「反ESG」を読み解くシリーズ第2回。今回は欧州に焦点を当てます。
欧州ESGに異変 企業の負担軽減が課題に
欧州連合(EU)が相次いでESG(環境・社会・ガバナンス)にかかわる規制を緩和・延期しています。背景には規制が行き過ぎれば欧州企業の競争力を傷つけ、米国や中国との競争に勝てなくなるとの危機感があります。ロシアの軍事力に対抗するため、ESG推進よりも防衛力強化に予算を回すべきとの考え方も勢いを持っています。
「CSDDD(企業サステナビリティ・デュー・ディリジェンス指令)や、その他いくつかの規制は延期ではなく廃止すべきだ」。フランスのマクロン大統領は2025年5月、外国からの投資促進を促すイベントでこう述べました。CSDDDは人権や環境についての包括的なデューディリジェンスなどを求める指令で、採択済みで施行を待つ段階となっています。ドイツ政府も廃止すべきとの考えをすでに示しており、EU主要国である独仏が採択済みの指令をそろってやめるべきと主張する異例の事態となりました。
EUはこれまで、脱炭素を含むサステナビリティで世界を主導しようと試みてきました。温室効果ガス排出実質ゼロの2050年達成を主要国・地域で初めて掲げたのがEUですし、CSDDDなどの先進的な規制も次々に打ち出してきました。EU全体が低成長に陥るなか、サステナビリティ分野で世界を主導し、世界標準となるルールを作って競争力を高めたいという思惑がありました。
ところが近年、ESGを後退させたとも解釈できる規制緩和・先延ばしの動きが相次いでいます。たとえば欧州委員会は2025年2月に「オムニバス法案」を公表し、CSDDDの適用時期を1年遅い2028年としました。同時に開示強化などを目的とした企業サステナビリティ報告指令(CSRD)も同じく適用時期の先送りのほか、対象企業を大きく絞り込むことを決めました。
加盟国単位でもその動きは顕著で、ドイツのメルツ首相が所属するキリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)は内燃機関新車を2035年に全面販売禁止にするというEUの決定を見直すよう求めています。イタリアも負担増への懸念などから、企業が環境保護などを主張する際のルール「グリーン・クレーム指令」への支持を取り下げました。
状況が一変したのには3つの大きな要因があります。1つ目は2022年に始まったウクライナ危機です。EUは十分な自衛力を備えていないとの危機感が強まり、東欧を中心に国防費を大幅に積み増す国が相次ぎました。ウクライナと国境を接するポーランドのGDP比国防費は2021年には2.2%でしたが、2023年に3.8%になっています※1。国防費負担が高まるなか、サステナビリティを追求する負担増は受け入れにくいとの感覚が広がっています。
2025年1月に始動したトランプ米二次政権もこの傾向を加速させました。トランプ大統領は欧州に安全保障面での自立を求め、北大西洋条約機構(NATO)による欧州の安全保障という枠組みを軽視する発言をしています。米国は欧州への関与度を中長期的に下げる可能性があるとの見方も広がり始めました。
2つ目は競争力の強化です。EU執行部はサステナビリティ分野で先進的な規制を打ち出せば欧州の存在感が高まるとの考えを持ってきましたが、米中との差は埋まっていない、あるいは広がっているとの分析が主流になってきています。
マリオ・ドラギ元イタリア首相が監修しEUが2024年に公表した報告書、通称「ドラギ・レポート」は欧州の競争力の課題を複数指摘しています。政策の統一性が無い、技術革新が遅れているなどの課題とともに「我々が政策同士をうまく調和できなければ、脱炭素が競争力や成長に逆効果となる危険がある」と分析しています。
同レポートによると、過去50年間に設立されたEU企業で時価総額が1千億ユーロを超えた企業はありませんが、米国では同期間に6つの企業が同1兆ユーロを超えました。また世界銀行のまとめでも成長力の違いが明らかになっており、金融危機があった2008年から2023年までに米国の国内総生産(GDP)は88%、中国が291%伸びたのに対し、EUは14%にとどまっています※2。
ロシアとウクライナの衝突以降、脱ロシア産化石燃料を進めたことで同国産天然ガス依存度が高かったドイツなどEUのエネルギー価格も高まりました。事業コストの高騰につながり、ますます競争力に悪影響が出るとの懸念も広がっています。
こうした状況から、サステナビリティ分野の戦略を突き進めばEU企業が勝者ではなくむしろ敗者になるとの危機感が強まりました。電気自動車(EV)がその一例で、欧州自動車工業会は2024年、中国製EVのEUでの市場シェアが過去3年間で2.9%から21.7%になったと発表しています※3。EUは中国製EVへの関税を引き上げるなどして域内市場を守ろうとしていますが、欧州メーカーが電動化に手間取るなか、中国企業は廉価で高性能なモデルを投入し、存在感を高めました。
最後に3つ目の要因は反サステナビリティを唱える極右政党が欧州各国で支持を拡大していることです。政党ごとに違いはあるものの、概ね脱炭素の取組みに消極的で、EV普及や再生可能エネルギー拡大を批判する政策を多くが掲げています。たとえば2027年大統領選候補者が支持率トップを走るフランスの「国民連合」は党のサイトで「風力発電計画を中止し、現在ある風力発電を段階的に解体する」と主張しています。極右政党の人気の背景は複合的ですが、サステナビリティを進めることの負担への反感も一因と考えられます。
欧州委員会や各国政府はこうした政治的環境でサステナビリティを強調すれば自らの政治的な基盤が危うくなると考え、推進に及び腰になっていると考えられます。当局自らが反ESGの要素を含んだ動きを取らざるを得なくなっている側面があります。
「EUの優先順位は明確に変わった。かつて最重視された脱炭素は順位が下がり、今は防衛力と競争力強化が最優先となっている」。2025年6月、EU本部があるベルギー・ブリュッセルの著名シンクタンクCEPS(欧州政策研究センター)に筆者が訪れ、チンツィア・アルチディ上級研究員に直接尋ねたところ、このような回答を得ました。
ただ後退一辺倒ではなく、サステナビリティと競争力強化の方向性が一致する分野では政策の注力が進みます。たとえば重要鉱物のリサイクルで、EUは「欧州重要原材料法」で2030年までにレアアースなどの域内需要の25%を域内でリサイクルすることを目指しています。循環型経済の実現に向けた歩みである一方、中国など特定の国からの調達依存度を減らすという意味で域内の競争力の強化につながる取組みで、欧州委員会は2025年3月、重要物資安定確保に向けた47種類の計画を選定しています。
また再生可能エネルギー市場も一気に停滞する可能性は低いと考えられます。再生可能エネルギーが拡大すれば過度な化石燃料依存からの脱却につながり、経済安全保障を強化できるからです。
日本企業にとって、今後どのような観点を持つことが重要でしょうか?
1つは今後もEUがサステナビリティ関連規制のバランスを見直すということです。米中との競争力の差が短期間で埋まることは考えにくく、ロシアを意識した防衛力向上も5~10年単位で実施する政策であるためです。
EUのクリーンエネルギー政策などを研究するNGO「レギュラトリー・アシスタンス・プロジェクト(RAP)」のマリオン・サンティニ上級研究員は、クリーンエネルギー政策に関する筆者の質問に対し、「EUはまだ規制緩和を進める考えで、対象分野を探している」と分析しました。EUにかかわるビジネスを持つ企業はサプライチェーン管理や情報開示、脱炭素などESG関連での規制見直し議論を注意深く見ておく必要があります。
もう1つの示唆は、EUが以前よりも企業の意見に耳を傾ける局面に入ったということです。従来の方法では域内企業を弱体化させるとの危機感があり、産業界が求めてきた規制緩和を次々に実施しています。ロビイングやパブリックコメント制度などを通じて、産業界がルール形成にかかわれる可能性が高まっており、活用の強化を検討すべき局面に入っています。
【EUが見直しを検討、あるいは見直したESG関連の規制例】
名称 | 概要 | 見直し内容例 | 現状 |
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CSDDD |
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CSRD |
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CBAM |
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グリーン・クレーム指令 |
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内燃機関車販売規制 |
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※1 「Military expenditure (% of GDP) - Poland」(世界銀行)
※2 「GDP (current US$) 」(世界銀行)
※3 「Fact sheet: EU-China vehicle trade」(欧州自動車工業会)
執筆者
KPMGコンサルティング
マネジャー 白石 透冴