本稿は、KPMGコンサルティングの「Automotive Intelligence」チームによるリレー連載です。
単なる移動手段というだけではなく、“デジタル空間”としての存在感を強める自動車のトレンドを探ります。
「走る機械」から「豊かな体験を提供する空間」へ
自動車室内のディスプレイが拡大し続けるトレンドは、一見すると「より大きく、より鮮明に」といった技術的な発展だけに注目しがちです。しかし、歴史をひもといてみると、それが社会や文化にどのような影響を与えてきたのか、その意味が浮かび上がってきます。
自動車に初めてAMラジオが搭載された1930年代、娯楽を車内に取り込むという画期的な試みは、単なる音楽の導入ではなく、移動時間そのものの価値を変える一大転機でした。移動は退屈な時間ではなく、音の楽しみに包まれた“体験”へと変化していったのです。その後、カセットテープやCDプレーヤーの登場によって、より自由に音楽を選び、乗る人自身の好みに合わせて車内空間を彩ることが可能になりました。
こうした流れが決定的に加速したのが、1990年代以降のデジタル化です。車内は「移動する場所」から「情報と娯楽が交差する多機能空間」へと進化し始めました。そして2000年代、タッチディスプレイが登場すると、スマートフォンの操作性に慣れた消費者は自動車にも直感的な使い勝手を求めるようになります。スマートフォン連携機能の登場を機に、人々は車をスマートデバイスの“延長上”に位置付け、いつでもどこでもシームレスにデジタルライフを楽しむようになりました。もはや自動車は単なる移動手段だけではなく、“デジタル空間”としての存在感を強めたのです。
こうした文脈のなかで、ディスプレイの大型化は象徴的な現象と言えます。特に電気自動車から始まった大型ディスプレイ搭載のトレンドは、「車内のディスプレイはスマートデバイスと同じように大きく、使いやすくあるべきだ」という消費者の新しい欲求を顕在化させました。運転者はもちろん、同乗者も巻き込みながら、車内体験の可能性を一気に広げたのです。
一方で、忘れてはならないのがヘッドアップディスプレイ(HUD)の存在です。本来は航空機の技術として生まれたHUDは、1950年代後半から自動車に導入され始め、以来、視線を前方から外すことなく必要な情報が得られる手段として安全性を支えてきました。近年ではAR(拡張現実)を活用し、実際の路面上にナビゲーションや警告を重ねるなど、まさに“未来的”な使い方が模索されています。HUDは大型ディスプレイとは別の切り口で自動車のユーザーインターフェースを再定義しようとしているのです。
しかし、大型ディスプレイや先進的なHUDがもたらす進化の裏には、常にトレードオフが存在します。視覚情報が豊富になればなるほど、運転の集中をそらす危険性は高まりますし、ディスプレイの消費電力は今後さらに拡大すると、電気自動車の航続距離に影響を与える可能性もあります。製造コストや耐久性も含め、課題は多岐にわたります。
こうした複雑な状況を背景に、次の変革として期待されているのが自動運転技術との融合です。もし運転そのものが自動化されるならば、車内という空間は“運転をするための場所”から“あらゆる活動を楽しめる場所”へと再定義されるでしょう。大型ディスプレイやHUDは、映画鑑賞や遠隔会議、あるいは仮想現実空間の入り口として、多様なライフスタイルを支えるインフラへと役割を変える可能性があります。
振り返れば、自動車がただの移動手段だった時代は、もはや過去のものになりつつあります。ディスプレイの拡大は、その歴史的トレンドの最前線を象徴する出来事です。自動車メーカーに求められるのは、単なるハードウェアの改良ではなく、「走る機械」から「豊かな体験を提供する空間」へと自動車をどのように再構築するかという視点の転換です。そこには新しい競争軸があり、ディスプレイ大型化のトレンドはその変化の1つの形となって表れています。
【インフォテイメントの進化】
出所:KPMG作成
執筆者
KPMGコンサルティング
プリンシパル 轟木 光