中東情勢が不安定化するなか、脅威と機会をとらえ、事業を推進する上で重要なポイントは何か。長島・大野・常松法律事務所の大澤大 弁護士(パートナー)と、松永隼多 弁護士(アソシエイト)と意見を交わしました。
左から、長島・大野・常松法律事務所 松永 隼多 氏、KPMG 滋野井 公季、長島・大野・常松法律事務所 大澤 大 氏
【対談】
長島・大野・常松法律事務所 パートナー 大澤 大 氏
長島・大野・常松法律事務所 アソシエイト 松永 隼多 氏
KPMGコンサルティング マネジャー 滋野井 公季
1. 本連載の開始にあたって
大澤氏:中東情勢は、今、かつてない不透明感のなかにあります。エネルギー供給の要衝、あるいは成長市場としての魅力を持つ一方、複雑化する地政学は、単なる政治課題にとどまらず、中東ビジネスに直接的なインパクトや不確実性をもたらし、経済制裁や契約解釈といった具体的な法的問題としても眼前に現れています。
本連載座談会では、安全保障・経済安全保障がかかわる案件を多く取り扱う私(長島・大野・常松法律事務所 パートナーの大澤)がモデレーターを務め、中東情勢に精通するKPMGコンサルティングの滋野井さん、そしてUAEの法律事務所での執務経験を持ち中東案件に深く携わる同僚弁護士の松永さんを迎えまして、この激動の時代に求められる「中東ビジネスのリスクマネジメント」のあり方と実務対応について、全5回にわたり探求します。
長島・大野・常松法律事務所 大澤氏
2. 中東の地政学の概観
大澤氏:それではさっそくですが、滋野井さん、昨今の中東の地政学の概観についてご説明いただけますか。
滋野井:2025年は非常に流動的な情勢のなかで、イスラエルとハマースの紛争と停戦、イスラエルとイランの12日間戦争、カタールへの攻撃などの事案も生じました。今の中東地政学の特徴を描写するにあたり、まずは過去10年の状況を簡単に振り返ってみたいと思います。
今から10年ほど前の2014年6月、イスラム国(ISIS)がシリアとイラクで広大な領土を制圧して国家建設を宣言し、そこから数年間にわたって世界的にテロの脅威が高まっていた時期がありました。それが一段落したのが2018年から2019年頃で、この時期にアメリカの対テロ戦争がほぼ終わり、同国は国家安全保障戦略を、中国を最大のライバルと位置付けた大国間競争に転換していきました。
かつては非国家主体やテロ攻撃が最大の地政学リスクであったという時期がありましたが、今では主権国家に対する武力攻撃や国家間戦争が行われるようになり情勢が大きく変わったと感じています。
大澤氏:2022年2月にはロシアによるウクライナ侵攻、2023年9月にはアゼルバイジャンとアルメニアがナゴルノ・カラバフを巡って衝突、2024年2月にはコンゴ民主共和国の反政府勢力M23が勢力を拡大し、ルワンダの関与が非難されるという動きもありました。対テロ戦争に代表されるような国家と非国家主体の非正規な武力紛争から、国家間の軍事紛争へと時計の針が逆戻りしたような印象を受けます。
滋野井:中東でも同様で、過去10数年間を振り返ると、中東の地政学というのはイランが影響力を拡大した時代でした。2011年のアラブの春以降、イランは「抵抗の枢軸」と呼ばれる代理勢力を通じて、イラク、シリア、レバノン、イエメンといった地域に勢力を拡大し、それが湾岸諸国やイスラエル、アメリカなどの国々に脅威と受け取られました。
そうしたイランの地政学的な影響力拡大という10数年間を経て、2023年10月7日に大きな転換点を迎えます。この日、パレスチナ自治区(ガザ地区)の主要政党であるハマースの軍事部門がイスラエルに対する越境攻撃を行い、死者や人質を多数出した事案が発生しました。
この「10月7日」を起点としてイスラエルはこれまでのパレスチナ自治区に対する姿勢をより強硬化させ、ネタニヤフ首相は、レバノン、シリア、イラク、イエメン、イランに対して戦線を拡大していきました。ですので今はまさにイスラエルをメインドライバーに、地域の地政学情勢というのが流動的に移ろい変わっている状況にあります。
KPMG 滋野井
大澤氏:中東の国際関係というと、これまではサウジアラビアとイランが最大のライバル関係だと見られていました。こうした構図にも変化が生じたのでしょうか?
滋野井:仰るとおりで、かつて中東地域最大のライバル関係はサウジアラビアとイランの対立だと捉えられていました。しかし、2023年には両国のあいだで国交正常化が行われ、2025年6月13日にイスラエルがイランを攻撃した際には、サウジアラビアが即座にイランに対する連帯を表明して、公的文書のなかで「兄弟国」と記すなど、この2ヵ国の敵対関係は宥和へと向かいました。
中東ではこれまでさまざまな紛争や対立関係がありましたがおおむね解消され、今ではイスラエルとイランの対立軸が地域最大の敵対関係として残りました。そして2025年末から新たにサウジアラビアとUAEの対立が表面化したというのが最新動向です。
松永氏:実際、イスラエルやイランを巡っては近年さまざまな軋轢が生じていると理解しています。
滋野井:2023年10月7日以降、イスラエルはパレスチナ自治区での衝突を強め国際機関などが懸念を表明しました。2025年9月にはイギリスやカナダ、オーストラリア、フランスなどがパレスチナを国家承認するといった動きもありました。ネタニヤフ政権に対する国内外の批判やナラティブは、中東で事業をするうえで、押さえておくべき非常に重要な観点であると言えます。
2025年6月にはイスラエル・イラン間で「12日間戦争」が起こりましたが、この問題もまだ解決しておらず、専門家らは再びイスラエルがイランを攻撃する可能性を指摘しています。さらにはイスラエルとヒズブッラーの交戦も続いていますし、2025年7月にはシリアでも首都ダマスカスを含む空爆を実施しました。こうした不安定な状況が継続すると見られています。
大澤氏:2025年9月にはイスラエルによるハマース幹部を標的としたカタールでの空爆がありました。カタールはイスラエルとハマース間の停戦仲介を行い、中東で最大規模の米軍基地をホストするなど、欧米諸国とも強固な関係を持っていました。この攻撃にはどのような含意があるのでしょうか?
滋野井:ハマース幹部を狙ったドーハでの攻撃にはさまざまな解釈がありました。タイミング的に停戦交渉で相手の譲歩を引き出す強制措置であるとか、仲介国のコストを引き上げてディールを反故にする狙いがあるとか、米国に対して主導権を誇示するシグナリングであるなどと論じられています。私がカタールの専門家に聞いて興味深かった見解としては、「オマーンの仲介を抑止する」という見方です。オマーンは湾岸諸国でも歴史的に地位のある国ですが、ドーハを攻撃することで、オマーンの関与をあらかじめ抑止するというカタール側の見方は興味深いものがあります。
松永氏:ハマース幹部への攻撃以上の効果を意図していた可能性があるのですね。
滋野井:さらに言うと、地政学的な文脈では別の含意もあります。2020年にUAE、バーレーン、モロッコといったアラブ諸国がイスラエルと歴史的な国交正常化を果たす「アブラハム合意」が結ばれました。その後UAEはイスラエルとの関係を進展させていますが、そういったアブラハム合意の流れのなかで、今後はサウジアラビアなどもイスラエルと国交正常化を果たすのではないかという「アブラハム合意2.0」への期待がありました。しかし、カタールでの空爆によって、このアブラハム合意2.0の機運は、停滞したと言ってもいいような状況に陥りました。
このように、中東全体を見渡してみますとイスラエルを中心に地政学的な構図が再編されていて、リスクがさまざまな形に分岐しているといった状況にあるかと思います。そのようなリスクは直接的・間接的に企業のビジネスに影響を与え、中長期的な不確実性を投げかけるものなので、大きな構造を理解したうえで、日頃から情報収集と分析を十分に行う必要があります。
長島・大野・常松法律事務所 松永氏
3. 地政学と現地法律実務の両面を取り入れたリスクマネジメントの必要性
大澤氏:日頃から情報収集と分析を十分に行う必要があるというコメントは、法的にも意義があります。日本の会社法上、経営判断原則という形で取締役には経営上の判断について一定の裁量が認められていますが、裁量を逸脱するような行為があった場合には、取締役の善管注意義務の違反の問題が生じえます。そこでは、十分な情報収集を行ったか、よりかっちりとした言葉で言えば、情報収集過程において不注意な誤りがないか、という点が1つのポイントになります。そこで、情報収集分析により現地の地政学リスクや法律実務を正確に把握して、どのような対策を具体的に講じる必要があるのか、適切に解像度を高めたうえで経営・業務遂行を行うことが非常に重要になります。
松永さん、現地の法律実務の観点からも留意すべきポイントがあれば教えてください。
松永氏:各国ごとの現地の法律実務については第2回以降でお話ししますが、中東に共通する点として、往々にして、法律と実務が必ずしも一致しないという点を指摘できます。言い換えると法律の文言を確認するだけでは不十分ということです。したがって、中東においてビジネスをするにあたっては、法律の文言だけではなく、現地の最新の法律実務も把握したうえで十分なリスク評価を行い、かつ、特定されたリスクに対する現地実務に即した適切かつ有効な対応策を講じる必要があります。
大澤氏:以上のような、中東の地政学の状況や、地政学と現地法律実務の両方を取り入れたリスクマネジメントが必要であることも踏まえて、第2回以降では、アラブ首長国連邦やサウジアラビア、イスラエル、イランなどの各国についてリスクマネジメントのあり方と実務対応を探求していきたいと思います。
シリーズ一覧(外部サイトへ遷移します)
第2回:アラブ首長国連邦(UAE)の地政学リスクとオポチュニティおよび現地法律実務の論点
第3回:サウジアラビアの地政学リスクとオポチュニティおよび現地法律実務の論点
第4回:中東ビジネスのリスクマネジメントのあり方と実務対応
第5回:イランの地政学リスクとリスクマネジメントのあり方と実務対応
<話者紹介>
大澤 大
長島・大野・常松法律事務所 パートナー
2013年東京大学理学部物理学科卒業。2015年長島・大野・常松法律事務所入所。2021年University of California, Berkeley, School of Law卒業(LL.M., Dean's List, Business Law Certificate)。2021-2022年経済産業省勤務(貿易経済協力局(当時)貿易管理部安全保障貿易管理政策課、同課国際投資管理室、同部安全保障貿易管理課、同部安全保障貿易審査課、大臣官房経済安全保障室に所属)。2025年長島・大野・常松法律事務所パートナー。
M&A・コーポレート案件の豊富な経験と、日米欧中を含む経済安全保障に関する深い政策・運用知見を融合し、企業法務全般をサポート。経産省で外為法等の立案から審査・執行、各国連携まで担った経験を背景に、戦略的かつ実務的な助言を提供している。
松永 隼多
長島・大野・常松法律事務所 アソシエイト
2015年東京大学法学部卒業。2016年長島・大野・常松法律事務所入所。2023年SOAS University of London(ロンドン大学東洋アフリカ研究学院)卒業(LL.M.)。2023年–2024年Uría Menéndez Abogados, S.L.P.(Madrid、Brussels)勤務。2024年Bredin Prat(Paris)勤務。2024年–2025年AMERELLER(Dubai)勤務。
国内外のM&A、買収ファイナンス、金融取引等、企業法務全般にわたりアドバイスを提供している。また、欧州及び中東地域における執務経験を踏まえて、欧州・中東・アフリカ地域における日系企業に関連する法律業務に従事している。
滋野井 公季
KPMGコンサルティング マネジャー
同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科博士課程満期退学。アルジャジーラ研究所客員研究員、ハマド・ビン・ハリーファ大学客員研究員、外務省専門分析員などを経て2024年より現職。
KPMGでは地政学リスク対応、中長期戦略策定に向けたビジネス環境分析、企業のインテリジェンス機能・体制構築支援、公共部門向けの経済安全保障関連支援などに従事。