地政学リスクの高まりや技術革新、規制環境の変化など、企業を取り巻く外部環境はかつてない速度で変化しています。こうした変化は単なる業務上のリスクにとどまらず、企業が策定した事業戦略や事業計画そのものの前提条件を揺るがす可能性があります。重要なのは変化を予測し切ることではありません。変化を継続的に捉え、自社の戦略や事業への影響を見極めながら、迅速かつ適切に意思決定できる仕組みを構築することです。戦略リスクマネジメントは、そのための実践的な経営手法として注目されています。
1.リスク管理の対象が変わりつつある
企業のリスク管理は長年にわたり、発生し得るリスクを特定し、その影響を抑制することを目的として発展してきました。品質問題や情報漏えい、法令違反などのオペレーションリスクに対して、統制やルールを整備することで発生確率や影響を低減する考え方です。
こうした手法は現在でも重要ですが、近年の経営環境をみると、それだけでは十分とは言えなくなっています。たとえば、地政学情勢の変化によるサプライチェーンへの影響、経済安全保障関連の規制強化、生成AIの急速な普及などは、個別リスクとして管理できる範囲を超え、事業計画や投資判断の前提そのものを変えてしまう可能性があります。
多くの企業では市場動向や規制動向に関する情報を収集しています。一方で、その変化が自社の戦略にどのような影響を与えるのか、どの事業や案件に影響するのか、またどのタイミングで経営判断を行うべきかまで整理できているケースは必ずしも多くありません。
不確実性が高まる時代において求められるのは、リスクを排除することではなく、変化を前提として意思決定を継続できる経営の仕組みです。その意味で、従来のERM(全社的リスク管理)を事業戦略や経営判断とより深く接続していくことが求められています。
2.戦略リスクは脅威だけではない
戦略リスクとは、事業戦略や事業計画が依拠している前提条件が変化することによって生じる不確実性を指します。ここで重要なのは、この不確実性がマイナス要因だけで構成されるわけではないという点です。たとえば、新たな規制の導入は短期的には追加投資や対応コストを発生させるかもしれません。
一方、早い段階で対応した企業にとっては、競合との差別化や市場シェア拡大の機会になる可能性もあります。生成AIも同様です。既存事業の競争環境を変化させるリスクを持つ一方で、新たなサービスや顧客価値を創出する契機にもなり得ます。また顧客ニーズの変化や新興企業の市場参入も、既存事業にとっては脅威となる反面、新たな市場開拓や事業転換の機会になり得ます。
このように、戦略リスクと成長機会は表裏一体の関係にあります。企業に求められるのは変化を回避することではなく、変化をいち早く捉え、それを競争優位へ転換することです。戦略リスクへの対応力は、単なるリスク管理の範囲を超え、企業競争力を左右する経営能力の一部と言えます。
3.戦略リスクマネジメントに求められる3つの視点
戦略リスクマネジメントについて考えるに当たり、たとえば、次のような課題を抱える企業は少なくありません。
- 外部環境に関する情報は収集しているものの、経営判断にどう活用するかが明確になっていない
- 中期経営計画や事業計画を策定した後、前提条件の変化を継続的に確認する仕組みが十分ではない
- シナリオ分析を実施しても、投資や事業継続・撤退などの具体的な意思決定につながっていない
- 各部門が個別にリスクを把握しているものの、全社として横断的な影響を評価できていない
戦略リスクマネジメントは、こうした課題に対して、外部環境の変化と経営判断をつなぐための考え方を提供します。ここでは、戦略リスクに求められることを3つの視点から考察します。
(1)戦略の前提条件を明確にする
戦略リスクマネジメントの出発点は、リスクの棚卸しではなく前提条件の棚卸しです。事業計画や投資案件には、市場成長率、需給見通し、コスト構造、顧客投資計画、規制環境、技術進化など、さまざまな前提条件があります。しかし、それらは暗黙の前提として扱われていることが少なくありません。
まずは、自社の戦略や計画が何を前提として成り立っているのかを明確にすることが必要です。そして、その前提が変化した場合にどのような影響が生じるのかを整理しておくことが重要になります。
さらに、それぞれの前提について複数のシナリオを用意し、対応策を検討しておくことで、変化への対応力を高めることができます。その際には、前提条件の変化を検知するための重要リスク指標や、意思決定を促すトリガーを設定しておくことも有効です。これにより、環境変化を感覚的に捉えるのではなく、一定の基準に基づいて経営判断を行えるようになります。
(2)部門横断で考える
外部環境の変化は、特定の部門だけに影響するものではありません。たとえば、経済安全保障に関する規制強化は、調達や生産だけでなく、営業、財務、人事、ITなど幅広い領域に影響を及ぼします。
そのため、各部門が個別にリスク管理を行うだけでは十分ではありません。必要なのは、全社横断で前提や論点を共有し、経営層が統合的に意思決定できる仕組みを整えることです。リスクが顕在化した時だけ連携するのではなく、平時から共通認識を形成し、変化に対応するための準備を進めておくことが重要です。
戦略リスクマネジメントは、リスク管理部門だけの活動ではありません。事業責任者や経営層を巻き込みながら、組織全体で取り組むべきテーマと言えます。
(3)意思決定を管理する
戦略リスクマネジメントで重要なのは、統制を強化することではありません。重要なのは、変化が起きたときにどのような意思決定を行うかを事前に考えておくことです。
たとえば、
- 投資を継続する
- 投資を拡大する
- 一時的に見合わせる
- 市場から撤退する
- 代替戦略へ転換する
といった複数の選択肢を準備しておけば、変化が発生した際に迅速な判断が可能になります。さらに、どのような条件になった場合にどの選択肢を検討するのか、判断基準やトリガーをあらかじめ整理しておくことも重要です。
不確実性の時代には、すべてを正確に予測することはできません。しかし、あらかじめ複数の選択肢と評価軸を整理しておくことで、意思決定のスピードと質を高めることができます。管理すべき対象はリスクそのものではなく、変化に対する意思決定を行う組織の能力なのです。
4.インテリジェンス機能が経営を支える
戦略リスクマネジメントを継続的に機能させるためには、情報と意思決定を結び付ける仕組みが不可欠です。近年、多くの企業では市場情報や競合情報、政策動向などを日常的に収集していますが、情報を集めるだけでは経営判断にはつながりません。大切なのは、その情報が自社にどのような意味を持つのかを整理することです。
たとえば、
- 何が起きたのか
- なぜ重要なのか
- どの事業に影響するのか
- 今後どうなる可能性があるのか
- どのような対応策が考えられるのか
- 推奨される行動は何か
まで整理されてはじめて、経営判断に活用できる情報である「インテリジェンス」になります。経営層の経験や勘は重要ですが、それだけでは継続的かつ再現性のある運営にはなりません。変化の捉え方や判断のプロセスを組織として共有し、継続的に活用できる仕組みとして定着させることが重要です。
5.戦略リスクマネジメントを経営管理に組み込む
戦略リスクマネジメントを実効性のあるものにするためには、独立したリスク管理活動として運用するのではなく、既存の経営管理や意思決定のプロセスと接続することが重要です。
たとえば、中期経営計画や事業計画では、計画策定時に置いた前提条件が現在も有効かを継続的に確認することが考えられます。また、投資判断や経営会議においても、外部環境の変化が事業に与える影響や想定されるシナリオ、対応の選択肢を整理することで、より具体的な意思決定につなげることができます。重要なのは、新たな管理プロセスを増やすことではありません。既存の経営管理や意思決定の仕組みのなかで、前提条件の変化を捉え、必要に応じて戦略や対応を見直せるようにすることです。
すべての変化を事前に予測することはできないため、外部環境の変化を継続的に捉え、自社への影響を評価し、意思決定と行動につなげるサイクルを回していくことが重要です。こうした継続的な見直しには、Observe(観察)、Orient(情勢判断)、Decide(意思決定)、Act(行動)を繰り返すOODAの考え方も参考になります。
6.まとめ:小さく始めて定着させる
戦略リスクマネジメントを導入する際、最初から大規模な仕組みを構築する必要はありません。まずは重要な事業や案件について、
- 前提条件
- シナリオ
- 重要リスク指標
- トリガー
- 対応オプション
を整理するところから始めるのが現実的です。そして、その内容を経営会議や事業レビューのなかで継続的に確認し、実際の意思決定に活用していきます。運用を通じて知見を蓄積しながら、対象範囲を段階的に広げていくことが望ましいと考えられます。
具体的には、企業の課題や成熟度に応じて、次のようなテーマから導入・高度化に取り組むことが考えられます。
- 中期経営計画や事業計画が依拠する前提条件を整理する
- 重要な事業や投資案件についてシナリオ分析を行う
- 外部環境の変化を把握するための重要リスク指標や早期警戒指標を設定する
- 投資継続、追加投資、事業転換、撤退などの判断トリガーを整理する
- 市場、規制、競合などの外部環境情報を経営判断につなげるインテリジェンス機能を構築する
- 経営会議や取締役会における戦略リスクの議論やモニタリングを高度化する
重要なのは仕組みそのものではありません。意思決定が速くなり、迷いが減り、新たな機会を逃さなくなることです。不確実性が常態化した時代において、企業の競争力を左右するのは予測の精度ではなく、変化を読み取り、適切な意思決定につなげる力です。戦略リスクマネジメントは、その力を組織に定着させるための有効なアプローチと言えます。
執筆・編集
KPMGコンサルティング
執行役員 パートナー 関 克彦
シニアマネジャー 西野 紗世