「計算してツリーを作るだけ」からの脱却を~なぜ「ROIC経営」が上手くいかないのか~

旬刊経理情報(中央経済社発行)2024年9月20日号(No.1721)にROIC経営に関するKPMGの解説記事が掲載されました。

旬刊経理情報(中央経済社発行)2024年9月20日号(No.1721)にROIC経営に関するKPMGの解説記事が掲載されました。

本記事は、「旬刊経理情報2024年9月20日号」(通巻No.1721) に掲載された記事の転載となります。発行元である中央経済社の許可を得て掲載していますので、他への転載・転用はご遠慮ください。

序章 ROIC経営導入の実態と問題の所在~実態の伴わない「ウォッシュ」が横行~

【この章のエッセンス】

  • ROIC経営を標榜する多くの企業は、ROICの指標としての特徴やその本質を十分に捉えきれておらず、結果として経営の意思決定に活用できていない。
  • ROIC経営の本質は全体最適を通じた経営資源配分にある。ROICを経営の意思決定活用するのであれば、ROICの評価単位の見直しやBS予算の導入が必要である。

横行する「ROIC経営ウォッシュ」

東京証券取引所が2023年3月末に「資本コストや株価を意識した経営の実現に向けた対応について」(以下、「東証要請」という)を公表したことを受けて、2024年7月末をもって一部検討中の企業を含め、プライム市場の86%に当たる1,406社が対応策を開示している。そのなかでも一定数の企業が対応策としてROIC経営を推進することを標榜しており、企業価値向上の施策の1つとしてROICを活用することを中期経営計画等に盛り込んでいる。

東証要請以前にも、ROIC経営に着手することを謳った企業は多数存在している。生命保険協会が毎年実施している「生命保険会社の資産運用を通じた『株式市場の活性化』と『持続可能な社会の実現』に向けた取組みについて」と題した調査によると、直近の2023年度において22.8%の企業が中期経営計画において公表している重要指標としてROICを挙げている。この数値は2020年度においてはわずか7.6%であったことを踏まえると、この3年の間に多くの企業がROIC経営に舵を切ったのがわかる。

しかしながら、これらの企業において、ROIC経営が有効に機能している企業は少ない、というのが筆者の見立てである。実際に、東証要請が公表され株価が大きく上昇するまではプライム上場企業の約半数がPBR1倍割れとなっており、ROIC経営を標榜したからといって企業価値が実際に上がっている企業は極めて少ない。また、筆者に対してROIC経営を公表している企業から相談を持ち掛けられるケースも多い。それら企業においてよくみられるパターンは、ROICを計算し経営会議資料にも掲載し、ROICツリーも展開したが、実際の経営判断においてROICを活用するには至っていない、というものだ。

 つまり、実態としては、ROIC経営を標榜する企業の多くは、企業価値向上のためにROICを活用できていない。気候変動等のサステナビリティ領域において最近頻出する言葉を使うのであれば、ROIC経営を標榜しているものの、実体が伴っていない「ROIC経営ウォッシュ」が横行している、というのが日本企業の現状である。

ROIC経営が上手くいかない要因

なぜ、ROIC経営が上手くいかないのか。それは多くの企業が、ROICという指標を導入することに力点を置くあまり、ROIC経営の本質を十分に捉えていないためである。ROIC経営の本質を捉えるためには、次の3つのポイントを押さえる必要がある。

(1)ROIC経営による全体最適の追求

ROIC経営は単にROICという指標を導入することを指すのでない。ROIC経営がそもそも意図しているのは、企業の経営改革力を高めることによって企業価値向上を図ることである。

経営改革力を高めるためには、企業価値を創出する一連の取組みである「事業ポートフォリオマネジメント」、「財務戦略・資本政策」、「キャッシュフローアロケーション」を一体的に運用する経営管理制度やガバナンス体制の構築が必要となる。この一連の取組みが高いレベルで実装され、経営管理の制度やプロセスが定着している状態が、真の「ROIC経営」である。

ROICは「事業ポートフォリオマネジメント」、「財務戦略・資本政策」、「キャッシュフローアロケーション」のいずれにおいても密接に関係する。事業ポートフォリオマネジメントは経営企画部、財務戦略・資本政策は財務部といったように、サイロ化された組織を前提とした経営管理体制では有効に機能しない。真の「ROIC経営」を実現するためには、全体最適の観点から、この3つの取組みを一体的に運用する経営管理体制の構築が必須である。

(2)ROICの評価単位の設定

ROICは前述の(1)で示した全体最適が実現できている前提で、経営資源の最適配分のために活用される。経営資源の最適配分は、投資と撤退を組み合わせることによって、最も企業価値が高まる事業に経営資源を配分することを指す。経営資源配分が機能する前提として、投資と撤退の判断が可能な単位でROICを活用する必要がある。

 しかしながら、実のところ、多くの企業は投資と撤退の判断が可能な単位でROICを算出できていない。日本企業は特に事業からの撤退が十分にできておらず、黒字であるがROICスプレッド(ROICが資本コストを上回る付加価値部分)がマイナスとなっている不採算事業を抱え込んでいる傾向がある。これはそもそも撤退の判断を可能とする単位でROICを算出できていないからである。

(3)ROICの必須要件としてのBS予算

ROICは文字通り利益(分子)と投下資本(分母)によって構成される指標である。ROICはそもそも分子と分母の両方において当該評価単位の責任者に説明責任を負わせることを前提とした指標である。

ほとんどの企業は営業利益や経常利益といったPL項目については予算化している。一方で、BSについては、予算化はおろか実績すら見ていない、という企業も少なくない。つまり説明責任を負っているのはPLのみであり、BSについては明示的に説明責任を負わせている企業はほとんどない。

このような企業が掲げるROIC目標は結局のところPL予算によって達成するように設定されており、ROICの特徴であるBS目線が完全に抜け落ちてしまっている。

ROIC経営といえば、企業がまず着手するのがROICツリー展開であるが、結局のところ、BS予算がないがゆえに機能していないことも多い。

ROIC経営の機能不全は、1.全体最適の視点の欠落、2.評価単位の不適切な設定、3.BS予算の不在の組み合わせによって生じている。本稿は2(第1章)および3(第2章)に焦点を当て、ROIC経営が上手くいかない根本的な要因を掘り下げる。なお、1についてはKPMG INSIGHT Vol.64「ROIC経営を通じた経営改革力の向上と東証PBR要請への対応」(2024年1月)注1に詳述しており、そちらを参考にされたい。

注1 ROIC経営を通じた経営改革力の向上と東証PBR要請への対応(記事)

第1章 事業ポートフォリオ組替えを意識した評価単位の設定~スタンドアロン単位による評価が大前提 ~

【この章のエッセンス】

  • ROIC経営を標榜する多くの企業がROICを計算するのに留まり、経営判断に活用できていない。
  • ROICは事業ポートフォリオマネジメントを通じた経営資源の最適配分の意思決定において最も効果を発揮する。
  • ROICを経営資源の最適配分の意思決定に活用する大前提として事業をスタンドアロン単位で評価する必要がある。

日本企業は撤退ができていない

経済産業省「第1回 持続的な企業価値向上に関する懇談会」の事務局資料(2024年5月7日)によれば、日本の上場企業によるM&Aの件数はリーマンショック以降、右肩上がりに推移しているのに対して、上場企業の売却は横ばいとなっている。この間、諸外国と比較し日本企業の株価は相対的にアンダーパフォームし、東証要請が出た時点でプライム上場企業の約半数がPBR1倍割れとなっていた。これらのデータが示しているのは、日本企業は資本コスト割れの事業を抱え込みながら買い一辺倒のM&A戦略をとってきたという事実である(図表1)。

図表1 日本企業による買収・売却の状況

「計算してツリーを作るだけ」からの脱却を図表1

経営資源は有限である。買い一辺倒となっているM&A戦略を見直し、売りを組み合わせることによって事業ポートフォリオの最適化を実現しなくては、企業価値は向上しないであろう。企業は事業ごとの資本収益性を厳密に評価・管理し、資本コストを起点に株主目線をもって経営資源の最適配分を実現する必要がある。

2021年6月に改訂されたコーポレートガバナンス・コードは補充原則5ー2(1)において上場企業に事業ポートフォリオに関する基本的な方針を取締役会にて決定することを求めている。事業ポートフォリオに関する基本的な方針は、企業が目指す事業ポートフォリオの構成を定め、その目指す姿を念頭に自社の現状の事業ポートフォリオを評価するしくみを定めるものである。

しかしながら、KPMGが実施した調査によれば、2024年1月時点で46%の企業は明文化された方針を有しておらず、22%が策定中であることが判明した。注2つまり、調査実施時点で、7割近い企業が自社の事業ポートフォリオや経営資源配分について明確な戦略を有していない、ということである。

事業ポートフォリオに関する基本的な方針がない、ということは、自社の事業を客観的かつ合理的に評価し、投資と撤退の意思決定を行うためのしくみが整っていないこと表している。その象徴的な事象の1つが、そもそも事業ポートフォリオの評価単位が投資と撤退ができる事業単位になっていない、という問題である。

注2 「ROIC経営を通じた経営改革力の向上ー日本企業の現在地」(2024年7月8日)

事業の評価単位はスタンドアロンの単位であることが望ましい

経営資源配分、すなわち、投資と撤退が可能である単位をスタンドアロン単位と呼ぶ。スタンドアロン単位は文字どおり、その単位単独で事業を評価し経営の意思決定ができる単位である。

スタンドアロン単位はM&Aのセルサイド(事業売却)の局面において特に重要な意味を持つ。セルサイドの要諦は適切な価額でスピード感をもってベストオーナーにタスキをわたすことである。そのためには、そもそも売却対象事業が独自の戦略を有している必要がある。これは売却ストーリーと言い換えてもよい。つまり、適切な価額で事業を売却するためには、売却対象となる事業自らが、どのような買い手の元であれば自社の事業価値を最大化できるのかあらかじめ戦略を策定しておく必要がある、ということである。そもそも事業がスタンドアロン単位に区分されておらず売却ストーリーを立案できていない、というのが要因となって、日本企業のセルサイド案件は時間がかかりすぎ、かつ、実際の売却価額が想定価額を下回る、ということがしばしば起こっている。

ROIC経営を標榜する企業の多くが、このスタンドアロン単位を設定できていない。スタンドアロン単位が設定できない背景を整理すると、おおよそ次の3つのパターンが挙げられる。

法人単位のなかに複数事業が存在
法人単位のなかに複数の事業が混在しており、事業ごとにPLやBSを作成していない。事業ごとに作成している場合であっても事業本部単位でのみPLやBSがあり、事業本部より細分化された単位でPLやBSが作成されておらず、評価単位のリターンを可視化できていない。

複数の事業が共通資産を活用
複数の事業が同じ資産を共通で使用しており、BSを事業ごとに分けるのが難しい。たとえば、A事業・B事業がそれぞれ同じ工場で製品を製造しているなどがこれに該当する。工場内でラインがはっきりと分かれていればまだよいが、原材料を加工する工程は同じであるなど明確に切り分けができないケースも多い。

複数の機能別子会社がバリューチェーンを構成
製造子会社・販売子会社等が事業として一連のバリューチェーンを構成している場合は、当該子会社単位で評価しても、事業全体の実態を表さない。逆説的にいえば、バリューチェーン上の子会社を1社でも売却したらその事業は成り立たないことを意味する。この場合、一連のバリューチェーン単位でPL・BSを作成する必要があるが、実際にそこまでしていない企業が多い。バリューチェーン単位でPL・BSを作成する場合、内部取引を消去する必要があるなど、ROICを算出する前提となる数値を整えるのが煩雑になり得る。

これらのケースはいずれも所与として受け入れるべきであろうか。少なくとも前述のいずれのケースでは、ROICを算出するのが難しい、あるいは、一定の前提を置かないとROICを算出できない。このような状況では、そもそも資本コストと対比して当該事業が価値を創造できているのか、あるいはそのポテンシャルがあるのかも判断できない。これでは真に企業価値を毀損している事業にメスを入れることができないまま、不採算事業を温存してしまうリスクがある。

事業ポートフォリオを構成する事業はいずれも組換え(投資・撤退)の対象である、という視点で事業を評価・管理できていないことが、事業ポートフォリオの最適化の妨げになっているのである。

スタンドアロン単位の設定方法

事業ポートフォリオの評価単位は、経営資源配分(投資と撤退)が可能となるスタンドアロンの単位であることが望ましい。その評価単位がスタンドアロン単位であるためには次に掲げる要件を満たしているか、個々に検討する必要がある。

事業の独立性

  • 販売先のプロファイル(対象となる市場や顧客層等)や事業のオペレーションが独立しており、単独で収益(リターン)を生み出す単位となっている。

財務情報の可分性

  • 独立した単位として財務数値を取得することが可能である。
  • 財務数値は、ROICを計算するための所与であるPL・BSの両方が必要である。
  • 配賦は発生しないに越したことはないが完全に否定するものでもない。配賦が必要な場合は、PL・BSともに明確な配賦基準を設定しておく必要がある。

責任の所在/組織構造

  • 評価単位ごとに責任者が設定されている、あるいは、設定することが可能である。
  • 評価単位の責任者は、ROICの分子・分母の構成要素をコントロールすることが可能である。

戦略的重要性

  • 経営戦略上、重要性の高い事業は独立した単位として評価する必要がある(前述①の評価結果として既存事業に含まれるものであったとしても、新規事業など戦略的に重要で別途独立した評価単位としてみた方がよい場合などがこれに該当する)。

このように事業をスタンドアロン単位として設定できれば、投資するにせよ、事業ポートフォリオ評価における各事業の戦略の解像度を格段に上げることが可能となる。また、責任者を明確に設定することで、多くの企業が陥りがちな責任の所在の曖昧さゆえの戦略の遂行力の弱さを回避することもできる。

ROIC経営は、事業ポートフォリオの評価単位をスタンドアロン単位として適切に設定することで、経営資源の最適配分を可能とするのである。

第2章 ROIC経営に実効性を持たせるBS予算の策定~説明責任の所在を明確にするために ~

【この章のエッセンス】

  • ROICは利益(分子)と投下資本(分母)の両方について事業部門長が説明責任を負うことを前提とした指標である。
  • ROICツリーはドライバーの特定が弱い、KPI間のトレードオフが発生しやすいといった要因のほかに、責任の所在が曖昧になるといった理由から十分に機能しないことが多い。
  • ROICはPL予算に加えてBS予算を策定することによって本来の機能を発揮する。

ROICツリーの落とし穴

(1)ROIC経営=ROICツリーではない

ROIC経営を導入する企業の多くがまず着手するのがROICツリーである。ROICツリーはROIC構成をする要素をブレイクダウンし、現場にKPIを落とし込めることがメリットとして強調されることが多い。企業によっては財務指標のみならず、非財務指標まで細かく現場に設定することもある。しかしながら、ROICツリーを展開して、ツリーに紐づくKPIを現場に落としたところで企業価値が向上すると考えるのは早計である。筆者の経験則では、ROICツリーを導入している企業で企業価値向上を実現できたのはごく一握りである。

そもそも、現場にKPIを落とし込むことが目的であれば、何もROICツリーである必要はない。ROICに注目が集まる以前からもROAツリーやROEツリーは存在している。ROICツリーがROAツリーやROEツリーといった他のツリー展開と何が異なるのか、議論せずにやみくもにROIC経営=ROICツリーと考える企業が多いのではないだろうか。

(2)ROICツリーが機能しない理由

ROICツリーが往々にして機能しない理由としてはいくつかポイントが挙げられる。

1.ドライバーの不十分な検討
1点目は、ROICを高めるためのドライバーについて十分な検証ができていない、という点である。ROICを高めるうえで何が本質的な課題なのか、最もROICの改善に効くファクターは何であるのかを検証し、本来はそこに時限性も踏まえて経営資源を集中させるべきである。実際にあった事例としては、事業部門に顧客満足度の向上やクレーム発生率などをKPIとして設定し、事業部門はそれらKPIをすべてクリアにしたにもかかわらず一向にROICが高まらなかった、というケースがある。これら非財務指標は確かに重要であるが、あらかじめ定められた時限性のなかで、果たしてROICを高めるためのドライバーであったのであろうか。

2. KPI間のトレードオフ
2点目は、KPI間のトレードオフ問題である。ROICをツリー展開し、KPIを設定すると、往々にして全KPIについて改善を求める、という方向性になりやすい。KPIによっては当然のことながらトレードオフが発生することが起こり得る。

代表的なものが売上高と売上債権回転日数だ。売上債権の回収を早めれば、運転資本が減少するため確かにROICの改善につながり得る。しかしながら、売上債権の早期回収は販売価格の値引き要請と隣り合わせであることが多い。売上債権の回収を早めることによって売上や利益が減少するというのは、ROICにとってネガティブにもなり得る。現場の自主性を枕詞に現場にKPI設定を委ねれば委ねるほどKPIのトレードオフという問題は深刻になりがちである。

3.責任の所在
そして3点目は、責任の所在の問題である。ROICをツリー展開して各部署にKPIを設定するということは、KPIの達成責任はそれぞれの部署にある、ということである。しかし、ここはROICがそもそもどのような指標であるのかをよく吟味する必要がある。

ROICは利益(分子)と投下資本(分母)によって構成される指標である。つまり、ROICは分子と分母について説明責任を負うことを全体とした指標である。前章では、ROIC経営が有効に機能する大前提として、事業ポートフォリオの評価単位がスタンドアロン単位である必要性について説いた。そしてスタンドアロン単位は、ROICについての責任者を設定することが前提であることについても解説した。つまり、ROICのツリー展開は、現場にKPIを設定するという大義名分のもと、スタンドアロン単位の責任者の責任がうやむやになっている可能性が高い、ということである。スタンドアロン単位の責任者がROICに説明責任を負うためには、PL予算に加えてBS予算を設定する必要がある。この3点目の論点こそが、ROIC経営に実効性を持たせるために最も重要なポイントである。

BS予算の必要性

(1)予算化と説明責任

BS予算を考えるのにあたり、まず、予算化とは何を指すのかをあらためて整理する必要がある。

PL予算化をはじめ、多くの企業は予算化の対象となる指標を定めて、年度初めに計画の策定とその予算化を行っている。予算化は単純化すれば数値目標であり、業績評価の基準として活用される。予算の達成/未達成がたとえば賞与に影響するなど、パフォーマンス評価と報酬を連動させることにより、予算化は組織のベクトルを1つのゴールに集中させ、設定した目標を達成するための意欲を高める、という仕掛けでもある。

しかしながら、予算化が単に業績目標の達成/未達成を評価するだけであれば、組織の自律的な発展は望めない。たとえば、たまたま市況が好転して業績が予算を超過達成したという場合、確かに予算は達成したかもしれないが、そもそも市況の好転を計画策定時になぜ織り込めなかったのか、という振り返りがなければ、計画立案の精度はいつまで経っても高まらない。つまり、予算化において最も重要なポイントは、説明責任を負い、その責任を果たすことで、組織に対して次につながるような有益な情報を還元し、これから立案する計画の背後にある仮説の解像度を高め、その計画の実行力とその達成確度を向上させる、ということである。

ROICは責任者がROICの分子・分母ともに責任を負うことを前提とした指標である。責任を負う、というのは、予算化し、その達成状況についてしかるべき説明責任を負う、ということである。しかしながら、日本企業のほとんどはROICを導入したといっても、従来どおり営業利益や経常利益などPL項目のみを予算化するにとどまっている。ましてや、ROICの目標値は設定していたとしても、ROIC予算化している企業はまずもって見当たらない。BSを予算化していないために、BSについては説明責任を負わなくてもよい、という状況が必然的に作り出されている。つまり、ROIC目標の達成はPL予算によって達成するもの、という強力な誘因が働いている、というのが日本企業の現状である。ROIC経営を標榜する企業が実態としてPL経営を続けている理由がここにある。

(2)BS予算化の意義

ROIC経営を推進するのであれば、BSの予算化はその大前提といえるだろう。では、なぜBSの予算化が必要なのか。それはROICを構成する投下資本には資本コストがかかっているからである。

ROICに対応する資本コストであるWACC(加重平均資本コスト)は、株主資本コストと負債コストを最適化されたD/Eレシオによって加重平均したものである。資本コストは株主と債権者の期待収益率の代理指数であり、企業としてはこれらの期待収益率を満たすために効率的に投下資本を活用する必要がある。

効率的な投下資本の活用は、運転資本の最適化と固定資産回転率の向上に大別できる。運転資本は売上債権の回収、在庫の管理、仕入債務の支払期間がビジネスモデルを踏まえて最適化されているかがポイントとなる。また、固定資産回転率を上げるためには既存設備の生産性向上に加えて、投資の効率化を図っていく必要がある。これらの取組みを通じて投下資本を最適なサイズにコントロールできていないと資本コストが過大にかかることになり、企業価値を毀損する要因となり得る。

PLのみ予算化するとPL目標を達成するために投資が年度初めの計画を多少上回ったとしても致し方ないという発想にならないとも限らない。投資は、実行前に投資委員会の事前承認を経ているとはいえ、個別の投資案件単位で問題はなくとも、積み上がれば全体として投下資本は膨らみ、かかる資本コストも多額となる。結果として、ROICスプレッドの縮小、EVAの低下を招き、企業価値を毀損する。

その意味で、BS予算はPL予算と併用することによって、はじめて機能するのである。

(3)BS予算は乖離状況を評価する

BSの予算化はPL予算と評価の視点が異なるという点についても解説したい。
前述の通り、ROICはその算出式を構成する利益と投下資本に対して説明責任を負うことを前提とした指標である。利益、つまり、PL予算は達成する/しないでパフォーマンスを評価される。一方で、BSはある一時点を切り取った資産および負債の残高にしか過ぎず、BSには達成する/しないの概念はない。

BSの予算化とは端的にいえば、1年間の事業計画を遂行した年度末における投下資本の残高を計画値として定める、ということである。重要なのは、BS予算は達成/未達成ではなく、計画値からの乖離状況を評価するということである。BS予算は超過達成したとしても投下資本が増大しROICの低下を招くだけであり、そもそも達成/未達成の概念が馴染まないのは想像に難くないであろう。

BS予算を導入した場合、事業部門の責任者はROICを構成する投下資本に対して説明責任を負うことになる。たとえば、BS予算に対して実際の投下資本が過少となりROIC目標を達成した場合、事業部門の責任者は、投下資本がBS予算と乖離した説明責任を次の切り口から果たす必要がある。

<例>

計画的に取り組んでいたCCCの改善によって運転資本が抑制できた。

⇒ 肯定的に評価し、その取組みを他の事業部門等にも展開可能かを検証する必要がある。

当初想定したとおりに計画が進まず、設備投資自体が翌期にずれ込んでしまった。

⇒ ROIC目標を達成したからといって高い評価は行わない。計画が想定どおりに進まなかった要因を特定し、次回の計画策定に生かす必要がある。

前述したとおり、予算策定には、設定した目標を達成するための意欲向上と、説明責任を負うことによる自律的な組織の発展、という2つの側面がある。BS予算は後者の説明責任を問う側面が極めて強い。当初予算からの乖離情況がパフォーマンス評価の対象となるのではなく、説明責任を高い解像度をもって果たせているか、というのがポイントである。

特にBS予算において最も大きな乖離要因となるのは投資である。BS予算を設けることにより、普段から高い説明責任を負わすことができれば、投資計画とその実行の精度も徐々に上がり、多くの企業が頭を悩ませている投資管理の改善にもつなげることが可能となる。

BS予算の策定方法

BS予算の対象となるのは投下資本である。ROICを構成する投下資本には定まった定義はない。本稿では投下資本を一般的に用いられる資産サイドの「運転資本+固定資産」と定義し、現預金やそれ以外の勘定については考察の対象外とする。また、BS予算は事業部門に対して課すものであることから、調達サイドの投下資本である「有利子負債+株主資本」も対象外とする。投下資本の調達サイドを事業部門別に設定していたとしても事業部門の責任者がコントロールする余地が乏しいことが多く、一部の業種を除きBS予算の趣旨に合致しないことも多い。

(1)運転資本の予算策定方法

運転資本の予算の策定の出発点は、一般的には運転資本を構成する売上債権・棚卸資産・仕入債務それぞれの回転率を求める点であることが多い。回転率はたとえば過去1年の実績をもとに算出し、それをPL計画に適用することによって売上債権等の残高を求める。たとえば、売上債権回転率を5回転とした場合、次年度の売上計画が1,000億円であれば売上債権の計画値は200億円となる。同様に棚卸資産と仕入債務を計算することで運転資本の計画値が導出できる。

しかし、この手法はシンプルではあるものの、実際に活用できるのは事業が安定しており、かつ、運転資本を構成する各勘定科目について課題がない場合に限られる。運転資本については、CCCの短縮に取り組む等、売上債権回収の早期化や棚卸資産の適正化に課題感を有している企業は多い。

このような場合、CCCを短縮する目標があるのであれば、その目標を織り込むことでCCCの短縮化と連動した運転資本の計画を立案し、予算化することができる。

運転資本の予算化にはもう1点留意すべき事項がある、運転資本の計画はあくまでも期末時点の運転資本の残高を示しているに過ぎない。期末時点の売上債権は直近数カ月の受注状況によって決まるのに加えて、棚卸資産・仕入債務は翌年度(特に1Q)の販売や仕入計画に基づいて変動する部分でもある。よって、運転資本の計画策定にあたっては、期末を起点に前後1四半期の計画が必要であり、その前提として2期分のPL計画が必要ということになる。

図表2 運転資本計画の策定

「計算してツリーを作るだけ」からの脱却を図表2

出典:KPMGにて作成

詳細は図表2に示しているとおりである。PL計画は2期分必要であり、さらにそれを月単位でブレイクダウンする。つまり、月次の計画が2期分必要ということになる。売上債権はn期末の直近1~3カ月の売上状況によって決まる。棚卸資産および仕入債務はn+1期の期初より1~3カ月の計画によって決まる。特に季節性が高いビジネスモデルの場合は、期末を起点とした前後数カ月の動きが運転資本の計画を策定するうえで重要となる。

このように運転資本の予算化はどこまで細かく計画を策定するかがポイントとなる。最終的には対象となる事業のビジネスモデルに最も合った方法を採用するのが望ましい。

(2)固定資産の予算策定方法

ビジネスモデルによって状況は異なるものの、一般的な製造業であれば固定資産が実質的に投下資本の大部分を占めるというケースが多い。このようなビジネスモデルの場合、BS予算策定において固定資産の計画をいかに精緻化するかというのが最大のポイントとなる。また、設備などを使用せずとも出資をはじめとするM&Aが多発するビジネスモデルも同様である。固定資産の計画立案にあたっては、次の点について十分に加味する必要がある。

  • 固定資産の取得(もしくは処分)の実施額
  • 固定資産の取得(もしくは処分)の発生時期
  • 固定資産の取得(もしくは処分)による減価償却費

固定資産の取得・処分はキャッシュ・フローに多大なる影響を及ぼすことが多い。よって、固定資産の計画策定に先立ってキャッシュ・フローに関する計画が策定されていることが前提となる。キャッシュ・フローに関する計画は投資計画として年度初めに策定している企業もあるが、事業部門から上がってくる投資案件を積み上げて承認しただけの「認可ベース」にとどまっているケースが多く、キャッシュ・フローの計画として厳密に定めている企業はいまだに少ないのが実情である。

企業によって呼称は異なるものの「認可ベース」とはつまり投資の可能性があるものを積み上げ、枠として設けている性質のものである。実際に投資する際には事業部門が都度投資の案件ごとに申請し、経営会議や投資委員会をはじめとするしかるべき会議体で承認するケースが多い。

この「認可ベース」や投資申請は固定資産の計画立案ひいてはBSの予算化が求める視点でみた場合に不十分といわざるを得ない。まず、「認可ベース」は枠にしかすぎず、固定資産の計画とはいいがたい。実態として枠が未消化に終わる企業も多い。認可された投資案件それぞれがいつ発生するのかを厳密に定めていないケースも多々見受けられる。また、個別の投資案件の申請は都度申請するものであり、その行為自体は投資の規律づけとして必要不可欠であるが、いつ発生するのかが流動的である。つまり、これは、固定資産の実施額・発生時期・減価償却費についてあらかじめ計画として定めるものではなく、固定資産の計画立案が求めている内容と大きく異なっている。

また、投資と一言でいっても、投資にはBSの固定資産に計上されるものとPLの費用項目として計上されるものとで分かれる。しかし、企業が策定する投資計画は特に「認可ベース」段階ではPLとBSへのインパクトを精緻に区分できていないことも多い。ROIC経営を標榜する企業のなかには「BSの計画や予算はないものの、投資計画は定めているので問題ない」と主張するケースもあるが、そもそも投資計画と固定資産の計画策定は性質がまったく異なる、ということを十分に認識する必要がある。

図表3 固定資産計画(予算)の策定

「計算してツリーを作るだけ」からの脱却を  図表3

出典:KPMGにて作成

固定資産の計画策定の手順は図表3に示すとおりである。この図表は一例ではあるが、たとえば1,000億円の設備投資を計画している場合、固定資産への計上はその実行のタイミングや設備の稼働状況、投下資本の定義によって大きく変わる。このケースでは期初に1,000億円の固定資産取得を計画するものの、n期に稼働する設備は700億円と仮定している。減価償却の期間を10年とした場合に、減価償却費は70億円(700億円÷10)であり期末には630億円が固定資産として計上される。一方で、1,000億円のうち、300億円は設備が未稼働であることから建設仮勘定として計上されることとなる。

建設仮勘定を投下資本とみなすか否かは判断が分かれるところではあるが、一般的には投下資本の一部として取り扱うことが多い。その場合、期末の投下資本は930億円(630億円+300億円)となる。

さらにその翌期に建設仮勘定となっていた設備300億円が稼働すると建設仮勘定は固定資産へ振り替わる。減価償却費は100億円(1,000億円÷10)となり、投下資本には830億円が計上される。

総括すると、固定資産の計画としてはn期が930億円、n+1期が830億円となり、これらを予算として設定することになる。事業部門長はn期の固定資産の実績値が当初計画の930億円から乖離するようであれば、その要因は何であるのか説明責任を負うことになる。

実際には既存の固定資産に加えて複数の投資計画が予定されていることが多く、これほど単純ではない。計画に織り込む投資案件1つ1つについて固定資産にどう計上されるのか、投下資本はどうなるのかを精緻に落とし込むことによりはじめて固定資産の計画が成り立つ。

(3)BS予算の策定

ここまでみてきたように、運転資本と固定資産それぞれについて計画を立案し、それらを統合することによって投下資本の計画ができあがる。これを予算として承認することで、事業部門長は投下資本について、説明責任を負うこととなる。

計画に織り込まれている運転資本の改善や固定資産回転率の向上に関して、ROICツリーを展開し、関連する部署にKPIを設定して責任を負わすことを完全に否定するものではないが、最後に説明責任を負うのはBS予算を割り当てられている事業部門の責任者であることを忘れてはならない。ROIC経営はPL予算とBS予算があってはじめてROIC目標がROIC予算として機能し、企業価値向上の実現をドライブする役割を果たすのである。

おわりに

本編では、ROIC経営が上手くいかない要因として、ROICのあるべき評価単位の設定と、見落とされがちなBS予算の不在を取り上げ、その論点や対応方法について論じた。この両者に共通するのは、責任者を明確にすることと責任者に説明責任を負わせるしくみを作る、ということである。

繰り返しではあるが、ROICは評価単位の責任者に対してそもそも利益(分子)と投下資本(分母)の両方に責任を負わせることを想定した指標である。責任者に対してPLにのみ責任を負わせ、BSについては責任を負わせていない現在の日本企業の経営管理手法ではROIC経営の真意を実現することは難しいであろう。事業ポートフォリオの組換えが遅々として進まないのも責任者が責任を負える単位で事業を評価できていない、というのが要因の1つである。

BS予算の策定はテクニカルな観点も強い。BS予算の策定と分析・評価を経営管理に組み込むためには、FP&A機能の強化を通じてROIC経営に合った管理会計情報の整備と作成・分析体制の構築が必要不可欠である。また、BS予算を、正確性をもって効率的に作成するためには、EPMツールの導入なども行い、経営管理の効率化と意思決定スピードの向上にも取り組む必要がある。BSの予算化を志向しても、ただ数字を作ることが目的化してしまっては本末転倒である。

ROIC経営が上手くいくためにはどうすればよいのか、日本企業は今まさに企業価値向上を実現できるか否かの岐路に立っているのである。

執筆者

有限責任 あずさ監査法人
サステナブルバリュー統轄事業部
マネージング・ディレクター 土屋 大輔

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