本稿は、「大学教育改革の理想と現実」シリーズの特別対談です。今回は、東北大学で長年教鞭をとり、現在は宮城大学の学長を務める佐々木啓一先生に、「大学教育の今」について伺いました。研究大学と地域に根ざした大学、2つの大学を知るからこそ見えてきた、教育の本質に迫ります。

佐々木 啓一氏 プロフィール

宮城大学学長、東北大学参与。
東北大学大学院歯学研究科修了、カナダ・ブリティッシュコロンビア大学留学。東北大学歯学研究科長・歯学部長、東北大学副学長などを経て、2023年より宮城大学学長。
分野横断型の医工連携や、国内外の企業との多数の産学連携プロジェクト、東北大学サイエンスパークの立ち上げなど、実学重視を自ら実践し続けている。

宮城大学学長 佐々木氏

宮城大学学長 佐々木氏

大学教育に違いはあるのか

-教育現場を長く見てこられた先生ですが、東北大学と宮城大学、それぞれの教育に違いを感じることはありますか?

佐々木氏:大学という場は、教員が真剣に研究し、その姿勢で学生を育てる場所です。この点においては、大学間で本質的な違いはないと私は思っています。FD(Faculty Development)も浸透し、教員は教育方法について一定のトレーニングを受けていますから。

たとえば、宮城大学が得意とするPBL(課題解決型学習)も、東北大学でも学部レベルから広く取り入れられていました。
私の専門分野(歯学)だと、知識や技能など教育内容と職業が密接に結びついているから、教育には手を抜けません。臨床実習では応用力が求められますし、クリティカルシンキングや創造力の涵養も自然と授業に含まれます。社会に近く、人に近い領域ですから、職業倫理の教育も重要となっています。

ただ、1つ言えるのは、「学生に対する前提の置き方」が大きく違うということです。

学生に任せる東北大学、伴走する宮城大学

佐々木氏:東北大学では、学生に高いモチベーションがあることが前提になっていて、教員は必要な知識を提示するだけ。そこからどう学ぶかは学生次第です。応用力や思考力も、自らの力でPBLなどを通して獲得していく。いわば放任型であり、それが成立しています。

宮城大学に来て実感したのは、教員が確かに「教育している」ことですね。学生一人ひとりに向き合い、支えている。学生のモチベーションや課題理解にばらつきがあるために、プロセスを丁寧に管理する必要があるのです。
東北大学と宮城大学の教育アプローチの違いは「学生に自ら学ぶことを任せているかどうか」という前提の違いによるものだと思います。

-東北大学の学生についてお尋ねします。受験勉強を頑張った学生が多いと思いますが、自ら学ぶ力という点はいかがでしょうか?

佐々木氏:実はそこが盲点です。学ぶ習慣があるかどうかと、学習のモチベーションは必ずしも一致しません。やれと言われればできるけれど、「何を学ぶか」を自分で決めるとなると不安になる。真面目で一生懸命だけれど、自分の頭で考えるのが苦手。こうした学生はどの大学にもいますし、年次が上がるにつれその問題が顕著に見えてきます。

逆に、宮城大学の学生は、どこかイキイキしている印象がありますね。学習習慣にかかわらず、おそらく中・高時代に自分で「やる・やらない」を決めてきたのでしょう。主体性があれば興味を持ったときの吸収力は高い。そうした可能性を引き出す“何か”を見つけようとする姿勢が、宮城大学の教育の特徴かもしれません。

教育の本質は「学び方を教えること」

佐々木氏:ただ、現状はモチベーションの喚起や興味の探索が中心で、体系的な学問を教えているかと言われると、ちょっと浅い。ここの学生は学ぶ力そのものを習得できれば飛躍する可能性もあるから、潜在力をどう引き出すか。そのためには、教員自身が深い専門性を持ち、それを通じて知識を深掘りさせることが必要です。

宮城大学学長 佐々木氏

宮城大学学長 佐々木氏

-やはり研究力が教育力につながりますか。昨今は授業法の工夫が注目されていますが、教育力を高めるために本当に必要なことは何でしょう?

佐々木氏:私は「学び方を学ぶこと」こそ、大学教育の本質だと思っています。それさえ身につけば学生はどこに出てもやっていける。そしてそれを教える力は、教員自身の問い続ける姿勢にこそあるのです。本質を問い、正しい問いを追い求めながら、常に自問自答しながら掘り下げていく、真剣に研究を突き詰める姿勢が、教育の質を支えるのです。

一方、実践教育を重視する大学では、教育が“ハウツー”に流れがちなところがあります。“ハウツー”は時に中身を伴わないこともある。しかし、学びのなかで追及すべきは中身です。知識の深さ、本質の探究こそが教育の根幹です。

優れた研究者や実務家が優れた教育者になれる

佐々木氏:突き詰めて考える力がなければ教育はできません。これは実務家教員であっても同じだと思います。自身の領域を極め、社会課題を見出す視点を持つ人は、教育にも本質的な力を発揮できます。研究も実務も、言語化、視覚化して、深化させるプロセスは共通しています。専門性の核を持ち、それを「どう学ぶか」教えられることが必要なのです。

研究志向であれ教育志向であれ、教員には専門性を極める姿勢と、学生にそれをどう伝えるかの力、その両者のバランスが今の大学教育には求められていると思います。さらにもう1つ、教員の人間力がなければ学生はついてきません。

現実には、どの大学でも「学び方を教える」ことが十分にできていません。FDもハウツーにはなっていても、こうした本質的な教員力を育むものにはなっていません。

なぜ大学教育は学び方を教えられないのか

-学び方を教える。長年の日本の課題ですよね。教育が変わらないのは、評価の仕組みが曖昧だからでしょうか?

佐々木氏:まさに、そこが問題です。大学において教育を評価する仕組みは、正直なところほとんど存在しません。

研究大学でもそうでない大学でも、教育を通して学生の変容を見ることに関心を持たない教員も少なくありません。一方で、教育を重視する大学に自ら志願する研究者もいます。でも、それをどう評価すればいいのか。

研究・教育・社会貢献・運営のなかで「教育」の比重はあるとしても、その中身は明確に定まっていません。文科省でさえ、大学評価の軸として教育を最優先にしているわけではない。本来なら、教育力がすべてと言ってもいいような小中高等学校の、優れた教諭は正当に評価されるべきじゃないですか。
これは日本社会全体が“教育力”をどう捉えるかにかかわる問題です。

平等という平準化が大学を弱くする

-社会全体の認識も関係するということですね。

佐々木氏:そうです。日本社会には、横並びでゴールすることを良しとするような風潮があります。その感覚が、すべての大学を同じ尺度で評価することにつながってしまう。世界の最先端を目指す東北大学と、地域社会と密接にかかわる宮城大学とでは、研究の目的も、教育の役割も違います。本来、役割分担と機能の棲み分けが必要なはずです。

こうした風潮が、日本全体の大学像を見えにくくしています。平等という名目で大学の多様性を抑え込んでいるのかもしれません。

「本気で大学教育に向き合う」

-最後に、学長としての、大学教育に対する思いをお聞かせください。

佐々木氏:私は東北大学という恵まれた環境で長く教育に携わってきましたが、その教育が学生の能力に委ねられていた面も大きかったと感じます。仕組みはあっても、教育そのものの検証は十分ではありませんでした。こうした状況は、研究大学でも地方国立大学でも大差ないでしょう。
結果として、そこで語られる教育改革は、形を変えるだけで本質的な変革を伴っていないのです。

私自身、これまでも教育の重要性は語ってきましたが、宮城大学に来て初めてその実態を肌で感じ、「本当に大学教育と向き合わなければならない」と考えるようになりました。
教員や学生と向き合い、共に葛藤しながら、「大学とは何か」を追求していきたいと思います。

左から KPMG 田中、宮城大学学長 佐々木氏

左から KPMG 田中、宮城大学学長 佐々木氏

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インタビュー実施日:2025年6月12日
聞き手:KPMGコンサルティング スペシャリスト(リードスペシャリスト) 田中 智麻