日本経済新聞が発行している法人向けのニューズレターメディア「日経リスクインサイト」2026年4月7日掲載(一部加筆・修正しています)。
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トレンドは「抑制」から「適応」へ
トランプ政権下の米国の動きなどが影響した国際情勢の変化を受けて、「気候変動問題」への対応を巡り、揺り戻しとも言える動きが見られます。規制緩和や脱ESG(環境・社会・ガバナンス)の議論が起こり、「サステナビリティ(持続可能性)に向けた対応は本当に必要なのか」といった懐疑的な声も聞かれるようになりました。
しかし、気候変動が深刻な経営リスクであることに変わりはありません。猛暑や豪雨、渇水などの激甚化は、ビジネスに直接的な影響を及ぼしています。企業として決して対応を先送りはできません。
近年注目されるのは「気候変動への適応(Adaptation)」というキーワードです。端的に言えば「気候変動が発生することを前提として生活やビジネスを適合させていく」ということです。
企業の間での気候変動への対応はこれまで、温室効果ガス排出量の削減などを通じて地球温暖化を抑制する「緩和(Mitigation)」が主流でした。これは再生可能エネルギーの活用や脱炭素への取組みなどを通じ、温暖化の原因そのものを減らす取組みです。地球全体に対する中長期的な効果を見据えたものとも言えます。
これに対し「気候変動への適応」は、各社の直接的・短期的な収益毀損につながる動きです。サプライチェーンの寸断や長期的な生産制約などに、具体的にどう備えるかが問われます。さらには、「守り」の動きにとどまらないという特徴もあります。気候変動は新たな需要を生み出し、市場構造を変化させる可能性を持ちます。うまく進めることができれば、競争力を高め業績を伸ばすことにもつながります。
こうした「適応」という考え方は、その重要性の割には一般的にまだなじみが薄く、企業経営者の間にも浸透していません。本シリーズでは2回にわたり、前編では「守りの適応」、後編では「攻めの適応」について、企業に求められる取組みのポイントを解説します。
1.例外がなくなった自然災害と3つの「守り」
主な守りとしての適応には、(1)災害対策の考え方の転換(2)ヒト・モノの配置の見直し(3)バリューチェーンの再構築の3つが柱になります。
ただ、これら3つを考える前提として、従来のリスク管理手法との違いに気をつける必要があります。従来の災害対策では、自然災害の過去の発生頻度や被害規模を基にし、それらに応じて対策の優先順位などを判断しました。しかし現在、気候変動によって災害の規模や頻度は大きく高まり、過去の想定が当てはまらなくなっています。かつては「例外的」と考えられたような規模の豪雨や熱波が、毎年のように観測されています。そのため、過去のデータにとらわれ過ぎずに対策を進めることが重要と言えるでしょう。
(1)災害対策の考え方の転換
まず企業に求められるのは「企業レジリエンス(回復力)の再設計」とも言える、災害対策の考え方の転換です。
これまで多くの企業は「被災後にどれだけ早く元に戻せるか」という点に力を注いできました。復旧能力を高めることに主眼を置き、防災対策が進められてきました。
しかし現在、企業に求められる社会的信頼や責任のレベルは上がっています。被災後に元に戻す力だけでなく、そもそも災害に見舞われても事業を途切れさせない仕組みが求められるようになっています。「復旧重視型防災」から「中断回避型防災」のフェーズに移ったと言えます。
一方で、自然災害の強度や頻度は増大し、複数の災害が同時または連鎖的に発生する「複合災害」も珍しくなくなっています。そうしたなかで事業中断を防ぐためには、場合によっては製造拠点の移転など構造的な対応が必要になることを認識すべきでしょう。
もちろん、人的被害を最小化する態勢整備は最優先事項として進める必要があります。具体的には、スマートフォンやGPSで従業員の所在地や状況をリアルタイムで把握するといった安否確認システムの高度化や、どのような状況で避難を始めるかなど早期避難判断の基準の明確化などが挙げられます。
リスク評価のあり方も変えなければなりません。「ハザードマップを作って完了」の一度きりの評価から脱却し、豪雨の頻度や台風の規模、猛暑の日数といった前提条件を常に更新する「動的なリスク管理」に移行することが必要です。最新の科学的知見や気候シナリオを踏まえた、インフラや建物を作る際の設計基準の見直しも重要となるでしょう。
守りの適応策としての防災・減災対策は、コストではなく投資として考えるべきです。災害時の事業停止を回避できれば、売上機会の維持のみならず、顧客・取引先・地域社会からの信頼確保にもつながります。災害時に事業を止めないこと、供給責任を果たすこと、従業員の生命・安全を確保することは、企業の社会的信頼そのものに直結します。
(2)ヒト・モノの配置の見直し
「守りの適応」のなかで、ヒト・モノの配置や保全、代替などの見直しは対策の肝の部分と言えます。実際に積極的な取組みを進めている企業もあります。
たとえば製造業の一部企業は、製造拠点を浸水リスクの高い沿岸部から内陸部に移転したり、高台に新設したりしています。単なる安全対策としての意味を持つだけではなく、長期的な操業停止リスクを資本投資によって回避しようという経営上の意思決定でもあります。建屋のかさ上げや防水設備の導入、重要設備の上階配置など、物理的耐性を高める動きも並行して進めているようです。
飲料や食品業界では、水資源の確保が競争力の前提条件になりつつあります。水源保全活動への投資や使用量削減技術の導入、再生水の活用などは、環境配慮に向けた取組みのレベルを超え、操業継続性を保つための戦略的な施策と言えます。
小売や物流分野では配送拠点の分散配置や代替輸送ルートの確保が進んでいます。複数の予備ルートや配送拠点をあらかじめ用意しておく「ネットワークの冗長化」を進めることで、一部地域の被災が全体停止に波及することを防ぐ狙いです。平時には非効率に見える構造も、有事には供給責任を守る基盤となります。
原料や部品の調達元の多様化も広がっています。単一のサプライヤーに絞り込んだ場合に比べて短期的にはコスト増につながる可能性がありますが、災害などで供給が途絶えた場合のダメージを考慮すれば合理的な投資と言えるでしょう。
従業員の配置や働き方の見直しも、守りの適応の1つです。夏の極端な猛暑や豪雨・台風の頻発は、通勤困難やオフィス機能の停止といったリスクを高めています。企業がリモートワークを取り入れると従業員が特定の拠点に集中しないため、局地的な災害や交通遮断が発生しても全体の業務が継続しやすくなります。
さらに業務におけるクラウド環境の整備やデジタル化と組み合わせれば、固定費の引き下げや業務効率の向上、柔軟な働き方の実現にもつながります。より優秀な人材を確保する可能性を高める効果も見込めるでしょう。
ヒト・モノの配置見直しの取組みを考える際に重要なのは、「何を実施したか」ではなく「どのリスクを構造的に低減したか」という視点です。守りの適応とは、防災対策の高度化のみならず、事業停止確率そのものを引き下げる経営行動と言えます。
レジリエンスはもはやリスク管理部門だけの責務ではありません。拠点戦略を担う不動産部門、調達部門、生産計画部門、財務部門に至るまで、経営の中核機能と密接に関係するテーマとなっています。オペレーションの問題であると同時に、経営資源の配分の問題として全社的に取り扱うことがふさわしいでしょう。
(3)バリューチェーンの再構築
企業に求められるレジリエンスが、復旧能力から「事業を途絶えさせない力」に転換していくなかで、各企業には自社だけでなく調達や物流、販売などのバリューチェーン全体として気候変動への適応を進める必要が生まれています。自社だけでの取組みでは、環境変化を受けても事業を持続させる戦略の実現は困難です。
バリューチェーンの見直しを考えるため、調達、製造、物流、販売のそれぞれ段階について積極的な取組みをしている企業の実例を見ていきます。
まず調達において課題になっているのは、原材料供給の不安定化です。気候変動の影響で農産物の不作などが起きやすくなっており、水不足が半導体や化学製品など水使用量の多い産業に打撃を与えることも増えています。
カゴメは、ケチャップなど主力商品の原料である加工用トマトの安定調達に向け、生産地の分散と水資源管理の高度化を進めています。気候変動に伴う干ばつや水不足のリスクを踏まえ、生産地の選定や栽培方法の見直し、水源保全や節水灌漑の導入などを通じて供給基盤の強化を図っています。原材料を外部環境に依存する食品企業にとって、上流の気候適応を支援することは、事業継続性を確保するうえで不可欠な経営施策と言えます。
製造面ではコカ・コーラ ボトラーズジャパンの取組みが注目されます。気候変動に伴って水資源の確保に制約が出ることを重要な経営課題と位置付け、製造ラインで使用した水の再利用や使用効率の向上などを進め、製造工程における水使用量を削減しています。さらに、全国にある全17工場周辺で森林保全なども展開し、流域全体の水循環を守る活動をしています。環境配慮のみならず、水供給が不安定になるリスクを抑え、製造拠点の操業継続性を高める「守りの適応策」と言えます。
物流では熱波が人員と品質の両面に影響を与えています。米国の物流大手UPSは高温環境を前提とした安全対策を強化し、ドライバーへの水分補給支援や熱中症兆候の教育を制度化しています。加えて、酷暑時の配送計画見直しや車両設備の改善も進めています。気候変動は物流効率だけでなく労働安全の問題でもあり、人的資本の保全が配送継続性を支える構造が明確になりつつあります。
販売拠点での商品発注や在庫の持ち方は、気候変動を受けた購買動向の変化をいかに正確にとらえるかが決め手になってきます。関東で展開するスーパーのいなげやは、約130店あるすべての店舗で、人工知能(以下、AI)の需要予測による発注自動化システムを導入しました。過去の販売実績のほか、気象情報や特売企画情報など多様なデータを組み込んでAIが日々の商品需要を予測し、自動で発注数量を算出しています。AIによる精度の高い需要予測で過剰在庫を避けるうえ、逆に仕入れ不足で販売機会を失うリスクも抑えます。気温変動による購買変化を先読みする戦略と言えるでしょう。
2.コーポレート機能への影響と「適応」の必要性
コーポレート機能への影響も無視できません。災害リスクの高まりは保険料の上昇を招き、気候リスクに関する情報開示の要求は年々強まっています。対応が不十分であれば、投資家からの評価低下や訴訟リスクを招くおそれもあります。
さらに重要なのがレピュテーションへの影響です。従業員の安全配慮や供給責任を十分に果たせなかった場合、企業への信頼は大きく損なわれます。情報が瞬時に拡散する現代において、対応の遅れはブランド価値の毀損に直結しかねません。
気候変動はもはや環境問題ではなく、企業の事業運営全体を揺るがすオペレーショナルリスクへと性質を変えています。だからこそ企業には、個別対策の積み重ねではなく、バリューチェーン全体を俯瞰した適応戦略が求められるのです。
後編では、気候変動への対応を収益の拡大や企業の成長に結び付けるための「攻め」の側面について解説します。
日本経済新聞が発行している法人向けのニューズレターメディア「日経リスクインサイト」2026年4月7日掲載(一部加筆・修正しています)。
この記事の掲載については、日本経済新聞社の許諾を得ています。無断での複写・転載は禁じます。
執筆者
KPMGコンサルティング
執行役員 パートナー 土谷 豪
マネジャー 白杉 誠基
コンサルタント 近藤 真由