はじめに
2025年10月、不平等・社会関連財務情報開示タスクフォース(Taskforce on Inequality and Social-related Financial Disclosures、以下「TISFD」)はオフィシャルサイトにおいて、今後の開示フレームワークの策定に向け、概念的基礎に関する協議文書である「Conceptual Foundations – A Discussion Paper(以下、「本文書」)」を公表し、11月には本文書の概要文書である、「Conceptual Foundations Discussion Paper – Overview」を公表しました。
本文書は、多様なステークホルダーが不平等や社会課題について理解を深め、共通の言語で議論できるよう、TISFDの根幹をなす主要な用語、定義、関係性について提案しており、以下の4章から構成されています。
- 企業等と人々の関係性の理解
- 社会課題を理解するための概念的基礎
- 人々に関連するインパクト・依存関係・リスク・機会(IDRO)
- 人々と自然、気候のつながり
本稿では、TISFDが開発する開示フレームワークの基盤となる概念的基礎について、各章の内容を網羅的に解説します。
1.企業等と人々の関係性の理解
まず、企業や金融機関(以下、「企業等」)と人々の関係性について、人々のカテゴリ(「組織の労働者」「バリューチェーンの労働者(上流・下流の双方を含む)」「消費者とエンドユーザー」「インパクトを受ける人々を含むコミュニティ」)、企業等を含む経済的ステークホルダー、人々や企業等が活動する社会、およびそれらを包含する自然や気候について、定義と基本的な関係性を示しています。
そして、人々のカテゴリは既存の開示基準との整合性を踏まえたものとなっており、人々が複数のカテゴリに属する(例:組織の労働者であり、消費者でもある)場合もあるとしています。
この考え方は、2025年5月にTISFDが公表した「Proposed Technical Scope」で示されたものを踏襲しています。
図表1.社会・経済の中心としての「人々」
出典:TISFD「Conceptual Foundations -A discussion paper-」 Figure.2より
(注:図中の日本語はあずさ監査法人の訳であり、TISFDの公式訳ではありません。)
2.社会課題を理解するための概念的基礎
ついで、社会課題の理解にあたって重要となる、人々の状態(State of people)と不平等(Inequality)の2つの概念的基礎について、解説をしています。
まず、社会課題の理解にあたって、「人権」「ウェルビーイング」「人的資本・社会資本」などの概念をつなぐ中立的な概念として、「人々の状態(State of people)」という考え方を提示しています。人々の状態は、「人々のウェルビーイング、人権の尊重、そして人々が有する人的資本および社会資本を反映する成果の総体」と定義され、健康、所得、教育といった、多様な側面を含むとしています。
そして、「人々の状態」の文脈において、人権はウェルビーイングのアウトカムの閾値(最低限充たすべき基準)として機能し、ウェルビーイングの向上と密接に関係しているとしたうえで、人権の尊重とウェルビーイングの実現は、人的資本・社会資本の形成を通じて、企業の持続的な価値創造に不可欠であると説明されています。
図表2.「人々の状態」の概念図 (ウェルビーイング、人権、人的資本・社会資本と不平等の関係図)
出典:TISFD「Conceptual Foundations -A discussion paper-」 Figure.3より
(注:図中の日本語はあずさ監査法人の訳であり、TISFDの公式訳ではありません。)
また、人々の状態の検討にあたって、個人やグループ間の格差として示される不平等の理解も重要としています。不平等は、過去からの蓄積や、権力構造の偏りによって構造的に生み出されており、そのことが機会や成果の不平等として現れて、世代を跨いで引き継がれている状態にあるとしています。
そして、不平等が深刻化すると、組織内部や社会全体において財務的な影響を引き起こす可能性があることから、企業等や政府は不平等の理解を進め、重要なリスクと機会を特定し、是正のための対応をとる必要があるとしています。また、不平等の理解を進める際には、人々のグループ間の格差である水平的不平等と、個人間の格差(所得・資産等)に起因する垂直的不平等の視点が重要としています。
3.人々に関連するインパクト・依存関係・リスク・機会(IDRO)
そして、企業等と人々のつながりについて、企業等が人々に与えるインパクトと、企業等の人々への依存の相互関係として整理したうえで、インパクトと依存が、企業等にとってのリスク要因にも、機会の創出にもつながるとしています。また、企業等の行動によりこれまで蓄積されてきたネガティブ・インパクトが、システムレベルのリスクにつながっているとしています。
図表3.不平等および社会関連のインパクト、依存関係、リスク、機会の関係図
出典:TISFD「Conceptual Foundations -A discussion paper-」 Figure.7より
(注:図中の日本語はあずさ監査法人の訳であり、TISFDの公式訳ではありません。)
(1)インパクト
企業等の活動は、意図的であるか否かを問わず、人々や社会の不平等に対して、直接的または間接的に、ポジティブまたはネガティブなインパクトを及ぼす可能性があるとされています。そして、これまでに公表されてきたフレームワークや規範に基づき、企業等の行動によるインパクトを受ける人々を「影響を受けるステークホルダー」として類型化したうえで、企業等のどのような行動がステークホルダーのインパクトに繋がるか分析を実施しています。そして、影響を受けるステークホルダーのなかでも、インフォーマルワーカー、労働組合のメンバー、先住民族、経済的に脆弱な消費者などは、法的・社会的保護の欠如、構造的な不利や差別などにより深刻な悪影響を受けるリスクが高いとしています。
また、企業等の行動が公共機関や経済的ステークホルダーに与えるインパクトについても、人々同様に整理を行っているほか、金融機関については、資本提供者としての側面から、その行動によるインパクトについて、追加での分析を試みています。
(2)依存関係
企業等の活動は、人々をはじめとする人的資本や、公共機関・経済的ステークホルダーといった社会資本に依存しているとされています。
人的資本について、企業等は、事業の継続性、生産性、イノベーション、そして労働力の規模の基盤という側面から依存しています。このため、労働者の権利の保障とウェルビーイングの実現、資源やサービスへのアクセス、良好な環境の享受を通じて、企業等は人々の能力を高め、人的資本を維持する取組みが必要とされています。
一方、社会資本は、信頼や社会的結束、紛争のない状態など、集団的なウェルビーイングと社会全体の安定を支える要素であり、企業等の長期的な投資や持続的な成長等に不可欠なものとなります。また、社会資本を構成する公共機関は教育、医療等の提供を通じ、人々のウェルビーイングや人権の実現といった人的資本の発展に重要な役割を果たしている側面からも、企業が依存しているといえます。
(3)エンティティレベルのリスクと機会
上記のインパクト・依存関係は、個々の企業等(エンティティ)にとって財務上のリスクや機会を生み出す可能性があるとしたうえで、気候関連財務情報開示タスクフォース(TCFD)や自然関連財務情報開示タスクフォース(TNFD)の考え方を基礎とした類型化を試みています。
リスクについては、社会課題という特性上、人々に関連する法令や規範の改訂に伴い、企業等により高度な期待がかかることによりリスクが生ずることを踏まえ、オペレーショナルリスクに加えて、政策・法的リスク、レピュテーションリスク、市場リスクの4種類への類型化を行っています。
一方で、企業等が、公平な待遇、人権、ウェルビーイングの向上等を通じて不平等の是正に寄与することで、財務的な機会に加えて、優秀な人材の獲得と定着、そして組織の長期的な安定性の向上にもつながるとしています。
(4)システムレベルのリスクと機会
「Proposed Technical Approach」では、これまでの企業等の行動によるネガティブ・インパクト、それが生み出す負の社会的影響に起因する不平等が、現在の経済や社会に深刻なシステムレベルリスクをもたらす要因の1つになっていることが示されました。
本文書では、このようなリスクを、社会安定性リスク、マクロ経済リスク、金融安定性リスクの3種類に分類し、企業等が不平等の解消や人々の状態の改善を通じてこれらのリスクに対応することで、持続的かつ長期的な価値創出につなげることができるとしています。
図表4.システムリスクの3類型
| 社会安定性リスク | 社会的結束の崩壊、不公平感の高まり、政治的分断の深刻化などに起因する社会全体における混乱に関連するリスク |
| マクロ経済リスク | 持続可能な経済成長や長期的な財務パフォーマンスに対する体系的なリスク |
| 金融安定性リスク | 不平等が直接的に金融システムの脆弱性に寄与し、その安定性やレジリエンスを脅かす可能性のあるリスク |
出典:TISFD「Conceptual Foundations -A discussion paper-」に基づきKPMG作成
4.人々と自然・気候のつながり
人々や社会の不平等と企業等の相互関係に関する分析を踏まえて、本文書では、人々と自然・気候とのつながりについても言及されています。人々と、気候・自然環境エコシステムは相互に関係しており、企業等が不平等の解消や人々の状態の改善のためにとる行動が、気候や自然に対するインパクトになる場合がある一方、企業等が「公正な移行」の実現のためにとる行動が、人々に対するインパクトになるフィードバックループがあると指摘しています。
このため、企業等は不平等への対応を図る際、人々や社会資本と、気候・自然との相互関係を理解したうえで、取組を進めることが必要であるとしています。
図表5.気候変動、自然損失と不平等・社会課題のシステムレベルのリスクの関係図
出典:TISFD「Conceptual Foundations -A discussion paper-」 Figure.16より
(注:図中の日本語はあずさ監査法人の訳であり、TISFDの公式訳ではありません。)
今後の予定
TISFDは本文書に対するパブリックコンサルテーションを、2025年12月にかけて実施するとしています。そして、パブリックコンサルテーションに寄せられたフィードバックを踏まえたアップデートが実施されたのち、本文書の内容は、2026年春に公開予定の開示フレームワークのベータ版に組み込まれることが想定されています。
なお、TISFDは2025年12月にかけて、ステークホルダーからのフィードバックを得るため、本文書に関するターゲット型エンゲージメントイベントの実施を予定しています。
※本記事公表時点で、TISFDから本文書の日本語版は公表されていません。本記事と資料上の英語原文間に齟齬がある場合は、当該英語原文が優先するものとします。
執筆者
KPMGサステナブルバリューサービス・ジャパン
有限責任 あずさ監査法人
シニアマネジャー 瀧澤 裕也
KPMGサステナブルバリューサービス・ジャパン
有限責任 あずさ監査法人
アソシエイト 丹原 和花