国際連合による、企業の人権尊重責任を明記した「ビジネスと人権に関する指導原則」は、枠組みの3本柱の1つに人権への負の影響を受けた者に対する「救済へのアクセス」の確保を掲げており、その実現のため企業に求められるのがグリーバンスメカニズムの構築です。

また、昨今EUで制定されたコーポレート・サステナビリティ・デューディリジェンス指令(以下、CSDDD)でも当該メカニズムの構築が求められているほか、企業サステナビリティ報告指令(以下、CSRD)においても当該メカニズムに関する開示が要求されています。

一方、KPMGが2024年にトムソン・ロイター社と共同で実施した調査「法務・コンプライアンスリスクサーベイ2024」では、グリーバンスメカニズムに関する取組み状況として回答企業の約6割から「グリーバンスメカニズムを導入していない」との結果を得ました。グリーバンスメカニズムは、その構築・効率的な運用を通じてサプライチェーン上のリスクの早期発見・対応が可能な取組みであり、企業の対応の加速が期待されています。

1.グリーバンスメカニズムとは?

(1)グリーバンスメカニズムの概要

グリーバンスメカニズムとは、個人・集団が企業に懸念を表明したり、苦情を申し立てたり、救済を求めたりすることを可能にする仕組みであり、「苦情処理制度」や「救済メカニズム」とも呼ばれます。昨今、国内外で「責任ある企業活動」に関するガイドライン・ルールが強化されつつあり、日本企業においても、自社に留まらず、ステークホルダーも範疇に含めたサプライチェーン上のリスクの早期発見・是正を進めるべく当該メカニズムの効果的な運用が求められています。

グリーバンスメカニズムを設置する企業においては、外部ベンダーが開発したグリーバンスメカニズムのツール導入を行うケースや、NGO・業界団体等の組織が提供するグリーバンスメカニズム窓口へ参加するケースが見られます。後者の例としてはビジネスと人権対話救済機構(JaCER)、JP-MIRAI、経済人コー円卓会議日本委員会、RSPOなどがそれぞれ運用する、会員企業向けの窓口があります。

業界団体等で複数の組織が協働して構築した窓口を利用するメリットとして、参加企業間での事例の共有が可能になる等、より実効性のある対応がしやすくなる点が挙げられます。グリーバンスメカニズム設置のアプローチはいろいろ考えられますが、自社の既存の窓口やリソースを踏まえた検討が必要です。

(2)内部通報制度との違い

グリーバンスメカニズムと内部通報制度の主な違いとして、利用対象者・対象テーマ・問題解決の進め方が挙げられます。内部通報制度の多くは利用対象者が自社グループ従業員に限定され、取扱いテーマもコンプライアンス・法令違反に関する事項に留まることが多い一方、グリーバンスメカニズムでは社外のステークホルダーまで利用対象者を広げ、対象テーマも企業の行動規範や国際的な人権基準の違反となり得る事象(例:児童労働、強制労働、差別)まで広げる必要があります。

また、問題解決において内部通報制度は企業とステークホルダーの二者構造が多いことに対し、グリーバンスメカニズムでは第三者である専門家が関与し、企業とステークホルダーの対話を円滑に進めることや、運用の過程でステークホルダーとの対話の機会を設けることが求められています。

(3)「ビジネスと人権に関する指導原則」との関係性

「ビジネスと人権に関する指導原則」は、掲げる3本柱のうちの1つに「救済へのアクセス」を位置付けており、その手段として「非国家基盤型の苦情処理メカニズム」の確立を企業に求めています。すなわち、救済措置の提供および問題解決のため、企業を含む民間団体主導の救済体制の必要性が明示されています。また、同原則ではメカニズムの実効性を高めるための8要件も定めており、企業はこれらに留意したうえで体制の整備を進めることが肝要です(図表1参照)。

【図表1:「ビジネスと人権に関する指導原則 原則31」より抜粋】

正当性がある 利用者であるステークホルダー・グループから信頼され、苦情プロセスの公正な遂行に対して責任を負う。
アクセスすることができる 利用者であるステークホルダー・グループすべてに認知されており、アクセスする際に特別の障壁に直面する人々に対し適切な支援を提供する。
予測可能である 各段階に目安となる所要期間を示した、明確で周知の手続が設けられ、利用可能なプロセス及び結果のタイプについて明確に説明され、履行を監視する手段がある。
公平である 被害を受けた当事者が、公平で、情報に通じ、互いに相手に対する敬意を保持できる条件のもとで苦情処理プロセスに参加するために必要な情報源、助言及び専門知識への正当なアクセスができるようにする。
透明性がある 苦情当事者にその進捗情報を継続的に知らせ、またその実効性について信頼を築き、危機にさらされている公共の利益をまもるために、メカニズムのパフォーマンスについて十分な情報を提供する。
権利に矛盾しない 結果及び救済が、国際的に認められた人権に適合していることを確保する。
継続的学習の源となる メカニズムを改善し、今後の苦情や被害を防止するための教訓を明確にするために使える手段を活用する。事業レベルのメカニズムも次の要件を充たすべきである。
エンゲージメント及び対話に基づく 利用者となるステークホルダー・グループとメカニズムの設計やパフォーマンスについて協議し、苦情に対処し解決する手段として対話に焦点をあてる。

出所:「ビジネスと人権に関する指導原則 原則31」(国際連合広報センター)

2.CSRDおよびCSDDDで求められること

CSRDおよびCSDDDでも、当該メカニズムへの言及がなされています。CSRDでは、必須開示項目の1つに「自社の従業員/ステークホルダーが懸念を表明するための手段や、窓口に報告された苦情の件数」が含まれ、CSDDDでは、主な要求事項のうちの1つとして「通報の仕組み・苦情処理手続きの確立」を明確に要請しています。いずれの指令も、EU域外に所在する企業でも一定の条件を満たす場合は域外適用を受けるため、適用対象となる日本企業は特に対応が必要です。

なお、EUにおいてはCSRD、CSDDD、タクソノミー規則の重複を踏まえ、これら3法を統合したオムニバス法案策定の議論もなされており、CSRD、CSDDDの関連性を考慮した対応の重要性は一層高まっていると考えられます。CSRDおよびCSDDDは、グリーバンスメカニズムについて下記図表2、図表3のような要求事項を示しています。

【図表2:CSRDで要求される開示事項例】 

  • 自社の従業員/バリューチェーン内の労働者/影響を受けるコミュニティ/消費者およびエンドユーザーに関する負の影響について、救済策を提供または可能にするために取られた措置
  • 重要な負の影響が発生した場合に、救済策を提供または可能にするプロセスの利用可能性、その実施と結果が効果的であることの確保の方法
  • 自社の従業員が懸念を表明するための手段や、 OECD多国籍企業連絡窓口に報告された苦情の件数。苦情の結果としての罰金、制裁金、損害補償の総額

出所:「CSRD適用対象日系企業のためのESRS適用実務ガイダンス※1」(日本貿易振興機構(ジェトロ))より抜粋

【図表3:CSDDDで要求される実施事項例】

  • 自社・子会社の事業、またはビジネスパートナーの事業に関する顕在・潜在的な負の影響について正当な懸念がある場合に、個人・組織(個人・法人のほか、労働組合や労働者代表、市民社会組織が含まれる)が苦情を提出できる制度とすること
  • 公正で、公に利用可能で、アクセス可能で、予測可能で、透明性のある手続きを確立すること
  • 苦情提出者が、苦情提出先企業からのフォローアップの要請や企業代表者との協議を実施でき、企業から苦情内容の判断に関する理由の提供を受けられること

出所:「CSDDD指令文※2」(EU)より一部記載(KPMG翻訳)

3.グリーバンスメカニズム導入に向けた課題

苦情処理・問題解決体制をグローバル規模で効果的に構築・運用するうえでは課題も見受けられます。ここでは、企業に散見される課題を3つ紹介します。

  • 内部通報制度との混同

先述のとおり、「内部通報制度」とグリーバンスメカニズムは異なるものです。しかし、その理解がなされておらず、内部通報制度のみをもってグリーバンスメカニズムを設置したと認識されているケースがあります。企業は、国際社会で求められるグリーバンスメカニズムの内容を正しく理解する必要があります。

  • 適切な対応体制の未整備

リソースの不足や対応者側のスキルの不足から、適切かつ早急な対応が行えていないケースがあります。相談者への配慮や透明性を欠いた対応は相談者側の不信感を招くほか、対応の遅滞は被害の深刻化、潜在的なリスクの見逃しを招いてしまう恐れもあります。また、企業の対応姿勢が誠実性を欠くものとして、社会からの非難の材料とされてしまう可能性も想定されます。

また、通報内容の社内連携ができておらず、サプライチェーンリスク管理の改善にリスク情報の活用ができていないというケースも見られます。例としては、通報内容の受付担当部門ではサプライチェーン上流における強制労働に関する懸念を把握していたものの、その内容が適切な関連部署にエスカレーション・共有されておらず、事実確認等何らかの必要な対応をとらないまま時間が経過し、事態の深刻化を招いてしまうようなケースが考えられます。

  • 通報窓口の周知不足・活用不足

設置したグリーバンスメカニズムについて、利用者への周知が不足し活用が進まない、多言語対応不可のため海外のステークホルダーが利用できないといった課題があります。また、周知はしているものの、匿名通報が可能だと十分に認識されず利用率が伸びないというケースも見受けられます。加えて活用不足の面で留意したい点は、メカニズムの「利用実績がない」ことが「事案が発生していない」ことと同義ではないことです。ステークホルダーが当該メカニズムの存在を把握していても通報まで至らない場合、企業は事案に気が付くことができないため、メカニズムの利用率の低さは重要な課題の1つだと言えます。

4.グリーバンスメカニズムを活用したサプライチェーンリスク管理体制強化のポイント

上記の課題に鑑みた、グリーバンスメカニズムの効果的な運用にあたって重要なポイントを3点解説します。

(1)内部通報制度との相違点を踏まえたメカニズムの設計

先述の内部通報制度との違いを踏まえ、下記の対応が必要です。

  • 通報の対象事項として、法令違反に留まらない、責任ある企業行動のなかで対処が求められる広範な課題を取り扱うこと
  • 利用対象者を、取引先や消費者、事業活動に関連する地域コミュニティの所属者等、社外のステークホルダーまで拡充すること
  • 企業と通報者の二者だけでなく、第三者機関や専門家を交えた制度とすること

実行上のファーストステップとしては、社内の既存の通報窓口(例:内部通報制度、お客様窓口、サプライヤーホットライン)の対象者や対象テーマを整理し、対応を拡充する必要がある領域を特定・検討していくことが有用です。

(2)実効性を高めるためのサプライチェーンリスク管理体制の構築

寄せられた通報へ迅速に対応し、結果を企業行動の改善につなげるためには、責任者と担当部署の設置が求められます。担当部門の対応能力向上と対応の均質化のため、十分な教育機会の提供やマニュアル類の整備も肝要です。

加えて、通報内容を情報源とした継続的な改善のため、通報内容をサプライチェーン上のリスク対応のインプットに生かしていく仕組みづくりも重要となります。例として、サプライヤーの従業員から現場の過重労働に関する通報が寄せられた場合、その内容をサプライヤー管理を行う調達部門やその他関連部門(法務部門・人事部門等)と連携し、同サプライヤーに対する事実確認や改善依頼を行うことが考えられます。

また、自社グループの工場の周辺地域住民から騒音や水質汚染に関する懸念が寄せられた場合、早期に調査を行い周辺地域住民への調査結果の説明を行うことで、問題の深刻化を防ぐといった対応が可能です。

(3)サプライチェーン上流も含めた広範な利用者への周知・利用者の拡大

周知の面においては、日本語話者以外のステークホルダーも利用できるよう、制度の周知方法を工夫する必要があります。たとえば、多言語の周知ポスターの貼り出し、相談者の識字力に応じたイラストや動画を活用した周知方法が挙げられます。また、利用方法の拡充の面では、可能な限り母語での通報を可能にするための対応言語の拡充、通報方法の選択肢の拡充(電話窓口に加え、メールやアプリの活用等)も一案です。

サプライチェーンの上流に存在する企業や個人も活用できるような仕組みを構築のうえ、人権デュー・ディリジェンスや環境デューデリジェンスなどのデューデリジェンスでは発見できないリスクを抽出し対応できる体制を整備することが重要となります。

5.まとめ

グリーバンスメカニズムは、責任ある企業としての事業運営を確実に行うための重要な手段の1つです。
体制の構築・整備には一定のリソースが求められますが、自社の状況にあったアプローチで運用していくことで、サプライチェーン上のリスク顕在化の未然防止・早期発見が可能となります。

また、運用の過程で社内外のステークホルダーとの対話の機会を設けることは、企業による一方的な救済提供ではなく、企業活動の影響を受ける当事者の意見を踏まえた救済対応や中長期的な信頼関係構築にもつながります。

グリーバンスメカニズムを構築し、サプライチェーンの上流まで含め、リスクを発見し、対処・救済してくことが企業には求められており、グリーバンスメカニズムを活用することで自社のサプライチェーンを持続可能なものにしていくための第一歩となります。本稿が各社のグリーバンスメカニズム構築に向けた一助となれば幸いです。

KPMGでは、サステナブルサプライチェーンの実現に向けて、豊富な実績を通じて培ったノウハウや、グローバルネットワークを活用し、グリーバンスメカニズムに関する導入・運用体制検討をはじめとする一連の対応を支援しています。

※本文中に記載されている会社名・製品名は各社の登録商標または商標です。

<図表2、3の出所>

※1 「CSRD適用対象日系企業のためのESRS適用実務ガイダンス」(日本貿易振興機構(ジェトロ))
※2 「CSDDD指令文」(EU)

執筆者

KPMGコンサルティング
執行役員 パートナー 土谷 豪
マネジャー 泉 麻里奈
コンサルタント 上野 寧々

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