1.はじめに
これまで本連載では、大学教育の現状を、その歴史的背景や組織構造から分析してきました。では今、大学教育が社会に対して真に価値を発揮するために、私たち企業側に何ができるでしょうか。
―教育という公共性の高い営みを、どうしたら産学で協働できるのか。
―異なる組織文化や制度の壁を、どのように乗り越えられるのか。
―そして、それを構想し実現していくための知性や創造力を、どう育んでいけるのか。
産学による共創教育の試みは、単なる連携を超え、社会に新しい学びの形を生み出す挑戦です。大学教育を社会化する、この挑戦こそがまさしく大学教育改革であり、日本の大学が世界のなかでプレゼンスを発揮するための鍵となるのではないでしょうか。
今回は、大学教育の本質や、産業界と大学との構造的な違いを改めて見つめ直しながら、教育を社会の「公共財」として育てていくための共創のあり方を考えます。
2.大学教育の共創
大学は今、何を教えているのでしょうか。
大学教育の成果として掲げられる「学士力」は、「知識・理解」「汎用的能力」「創造的思考力」「態度・志向性(倫理観・自律心を含む)」の4つで構成され、多くの大学がこれを踏まえたディプロマ・ポリシー(以下、DP)を卒業要件として設定しています。
便宜的にこの力を「専門知識」「汎用的能力」「人格形成」の3つに整理すると、大学教育でインプットすべき知は次の3層に分けられます(図表1)。
(1)専門知識
(2)汎用的能力を支える技術的知識
(3)人格形成のための教養
従来の大学は(1)を中心に据えてきました。学問体系そのものが研究を基盤として構成されていたからです。現在、多くの大学は(2)の実践的教育に力を注いでいます。これは産業界からのニーズとしても顕在化しており、社会的要請への応答という意味では自然な流れと言えます。
しかし、企業の現場を知ると、実は最も求められているのは(3)の教養・人格形成にかかわる部分であることがわかります。社会課題の解決や新しい価値の創出には、個人が多様な立場を理解し、理性に基づき自らの判断で行動する力が欠かせません。ここに、教養の本質があります。
今日「リベラルアーツ教育」が再び注目されていますが、実際には専門教育との接続や一般教養の置き換えにとどまっています。教養教育は、自己と社会との関係性を認識し、倫理観や知性を育むものです。それにもかかわらず、長年にわたってその本質が十分に議論されてこなかったのです。
【図表1:大学教育の知識体系】
出所:KPMG作成
多くの大学のDPには「倫理観」や「自律性」が掲げられているにもかかわらず、実際にそれをどのように育むのかは放置されています。学習成果の可視化が求められるなかで、(1)専門知識や(2)汎用的能力を測ることは可能ですが、(3)教養(general education)は「知識」というよりも「価値観」や「世界観」を涵養するものであり、定量的な評価にはなじみません。結果として、現在の大学教育は専門と実践に偏り、「教養」が扱いにくい領域として残されています。
さらに、(2)の汎用的能力は社会との接続を前提としているため、現代社会を支配する資本主義的価値観に方向付けられやすい側面があります。研究大学・産業界・政府が推進するイノベーション強化も、より生産的・効率的・収益的であることが重視されがちです。アントレプレナーシップ教育もその影響を受けています。
近年では企業から大学に実践的な人材育成プログラムが持ち込まれることも増えています。その多くはこの部分に関連し、企業の題材を用いた思考力育成プログラムなどが代表的です。ユーザーは誰か、どう実装するか、収益をどこで上げるかというような、企業の実態に即した実務的な人材研修が展開されています。
しかし、大学教育の本質は、企業での実務や起業の技術を教えることではありません。専門知識や技術的知識は「知を生み・使う力」を育てますが、教養はそれらの知識を社会的文脈のなかで、自律的な判断の基に行動へとつなぐ力を養うものです。
今、大学教育に問われているのは、この力をいかに育むかということです。
―公共性を協働する産学、思惑のすれ違い
先日、ある大学で開催された地域共創フォーラムに参加しました。大学・自治体・企業が一堂に会し、地域の持続可能性をテーマに議論する場でしたが、登壇者の発言からは、産と学の間にある構造的なずれが如実に見えてきました。
大学教員からは、自身の研究テーマとして地域課題の解決を目指す実践が紹介されました。研究の場合は、地域課題を学術的関心に転換できれば目的の一貫性は保たれます。ただし、個人研究として行われることが多く、取組みに広がりを欠く点が、社会課題に取り組むうえでの制約になっていることを、教員自身も認識しているようでした。
一方、企業側も、地域活性化への真摯な意欲を持っているように見えました。しかし、所属組織のなかでは成果を求められる立場であり、事業としての採算性を確保するために、DX化やツール導入を手段として地域課題の解決策を打ち出していました。これは、地域課題に企業が参画する際によく見られる現象ですが、いつのまにか「DXの推進」自体が目的化し、地域課題の本質からずれてしまう――この時もそうでした。
大学は個人業績への偏りによって広がりを欠き、企業は組織の合理性に縛られてしまう。どちらも公共性を理想に掲げながら、現実にはそれぞれの制約のなかで動かざるをえません。このフォーラムでもその現実が垣間見え、本来の目的(このときは持続可能な地域づくり)を産学で達成する構想力、すなわち創造力を持つ人材の必要性を切実に感じました。
企業は経済性を、大学は研究業績を判断基準としています。この二者の合理化の違いを認識し、双方が合意できる解決策を描けなければ、産学間の共創は成立しません。さらに、参画する個人が所属機関からの承認といった内向きの視点を越え、自らの価値基準で判断し、行動できなければ本来の目的を見失ってしまいます。
組織の合理性を超えて社会課題に向き合うには、自律性や倫理観を基に判断することのできる知識や経験――すなわち「教養」が欠かせません。
―産学での共創教育の可能性
このような大学と企業の思惑の違いは、教育を協働する場合にも表れます。
大学教育はあくまで「教育」を目的としますが、企業の場合、人材育成という名目は同じでも、最終的には自社への直接的な効果を求めます。日本企業は短期的な成果偏重を指摘されることがありますが、人材育成においても効果の見えやすい研修を優先する傾向があります。
大学教育を組み立てようとすると、大学内部での協働体制の構築も容易ではありません。まして、産業界と大学が協働するには、双方のスタンスの違いを克服して相乗効果を生む仕組みを考える必要があります。
そこで鍵となるのが、どの切り口で協働するか。双方が共通して価値を見いだせる教育領域を見極めることが重要です。
筆者がこれまでにヒアリングした大企業や中小企業の経営者の声からは、実践力に対するニーズを掘り下げていくと、実は独学力や倫理観といった人間的基盤を求めていることが見えてきます。とはいえ、大学においても価値認識や成果が曖昧な「教養」教育に正面から取り組むのは現実的とはいえません。
一方、大学が教育力向上の観点から重視している「実践力」は、企業側でも基礎的な人材研修として整備されています。しかし、そのなかで「創造力育成」に関しては、需要が顕在化しているものの、大学・企業ともに方法論が成熟していません。ここに産学が組織的に共同開発を行う余地があると考えられます(図表2)。
【図表2:大学と企業の教育ニーズと接点】
出所:KPMG作成
筆者らは現在、こうした共通課題を踏まえ、カリキュラム体系のなかに正式科目として位置付けることを前提にした教育連携モデルを検討しています。これは、「単発のプロジェクト型連携」から「組織的な共創教育連携」への転換を意図するものです。また、産学での共同開発を通じて双方の人材育成に関する理解が深まることで、「教養」すなわち人格形成の領域にも協働が広がることを期待しています。
共創教育の具体的な設計や実践プロセスは、今後、実践の蓄積を基に改めて共有していきたいと考えています。
―日本の大学が提唱する新たな世界観
日本の大学では、政策の後押しもあって、地域連携やPBL、産学協働といった実践型教育が活発に行われています。その多くは教員個人が地域や企業と築いてきた関係性に支えられており、草の根的な実践が全国各地に存在することは世界的にも稀な特徴です。リベラルアーツ教育を標榜する米国の大学も、その多くは教室内の机上教育が中心です。
ただ、残念なことに、第7回で取り上げたように、個別プロジェクトは多くても大学の教育枠組みとして発信しきれず、大学教育の社会インパクトを高めることに繋げられていません。
今、世界的にもAIや行き過ぎた資本主義に対する警鐘の機運が高まるなかで、日本の大学が発信すべきは何か。それは、個人ベースの実践を大学全体の「共創型教育モデル」として構成し、資本主義的価値観に基づく成果主義とは異なる、人間的関係性を基盤とする教育の型ではないでしょうか。
そのためにまず必要なのは、個別の実践を形式知化することです。各教員が培った取組みを大学の教育体系として編集し、大学がチームとして教育を設計する。さらに初めの段階から産業界をパートナーとして巻き込むことで、大学教育を社会に開かれた共創の場へと再構築できます。大学組織における協働の難しさは、ここで乗り越えるべき課題です。
もう1つは、評価の枠組みの転換です。たとえば、ROI(Return on Investment)ではなくROH(Return on Humanity)──人間的関係性がもたらす持続的なイノベーション効果を評価する尺度──を導入します。これまで「人間中心」はユーザー体験や商品設計の文脈で用いられてきましたが、これを「大学教育の共創」で実現します。
この発想は、大学組織に対する評価の慣習を変え、企業の長期的な創造的投資を促す視座を開くものともなるでしょう。
このように、実践型教育を新たな価値観のもとで体系化し、発信できれば、日本の大学教育は世界においても独自のプレゼンスを確立できます。大学が自ら、専門知・実践知・教養知を通して新たな教育のあり方を創り出すことは、「人間が学ぶとは何か」を社会に示す実践にほかなりません。
3.むすび
獅子文六という昭和初期から戦後にかけて活躍した新聞小説作家がいます。
あるとき、全集16巻を読んだところ、そのなかにいくつかのエッセイが収められていました。彼の小説はどれも、大衆に迎合せず、偏見を持たず、立場の弱い人でも芯を持って生きる姿を描き、最後には大団円を迎えます。私はてっきり彼自身がそのような思想の持ち主だと思っていました。
ところが、エッセイを読むと、そうではありませんでした。彼はむしろ典型的な上流社会の価値観を持ち、男女平等や社会正義の感覚をそれほど重んじていないように見えたのです。
この発見は衝撃でした。これが思考力というものではないか、と。人は自分の価値観とは異なっても、理性的に正しいと認め、それを表現することができる。獅子文六は、それを小説という創造を通して示していました。
今、大学教育に問われているのも、まさにこのような知性と理性による創造をいかに育むか、ではないでしょうか。実践知、イノベーション、論理的思考――つかみのある言葉が飛び交う教育改革の現場ですが、大学が本当に実現したいのは「知性の創造」であり、社会もまた、それを求めていると思います。
執筆者
KPMGコンサルティング
スペシャリスト(リードスペシャリスト) 田中 智麻