本稿は、KPMGコンサルティングの「Automotive Intelligence」チームによるリレー連載です。

EUは2030年までに温室効果ガスを55%削減する目標のもと、排出量取引や国境炭素税に加え、サーキュラエコノミーを推進しています。電池規則やCFP導入が進む一方、ドラギレポートは過度な規制が競争力を損なうと警鐘を鳴らしています。

本稿では、こうした規制の揺らぎに対し、日本企業がとるべき対応について解説します。

1.Fit for 55は「サーキュラエコノミー+カーボンプライシング」の二本柱

EUは、2030年までに温室効果ガスを1990年比で55%削減するため、排出量取引(ETS)、国境炭素税(CBAM)と並び、資源効率を高めるサーキュラエコノミーを加速させています。2020年発表の新サーキュラーエコノミーアクションプラン(CEAP)は、製品設計から廃棄物段階までを一体で規制し、さらにエコデザイン規則(ESPR)が政治合意に達しました。ここで鍵となるのがデジタルプロダクトパスポート(DPP)とカーボンフットプリント(CFP)です。まず電池が優先され、BEV用セルは2025年後半からCO2排出量の算定・表示が義務化される段取りとなっています(図表1参照)。

【図表1】

揺れ戻しの欧州グリーンディール:循環経済と競争力のクロスロード_図表1

出所:EUの関係法令、およびページ末尾掲載の欧州委員会の公表資料を基にKPMG作成

2.ドラギ報告が鳴らした「競争力アラーム」

しかし、2024年9月公表の” The future of European competitiveness”いわゆる「ドラギレポート」では、一方的な規制強化が欧州産業を疲弊させ、中国等の他国に遅れを取らせていると警鐘を鳴らしました。ドラギレポートは(1)技術中立の原則、(2)産業界との協働による段階的規制、(3)資本市場統合とインフラ投資の三軸で政策の再設計を提案しています。なかでも自動車産業への配慮が色濃く、「規制が競争力を削ぐなら制度を見直せ」というメッセージは、Fit for 55の象徴とされた事実上のICE販売禁止や厳格なCFP基準にも波及しかねません(図表2参照)。

【図表2】

揺れ戻しの欧州グリーンディール:循環経済と競争力のクロスロード_図表2

出所:「The Draghi report on EU competitiveness」(欧州委員会)を基にKPMG作成

3.議会政治の風向き:EPPと規制緩和モメンタム

欧州議会最大会派のEPPは「2035年ICE新車販売禁止撤回」を正式に要求し、バイオ燃料やe-Fuelを含む「マルチ燃料戦略」への政策軸を移すように主張しています。これと歩調を合わせるように、EUは2025年初頭から「サステナビリティ報告の簡素化」を含む規制オムニバス案を準備し、CFPやDPPの適用時期・対象を見直す余地を残しました。さらに2025年3月には、自動車の2025年のCO2排出基準目標を2025〜2027年の3年間の累積目標に改定しました。この背景には、景気減速・BEV需要失速・農業/物流業界の反発により、グリーン規制が選挙争点化したことが挙げられます(図表3、4参照)。

【図表3】

揺れ戻しの欧州グリーンディール:循環経済と競争力のクロスロード_図表3

出所:「EPP Group Position Paper: Securing the Competitiveness of the European Automotive Industry」(EPP)を基にKPMG作成

【図表4】

揺れ戻しの欧州グリーンディール:循環経済と競争力のクロスロード_図表4

出所:「Commission boosts European automotive industry's global competitiveness」(欧州委員会)を基にKPMG作成

4.「揺り戻し」はどこまで:3つの考えられるシナリオ

(1)部分撤回シナリオ
電池規則のCO2閾値導入時期を1~2年遅らせ、閾値そのものも「参考値」に格下げ。CFP義務化もまず域内サプライチェーン比率の高い製品に限定し、汎用品や輸入完成品は段階的適用へ。

これは単純にコスト増となるこの規制の取組みに対して、産業界が望む現実的な落としどころになるシナリオではないかと思われます。

(2)再目標設定シナリオ
2030年までの55%削減目標は維持しつつ、2040年90%削減案を85%もしくはそれ以下へ緩和。並行してEPSR・DPPの適用対象を「環境便益が大きい製品群」へ優先配分し、中小企業報告義務や二重の第三者検証を免除する。

政策メッセージを保ちつつ企業負担を抑える折衷案であると言えます。

(3)軟着陸シナリオ
規則条文は残すが執行指針で例外を拡大。「目標は高く掲げ行程は柔軟に」というEUでよく実施される実務運用で、加盟国ごとに異なる適用カレンダーを認める。

すでにCSDDDやCBAMで使われた手法であり、政治的コストが低いことが特徴です。

現時点では(2)と(3)の折衷が可能性として高いと考えられますが、2026年以降のEU人事と加盟国政府の各国選挙結果により方針が固まることが想定されます。

5.まとめ

グリーンディールは「規制による牽引」と「補助金による加速」を両輪としてきましたが、足元では「競争力の防衛」がドラギレポートにより主張されました。電池規則やCFPが撤回されるというよりも、技術中立を掲げた再設計と実施スケジュールの再調整が現実的な落としどころとなる可能性があります。言い換えれば、サーキュラエコノミーへの長期的コミットメントは現段階では揺らいでおらず、企業は「初動コストの上昇」ではなく「規制の揺らぎ」に備えて俊敏に動く必要があります。

政策の潮目を読むためにも、EUの政治的な動きと立法アジェンダを注視し、自社の足元でデータ整備と透明性向上を怠らないことが、このような状況下での持続的な競争優位の近道になるのではないでしょうか。

執筆者

KPMGコンサルティング
プリンシパル 轟木 光

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