造化データ | DWH(勘定系、融資管理等より) |
格付・審査情報 | 構造化データ | DWH(与信管理、審査等より) |
融資規程・商品規程 | 非構造化データ | ファイル・文書管理システム等 |
顧客交渉履歴 | 非構造化データ | CRM等 |
出所:KPMG作成
AIが参照すべきデータを、形態や所在等の観点から整理しておくことで、対象データの把握が進むとともに、AIによる参照方法やデータ整備の方針を効率的に組み立てやすくなります。
3.AIがデータを理解するためのコンテキスト層
前章までで、AIによる業務高度化のためには、対象業務とそこで参照されるデータを整理する必要があることを述べました。しかし、必要なデータを特定し、AIがアクセスできる場所に用意するだけでは、AIがそれを業務に使える形で理解できるとは限りません。
本章では、その間に何が不足しているのかを図表3に沿って整理します。図表3は、右側のAI活用における要求に対して、左側に存在するデータをどのように結び付けるかという構造を示しています。
【図表3:業務上の問いと企業内データを結び付けるコンテキスト層の役割】
活用層:AIに求められる問い合わせ
図表3の右端「活用層」は、AIがデータを活用する際の挙動を示しています。
実際の業務でAIを利用する際、利用者は自然言語で問いかけます。たとえば「A社の直近の稟議は、今どこまで進んでいるかを確認してください」といった問い合わせです。
この問いに答えるために、AIは「A社(顧客)」「稟議」といった業務上の概念を解釈し、それぞれに対応するデータを探索したうえで、取得した情報から回答を組み立てる必要があります。
データ層・メタデータ層:既存のデータ群
一方、図表3の左側「データ層」に示したのが、参照の対象となるデータです。
これらは業務システム上で日々のオペレーションを遂行するために生成・蓄積されてきたものであり、構造化データであれば顧客管理システムや勘定系システムが、非構造化データであればファイル管理・文書管理のシステム・ツールが発生源となります。
その右隣のメタデータ層には、テーブル名や項目名に対して付与された物理名称・論理名称などが位置します。これらはシステム開発やデータマネジメント活動により、すでに整備されているケースも少なくありません。
しかし、いずれも業務システムの処理やデータ管理のために整備されたものであり、AIが業務文脈からデータを解釈することを想定した情報ではありません。
コンテキスト層:ギャップを埋める役割
結果として、活用層で求められる業務上の概念と、データ層・メタデータ層に存在する実際のデータとの間にはギャップが生じ、そのままでは業務上の概念がどのデータに対応するのかを辿ることができません。このギャップを埋め、AIに対してデータの意味を補完するのが、図表3の中央に位置するコンテキスト層です(セマンティック層と呼ばれる場合もあります)。
コンテキスト層の役割は大きく2点です。
1つめは、顧客、融資、稟議といった業務上の概念と、概念同士の関係性の定義です。ある顧客に紐づく稟議情報、その稟議の対象となる金融商品、商品に該当する社内規程、といった結び付きを明確化します。
2つめは、概念と物理データのマッピングです。利用者が用いる「稟議」「顧客」といった業務上の概念が、システム上のどのテーブル・どの項目に対応するのかを定義します。
これらによりAIは、単にデータ項目や文書を検索するだけではなく、業務上の意味を踏まえて必要な情報を探索し、関連するデータを横断的に参照しながら回答を生成できるようになるのです。
またコンテキスト層の整備範囲については、対象ユースケースに必要な範囲を起点としつつ、将来的な拡張を見据えて定義の整合性を確保することが肝要です。この整備範囲の考え方については、次回詳しく取り上げます。
4.コンテキスト・データ整備に関する論点
ここまで、AIがデータを理解するための対応の概要について解説しました。多くの技術が過渡期であることもあり、実際に実現するためには、さまざまな論点に関する検討と課題対応が必要になります。
以下に一部を記載し、次回以降の連載で解説します。
- AIとデータ間のギャップに対応するソリューションの呼称(コンテキスト、セマンティック、オントロジー等)とその諸論点:
複数の類似および密接な関係を持つ呼称が存在しており、概要を説明します。
- 従来のデータマネジメント活動との整合と住み分け:
メタデータ管理など既存の活動と重複する領域があり、既存の成果をどう活用・拡張するかを整理する必要があります。
- コンテキストの整備範囲:
対象範囲を広げれば多くのユースケースに対応できる一方、初期整備コストがかかります。しかしながら限定したユースケースへの対応のみでは、整合のとれない個別の定義が量産される、いわゆるサイロ化の問題が発生します。
5.まとめ・次回について
AI導入の課題は、もはやモデル性能そのものではありません。AIが自社の業務とデータをどこまで理解できるかが、活用の成否を左右し始めています。
技術面の拡充と並行して、自社の業務・データ・判断プロセスをどこまで整理できるかが重要です。AI活用が実証実験から業務変革の段階へ進むなか、この取組みは今後ますます重要になるでしょう。
次回は、コンテキストに関する各論点の追加説明、および従来のデータマネジメントとの関係を中心に解説します。
執筆者
KPMGコンサルティング
リードスペシャリスト 吉村 泰生