1.はじめに
「大学に行って良かったと思いますか?」
そう尋ねられれば、多くの人が「良かった」と答えるのではないでしょうか。その理由も、「ブランドになる大学名が手に入った」「友人ができた」「アルバイトで社会経験を積んだ」「就職に役立った」「いい先生に出会えた」「人間的に成長できた」など、人によってさまざまでしょう。そして多くの人は、大学で学んだ「専門知識」よりも、むしろ人間関係や人間的成長を印象深く語る傾向があるようです。
大学は、研究とそれに基づく教育を担う場です。しかし、卒業生が実感する成果は、必ずしも「学問」や「知識の修得」にとどまらず、「人間的な成熟」や「社会性の獲得」といった客観的に測定しづらい価値観に寄っているように見えます。
そして今、大学はこの「人間的成長」という、言語化しにくく測定も困難な成果に対して向き合わざるを得なくなっています。汎用性能力、社会性、創造性、リーダーシップ。大学はこれらの“見えにくい力”をいかにして教育し、証明するかに心血を注いでいると言っても過言ではありません。
今回は、こうした教育改革の動きが生まれた背景と大学の実践をみていきます。
2.現在の大学教育:社会の要請と大学の対応、そして矛盾
汎用的能力に対する教育ニーズ
大学進学率が高まり、多様な学生を対象とするようになった大学は、教育の多様性や学問的な専門分野の追求だけではない、実社会と紐づいた教育が求められています。「知識を得る」だけでなく「知識を使いこなす」力です。こうした力は「汎用性能力」「キーコンピテンシー」「ジェネリックスキル」などと呼ばれ、世界的にその教育的育成が重要視されています。
たとえばOECDは、「キーコンピテンシー」として以下の3つを提示しています。
1.社会・文化的、技術的ツールを相互作用的に活用する能力 | A.言語、シンボル、テクストを相互作用的に活用する能力 B.知識や情報を相互作用的に活用する能力 C.テクノロジーを相互作用的に活用する能力 |
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2.多様な社会グループにおける人間関係形成能力 | A.他人と円滑に人間関係を構築する能力 B.協調する能力 C.利害の対立を御し、解決する能力 |
3.自律的に行動する能力 | A.大局的に行動する能力 B.人生設計や個人の計画を作り実行する能力 C.権利、利害、責任、限界、ニーズを表明する能力 |
日本においても、文部科学省は2008年の中教審答申で、大学教育の到達目標として「学士力」を提示しました。学士力は、知識・理解に加えて、OECDのキーコンピテンシーと同様の能力を包含しています。
(1)知識・理解
(2)汎用性能力(コミュニケーションスキル、数量的スキル、問題解決能力、等)
(3)創造的思考力とそれを支える統合的な学習経験
(4)態度・志向性(自己管理力、チームワーク、倫理観、社会的責任、等)
また、日本学術会議は2010年、分野横断的な基盤力として「ジェネリックスキル」の必要性を打ち出し、33分野での教育の参照基準を設計しました。
経済産業省が提唱した「社会人基礎力」や、経団連の2021年度新卒採用に関する調査でも、企業が学生に期待する力は、「主体性」「チームワーク・リーダーシップ」「課題設定・解決能力」「論理的思考力」といった汎用的能力に集中しています。さらに「文系・理系を越えた教養」など、専門知識の枠を超えた応用力への期待も顕著です。
大学認証評価による教育力強化
大学設置基準の自由化による設置後の点検の必要性や、社会的要請に応える形で、大学教育の質保証が制度的に整えられてきました。2004年の学校教育法改正により、大学は自らの点検・評価を行い、その結果を公表することが義務付けられ、加えて文部科学省が認定する評価機関による「大学認証評価」が7年ごとに実施されています。
2025年度からは第4期がスタートし、これまで以上に内部質保証の実質化や管理体制の徹底を求め、分野別評価を重点化する方向です。この認証制度により、大学は教育のPDCAサイクルを自ら回すことが求められ、教育の成果とプロセスの可視化が進められています。
大学の対応と努力
こうした外的要請に対して、大学はさまざまな対応を行ってきました。
まずは教育方針を明確にするため、ほぼすべての大学が以下の「3つのポリシー(通称3ポリ)」を定めています。
- ディプロマ・ポリシー(DP):卒業認定・学位授与の方針(どのような学生を育てるか)
- カリキュラム・ポリシー(CP):教育課程の編成・実施の方針(どうやって育成するか)
- アドミッション・ポリシー(AP):入学者の受け入れ方針
これらのポリシーでは、前述の「学士力」に基づく汎用的能力や人間性の育成が明記されており、専門知識にとどまらない幅広い力を養うことを大学の使命と位置付けています。
【図表1:大学教育の3ポリシー(DP/CP/AP)】
出所:KPMG作成
その実現に向けた教育手法の1つがPBL(Project Based Learning)です。PBLは、学生が実際の課題に取り組むことで、考える、調べる、協働するといった汎用性能力を高めるアクティブ・ラーニング手法です。2000年代から国の支援策とともに全国に広がり、2013年以降の「地(知)の拠点整備事業」では、地域社会や産業界と連携した実践型授業が多くの大学で実施されました。
これら実践と並行して教員の教育力向上のためのファカルティ・ディベロップメント(FD)も義務化され、全大学で一定の研修制度が設けられています。
また、教育成果を可視化するための成績管理、学生調査、学習成果指標の設定などの取組みも並行して進んでいます。
【図表2:大学教育の質的転換の取組み例】
出所:KPMG作成
実践における矛盾
しかし、こうした努力がDPの掲げる目標達成に直結しているかといえば、答えはまだ「否」でしょう。
現場では、PBLをはじめとする実践型授業が行われているものの、多くは教員個人の取組みにとどまり、カリキュラム全体としての体系化には至っていません。CPで教育方法を体系的に示すことも難しく、大学全体での教育力としての蓄積も不十分です。
加えて、大学教員は基本的に研究者であり、汎用性能力の教育について体系的な訓練を受けていません。そのため、教育実践は試行錯誤の連続であり、他者の成功例を取り入れることも容易ではありません。また、こうした改革も政策主導で進められてきた傾向があり、必ずしも大学側の主体性によるものとは言いきれません。
学生側にも課題があります。就職活動が早期化し、卒業に必要な単位数も多いため、自律的な学習や深い思考に費やせる時間は限られています。教育的に重要とされる「内発的な学び」や「探究的な姿勢」を育む余裕はありません。
大学は社会的期待と制度的要請に応えるべく改革を進めてはいますが、大学内部の構造や教員の立場、そして学生の生活実態との間に大きな矛盾が横たわっているのです。
※1 「大学・短期大学・高等専門学校・法人一覧 」(文部科学省)
執筆者
KPMGコンサルティング
スペシャリスト(リードスペシャリスト) 田中 智麻