「物体追跡の技術とビジネスユースケース(前編後編)」では、技術とそのユースケースおよびビジネス応用の在り方について解説しました。本稿では、ユースケースの一例として挙げた小売店舗における顧客行動分析について取り上げます。

行動分析とは

行動分析とは、顧客やユーザーの「接点の発生 → 店舗・コンテンツ内の移動 → 注目 → 関心 → 購買・申込み」という一連の行動を可視化し、売上・粗利・在庫・利用率などの評価指標(KPI)に結び付けて、レイアウト設計や商品陳列、コンテンツ配置や施策の効果を定量的に評価・改善する取組みを指します。重要なのは、単なる“見える化”にとどまらず、「何を、どこで、いつ変えるべきか」といった日々の意思決定に直結する情報を継続的に供給することです。

EC(電子商取引)領域では、行動分析はすでに高度に実現されており、ユニークユーザー単位での行動追跡、リアルタイムでのログ取得、属性情報(性別・年齢など)の自動取得、A/Bテストの迅速な実施などが可能です。これにより、ユーザーの行動とKPIを結び付けた意思決定が当たり前になっています。例えば、あるコンテンツのクリック率や滞在時間がKPIにどう影響したかを即座に把握し、施策の改善サイクルを高速で回すことができます。

実店舗で行動分析が長らく高度化できなかった背景には、構造的な制約に加え、運用面・コスト面・データ取得の難しさといった、現場ならではの事情が複雑に絡んでいます。

まず、ECでは容易に実施できるA/Bテストも、実店舗では物理的な制約が大きく、同一条件での比較設計が困難です。棚割りや販促物の変更には人手がかかり、店舗スタッフとの調整も必要で、施策の切替え自体がコスト高になります。また、KPIの取得もECのように自動ログ化されるわけではなく、映像解析やセンサー、POSとの連携が必要で、技術的にも運用的にもハードルが高いのが現実です。

さらに、店舗ごとに立地・客層・混雑状況が異なるため、施策の効果を横比較しにくく、再現性のある検証が難しいという課題もあります。こうした背景から、従来の行動分析は「人手による観察」「スポット調査」「POSの事後集計」に頼らざるを得ず、意思決定に活かしきれない状況が続いてきました。

しかし近年、映像解析や空間認識に関する技術の進化により、個人を特定することなく、実店舗内での顧客行動を高精度かつ継続的に捉えることが可能になりつつあります。これにより、従来は困難だった「入店から購買までの行動の流れ」を定量的に把握し、ECで一般化しているような粒度での行動分析や比較・検証が、実店舗でも現実的な選択肢となってきました。

本稿では、こうした技術的進展を踏まえ、実店舗における行動分析の現在地と、ビジネス観点での設計原則・導入判断に役立つ見取り図を提示します。

実店舗で「データに基づく意思決定」を可能にする技術群

実店舗における行動分析の高度化に向けて、現在採用されているアプローチは、店内にエッジAIカメラを設置し、顧客の入店から購買までの一連の行動をニアリアルタイムかつ個人を特定することなく追跡・解析するというものです。このアプローチは、ECで実現されているようなユーザー行動ログの取得・活用を、物理空間で再現する試みとも言えます。

店内行動分析の基本アプローチ

このアプローチでは、店舗の入口、通路、棚前、レジなどに複数のエッジAIカメラを配置し、物体追跡技術(「前編」参照)を用いて顧客の動きを継続的に捉えます。個人を特定することなく、「同一人物らしさ」を推定しながら、以下のような行動ファネルを構築します:

  • 入店検知:入口カメラで来店者を検出
  • 回遊経路の追跡:通路や棚前での滞在時間や動線を記録
  • 商品接触の検出:手の動きや姿勢から商品への関心を推定
  • 購買行動の把握:レジ前での滞在や購入行動を検出

ポイントは、従来では「どの店舗で、いつ、どのくらい売れたか」といった“結果”しか取得できかった顧客の行動データに、「手に取ったが、購買に至らなかった」「商品に気付かなかった」などプロセスのデータを組み合わせられるようになることです。

店内行動分析を支える技術

実店舗における行動分析の高度化には、映像や空間情報を基に顧客の動きを捉える複数の技術的要素が関わっています。中でも、Computer Vision(以下、CV)技術は、画像認識や空間理解、行動検出といった領域を横断的に支え、店舗内での顧客の動きや関心を捉えるうえで重要な役割を果たしています。近年では、CVをはじめとする関連技術の進展により、個人を特定することなく、顧客の行動を継続的かつ高精度に得ることが可能になってきました。

例えば、以前紹介したマルチカメラトラッキング(「前編」参照)は、行動ファネルの構築において重要な役割を果たします。これにより、入口から回遊、商品接触、レジでの購買に至るまでの一連の流れを、個人を特定することなく継続的に把握することが可能となり、実店舗でもECにおける「セッション」や「コンバージョンパス」に近い概念の再現が現実味を帯びてきました。

また、顧客の動きや滞在、商品への関心を示す行動を、より広範に捉えるための技術として、映像情報とテキスト情報を組み合わせて処理するVision-Language Model(VLM)のようなアプローチが進展しており、これまで捉えにくかった多様な行動パターンへの対応が可能になりつつあります。こうした技術は、店舗内での顧客の振る舞いをより柔軟に捉えることを可能にし、売場設計や接客タイミングの最適化、施策の反応分析など、複数の業務領域において活用の幅が広がっています。

さらに、これらの解析技術を現場環境で安全かつ効率的に運用するためには、リアルタイム処理やプライバシー保護を両立する仕組みも欠かせません。例えば、映像をクラウドに送信せず、現地の端末で必要な情報のみを抽出・活用するエッジ推論の仕組みは、通信負荷や個人情報リスクを抑えながら、販促や接客のタイミングを逃さずに対応するための基盤技術として注目されています。

技術の統合による店内行動分析の進化

これらの技術群は、単体での活用にとどまらず、店舗の目的や環境に応じて柔軟に組み合わせることで、店舗内における顧客行動を「入店 → 回遊 → 立ち止まり → 接触 → 購買」という一連の流れとして高精度に捉えることが可能になります。これにより、施策の効果検証やKPIとの因果関係の分析といった、より高度なマーケティング・オペレーションの実現が視野に入ります。

ただし、技術の進化は著しい一方で、それぞれに固有の制約も存在します(「後編」参照)。こうした技術的な可能性と運用上の制約を踏まえたうえで、企業はどこから着手すべきでしょうか。

初期導入においては、「売場の反応が売上に直結しやすいエリア」や「施策の効果検証が求められる場面」から始めるのが有効です。たとえば、新商品の棚前、販促施策を展開しているエリア、デジタルサイネージ前などは、行動データと売上データの関係が捉えやすく、投資収益率(ROI)の可視化にもつながります。

また、導入判断においては、「現場の運用負荷」「プライバシーへの配慮」「データ活用体制」の3点を軸に検討することが不可欠です。

特に重要な点は、技術の限界を前提に、複数指標での判断や現場との対話を重視し、小さく始めて、効果を確認しながら段階的に展開することです。このアプローチが、店舗運営の意思決定を進化させる第一歩となります。

CV技術が店舗経営にもたらす変革とは

実店舗の運営において、最も悩ましい課題のひとつが、「顧客がどのように商品に興味を持ち、購買に至ったのか」というプロセスの不透明さです。ECでは、クリック、閲覧履歴、カート投入、離脱といった行動がすべてデータとして蓄積され、施策の効果検証や改善が可能です。しかし、実店舗では、顧客属性に加え、「商品を手に取ったか」「迷ったか」「なぜ購入しなかったのか」といった情報がほとんど記録されず、多くは店舗スタッフの経験や勘に頼らざるを得ないのが現状です。

この“見えない行動”を可視化する技術として、今注目されているのが本稿で紹介したCVをはじめとする技術群です。これらの技術を活用すれば、商品への接触、棚前での滞在、試用の様子などを映像から検出し、購買に至るまでのプロセスを「関心度の高い行動」として定量化することが可能になります。これにより、売れた理由だけでなく、売れなかった理由にも光を当てることができ、店舗運営の改善に直結する示唆が得られます。

さらに、従来の消費者調査では捉えきれなかったリアルな顧客反応も捉えることができます。視線の動き、手の伸ばし方、滞在時間などの微細な行動を解析することで、「どの商品に惹かれたのか」「どこで迷ったのか」といった感情の揺らぎを数値化できるようになります。これは、売場設計や商品配置、接客タイミングの最適化において極めて有効です。

CVで取得した行動データをPOSと組み合わせれば、陳列、パッケージ、価格などの施策が売上に与える影響を事前に予測することも可能になります。これまで属人的・経験則に頼っていた施策設計が、データに基づく戦略的な意思決定へと進化します。

顧客属性の把握においては、顔や体格、服装などの特徴から、年代・性別・民族・グループ構成などを推定し、属性ごとの反応や購買傾向を分析することで、ターゲティング精度の向上や売場ごとの最適化にもつながります。

これらの取組みは、単なる技術導入ではなく、店舗運営の意思決定を根本から変える武器になります。現場の肌感覚をデータで裏付け、属人的な判断を客観的な根拠に変える存在になり得る技術です。KPMGアドバイザリーライトハウスでは、現場で実際に起きている課題に丁寧に向き合いながら、物体追跡や画像認識をはじめ、機械学習・統計学・応用数理などの先端技術を活用し、クライアントとともに課題の本質を捉え、持続的な改善につながる取組みを積み重ねています。

まとめ:店舗運営の新標準としてのCV活用

CV技術を活用した店内行動分析の導入は、実店舗が長年抱えてきた「施策の効果検証の難しさ」や「再現性の低さ」といった課題を根本から解消する可能性を秘めています。顧客の行動を各段階で定量的に捉えることで、施策の成果を明確に評価し、次の打ち手をデータに基づいて判断することが可能になります。

企業がこのようなケイパビリティを構築することで、顧客体験の高度化、商品・売場の最適化、店舗・マーケティング施策の精度向上、そしてオペレーションの継続的改善が実現されます。これは単なる技術導入ではなく、店舗経営の意思決定を“勘と経験”から“科学とデータ”へと進化させる一手です。

今後、実店舗においても、ECと同様に顧客行動をデータで捉え、施策を検証し、改善を重ねていくことが、競争力の源泉となるでしょう。CV技術は、その変革を支える中核技術として、店舗運営の新標準となることが期待されます。

執筆

株式会社KPMGアドバイザリーライトハウス
アドバンスドアナリティクス&AIラボ
KPMGコンサルティング株式会社
消費財・小売・サービスセクターユニット
マネジャー 土肥 良弥

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