気候変動対策が国家・企業の直面する責務・課題となるなか、温室効果ガスの排出枠や削減を数値化し、市場取引を可能にする「カーボンクレジット」が注目を集めています。一方、その具体的な仕組みや市場の実態に関しては、パリ協定6条2項の運用を始め、市場整備が続々と進んでいるものの、いまだ一般には広く理解されていないのが現状です。
本連載では、「カーボンクレジットに関する世界の潮流と日本企業の勝ち筋」と題して、カーボンクレジットの需給動向、国内外の法規制、そして2030年以降を見据えた市場の展望までを多角的に読み解いていきます。
第2回となる本稿では、2026年度より本格運用が予定されているGX-ETSに焦点を当て、解説します。
1.はじめに
日本政府は、グリーントランスフォーメーション(GX)政策の一環として、企業の温室効果ガス(GHG)削減を促進し、関連投資や技術開発を後押しするため、GX-ETS(Green Transformation Emissions Trading Scheme)の導入を進めています。従来のJ-クレジット制度等に加え、企業間での排出権取引を本格的に拡大・活性化する新たな枠組みとして推進しています。2022年に「GXリーグ構想」が公表されたことを皮切りに、これまでGXリーグにおいて試行的な排出量取引が行われていますが、2026年度開始予定の本格運用や2033年度開始予定の発展(発電部門に対する段階的な有償オークションの導入など)を見据えるなど、今後さらなる取組みの高度化が計画されています。
現在実施されている試行運用では、企業自らがGXリーグおよびGX-ETSに参画したうえで、国内GHG排出量の削減目標を設定し、実際の排出量を算定、その結果を公表するという自主的な取組みに基づく運営が行われています。そのなかでも、排出量取引は制度として整備されているものの、目標水準を超過する(削減目標未達)場合はその理由を説明することが求められるにとどまり、企業に対する削減要請としての強度は低く、あくまで企業側の自主的な取組みを前提とするものとなっています。
【GX-ETSの制度拡大スケジュール】
出所:KPMG作成
2.GX-ETSの本格運用と日本企業に与え得る影響
では、2026年度より開始される本格運用ではどのような変化があるのでしょうか。大きな変化の1つは、企業に対する取組みが義務化されることです。これにより実務的・財務的な企業負担が生じる可能性があり、企業は早期から動向を把握することが必要になります。
実務的負担として、これまでは企業の自主的な取組みが促されてきましたが、今後の本格運用においては多排出事業者が対象として義務化されることで、負担の増大が予想されます。具体的には、2025年10月時点の検討においては、国内における直接GHG排出量(Scope1)が10万t-CO2e以上の法人(前年度までの3ヵ年平均)※1が対象となります。
制度対象者の考え方については、議論が続いているものの、法人単位で義務化が課されるため、企業においては特定の機能子会社や同業他社とのジョイントベンチャー(JV)など個別の企業単位が対象となることが想定されます。そのため、純粋持ち株会社などの形態で企業統治を行う企業においては、多排出事業者となる子会社等での対応が必要となり、実務的な負担が大きくなる可能性があります。
また、財務的な負担として、削減目標が未達の場合に金銭的な支払いが発生する可能性があります。これまでの試行運用では、目標未達時にはあくまでその理由の説明が求められることにとどまっておりましたが、今回の本格運用では排出削減活動の強制力が増しています。具体的には、企業には政府指針に基づく排出枠が設定され、設定された排出枠以下に実際の排出量が収まらなかった場合、超過分に対して金銭的な支払いが求められることが議論されています。排出枠の算定方法は、業種ごとの特性や影響度を丁寧に拾い上げるため、ワーキンググループが組成され詳細が検討されている最中であり(2025年10月現在)、引き続き注視が必要です。
企業は、金銭的な支払いに伴うキャッシュフロー上の影響やGHG排出削減の強化に伴う自社の気候変動対応の進展とモニタリングの強化をこれまで以上に取り組む必要があります。今後、制度設計の検討が進むなかで、自社の排出取組み状況や排出傾向を踏まえた影響度の試算も必要となります。
自助努力としての排出削減活動を推進することも1つの手段ですが、大きな影響を与えるGX-ETSの本格運用においては、取り得る戦略オプションを幅広く捉えたうえで、影響を最小化する必要があります。そのオプションとしてカーボンクレジットの活用が考えられます。
【本格運用に伴う主な企業の負担】
出所:KPMG作成
3.カーボンクレジットを活用した本格運用への備え
GX-ETSの本格運用での活用が予見されるカーボンクレジットですが、企業独自の排出削減活動のインセンティブを削らないために、一定の制約が課されることが想定されています。現在、検討が進む制度設計のなかでは、カーボンクレジットの利用は一定規模(排出枠の10%を上限とする可能性)に限定される方向で制度設計の議論が進められています。一方で、本格運用の対象となる多排出事業者の多くはアセットヘビーな企業が多く、排出削減の実現には多額かつ長期の設備投資を必要とします。効果を享受しづらいその活動期間中の排出削減活動を支える手法としてもカーボンクレジットの活用が想定されます。
カーボンクレジットの活用においては、主に3つのアプローチが想定されます。
【カーボンクレジットの活用に向けた3つのアプローチ】
出所:KPMG作成
1つ目は、市場からのカーボンクレジットの調達です。短期的に、排出削減投資の効果実現までの間、市場で流通するカーボンクレジットを調達することで、自社の排出枠の超過を回避し、金銭的な支払いを免れるものです。オペレーションが容易かつ短期的な効果の創出が見込める一方で、前述したようにクレジットの利用量に対して上限が設定される可能性が高く、影響が限定的となることが想定されます。中長期的にGX-ETSに利用可能なカーボンクレジットの創出量と需要量には大きなギャップが想定されており、本格運用に伴い取引価格の高騰や調達リスクが見込まれるため、早期から信頼性を確保した調達ルートの確保が求められます。
2つ目は、自社の排出量削減投資・プロジェクトからのカーボンクレジットの創出です。需給ギャップが存在するカーボンクレジット市場においては、今後中長期的にカーボンクレジットの取引価格が上昇を続けることが見込まれます。そのため、排出削減投資・プロジェクトを通じて創出されたカーボンクレジットを市場等で売却することで、一定の収益を確保するとともに、自社の排出量が排出枠を超過した際に、超過分の排出量を一部オフセットすることが可能となります。
3つ目は、カーボンクレジット事業への参入です。カーボンクレジットの創出や調達を経て培ったノウハウを活用するとともに、中長期的に価格上昇トレンドが予見される市場を見越し、新たな収益源の確保としてカーボンクレジット事業への参入を図ることも想定されます。自社プロジェクトからだけではなく、JVや特別目的会社(SPC)の設立、投資ビークルへの参画等も含め、多面的なカーボンクレジット創出機会の獲得を図ることで、GX-ETSの本格運用に伴う市場制約を新たな事業機会として捉えることが可能になります。
4.さいごに
脱炭素社会への移行に関しては、従来以上に世界的に混乱期に突入している状態ではありますが、GX-ETSは2033年度にさらなる発展を見据えるなど、GX-ETSは今後の日本の脱炭素政策の中核となる見込みであり、特にエネルギー・素材・化学業界など基幹産業への影響が大きいと考えられます。企業は以下の観点から、早期かつ戦略的な対応が求められます。
- 制度設計の動向を継続的にモニタリングし、自社への影響度を定量的に把握する
- 排出削減施策とカーボンクレジット活用の両面から、柔軟な対応策を検討する
- 市場動向や制度変更に迅速に対応できる組織体制を構築する
今後の脱炭素社会への移行期におけるさまざまな影響に対して、制度変更や市場環境の変化をリスクではなく成長機会と捉え、持続的な競争力強化を目指すことが、今後の企業価値向上の鍵となります。
※1 経済産業省 産業構造審議会 イノベーション・環境分科会 排出量取引制度小委員会「第1回事務局資料 排出量取引制度の詳細設計に向けた検討方針」(2025年7月2日)