日本再興戦略においてコーポレートガバナンスの強化が掲げられてから10年以上が経過し、社外取締役の数の増加や指名・報酬委員会の普及など、日本企業のコーポレートガバナンスの取組みは着実に進展しました。
日本企業におけるコーポレートガバナンスは、単なるリスクの回避・抑制や不祥事の防止にとどまらず、企業の「稼ぐ力」を強化し、持続的な成長と中長期的な企業価値向上を図ることに主眼が置かれています。攻めの経営判断を後押しするための仕組みとしてコーポレートガバナンスを整備し、大胆な事業再編やM&A等を積極果敢に実行する企業が増えつつあるものの、一部の企業においてはコーポレートガバナンス・コード対応そのものが目的化してしまい、必ずしも「稼ぐ力」の向上に結びついていないケースが散見されるとの指摘もあります。
このような背景を踏まえ、日本企業が実効的なコーポレートガバナンスによる「稼ぐ力」の強化を実現するという本来の目的に立ち返るため、経済産業省は2025年4月30日に、『「稼ぐ力」を強化する取締役会5原則』ならびに『「稼ぐ力」の強化に向けたコーポレートガバナンスガイダンス』を公表しました。
企業を取り巻く経営環境がますます複雑化し、経営の舵取りの難易度が高まるなか、コストカット型経営から成長投資型経営へと変貌すべく、日本企業のコーポレートガバナンス改革は、今、新たなステージへと歩みを進めることが期待されています。
1.『「稼ぐ力」の強化に向けたコーポレートガバナンスガイダンス』の要旨
(1)取締役会5原則
『「稼ぐ力」を強化する取締役会5原則』では、「稼ぐ力」の強化に向け、取締役会がとるべき行動として5つの原則を提示しています(図表1)。
また、各々の原則においては、CEOら経営陣が考慮すべき事項についても言及されており、取締役会とCEOら経営陣がそれぞれの役割に応じて適切に機能を発揮し合うことが期待されている点も重要なポイントとなります。
【図表1:「稼ぐ力」を強化する取締役会5原則】
出所:『「稼ぐ力」を強化する取締役会5原則』(経済産業省)を基にKPMG作成
(2)「稼ぐ力」を強化するための企業経営とコーポレートガバナンスの位置付け
企業が「稼ぐ力」を強化するためには、価値創造ストーリーに基づき、適切なリスクテイクのもと事業ポートフォリオの組替えと継続的な成長投資を行うことが必要不可欠です。本ガイダンスにおいては、企業が価値創造ストーリーを構築・実行・評価・検証するためのメカニズムを実効的に機能させるための「基盤」として、コーポレートガバナンスを位置付けています(図表2)。
取締役会における価値創造ストーリー構築のための議論活性化はもちろんのこと、CEOの選任・評価の仕組みに加え、執行役員(CxO)体制や経営会議のあり方、幹部候補人材の選抜・育成など、価値創造ストーリーの「実行」を促すため、業務執行側の体制整備にまで踏み込んで言及されている点が大きな特徴です。すなわち、これまで以上に、攻めのガバナンスの姿勢が強調されており、企業は、コーポレートガバナンスの整備状況の説明にとどまらず、コーポ―レートガバナンスを「基盤」とした価値創造スト―リーの「実行」力について説明していくことが重要になっていくものと思われます。
【図表2:価値創造ストーリーとコーポレートガバナンスの関連性】
出所:『「稼ぐ力」を強化するためのコーポレートガバナンスガイダンス』(経済産業省)を基にKPMG作成
2.稼ぐ力の強化に向けたコーポレートガバナンスを基軸とした経営変革
(1)継続的に自己変革し続ける経営メカニズムを確立する
経営を取り巻く環境が激変するなか、いずれの産業においても、既存の主力事業およびそのビジネスモデルがこれから先10年、20年、30年後まで競争力を維持し、収益の柱であり続ける可能性は極めて低くなっています。
多くの企業では、この事実を理解しつつも、既存の事業やビジネスモデルの強化・維持に焦点を当てたフォアキャスト思考の経営が行われています。収益性の著しい悪化やビジネスモデルの陳腐化が生じてからの経営改革は、大胆なコストカットや事業の切り離し等の実行を促し、時に、劇的なV字回復を演出します。一方、企業の未来を担う次の事業やビジネスモデルの種まきが不十分であることも多く、V字回復型の経営改革を繰り返すことで企業の基礎体力が低下していくことになるケースも少なくありません。
企業が「稼ぐ力」を強化・持続させるためには、現状に安住することなく、継続的かつ内発的に自己変革し続けることが必要です。『「稼ぐ力」を強化するためのコーポレートガバナンスガイダンス』が価値創造ストーリーの構築と実行を促すコーポレートガバナンスの整備を重視している理由は、企業が、社会の変化を洞察し、自社のあるべき姿に向かって自己変革するメカニズムを経営に埋め込むことを促すためであると考えます。
すでに、統合報告のために価値創造ストーリーを構築・開示している企業においても、その価値創造ストーリーが自己変革を促す設計図として機能しているのか、改めて、取締役会およびCEOら経営陣の間で共通の認識を醸成するとともに、将来にわたり「稼ぐ力」を強化するための自己変革メカニズムを確立のうえ、具体的な行動を開始することが必要です。
(2)中長期視点の意思決定を促す経営メカニズムを確立する
自己変革型の経営を推進するためには、たとえ一時的な収益性や資本効率性の低下につながろうとも、将来の収益性・資本効率性を向上させる観点から、積極果敢な成長投資を優先させる経営判断が求められる場面に遭遇することがあります。
『「稼ぐ力」を強化する取締役会5原則』の原則3においても、取締役会は中長期目線による成長志向の経営を後押しすることが求められていますが、近年、パーパスや長期ビジョンの策定に加え、長期インセンティブ型の役員報酬制度を導入する企業が増加するなど、中長期視点で将来の収益性・資本効率性の向上に資する経営判断を促すガバナンスが構築されつつあります。
一方、多くの日本企業における実際の業務執行の仕組みは、中期経営計画を軸とした3か年程度のサイクルで運用されていることが一般的です。執行体制内には、フォアキャスト思考で現業を改善”することに重点が置かれた戦略・計画の策定・実行が優先されるメカニズムが埋め込まれていると言えます。すなわち、取締役会は、CEOら経営陣から上程されるアジェンダには、必然的に、短期思考のバイアスが生じる傾向があることを考慮することが必要です。
加えて、投資家による企業への過度な短期的リターンの要求は、CEOら経営陣が短期的成果の追求に傾斜することを助長させやすく、自社の成長ストーリーにそぐわない株主還元の実行は、中長期視点の成長投資を阻害する要因にもなり得ます。
取締役会およびCEOら経営陣が「稼ぐ力」の強化を実現するためには、組織の行動様式に深く根付いている短期思考を助長するメカニズムの存在とその構造を深く理解のうえ、長期視点の経営を促すための最適な経営サイクルのあり方や、将来に向けた成長投資の妥当性について投資家の理解を得るためのIR戦略のあり方に至るまで、事業特性・組織特性に合致した自社独自のガバナンスの仕組みについて検討することが極めて重要であると考えます。
(3)価値創造ストーリーの実行を促す経営メカニズムを確立する
一部の日本企業では、短期的視点における利益の確保や株主還元、内部留保が優先され、将来に向けた成長投資に十分な資金があてられていないとの指摘があることを踏まえ、『「稼ぐ力」の強化に向けたコーポレートガバナンスガイダンス』は、価値創造ストーリーの実行、すなわち、成長領域への積極的投資を促す仕組みを構築することの重要性に焦点をあてています。
取締役会5原則 原則2が示すとおり、取締役会は、CEOら経営陣が価値創造ストーリーの実現に向け、適切なリスクテイクを行うことができるよう後押しをする役割を担うことが必要です。具体的には、攻めの経営判断ができるCEOら強靭な経営チームの選任・組成・評価の整備をはじめ、経営陣の行動が不十分である場合には、不作為のリスク(リスクテイクしないリスク)の確認を含め、具体的な行動を促すことが求められています。
その他にも、企業がより積極的にリスクテイクを行うことができる環境を整えるべく会社法改正の議論も進んでおり、今後、多くの日本企業が迅速・果断な意思決定のもと成長投資型の経営にシフトしていくことが期待されています。
一方で、経営の実情をみると、価値創造ストーリーの実行、すなわち、大胆な事業再編、イノベーション創出やM&Aなどの大規模な成長投資に踏み切ることができない背景には、CEOら経営陣のリスク選好以外にも、下記のような根深い組織課題が存在していることも多々あります。
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これらの課題は、取締役会がCEOら経営陣のリスクテイクを促すだけでは解決することができない課題です。コーポレートガバナンス整備にあたっては、その取組みのスコープを狭く捉えることなく、取締役会から業務執行の現場に至るまで、価値創造ストーリーの実行を促すための行動原則や意思決定方針を明確にするとともに、首尾一貫して運用できる仕組みを構築することが必要です。
KPMGは、これまでのコーポレートガバナンス改革の豊富な知見に加え、中長期のビジョン・戦略策定、サステナビリティ経営、事業ポートフォリオの見直しなど、一貫して企業価値の向上に資する支援を提供してきた経験を有しています。
KPMGは、『「稼ぐ力」を強化するためのコーポレートガバナンスガイダンス』のポイントは価値創造ストーリーの構築と実行、すなわち、経営変革を促すことにあると捉え、経営メカニズムそのものを変革する全方位的なコーポレートガバナンス改革支援を提供します。
執筆者
KPMGコンサルティング
執行役員 パートナー 木村 みさ
マネジャー 延藤 泰道