シリーズ第3回では、IT運用部門を題材に、生成AIがQCD(Quality/Cost/Delivery)の改善にどのように寄与し得るのかを考察します。IT運用の現場では、障害対応や問い合わせ対応、チケット処理が絶え間なく発生し、その都度、状況把握や切り分け、関係者調整といった判断が求められています。
本稿では、こうした忙しさの正体を単なる「作業負荷」に閉じるのではなく、「認知負荷」および「関係性負荷」にまで視野を広げて捉え直します。そのうえで、生成AIを単なる回答生成や自動化の手段としてではなく、問い合わせやチケット発生時の初動準備を支援する実務的な仕組みとして位置付けます。
インシデントチケット管理を例に、生成AIを業務フローへ組み込むことで得られる効果を整理し、IT運用部門が疲弊せずにQCDを高めていくための示唆を提示します。
1.エグゼクティブサマリー
IT運用部門の現場では、障害対応や問い合わせ対応、チケット処理が日常的に発生し、品質・コスト・スピード(QCD)の確保が常に求められています。こうした忙しさは、担当者個人の努力不足によるものではありません。外部委託に依存した運用体制や、判断・調整が特定の人に集中しやすい業務構造といった、組織的な課題が背景にあります。
本稿では、生成AIを単なる自動回答や作業効率化のツールとしてではなく、問い合わせやチケット発生時の「準備」を支援する実務的な仕組みとして捉え直します。
実はIT運用において真に負荷となっているのは、作業量そのものに起因する「作業負荷」ではありません。状況理解や優先度判断といった「認知負荷」、業務部門や他部署とのコミュニケーション・調整に伴う「関係性負荷」の軽減が求められます。生成AIを、人が「検知し、考え、コミュニケーションする」前工程に組み込むことで、判断の質と再現性を高めることが可能になります。
KPMGコンサルティングでは、IT運用部門の実務に即した支援を通じて、こうした準備型の生成AI活用を検証・蓄積してきました。本稿では、インシデントチケット管理を題材に、生成AIを既存の業務フローへ組み込む考え方と、その効果を具体的に整理します。 日々の運用に追われながらも、疲弊することなくQCDを高めていくための視点の提供になれば幸いです。
2.背景:生成AIは、「IT運用部門」を本当に楽にできるのか
QCD向上の鍵は「作業削減」ではなく、「考え始める回数」を減らすことにある
IT運用部門の現場は、常に忙しさにさらされています。
障害対応、問い合わせ対応、チケット処理、関係部署との調整、委託先とのやり取り。大きな案件だけでなく、小さな対応が絶え間なく流れ込み、それらを止めずに回し続けなければならないこと自体が、大きな負荷となっています。
日々の運用自体は回っていても、その代償として、「再発防止やナレッジ整備、運用設計の見直しといった改善活動は後回しになりがち」という事態も覚えがあるのではないでしょうか。
こうした状況は、決して一部企業に限った話ではありません。経済産業省のレポート「DXレポート ~IT システム「2025 年の崖」の克服と DX の本格的な展開~」では、日本企業のIT関連予算の75%超が現行ビジネスの維持・運営に割り当てられていると整理されています。また、独立行政法人情報処理推進機構(IPA)の「DX動向2025」においても、情報システム部門が運用・保守に追われ、投資戦略を踏まえた検討が十分に行えていない実態が指摘されています。現場の工夫や努力だけでは、この忙しさから抜け出しにくく、業務構造そのものに起因する課題だと言えます。
なぜ、効率化しても現場は楽にならないのか――その背景には、少なくとも以下の問題があります。
まず、外部リソースへの依存によるノウハウの流出です。
多くの企業では、運用保守の相当部分を外部ベンダや委託先に依存しています。その結果、障害や問い合わせに対する見立て方、優先順位の付け方、関係部署との調整の進め方といった現場知が社内に蓄積されにくくなります。忙しさをしのぐために外部を活用し、外部を使うほど社内に知見が残らない――この負の循環が、改善を難しくしています。
次に、効率化の焦点が「作業負荷」に偏りすぎてきた点です。
これまでの改善施策は、入力工数の削減、転記作業の廃止、定型処理の自動化といった取り組みが中心でした。しかし、現場を本当に疲弊させているのは、作業時間の長さそのものではありません。実際、作業負荷が軽減される一方で「仕事は早くなったはずなのに、脳の疲労感が減らない」と感じる人も多いのではないでしょうか。
問い合わせやチケットが起票されるたびに、人は「何が問題か」「どこまで影響があるか」「誰に回すべきか」「どう返答すべきか」を考え始めます。 利用者からの問い合わせは、必ずしも整理された状態で届くとは限りません。現象だけが断片的に記載されていたり、複数の論点が混在していたり、どこに振り分けるべき案件なのか即座に判断できないことも少なくありません。
障害チケット1つを取っても、優先度、影響範囲、インフラ起因かアプリ起因か、あるいは権限や運用設計の問題かなど、誰かが最初に切り分けなければ、業務は前に進みません。
こうした思考と判断に要する時間は、1件ごとには短くとも、件数が積み重なるほど大きな認知的消耗となります。 重要なのは、個々の作業が軽くなっても、タスク総量が膨大であれば人は消耗するという点です。一部の処理時間を短縮できたとしても、その都度ゼロから状況判断を求められる限り、頭は休まりません。その結果、優先順位付けは粗くなり、エスカレーションは遅れやすく、説明も簡素になります。すなわち、本当に重いのは作業負荷ではなく、「認知負荷」なのです。
さらにIT運用では、利用者、他部門、インフラ担当、アプリ保守担当、委託先、セキュリティ担当など、多くの関係者との調整が不可避です。「誰に、どの粒度で、どの順番で伝えるか」「どこまで自部門で対応し、どこから先を依頼するか」といった判断は、想像以上に大きな「関係性負荷」を伴います。
生成AIの活用は、こうした負荷構造を見直し、外部委託比率の適正化と業務プロセス変革を通じてDX推進体制を強化することにつながります。結果として、専門人材の育成・確保に関する課題解決を目指す取組みとして位置付けることができます。
3.施策:生成AIの価値は、「回答すること」ではなく「準備すること」にある
では、生成AIはこの構造にどのように効くのでしょうか。重要なのは、生成AIを単なる回答生成ツールとして捉えないことです。真価は、業務の流れのなかに先回りして組み込まれている点にあります。
よくある発想は、「問い合わせが来たら、担当者が内容を確認し、その後に生成AIへ回答案を作らせる」というものです。しかしこのアプローチでは、初期判断と初動の思考は人に残ったままです。認知負荷が発生する起点は変わりません。
狙うべきは、問い合わせが起票された時点で生成AIが自動的に“準備”を行う形です。問い合わせ本文を受けて、要約や論点整理を行い、カテゴリを推定し、過去の類似事例や関連ナレッジを参照したうえで、担当候補や回答の叩き台まで提示する。こうした下準備が整っていれば、人は白紙から考えるのではなく、整理された材料を確認し、修正・判断する側に回ることができます。
これは、人を単純に置き換えることを目的としたものではありません。認知負荷の高い初動部分を生成AIが前倒しで支えることで、人はより本質的な判断に集中できます。考え始める回数が減れば初動は早くなり、説明の手間や認識齟齬も減ります。結果として、対応品質のばらつきも抑えやすくなります。
さらに、利用部門やユーザーの状況に応じて、問い合わせ者向けの返信文や担当者向けの申し送り文まで下書きを用意しておくことで、関係性負荷の低減にも寄与します。
本章の最後に、IT運用における生成AI活用の一例として、インシデントチケット管理を題材にした実装イメージを紹介します。
※本事例は、活用が見込まれるユースケースをPower Automateにより実装したイメージであり、実際のプロジェクトで効果創出が確認された仕組みではありません。
【事例:インシデントチケット管理の自動化】
(1)ユーザーが問い合わせフォーム(Microsoft List Forms等)から、不具合の内容を送信する。
(2)ユーザーが入力したインシデントの内容がチケットとして起票される(Sharepoint List等)。
(3)チケット起票をトリガーに、Power Automateのフローが起動し、AI機能(AI Builder)により障害内容の要約や想定原因を記載したメール文面が自動で生成される。
(4)Power Automateにより、IT運用担当者へインシデント発生・チケット起票を通知するメールが自動で送信される。
4.まとめ:まず1つで成果を出し、その学びをIT部門全体へ広げる
IT運用における生成AI活用の要点は、個別作業を効率化することではなく、初動の「準備」によって判断の質と再現性を高める点にあります。
生成AIの効果を、「何分短縮できたか」だけで測るのは十分ではありません。注目すべきは、「白紙から考え始めずに済んだ回数」「迷わず振り分けられるようになった度合い」「説明や調整に伴う摩擦が減ったことによる満足度」です。 過去データが多く蓄積され、複数部門との調整が発生する問い合わせ対応やインシデントチケット管理は、その効果を確認しやすく、生成AI活用の第一歩として取り組みやすい領域です。
重要なのは、単発のユースケースで終わらせないことです。1つの業務で得られた考え方やナレッジ活用の型を実績として蓄積し、他の運用業務へ段階的に展開することで、IT部門全体の業務構造に変化をもたらすことができます。
また、こうした取組みは社内主導で進めることが前提ですが、すべてを自力で立ち上げる必要はありません。KPMGでは、ユースケース選定、業務整理、運用設計といった初期段階から、現場が自走できる状態を見据えた伴走型の支援を行っています。
生成AIの価値は、人を置き換えることではなく、人がより良い判断に集中できる運用を実現することにあります。疲弊することなく判断の質を保ちながら運用できる状態をつくるための現実的な手段として、生成AIはIT運用のあり方を大きく変えるパートナーとなり得ると考えています。
※本文中に記載されている会社名・製品名は各社の登録商標または商標の場合があります。
執筆者
KPMGコンサルティング
マネジャー 兼子 恭輔