本稿は、KPMGコンサルティングの「Automotive Intelligence」チームによるリレー連載です。本稿では、BEV化が進む一方で市場が低迷するタイのモビリティ市場における、構造変化と競争再編および電動化の実像について、セグメント別の考察も交えて読み解きます。
販売低迷と電動化の加速が同時進行するタイのモビリティ市場
タイのモビリティ市場では、電動化が着実に進展していること自体は疑いありません。ただし、その実像を丁寧に追うと、単純に「BEV化が進む国」と括ることはできません。四輪分野ではBEVの存在感が急速に高まり、中国OEMの攻勢によって競争構造そのものが塗り替えられつつあります。
一方で、市場全体は家計債務の増加や自動車ローン審査の厳格化により低迷しており、販売環境は必ずしも良好ではありません。二輪分野では電動化の進展は四輪ほど顕著ではなく、成熟市場特有の慎重な推移が続いています。タイはASEANにおける電動化の先進市場の1つですが、その内実は「電動化の前進」と「市場の痛み」が同時に進行する、きわめて示唆的な局面にあります。
まず四輪市場で注目すべきは、販売台数の低迷とBEV比率の上昇が同時に進行している点です。タイの四輪販売は2022年の約85万台から、2024年には約57万台へと大きく落ち込み、2025年に入っても力強い回復には至っていません。背景には、家計債務の増加と自動車ローン審査の厳格化という金融環境の変化があると考えられます。もともとタイは乗用車よりもピックアップの比率が高く、個人の移動需要に加えて、小規模事業者や地域経済と密接に結び付いた需要構造を持ちます。そのため、金融引き締めの影響は新車販売全体に強く波及しやすいのです。
一方で、市場全体が縮小するなかにあっても、BEV販売は2020年の0.2万台から2025年には12.3万台へと拡大し、BEV比率も0.3%から19.7%まで上昇しています。この動きは、新車需要そのものが拡大しているというよりも、限られた需要のなかでパワートレイン構成が急速に置き換わっていることを示しています。すなわち、タイの四輪市場では「数量の回復」とは別の次元で、電動化による構造転換が先行して進んでいると言えるのです。
【図表1】
この変化を後押ししたのが、2022年に導入されたBEV補助金制度です。その効果は数値にも明確に表れており、BEV比率は2022年の1.8%から、2023年に9.4%、2024年に12.6%、2025年には19.7%へと急速に上昇しました。さらに2025年11月時点では、タイ市場でBEVは85モデル以上、PHEVも50モデル以上が販売されています。すなわちタイは、単にBEVが「売れ始めた」市場ではなく、商品選択肢そのものが一気に拡張した市場へと質的に転換したのです。
消費者の視点で見れば、補助金による価格低下と商品数の拡大が重なったことで、BEVはもはや一部の先進層に限られた選択肢ではなく、現実的な購買候補として認識されるようになったと言えます。そこに価格競争の激化が加わり、タイ市場の競争構造は、内燃機関車を前提とした従来の枠組みから、決定的に変わり始めているのです。
象徴的なのが、タイの新車販売におけるパワートレイン構成の変化です。2023年にはICEが78.2%と依然として主流でしたが、2024年には63.7%、2025年には55.3%まで低下しました。一方、HEVは10.9%から22.0%へと拡大し、BEVも9.4%から19.7%へと急伸しています。PHEVも規模は小さいながら、1.5%から3.0%へと着実に増加しました。
重要なのは、ICEのシェア低下分をBEVだけが置き換えているわけではなく、HEVも同時に存在感を高めている点です。これは、タイ市場が一足飛びにBEVへ移行しているのではなく、電動化全体への移行局面にあり、その過程で複数の技術が並走していることを示しています。ただし、そのなかでもBEVの伸びは突出しており、競争プレーヤーの顔ぶれを変えるほどのインパクトを持ち始めています。
【図表2】
実際、ブランドシェアの推移を見ると、日系OEMの地位は確実に揺らぎ始めています。四輪全体における日系シェアは、2023年の77.8%から、2025年1~11月には69.8%まで低下しています。乗用車に限れば下落はさらに鮮明で、67.0%から61.8%へと縮小しています。一方、中国OEMは四輪全体で10.9%から18.0%へ、乗用車では17.1%から21.4%へと存在感を大きく高めています。
つまり、タイ市場で起きているのは単なる「BEV比率の上昇」ではありません。BEVシフトを媒介として、これまで日系OEMが強固な地位を築いてきた市場に、中国OEMが本格的に食い込み始めたという、産業構造そのものの変化です。電動化は技術トレンドにとどまらず、競争軸とプレーヤーの序列を組み替える力として、すでに市場に作用し始めています。
もっとも、この変化が市場全体に均等に広がっているわけではありません。タイ特有の1トンピックアップ市場では、日系OEMの優位性は今なお強固です。2025年時点でも、1トンPUにおける日系シェアは85.1%に達し、商用志向の強いPure PUでは91.1%と圧倒的です。一方、中国OEMも1トンPUで4.6%までシェアを伸ばしているものの、Pure PUでは0.6%にとどまっています。
ここには重要な含意があります。タイ市場では、乗用車領域において電動化と新興プレーヤーの流入が急速に進む一方、商用性が高く、実用要求の厳しい領域では、既存メーカーの競争力が依然として維持されています。言い換えれば、タイの電動化は市場全体を一様に塗り替えているのではなく、競争ルールの変化がまず乗用車で顕在化し、セグメントごとに異なるスピードで進行しているのです。
この構図は、二輪市場を見るとさらに鮮明になります。タイの二輪市場は成熟市場であり、2025年は前年比で増加傾向を示しているものの、販売規模は約171万台にとどまり、爆発的な成長局面にはありません。生産台数も2024年、2025年ともに約189万台規模で推移しており、市場全体として大きな拡大局面にあるとは言い難い状況です。
そのなかで、BEVの動きはより限定的となっています。二輪のBEV新規登録台数は2024年の2.5万台から2025年には2.4万台へとむしろ減少し、新規登録全体に占めるBEV比率も1.4%程度にとどまっています。四輪ではBEV比率が2割近くに達しているのに対し、二輪では依然として1%台にとどまっており、この差は偶然ではありません。
【図表3】
二輪はもともと価格感度が高く、都市部での短距離移動や日常の足として使われる比率が高くなっています。そのため、購入価格に加え、充電の手間、残価への不安、電池寿命といった要素が、四輪以上に購買判断へ強く影響します。加えて、既存の内燃機関二輪が十分に安価で、用途に対して過不足なく機能している限り、消費者が急いでBEVへ乗り換える必然性は乏しいと言えます。
四輪では、補助金、新モデルの投入、価格競争が重なり合うことで市場構造の転換が進みましたが、二輪ではそこまでの変化には至っていません。ここから見えてくるのは、電動化は政策や技術だけでは進まず、市場ごとの用途構造と経済合理性が最終的な普及速度を決定するという点です。すなわち、「ユーザーが買いたいと思える機能と価格にBEVが到達しているか」が本質的な分岐点であり、この構図は欧州の四輪市場にも共通して見られる現象です。
タイ市場の現在地は、ASEAN全体を考えるうえできわめて示唆的です。第一に、補助金政策は確かに市場を動かしますが、それは既存プレーヤーの地位を守る政策ではなく、競争環境そのものを組み替える政策でもあるという点です。第二に、電動化が進展しても、市場全体が成長するとは限りません。金融環境や家計事情が悪化すれば、総需要が弱いまま、パワートレイン構成だけが急速に変化する局面も起こり得ます。第三に、同一国内であっても、乗用車と商用車、四輪と二輪では、電動化への移行速度は大きく異なります。
したがって企業側は、「タイはBEV市場だ」と一括りに捉えるのではなく、どのセグメントで、何が、どの速度で起きているのかを丁寧に見極める必要があります。タイは、ASEANにおける電動化の先行事例であると同時に、セグメント別戦略の重要性を浮き彫りにする市場でもあるのです。
タイは、電動化がもたらす希望と痛みの両面が、最もわかりやすく可視化された市場です。四輪ではBEVの拡大が確実に進み、その波を捉えた中国OEMが、日系OEMの牙城を切り崩しつつあります。一方で、市場全体は金融制約の影響で力強さを欠き、伝統的に日系が強みを持ってきたピックアップや二輪では、変化のスピードは明らかに異なるのです。
ここで問われているのは、単にBEVを投入するか否かではありません。市場の構造変化をどの単位で捉え、どの領域を守り、どの領域で攻めるのかという戦略の精度です。セグメントごとの移行速度や競争ルールの違いを見誤れば、電動化そのものがリスクになり得ます。タイ市場は今、その解像度の差が、そのまま企業の勝敗を分ける段階に入りつつあるのかもしれません。
執筆者
KPMGコンサルティング
プリンシパル 轟木 光