本連載は、「金融サービス業界における全社トランスフォーメーションの新潮流」と題したシリーズです。
金融サービス業界は、今まさに大転換期を迎えています。デジタルチャネルの急拡大、生成AIの爆発的な普及、フィンテックの台頭や非金融事業者の業界参入――従来のやり方では顧客の期待に応えきれません。
業態にかかわらず金融サービス業界に共通するキーワードは「全社トランスフォーメーション」です。
業務やシステムを刷新するだけでなく、人材や文化、ガバナンスを含め、顧客を起点としてフロント/ミドル/バックオフィスを「つながりを意識しながらワンストップで」変革していくことが求められます。
本連載では、KPMGの全社トランスフォーメーションアプローチであるKPMG Connected Enterpriseをベースに、金融機関が未来に向けて成長するための実践的なヒントをお届けします。
第1回にあたる今回は、現在の金融サービス業界を取り巻く環境から全社トランスフォーメーションがなぜ必要なのかを紐解きます。
1.金融サービス業界の現在地
独立行政法人情報処理推進機構が2025年7月に公表した「DX動向2025」※1では、日本企業のDXの取組みはこの数年着実に進んでおり、米国やドイツと肩を並べるか、それ以上にまで達していると考察されています。しかしながら、日本企業におけるDXの目的と成果はコスト削減や業務効率化が中心であり、全社的な視点ではなく、個別の業務プロセスを改善する「部分最適」にとどまる傾向があるとのことです。
この傾向は、金融サービス業界にも通じるところがあります。銀行、保険、証券、信託、カード、リース等の金融機関でも、業務プロセスにおけるデジタル技術の適用は着実に進んでいますが、その多くは依然として業務効率化やコスト最適化を目的とした部分的な対応にとどまっています。
このような部分的な対応を繰り返すことで、組織・業務・システムのサイロ化を生み、全社にわたる構造的な分断に発展してしまいます。
実際に、KPMGには、このような分断が根本原因と考えられる相談が数多く寄せられています。
【KPMGに寄せられる相談例】
出典:KPMG作成
本来、DXの目的として目指すべき顧客起点の価値創出によるビジネスモデルの根本的な変革や、企業文化、組織マインドの変革にはまだ距離があるのが現状です。いわば、日本企業全体の課題が、より複雑な構造のなかで金融サービス業界に凝縮されているといえるでしょう。
2.金融サービス業界を取り巻く環境
- Political:ガバナンス強化と社会的要請の高まり
金融庁は近年、従来の業態別監督から業態横断的ガバナンス監督へと舵を切り、複数の異なる業態(銀行、保険、証券など)にまたがる金融機関・グループに対して、各業態の規制・監督にとどまらず、グループ全体としての経営管理態勢を監督するようになりました。生成AIやクラウドの監督指針、ESG投融資、業務継続計画など、監督の焦点は経営の一貫性へ移行しています。また、バーゼルⅢ最終化、FRTB、ISSB開示などの国際規制も複雑化しており、もはや個別対応では立ち行かない状況です。
ポイント:政治・規制の変化は、金融機関に「統合的経営モデル」への転換を迫っている。
- Economic:収益構造の限界と新たな成長軸の必要性
一般社団法人 全国銀行協会が公表している全国銀国財務諸表分析※2によると、2024年度、日銀のマイナス金利解除や海外金利上昇を背景に、銀行の資金利益は一時的に改善しました。一方で、これまで長く続いた低金利環境は銀行の収益構造にも深い影響を与え、長期間の利ざや縮小により収益源の多様化が求められました。銀行だけでなく保険や証券、信託等、金融サービス業界全体に共通して利ざやや債券運用益等の伝統的な収益源が圧迫されたことは、成長の源泉を見直すきっかけとなりました。
ポイント:従来型収益モデルへの依存から脱却し、成長の源泉を多様化することが求められる。
- Social:顧客の期待構造の変化
KPMGは2010年から毎年グローバルで顧客体験調査「Customer Experience Excellence(CEE)調査」を実施しています。2024年の調査結果では、商品、サービスの「利便性」や「問題解決力」は顧客にとって当然の要素と捉えられており、より個人に特化し情緒的価値を提供するような商品・サービスが求められる傾向にあることが示唆されています。
顧客からすれば、金融以外の商品・サービスと金融サービスを区別する理由はなく、良質な顧客体験の提供は金融サービスにも求められるはずです。
ポイント:異業種と同等かそれ以上の顧客体験提供が持続的成長に不可欠である。
- Technological:金融サービスの本質を変える最新技術
生成AI、クラウド、量子コンピュータといった最新技術は、単なる効率化の手段にとどまらず、金融の価値創造、運営構造、信頼基盤を根本から変えつつあります。
まず、生成AIは金融業務の知的領域に深く入り込みつつあり、業務の生産性を高めるだけでなく、思考のスケーラビリティをもたらす存在になっています。また、すでに多くの金融機関が何らかの形でクラウドを利用しており、マルチクラウド構成も一般化しつつありますが、クラウド化は単なるシステムインフラの変化ではなく、金融機関の経営における俊敏性と事業モデルの変化対応力を支える構造改革と位置付けられます。さらに、量子コンピュータの進展により既存の暗号方式が将来的に破られるリスクが指摘されるなか、国内外で量子暗号通信網の実証実験が進んでおり、情報の安全性確保だけでなく、社会的信用を支える信頼基盤の構築が期待されます。
ポイント:技術進化は金融そのものの定義を問い直す経営アジェンダへと発展している。
- Legal:信頼を競争優位に変える法令対応
AIガバナンス指針、個人情報保護法改正、クラウド利用ガイドライン、マネーロンダリング対策等、法令順守の範囲は拡大し、経営としての「説明責任」、「透明性」、「倫理性」が問われています。法令対応はもはや「守り」ではなく、信頼を競争優位に変えるガバナンス経営の要素に変わったといえるでしょう。
ポイント:リスク・コンプライアンスは、信頼を基盤とするブランド戦略の中核になりつつある。
- Environmental:「守り」と「攻め」のサステナビリティ対応
金融庁は、ISSB開示基準を基にした日本版基準の適用に関し、対象企業の時価総額に応じて2027年3月期から運用を開始し、順次対象企業を拡大するスケジュールを公表※3しています。運用開始後、金融機関は、自社の開示義務に加えて投融資先のサステナビリティ情報を評価する際にもこの基準を参考にすることが見込まれています。サステナビリティ対応は単なる規制対応の「守り」の側面だけではなく、グリーンローンやトランジションボンドといった新たなビジネス機会を創出する「攻め」の側面も含んでいます。
ポイント:サステナビリティ対応は「守り」と「攻め」の両輪で戦略的に取り組むことが成功のカギとなる。
政治・経済・社会・技術・法規・環境のすべての要因が複雑に絡み合い、1つの要因が他の領域に連鎖的な影響を与える時代になっています。たとえば、規制や脱炭素政策が新たな開示義務や投資戦略を生み出し、その実装には生成AIやクラウド等の技術が不可欠となっています。
このように、外部環境は相互依存的かつ同時進行的に変化しており、規制対応、リスク管理、業務効率化をそれぞれの部門で完結させるアプローチではスピードも整合性も保てません。また、個別の業務やシステムを最適化するだけでは変化に追いつくことはできません。
今、金融機関に求められているのは、これらの要因を単なる制約として捉えるのではなく、自社のトランスフォーメーションの原動力として捉える視点です。
3.全社トランスフォーメーションの必然性
前章までに述べたように、金融サービス業界は内部の構造的な問題と外部の環境変化という二重の圧力に直面しています。この「内」と「外」の両側からの圧力こそが、全社トランスフォーメーションの必然性を示しています。
今、求められているのはデジタイゼーションやデジタライゼーションの延長ではなく、経営、業務、システム、人材と文化、ガバナンスを貫く統合的な変革です。経営の意思決定と現場の実行が断絶したままでは、どれほど先端的な技術を適用しても変革は持続しません。全社トランスフォーメーションとは、これらの要素を一貫した設計思想のもとで再構成することを意味しています。
その起点となるのは、「顧客」です。
顧客体験(CX)を中心に、フロント/ミドル/バックオフィスの全機能をワンストップで再設計する「顧客起点の全社再設計」こそ、従来の業務最適化とは決定的に異なる発想です。たとえば、口座開設や保険契約の際の個々の顧客接点や業務プロセスを改善するのではなく、顧客が抱くライフイベント全体を通して体験を設計し、その体験を提供するために必要となる戦略、オペレーション、テクノロジーガバナンスを再設計して実装することによる、顧客への提供価値の最大化が必要です。
【顧客を起点とした全社トランスフォーメーション】
出典:KPMG作成
4.顧客起点の全社トランスフォーメーションアプローチ-KPMG Connected Enterprise
【KPMG Connected Enterpriseの検討レベル】
出典:KPMG作成
また、各レベルでの検討・実行をスムーズに推進することを目的として、金融サービス業界の業態ごとにカスタマイズされた7種類のアセットが提供されています。
【KPMG Connected Enterpriseで提供される7つのアセット】
出典:KPMG作成
これらのアセットのうち、検討の中核に据えられるのが「ケイパビリティ」であり、顧客を起点とした全社トランスフォーメーションを実現するために、企業に必要とされる8つの組織能力を体系化したものです。
本連載ではこの8つの組織能力を紐解きながら、金融機関が未来に向けて成長していくためのヒントを提供していきます。
次回は8つの組織能力の全体像を示し、金融サービス業界への適用視点を考察します。
<参考>
※1:「DX動向2025」日米独比較で探る成果創出の方向性「内向き・部分最適」から「外向き・全体最適」へ (IPA 独立行政法人 情報処理推進機構)
※2:全国銀行財務諸表分析 (一般社団法人 全国銀行協会)
※3:金融審議会「サステナビリティ情報の開示と保証のあり方に関するワーキング・グループ」中間論点整理の公表について(金融庁)
執筆者
KPMGコンサルティング
アソシエイトパートナー 前川 知之
シニアマネジャー 福田 敬子