本連載は、2025年4月より日刊自動車新聞に連載された記事の転載となります。以下の文章は原則連載時のままとし、場合によって若干の補足を加えて掲載しています。
SDV(ソフトウェア・デファインド・ビークル)は「走るスマートフォン」と呼ばれることがあります。これは本質を表しているでしょうか。まず、グローバル市場でスマートフォンと自動車の年間販売台数を比較すると、スマートフォンは12億~13.5億台と圧倒的な規模を誇る一方、乗用車は6400万~7800万台にとどまります。単純な台数比較でも、スマートフォンは乗用車の約15倍の規模を持ちます。
この差は、プラットフォーム投資の回収可能性や、サードパーティ・開発者によるエコシステムの厚みに直結します。スマートフォンでは、OS(基本ソフト)のアップデートを数億台規模で一斉に配信できるため、ソフトウェアの限界費用はほぼゼロに近づきます。一方、乗用車は、地域ごとの規制、車種や年式、グレードの違い、サプライヤー構成などが複雑に絡み合っており、アップデートの対象は細分化されざるを得ません。
このように、ソフトウェアを「製品の隅々までスケールさせて回収する」というプラットフォーム型の常識は、自動車領域ではそのまま通用しないのです。これが、乗用車におけるソフトウェア展開の難しさを象徴する最初の壁です。
更新サイクルの違いも、両者の本質的な差を際立たせます。耐久消費財の平均買い替え年数を見ると、乗用車は9.4年、スマートフォンを含む携帯電話は4.3年。つまり、スマートフォンは乗用車の半分以下のスパンで世代交代する設計思想に基づいています(図表1)。
【図表1:市場概況と耐久消費財の更新サイクル】
出所:公表資料を基にKPMGにて作成
この短いサイクルは、旧世代の製品を長くサポートする必要がないという利点をもたらします。一方で、乗用車は一度出荷されると、長年にわたり公道という過酷な環境下で機能を維持し、規制への適合や安全性を保ち続ける必要がある点が大きく異なります。
SDVが掲げる「出荷後も価値を更新する」というコンセプトは、確かにユーザーにとって魅力的に映ります。しかしそれは同時に、「出荷後の長期にわたる運用責任」をメーカーが背負うことを意味します。スマートフォンとは異なり、車両ソフトウェアのライフサイクルは、製品の寿命全体にわたって継続的な管理と責任を伴うこととなります。
この「運用責任」が収益構造に与える影響は、しばしば過小評価されがちです。SDVの収益モデルを時間軸で描くと、まず販売時に粗利が立ち上がり、その後はサービス収入が緩やかに積み上がっていきます。
しかし同時に、ソフトウェアの保守、クラウド接続の維持、脆弱性への対応、法規制への継続的な適合など、運用にかかる固定費も年々増加します。加えて、リスクの露出も時間とともに拡大し、ある時点で、初期の粗利と累積サービス収入の累計が累積運用費に追いつかれ、累積利益が逆に累積損失に転じる可能性が現実味を帯びてきます(図表2)。
【図表2:乗用車におけるSDVの採算性(例)】
出所:KPMGにて作成
「橋梁は建造費よりも維持費で採算が決まる」と言われるように、SDVも同様です。目に見えない“維持のための資産・人材・プロセス”こそが、最終的な損益を左右します。
維持費を押し上げる最大の要因の1つが、サイバーセキュリティー対応です。接続性が広がるほど、攻撃対象となる領域は拡大し、機能の増加はコード量と相互依存性を高めます。その結果、ひとつの欠陥が連鎖的に別の脆弱性を引き起こすリスクが高まることとなります。
さらに厄介なのは、攻撃者が“学習する存在”であるという事実です。時間の経過とともに、システムの弱点は観察・解析され、再利用されていきます。つまり、静的に「守ったつもり」でいても、攻撃者の学習速度に追い越されれば、リスクは自然と増加していくのです。
SDVは、単に「価値を更新し続ける製品」ではなく、「リスクの累積を同時に管理する製品」へと進化していく必要があります。価値の成長曲線とリスクの上昇曲線-この2つを同時に見据えながら運用することが、SDV時代の新たな責任となります。
SDVの真価は、見えないところでの“持続可能な運用”に宿っています。短い更新サイクルと巨大なスケールを背景としたスマートフォンに抱くような期待は、乗用車の現実には合致しません。むしろ、9年超の使用期間を見据え、年々増える運用固定費とリスクの累積に正面から向き合うこと、そして機能を厳選し、接続を節度あるものにするとともに、ライフサイクルを資本と制度に埋め込むことこそが、SDVの“本質”に近づく道ではないでしょうか。
日刊自動車新聞 2025年12月8日掲載(一部加筆・修正しています)。この記事の掲載については、日刊自動車新聞社の許諾を得ています。無断での複写・転載は禁じます。
執筆者
KPMGコンサルティング
プリンシパル 轟木 光