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      AIガバナンスと主権

      生成AIがビジネスに深く浸透した今日、AIガバナンスは経営の最重要課題のひとつです。その実装には、倫理・法規制への準拠に加え、説明可能性、モデル運用、セキュリティやプライバシー等を、開発から運用まで一貫して管理する実効的な仕組みが不可欠です。
      この議論において昨今無視できないのが「ソブリンAI(Sovereign AI)」の概念です。この概念は一般に「国家が自国のデータ、インフラ、人的資源を用いて独自にAIを開発・維持する能力や政策」を指し、国家の経済成長や安全保障の文脈で語られてきました。しかし、AIがあらゆる企業活動に不可分に組み込まれた現在、この概念は企業経営における「自律性の確保」という実務的な課題としても重要性を増しています。特定ベンダーへの過度な依存を避け、データや基盤を自社で統制できる状態を確保しようとする動きがその一例です。かつては、拡張性や効率性を重視したクラウドへの全面移行が定石でしたが、機微データ保護や推論コスト最適化の観点から、あえてオンプレミス環境やハイブリッド運用を再評価する動きも見られます。
      もっとも、こうした「主権」の確保は、「完全自給」か「全面依存」かの二項対立で語るべきものではありません。自社の統制が及ぶ領域と外部資源を積極的に活用する領域を見極め、自社の立ち位置を定義することが重要です。

      技術レイヤー別にみる「自律」と「相互依存」

      そのためにはAIガバナンスを構成する技術レイヤーごとの解像度を高めて検討する必要があります。以下、4つのレイヤー(インフラ、モデル、データ、アプリケーション)に焦点を当て、企業がとるべきアクションの指針を提示します。

      (1) インフラ
      半導体などの物理的な供給制約が事業基盤の安定性を左右する領域です。特定ベンダーへの過度な依存は、有事の際の供給途絶や急激なコスト増のリスクに直結します。そのため、マルチクラウド戦略の一環として国内事業者が提供する計算資源を組み込むことは、事業継続性に関わる選択肢を広げます。

      一方、視点を産業全体に広げれば、日本企業は装置・材料の一部領域で高い国際シェアを持ち、サプライチェーン上の交渉力を持ち得ます。この優位性を単なる部材供給に留めず、海外メガプレイヤーとの次世代技術の共同開発や国内拠点への優先供給枠確保の交渉材料とすることで、対等な相互依存関係を構築できます。

      (2) モデル
      汎用的な性能の追求や透明性・制御可能性の確保が求められる領域です。金融の与信審査や医療診断など、説明責任・変更管理が厳格に要求される業務において、外部モデルへの過度な依存はプロバイダー側の仕様変更により判断基準の継続性が損なわれるという、構造的脆弱性を招きます。自社管理下にある小規模言語モデル(SLM)やオープンな国産モデルのオンプレミス運用は、説明責任を全うするための現実解となります。

      他方、グローバル展開では国際標準への適合が不可欠です。国際標準やG7の原則と整合するガバナンスは、市場アクセスや調達要件の充足を左右します。そのうえで、真の競争力を築くには、標準化されたルールのなかで、戦略的なガバナンスを梃子に他社が容易に模倣できない領域を確保する必要があります。例えば、日本が強みを持つフィジカル領域や特定産業に特化した基盤モデルを構築し、それを国際標準に準拠した形で展開することは、代替困難な地位の確立に繋がります。

      (3) データ
      競争力の源泉となるデータ保護と価値創出に向けたデータ活用に関わる領域です。機微データや企業のコアとなる知財については、外部モデルへの学習利用を技術・契約の両面から遮断する厳格な管理が不可欠です。これは自社データの希少性を維持し、競合他社への意図せぬ利益供与を防ぐ防波堤となります。

      一方、DFFT(信頼性のある自由なデータ流通)の枠組みを踏まえ、欧米の基盤モデルに対し、日本の強みである「現場のリアルデータ」や「良質な日本語データ」をクローズドな連携やライセンス提供を通じて戦略的に供給することも重要です。海外ベンダーなどと相互補完的な関係を築くことは、バリューチェーン上での構造的な優位性に直結します。

      (4) アプリケーション
      事業主体がリスクとリターンを直接管理する領域です。ここでは、各産業固有の規制や商慣習への深い適応が競争優位の源泉となります。医療、金融、モビリティ等の既存業法への適合や責任分界点を明確化し、それを確実に遂行する運用体制は、海外プレイヤーに対する参入障壁となり、独自の市場ポジションを築く基盤となり得ます。

      同時に、国内市場のガラパゴス化を回避する視点も不可欠です。諸外国の規制と矛盾しないガバナンス体制の構築は、海外市場への展開を円滑にするだけでなく、有望な海外スタートアップとの技術連携を呼び込むインセンティブになります。オープンな競争環境を通じて常に最新技術を取り込み続けるエコシステムは、イノベーションの停滞を防ぐ必須条件と言えます。

      図表1:技術レイヤー別「自律」と「相互依存」の具体的指針

      経営戦略としてのAIガバナンス 図表01

      ガバナンスの不全が招く財務・企業価値への影響

      戦略なくAIを導入・活用することは、企業経営に甚大なリスクをもたらします。以下、AIガバナンスの不全が招く弊害を財務や企業価値の観点から紐解きます。

      1. 収益性の圧迫とコスト構造の硬直化
      ガバナンスの不全は利益率やユニットエコノミクス(単位あたりの採算性)を直撃します。

      • 外部プラットフォームへの依存に伴うリスク:利便性を優先した特定のプラットフォームや大規模基盤モデルへの依存は、事実上のロックインを招きます。代替案を持たないまま、提供側の方針変更や価格改定に直面すれば、サービス原価(COGS)や運用費(OPEX)の高止まりや、改修や再検証に伴う技術的負債が突如顕在化しかねません。また、データ処理量に応じてコストが積み上がるトークン課金型モデルへの安易な依存も、業務拡大が即座にコスト増に直結するため、コントロール不能な変動費の増大を招きます。
      • 内部のアプリケーション層における品質管理不全:適切な品質評価プロセスや継続的なモニタリングがなされない場合、回答精度の低下やシステムパフォーマンスの劣化が発生します。これは修正に伴うマニュアル対応や手戻り工数の増大を招き、結果として運用費(OPEX)を押し上げ、収益性を内側から蝕むことになります。

      2. 無形資産の毀損と予期せぬ負債リスク
      ガバナンスの不全は、コストの問題に留まらず、資産価値の減損や予期せぬ負債の計上といった企業価値への直接的な打撃を招きます。

      • データ層における無形資産の毀損:生成AI特有の学習プロセスへの配慮を欠き、機微データや独自ノウハウが外部モデルの学習に利用された場合、企業が保持していた情報の非対称性という資産価値が毀損されかねません。これは単なる情報漏洩ではなく、競争優位性の喪失を意味します。
      • 海外規制に起因する偶発債務の発生:ガバナンスの不全は、法規制違反による巨額の偶発債務につながる恐れがあります。例えば、EU AI Actに代表される海外規制の域外適用リスクは重大であり、日本企業であっても巨額の制裁金が科され、自己資本を直接的に毀損する可能性があります。
      • 国内法規の複雑化に伴う法務・コンプライアンスリスク:国内においても、リスク対応の範囲はAI事業者ガイドライン等のソフトローに加え、個人情報保護法や著作権法、民法といった既存法規との複合的な判断が求められます。こうしたルールへの適合は、事業活動の前提条件そのものであり、適切に対処する必要があります。

      3. 資本コストの上昇と企業価値の低下
      ガバナンスの不全は、市場からの企業価値評価にも深刻な影響を及ぼします。

      • 非財務情報としてのテクノロジーリスク管理:機関投資家やESG評価機関は、AI導入に伴うリスクの管理・監督を、企業の持続可能性を左右する重要な指標と位置付けています。注目すべきなのは、リスクの概念が、セキュリティ事故や法規制対応といった「守り」の観点に加え、イノベーションの遅滞や機会損失といった「攻め」の観点も含む経営リスクとして認識されている点です。米国を中心に、取締役選任に関する推奨基準として「テクノロジーリスクの監督責任」が重視され始め、安全性・説明責任への対応はもとより、機会損失を防ぎ、競争劣後や市場シェア喪失といった事業リスクを回避する観点も問われています。
      • 資本コスト(WACC)の上昇とバリュエーションの低下:市場からガバナンスの不全やAI活用の遅れを懸念された場合、株価形成メカニズムに二重の悪影響が及びます。第一に、経営の不確実性が高いと判断されることで投資家の要求リターン(リスクプレミアム)が上昇し、WACCが上昇して企業価値を押し下げます。第二に、成長期待が損なわれることによる将来キャッシュフローの減少が織り込まれ、PERやPBRといったバリュエーション倍率(マルチプル)の切り下げが発生します。

      図表2:AIガバナンスの不全が招く負の連鎖

      経営戦略としてのAIガバナンス 図表02

      企業がとるべきアプローチ

      こうした負の連鎖を回避し持続的な競争優位を築くには、企業はAIガバナンスを「事業存続のための必須要件」であると同時に「自社に有利な競争環境を設計する機会」と位置付ける必要があります。以下、企業が取り得る4つのアプローチを提示します。

      1. 戦略的フォーサイト:未来の分岐点から逆算する
      変化の兆しから複数の未来シナリオを描き、「今やるべきこと」を逆算するアプローチを戦略的フォーサイトといいます。コスト構造の硬直化や技術的負債を防ぐには、対極的な未来シナリオの双方を見据え、そこからバックキャストする視座が不可欠です。
      例えば「巨大プラットフォーマーによる寡占」と「モデルの民主化」という2つの分岐路を想定した場合、前者では外部連携力が、後者では自社資産の活用力が問われます。こうした対極のシナリオを前提としたとき、競争力の源泉はそれぞれどこにあるでしょうか。
      不確実性が高い環境下では、どのシナリオが実現しても価値を失わない「共通項」への投資も重要です。「AI活用を前提とした自社データの整備」はその一例です。外部モデル利用か自社モデル構築かに関わらず、アウトプットの質は注入されるデータの質に大きく左右されます。社内の非構造化データをAIが理解可能な形式に整えることは、高精度なAI活用の基盤になるだけでなく、特定ベンダーに依存せず資産を持ち運べる「データポータビリティ」の確保にもつながります。

      2. 攻めのルールメイキング:外部環境を「所与」とせず「変数」に変える
      偶発債務や法務・コンプライアンスリスクを回避し、確実な事業基盤を確保するには、規制の確定を待つのではなく、規制当局や業界団体へ自社の技術や運用実態に即したルールを提案する能動的な動きが求められます。規制当局もまた、急速に進化するAI技術の細部を把握しきれておらず、実効性のあるデータとロジックを提示できる企業には議論をリードできる余地が残されています。
      このアプローチは、AIを開発するテック企業に限らず、ユーザー企業にとっても有効です。例えば、欧米の金融セクターでは、説明可能性への強い要請に対し、モデル内部の完全な解明は技術的に困難であるとの前提に立ち、企業側がアウトプットの公平性を継続的にモニタリングする体制や検証プロセスを整備し、実証データをもって当局・業界との対話を進める動きが見られます。こうした枠組みが業界標準として共有されれば、結果として同等の体制を構築できない競合に対する参入障壁となり得ます。

      3. 競争×共創の標準戦略:オープン・クローズの境界を引き直す
      無形資産の喪失を防ぎつつ、コントロール不能な変動費の増大を是正するには、自社で囲い込む「競争領域」と他社に開放する「協調領域」の境界線を戦略的に再定義する必要があります。特に、安全性評価手法やデータ連携インターフェースなどは、コンソーシアムを通じて標準化する方が、開発コストを抑制できるうえ、自社技術が適合しやすい市場環境を意図的に作り出せるメリットがあります。
      その好例が、欧州自動車産業におけるデータ流通基盤(Catena-X等)です。ここでは、各社のサーバーにデータを置いたまま、契約・ポリシーに基づき必要な範囲のデータ共有・アクセスを行う分散型の仕組みを採用しています。これにより企業は、機微データやノウハウを秘匿しつつ、通信仕様やデータカタログはオープン化できます。このようにインフラ層のルール形成を主導し、デファクトスタンダード化することで、自社のコア資産を保護しながら価値を最大化するエコシステムを構築できます。

      4. 信頼性の設計:説明可能性を担保し「計算可能なリスク」に変える
      資本コストの上昇を抑え、市場からの成長期待を獲得するためには、AIの出力結果を常に説明可能な状態へと転換することが重要となります。参照データのトレーサビリティや推論プロセスの透明性をシステム要件として確立し、監査可能な状態を担保することも、このなかに含まれます。
      テクノロジーリスクへの対応に関わる不透明さはリスクプレミアムを増大させますが、取組みの背景にあるロジックが透明化されたリスクは「合理的な投資機会」へと変わる可能性があります。説明責任を果たすための透明性を業務プロセスやエンジニアリングのなかで実装することは、投資家の懸念する経営の不確実性を払拭し、大胆なリスクテイクを正当化しイノベーションを加速させるための必須条件となります。

      おわりに

      AIガバナンスは、不確実性の高い環境下で事業を持続的に発展させるための不可欠な戦略基盤です。今後の企業経営においては、技術的な性能の追求に加え、ガバナンス体制の構築とルール形成への関与を戦略の中核に据えられるか否かが、中長期的な競争優位を決定づける分水嶺となります。規制への受動的な対応に留まらず、自社の実践を通じて新たなルール・規範の設計に能動的に関与していく姿勢こそが、次代の産業リーダーに求められる真の要件といえるでしょう。


      執筆者

      KPMGアドバイザリーライトハウス
      デジタルインテリジェンス部
      デジタルインテリジェンスストラテジー
      シニアコンサルタント 加納 寛之

      監修

      あずさ監査法人
      Digital Innovation&Assurance統轄事業部
      ディレクター 近藤 純也

      KPMGアドバイザリーライトハウス
      デジタルインテリジェンス部
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