本稿では、ユーザーインサイト分析の新たな方法として、アンケートや行動ログ等の「表出したデータ」に依存しすぎない、人生観・価値観起点のインサイト導出手法を提案します。本分析手法により、これまでのアンケートやログを軸にした行動分析から、人生観・価値観まで掘り下げた意思決定の心的動態を分析することが可能になります。
手法としては、学術論文やビジネスレポート等をAIにより統合し、権威性・妥当性に配慮しながら、特定セグメントの意思決定の根幹をモデル化します。そのうえで、サービスの価値訴求・利用動線と突き合わせ、“刺さる/刺さらない”の理由を根幹から特定し、「なぜ従来の顧客分析では打ち手が広がらないのか」「どうすれば、事業成長や人材定着につながる“使えるインサイト”が得られるのか」について、新しい視点から解説します。
なお、本文中の意見に関する部分については、筆者の個人的な見解であることをあらかじめお断りしておきます。
1.はじめに
ユーザー・カスタマーインサイト分析は、これまで「目的設定」と「セグメント設定」を核に発展してきました。目的を明確にし、セグメントを適切に切り、アンケートや行動ログ、ファネル分析、A/Bテスト等を通じて施策へ接続する、この型は今も有効です。
一方で、目的設定が“分析の切口”を厳密に設定しすぎると、分析結果が「表出している回答」や「観測された行動」に閉じてしまうことがあります。たとえば就業意欲・エンゲージメントにおいて、年収や福利厚生といった「見える待遇」を問えば、それらが主因として抽出されやすくなります。また、行動ログで比較ページの閲覧が多ければ、比較軸の最適化が結論になりやすいといったことが発生します。しかし実際には、意思決定はしばしば「合理性」だけで説明できず、背景にある人生観・価値観・不安・規範意識が強く作用します。
本分析は、従来手法を否定することではありません。むしろ、従来手法の前段に“根幹インサイトを掘る工程”を加えることで、施策の精度と再現性を高め、「なぜその選択をしたのか」「なぜ離れたのか」「なぜ響かなかったのか」といった、真の理由にたどり着くことにあります。
2.従来のインサイト分析が抱える構造的課題
従来のインサイト分析が陥りやすい課題は、主に次の3点です。
(1)「言えること」「見えること」に引っ張られる
アンケートは回答者が言語化できる範囲を、行動ログは観測できる範囲を扱います。
結果として、
- 本音と建前(社会的望ましさ)が混ざる
- 自分の意思決定理由を本人がうまく説明できない
- 行動は状況制約(時間・お金・同伴者・体力・社会的立場等)に左右される
といった現実の複雑性が、分析の外にこぼれ落ちます。
(2)セグメントが“結果・事象の整理”にとどまりやすい
属性(年齢・性別等)や行動(CVR等)で切ることは有効ですが、多くの場合「何が起きているか」を説明する力が強い一方で、「なぜ起きるか」への説明力は限定されます。
(3)価値観分析は重要だが、“扱いにくい”
価値観や人生観の分析は強力ですが、分析実務では
- 参照すべき情報量が膨大
- 分析/事例ごとに概念・定義・軸が異なる
- 妥当性(なぜそれを採用するのか)が説明しづらい
- 人手では更新が追いつかない
3.新手法:人生観・価値観起点のインサイト分析の全体像
本稿で提案する新手法は、「当該セグメントの人生観・価値観」を先に構造化し、それをサービスの価値訴求や利用動線等とぶつけて、合致/ギャップを特定するアプローチです。
ポイントはシンプルです。
「何を買ったか」「何を選んだか」ではなく、「なぜその選択を良いと思ったのか」から考えます。
たとえば消費者分析であれば、下記のようなインサイトが挙げられます。
- 安心したい
- 失敗したくない
- 将来の選択肢を増やしたい
- 家族や周囲に後ろめたくない
従業員であれば、下記のようなインサイトが挙げられます。
- 成長している実感が欲しい
- 人生設計と仕事を両立したい
- 不透明な環境には身を置きたくない
こうした価値観や人生観が、行動の裏側で強く影響しています。
新手法の要点
- 学術研究に基づいて意思決定の枠組み(モデル)を置く
- 学術論文・ビジネスレポート等をAIで統合し、価値観を共通言語化
- セグメント固有に価値観を“尖鋭化”し、何が意思決定を動かすかを定義
- サービスの価値訴求/導線を価値観の言葉へ翻訳
- 価値観×ジャーニーで合致/ギャップを可視化し、施策仮説へ落とす
- 最後に、アンケート・ログ・実験で検証可能な形に戻す
AI活用により実現したこと(分析実務におけるブレイクスルー)
- 論文・白書・調査・事例等の大量インプット
- 用語ゆれの吸収(同義概念を統合)
- 根拠(出典)と結論を結びつけた整理※
- 継続的アップデート(新しい知見の追記)
※人によるチェックが別途必要です。
4.分析の進め方:AIで“共通言語化”し、ギャップを可視化する
本分析アプローチでは、6ステップのプロセスを通じ“根っこ”のインサイトと対象事業を接合します。
【図表1:本分析のアプローチ】
ステップ1:多層的なインプット情報の取込み(学術+実務の2層で集める)
- 学術層:価値観理論、意思決定、文化心理、キャリア論等
- 実務層:業界レポート、対象市場の調査結果、企業事例、白書等
ここで、後の妥当性説明のために出典・対象・方法・発行年をメタ情報として残します。
ステップ2:インプット情報に基づき、意思決定モデルの“ベース”を作成する
- 価値観(何を最大化したいか)
- 規範/役割(家族・職場・社会からの期待)
- 不安/リスク認知(失敗回避、将来不確実性)
- 信頼(何を根拠に納得するか)
- 制約(時間、体力、通勤、ライフイベント)
- 行動(選択、継続、離脱、推奨) など
【図表2:意思決定モデル(ベースモデル例)】
ステップ3:価値観の抽出・統合(AIおよび人による用語ゆれの統合)
- 抽出:価値観に関する記述を引用元とセットで抜粋※
- 統合:同義概念をまとめ、上位/下位概念を整理
- 緊張関係:両立しにくい価値(例:安定vs挑戦)を整理
※AIだけでなく、人の目も介することでより確からしい結果となります。
ステップ4:セグメントの尖鋭化(“その層らしさ”を定義)
一般論を削ぎ落とし、当該セグメントで強い価値観、葛藤、トリガーを定義します。
ステップ5:サービス側を価値観の言葉へ翻訳する
機能・価格・UX・コミュニケーションを、価値観の言葉とつなぎ合わせます。
【図表3:事業との接続例(引越しのインサイト)】
ステップ6:検証へ戻す(従来手法で測れる仮説に落とす)
A/Bテスト、導線改善、メッセージング変更、マイクロサーベイ等で検証できる形にします。ここで初めて、アンケートやログが強力な武器になります。
5.サンプル事例:若手の離退職意思決定をどう読み替えるか
従来の典型的な見立てとしては、年収、福利厚生、働き方、が職場定着の決め手と考えられがちです。
しかし、本分析を通じて見えたインサイトでは、見える待遇の重要性は相対的に下がり、次のような軸が前面に出やすいことがわかりました。
【図表4:若手人材リテンションのインサイト例】
本分析で顕在化した“重視点”(表出データの外側)
- 将来のキャリアにつながるか
- 結婚・子育て・余暇を含めた人生設計と両立できるか
- 若いうちに最短で成長できる環境か(厳しくても良い)
- 最低限のコンプライアンスが守られているか
- 年収比較だけの訴求では響かない
- 成長の仕組みや将来像を言語化する必要がある
- 人事プロセスや評価の透明性が重要になる
上記の示唆は、アンケート結果だけでは見えにくいインサイトです。
ここで重要なのは、これらが「理想論」ではなく、意思決定の“根幹”として強く効く点です。若手層は機会費用が大きく、選択を誤った時の損失も大きいため、短期的待遇よりも「将来、取り返しのつく選択かどうか」「人生全体を毀損しないかどうか」に意思決定が寄りやすい、と整理できます。
価値観プロファイル(例)
上記を、価値観起点で“共通言語化”すると、たとえば次のように整理できます。
- 成長価値(Growth):最短で能力が伸びる環境か/育成の再現性があるか
- 整合価値(Alignment):人生設計(家族・余暇)と矛盾しないか
- 安心価値(Baseline Safety):最低限のコンプライアンス・透明性・説明責任があるか
- 選択肢価値(Option Value):次のキャリアの自由度が増えるか
- 納得価値(Legitimacy):評価・意思決定プロセスの筋が通っているか
これにより、「年収は高いが辞める」「好待遇なのに呼び込めない」といった現象を、表出データではなく意思決定構造として説明しやすくなります。
価値観から見る“ギャップ”の典型(例)
- 待遇訴求偏重で「成長」が伝わらない
訴求が年収中心だと、「ここで何が身につくのか」の情報不足が生じる
→結果、初期関心が続かない(刺さらない)
- 将来像の不透明さが「選択肢価値」を毀損
キャリアパスや育成の仕組み、成長の再現性が見えないことに不安を覚える
→「今の待遇が比較的良い」よりも「数年後に壁にぶつかる不安」が勝つ
- 評価の不透明さが「納得価値」を毀損
選考の基準、フィードバック、期待役割が曖昧なことにストレスを感じる
→キャリア志向層ほどプロセスに敏感になり、離職要因になる
- コンプラ/労務の綻びが「安心価値」を毀損
最低限のコンプライアンスが担保されない兆候は、即座に離退職の要因になり得る
→結果、待遇が良くても早期離職につながる
6.本分析・アプローチで何ができるようになるのか
(1)マーケティング戦略におけるセグメント再設計
- 年齢や購買履歴ではなく、価値観で顧客を捉え直す
- 消費財、人材・教育サービス、サブスクリプションなど幅広く応用可能
- 「なぜ刺さらないか」がわかり、訴求軸が明確になる
(2)商品・サービス企画の精度向上
- 機能追加や価格調整ではなく、顧客が本当に求めている体験に焦点を当てられる
- 開発や投資の優先順位を付けやすくなる
(3)離退職防止に向けた要因特定と施策設計
- 表面的な不満ではなく、従業員の価値観とのズレを特定できる
- 働き方、評価制度、コミュニケーション改善に活用可能
(4)教育・研修、人材育成への活用
- どの層に、どんな成長機会が響くかがわかる
- 画一的な研修から、意味のある育成設計へつなげられる
7.おわりに
顧客や従業員を理解するうえで、アンケートやデータ分析は今後も重要です。
しかし、それだけでは
- 「なぜその選択をしたのか」
- 「なぜ離れたのか」
といった本質的な問いには答えきれません。
人生観・価値観を起点にしたインサイト分析は、
- セグメント戦略の再設計
- マーケティングや商品企画の精度向上
- 離退職防止や人材育成
といった、経営・事業の具体的な課題解決に直結するアプローチです。
KPMGでは、学術的知見とAI活用を組み合わせることで、これまで見えなかったインサイトを導き出し、クライアントの戦略立案と実行を支援しています。お気軽にお問い合わせください。