1.はじめに

大学経営とは

少子化が進行し学生数の確保が難しくなるなか、日本の大学は諸外国に比べて授業料が低く、寄付文化はあまり根付いていません。欧米でよく見られるような留学生に対する高額な授業料設定も、日本では一般的ではありません。このような状況で日本の大学は、どうやって経営を成り立たせているのかと疑問に思われないでしょうか。

大学には、国立・公立・私立といった設置母体に違いがあり、その成り立ちも財源構造も大きく異なります。にもかかわらず、近年では、国公私立のいずれの大学も同じような教育改革の方向性を取っているのはなぜでしょうか。

進学者数が減少し、大学の収入が減るなかで、教育への社会的要求は高まり研究にはより高い競争力が求められています。そのように「縮小する資源に対してより高い付加価値を求められる」大学はどのように経営判断を下し、組織としての方向性を見定めていけばよいのでしょうか。
今回は、大学経営を取り巻く環境や構造に焦点を当て、大学教育改革がなぜ難しいのか、考えます。

2.大学経営と教育改革

大学の収入源

まず、大学の収入構造を概観します。図表1は、国立大学と私立大学の総収入を示したもので、大学ごとの財務状況には違いがあるものの、設置形態による傾向を把握することができます。

国立大学の運営費は、国からの「運営費交付金」が大きな割合を占めています。図では附属病院の収入も含まれているため交付金比率が低く見えますが、実際には、運営費交付金に補助金などを加えた国庫負担が研究・教育活動の財政基盤となっています。学生納付金(学費)の割合は相対的に少ないことがわかります。

この運営費交付金は、2003年の国立大学法人化以降、毎年およそ1%ずつ削減されています。2004年度には86法人に対して1兆2,415億円が支給されていましたが、2024年度には1兆526億円となり、総額は15%以上減少しています。さらに、インフレや人事院勧告による給与上昇分は考慮されないため、実質的な財政の厳しさは一層深まっています。加えて、2019年からは各大学の成果に応じて配分額に差をつける制度が導入され、運営費交付金の競争的性格が強まっています※1。ただし、競争的資金の規模は年間1,000億円程度で交付金全体の1%前後です。

一方、私立大学の収入の大半(約77%)は学生納付金によって賄われ、国からの補助金は全体の1割程度にとどまります。私立大学は、明治期以降、社会の高等教育需要の受け皿として発展してきましたが、財政基盤は学費に強く依存しています。学費制度を最初に導入したのは私塾時代の慶應義塾で、福沢諭吉は当時「学費を取る」という発想自体が世間を驚かせたと『福翁自伝』で回想しています。

公立大学は、もともと地方自治体が設置し、地域の高等教育を担う存在として運営されてきました。2006年の「公立大学法人制度」創設以降、自治体の判断により法人格を持つことが可能となりました。大学の運営費は地方交付税の枠組みで措置され、地方公共団体を通じて大学に配分されています。

【図表1:国立大学と私立大学の事業収入】

大学経営と教育改革~その構造的ジレンマ_図表1

出所:左:「国立大学法人等の令和4年度決算」(文部科学省)、右:「私立学校・学校法人基礎データ」(文部科学省)を基にKPMG作成

このような収入源の違いは人件費構造にも影響します。全教員に占める兼務教員(非常勤など)の割合は、国立大学で約38%であるのに対し、私立大学では56%にのぼります。教員一人当たりの学生数も、国立大学が9.5人、私立大学では19.1人と大きな開きがあります(図表2参照)。

【図表2:教員数と学生数】

大学経営と教育改革~その構造的ジレンマ_図表2

出所:「学校基本調査(令和6年度)」を基にKPMG作成

大学の経営組織

国立大学は、2003年の法人法制定により国立大学法人の形態を取っています。設置が義務付けられているのは、「役員会」「経営協議会」「教育研究評議会」の三機関です。学長は、学内外の構成員からなる「学長選考会議」によって選出され、文部科学大臣の任命を受けて就任します。学長は「教育研究」と「経営」の双方に関する最終的な判断と責任を担う立場となり、ここから「教学と経営の一体化」が問われるようになりました。

私立大学は学校法人によって運営されており、経営の最終意思決定は「理事会」が担います。理事会は、5名以上の理事と1名以上の外部理事で構成され、理事長が法人の代表を務めます。評議員会は必要に応じて法人の運営に対して意見を述べる諮問機関として設置されます。私立大学は民間主導で設立・運営されるため、比較的自由度の高い経営が可能ですが、非課税措置を受ける公益法人であることから公教育を担う立場として文部科学省の監督を受ける必要があります。

私立大学への国の補助金は、法的には経常費用の最大5割まで可能ですが、実際には1割程度です。それでも文科省の監督下にあるのは、明治時代に私立大学が官立大学に準ずる資格を得ようと国の要件を自助努力で満たしてきた歴史があり、その時に生まれた組織力学に由来しています。

公立大学は、設置主体が地方公共団体であり性質としては国立大学に近いですが、法人格の付与には議会の議決と文科省の認可が必要です。法人化された公立大学には、経営と教育研究に関する審議機関の設置が義務付けられますが、役員会の組織構成は設置団体(地方公共団体)の裁量に委ねられています。また、国立大学と異なり理事長と学長は同一とは限りません。たとえば、理事長が経営責任を、学長が教育研究を担う「教学と経営の分離」型の運営も可能で、その形態は設置団体(地方公共団体)に選択権があります(図表3参照)。

【図表3:法人の組織形態】

大学経営と教育改革~その構造的ジレンマ_図表3

中期計画と評価指標

経営おいて不可欠なのが経営計画ですが、大学における「計画」とはどのようなものでしょうか。

国立大学は法人化以降、6年単位の「中期目標」を策定し、それを基に文部科学大臣が「中期計画」を定める仕組みとなっています。公立大学も同様に、法人が策定した計画を設立団体の長(都道府県知事や市長など)が認可します。一方、私立大学はこれまでは任意でしたが、2020年の私立学校法改正により中長期計画の策定が義務化されました。

ここでは国立大学の中期計画を中心に見てみましょう。文科省は重点政策に沿って取り組むべき項目を示し、各大学はそれを踏まえて独自の強化事項を設定して具体的な目標と評価指標を定めます。現在は第3期(2022~2027年度)にあたり、各大学が策定した中期計画は文部科学省のホームページで公開されています※2

第3期において最も重視されているのは「1.社会との共創」で、特にイノベーション創出や研究開発の活性化が主要な目標に掲げられています。「2.教育」に関しては、「学際的能力を高める国際・分野横断プログラムの拡充」「学生の主体性や問題意識を育成する教育プログラムの強化」などが挙げられ、本連載でも触れてきた教育転換の方向性が反映されています。とはいえ、設定されている評価指標は「プログラム数」や「参加率」など、測定可能な量的指標が中心です。こうした目標と評価指標の設定は大学における組織的な教育改革の方向性を示すものになります。

また、前述の成果連動型の運営費交付金に関する評価指標を見てみると、11項目中、研究関連が5項目(総額約470億円)を占め、教育関連は3項目(約170億円)にとどまります。研究領域では「論文の被引用数」「科研費獲得額」など研究者には定番の指標が並びます。一方で、教育関連の評価項目は「(1)卒業後の進路状況」「(2)博士号取得者数」「(3)大学教育改革の実施状況」の3つで、教育内容に直接関係するのは(3)の1項目のみ。しかもこの(3)の評価指標も、「学習成果の可視化状況」「卒業者アンケートの実施状況」「情報のデータ化と活用状況」など、教育そのものというよりデータ収集と利活用に焦点が当てられています(図表4参照)。

【図表4:令和7年度成果を中心とする実績状況に基づく配分について】

大学経営と教育改革~その構造的ジレンマ_図表4

出所:文部科学省資料(令和7年度)より抜粋(下線はKPMG)

このような中期計画と評価指標の状況からは、文科省の方針に沿って計画が形づくられ、それに大学が従う構図が見えてきます。運営費交付金の配分に直結する以上、大学執行部としても政策に準拠した計画を立てざるを得ません。その結果、大学の「教育改革」は、組織改編やIR(Institutional Research)による調査、学習成果の可視化ツールの導入など、形式的な対応に注力することになります。しかし、残念ながらこれらの可視化や調査は実社会において重視されていないことは第3回でも確認したとおりです。

組織的な教育運営

組織的な教育改革がどのように検討・運営されているのか見ていきます。

教育運営においては、2012年の教育振興基本計画では学長を中心とした全学的なマネジメント体制の構築が提示されました。学内の各部門を調整しながら教育全体の最適化を図る体制です。

たとえば、学長対談でも紹介した宮城大学では、学長および運営・事務組織を束ねる理事長を頂点に、副学長、理事らが執行部を構成し、カリキュラム、アドミッション、キャリア支援、IRなどを所管する委員会が担当副学長のもとに設置されています※3

これらを横断的に調整・審議する場として「教育研究審議会」が設けられ、教学や教育改革にかかわる事項が審議されます。このような委員会体制は他大学でも広く見られます。教育研究審議会で審議される改革案は、DP・CPの改訂や入試制度の見直し、基盤教育の設計などが中心です。検討にあたって各委員が自らの分野に関する検討結果を持ち寄りますが、他分野の検討事項については情報共有にとどまってしまう傾向があります。これもまた多くの横断型会議に見られる課題です。

つまり、教育改革において必要とされるのは分野を超えた協働ですが、大学という組織においてはこの「協働」を実現することが容易ではありません。大学基準協会の第3期認証評価(2018~2024)でも、多くの大学で「内部質保証体制が不十分・形骸化している」ことが指摘されています※4

分野重視の組織構造

ではなぜ大学では分野を超えた協働が実現しにくいのでしょうか。

多くの方が在学中に「学部」に所属していたように、大学は基本的に分野別の研究組織で構成されています。学部は、研究者が特定分野の研究を行うための組織であり、従来は学生もその学部に所属して学ぶ構造でした。教授・助教授・助手(旧称)で構成される「講座」が基礎単位となり、それが集まって学科や学部を構成し、さらに複数の学部が大学を形成していました。このような成り立ちから、学部ごとに異なる文化や行動様式があり、大学全体よりも学部単位の部分最適が優先される傾向は今も根強く残っています。

しかし、昨今の大学はユニバーサル化に伴い、大学の役割も研究者養成の場からより幅広い層に教育を提供する場へとシフトしています。この変化に対応すべく、教育体系(学群)とそれに責任を持つ教員組織(学系)を分離する仕組みが徐々に普及しつつあります。とはいえ、教育の設計は依然として学問分野に依拠することが多く、学部教授会と教育系の教員会議の役割の違いについて十分に認識共有されていない場合も見られます。個々の授業を自分の専門に基づく持ち分とみなす意識も抜けきれていません。

研究偏重のインセンティブ

そして、教育改革において最大の課題の1つが「教育インセンティブの不在」です。理想的なカリキュラムの設計は会議で描けたとしても、それを実行するには教員全員の前向きな教育姿勢が不可欠です。しかし、現状はそのモチベーションが制度的に支えられておらず、教育への関心や熱意は結局のところ個人の裁量に依存しています。

研究分野では、論文数や科研費の採択実績といった評価指標が明確で、それが採用・昇格・報酬に直結します。大学の執行部の多くも研究者出身であり、さらに文科省の大学評価でも研究実績を重視した指標が中心となっているのだから、「研究成果こそが組織の評価や資金獲得につながる」という見方が支配的になるのは自然でしょう。

一方で、教育の成果を評価する仕組みはほとんど整っていません。大学での教育研修は義務付けられているものの実態として参加は任意であり、しかも北米での実験によれば教員間で他者の教育法は転移しません。日本でも、教育力向上のための授業の相互参観が取り組まれていましたが、その実施は減少しており、キャリア形成に活用されるべき「ティーチング・ポートフォリオ」の活用は浸透していません※5。つまり、制度的にも文化的にも、大学における教育へのインセンティブは非常に弱いのです。

大学教育改革の構造的ジレンマ

このように、現在の大学組織に対する評価軸は、組織レベルでも個人レベルでも研究実績を重視した業績偏重であり、教育活動の評価も可視化や数値化が可能な要素に限定されます。かつ、評価は個人の成果に焦点が当てられ、教員同士の協働的な教育活動や組織的な取組みは評価の対象外となっています。優れた教育改革の実践を推進するための制度的な仕組みがないのです。

協働のしくみは一朝一夕には確立しません。たとえばまちづくりの領域でも、阪神・淡路大震災を契機に30年をかけて政策プロセスにおける協働の重要性が浸透してきました。大学教育においても同様に、役割分担、責任の所在、手法の明確化といった点について、組織的な協働体制の強化が求められます。これは「個」の自由が尊重されてきた大学文化のなかで、教員個人・大学組織の双方に新たな視点や態度を取り入れる必要があることを意味します。近年、大学は学生に対してチーム力や協働力を育む教育を重視していることを踏まえれば、大学自身が協働する組織としてのあり方を学びなおす時機と言えます。

大学教育改革の必要性については、文部科学省も大学関係者も強く認識しています。しかし、本質的な改革の実現にはこうした構造的課題に正面から取り組むことが不可欠です。組織として教育に取り組む体制と、その実践を正当に評価する仕組みを作る必要があります。
さらに、大学教育は社会にとっての公共財です。だからこそ、大学には未来を担う人材の育成が強く期待されています。公共財としての教育価値もまた、単なる経済的指標や可視化できる業績だけでは測りきれません。

このような大学教育の課題は、もはや大学関係者だけの問題ではありません。たとえば、教育予算を単純に大学無償化にあてることが果たして社会全体にとって望ましい政策なのかどうか。社会全体が、大学教育を自分事として捉え、関与することが求められているのではないでしょうか。

執筆者

KPMGコンサルティング
スペシャリスト(リードスペシャリスト) 田中 智麻

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