1.世界モデルの基本概念

世界モデルとは、「外界から得られる観測情報に基づき、外界の構造を学習によって獲得するモデル」であり、人工知能研究において、真の知能を実現するための必要不可欠とされる基盤です。経営者やビジネスパーソンにとって、世界モデルはデータから抽出された市場や顧客行動、競合環境の包括的な理解の枠組みになりうるものです。私たちはこれを使い、あたかも「直感的に周囲を理解する」ように、多要素を含んだ複雑な環境に適応しながら内部シミュレーションで未来を予測し、経営判断や意思決定を行うことが可能になりつつあります。

2.世界モデルの主要機能

世界モデルの機能は、大きく「予測」と「推論」の2つに分類されます。

予測とは、「現在わかっている情報から未来や未知の状態を見通す」能力です。たとえば、グラスを落としたらどうなるかを想像することや、道路の先で渋滞しているのを見て、到着時刻の遅れを見積もることが、これにあたります。

一方、推論とは、「限られた観測情報から外界の構造や根本的な法則を導き出す」能力です。たとえば、小説の冒頭数ページを読んで作品全体の雰囲気や展開をおおよそ推し量ることや、数学の問題文から適切な数式を選び出すといった行為が推論に該当します。

つまり、この世界モデルによって、新商品をどの市場にいつ投入すべきか、顧客はどのような反応を示すか、競合はどの戦略を打ってくるかを、市場データという観測によって「推論」し、構造的かつ法則をはらんだ内部モデルを「予測」することで、従来の予測よりも複雑な要素を織り込んだ仮想シナリオを何度も試せるのです。かつては人間が経験と勘に頼って市場予測を行っていましたが、世界モデルの活用により、「微分可能なビジネス空間」すなわち包括的な環境での予測が数値化されるようになると考えられ、これによって新規事業開発、マーケティング戦略立案、サプライチェーン最適化などで、失敗コストや時間ロスを大幅に削減できる可能性が生まれます。

3.古典的人工知能との比較と世界モデルの意義

かつての古典的な人工知能は、言語による学習によって、高度な探索や推論といった、いわば完成された「大人の知能」を最初から実現しようとしました。しかし、世界モデルがない状態では、計算機上だけで通用する知能しか得られず、現実環境への適応力に限界があることがわかりました。

これに対し世界モデルは、個別に教えられずとも、環境と相互作用しながら直感的に包括的な構造を理解することができる、「子供の知能」のようなものです。

「大人の知能」をセミナーや講義における座学にたとえるならば、「子供の知能」は演習にあたるといえます。体験でしか得られない感覚や経験といった領域が、成熟した「大人の知能」の形成には不可欠であり、これができて初めて、現実環境に適応した高度な数学問題の解決や複雑なタスク遂行などを可能とする人工知能が築かれると考えられています。

4.シミュレーション能力と実用的応用

これらの特性を備えた世界モデルは、内部に言語的・概念的世界を持ち、自由に未来を「シミュレーション」して、ユーザーや市場動向、ニュースなどのデータに基づいて将来シナリオを描くことが可能です。例えば、ロボットに制御を学習させる際、複雑な外部環境であればあるほど困難で、インプットされていない状況への対応はエラーを招くものでした。世界モデルによって内的な「微分可能な世界」が得られれば、複雑な現実世界を織り込んだシミュレーション空間内で繰り返し学習し、効率的に制御戦略を獲得できます。これは単にロボット制御に留まらず、ロジスティクス最適化や投資ポートフォリオの動的調整、店舗レイアウトやサプライチェーン管理などでの内部シミュレーションへと応用可能です。これは人間が頭の中で試行錯誤する「イメージトレーニング」に似たアプローチです。また、複雑な現実を理解しやすく、活用しやすい形に整理して推論できれば、高度な計画立案や問題解決も容易になります。

5.哲学的意義と現実認識への影響

世界モデルは、単一の未来予測ではなく、複数の可能性を同時に計算し、さまざまな状況をシミュレーションします。例えば、販売戦略の検討において、従来は与えられたパラメーターの中から予測や選択肢を得ていましたが、世界モデルの活用により、織り込んでいなかった情報も「予測」により含まれ、想定していなかった選択肢まで「推論」によって提示される可能性があります。その結果、旧来よりも多く提示される選択肢からいずれを選ぶのか、意思決定がより高度になることが考えられます。

私たちには、最終的な結果を問うことだけではなく、どのような可能性があり、それぞれの可能性がどの程度確からしく、異なる可能性がどのように関連しているのかを理解することが求められます。

「プラトンの洞窟の比喩1」という考え方があります。プラトンは洞窟の壁に映る「影」(見かけの世界)と、その源である「本当の姿」(真実)を区別しました。しかし、AIの世界モデルは、予測精度(真実)を追求することはもちろん、複数の可能性を同時に理解し、それぞれの確からしさや関係性を把握することの重要性を改めて示唆しています。

このような考え方は、ビジネスの意思決定に新しい視点をもたらします。単一の予測に依存するのではなく、複数のシナリオを同時に検討し、各シナリオの関連性や移行可能性を理解することで、より柔軟で適応的な戦略立案が可能になります。

6.課題と機会展望

こうした世界モデルが創り出す多元現実2は、実世界との相互作用や適応に不可欠な要素となっています。課題としては、哲学的な観点にまで遡って記したとおり、より高度な考察や判断が求められることがあります。また、実装上の課題も多く、例えば観測範囲が限られた中で、いかに高性能な予測と推論を行うか、どのようなパラメーターを組み合わせて「何をしたらどうなるか」をモデル化するかといった点が挙げられます。現実世界を丸ごと再現することは不可能なため、範囲を限定しつつ効率的な学習を模索する必要があります。

総じて、世界モデルという考え方は、生成AIによる多元的で柔軟なリアリティを構築し、自社が直面する不確実な経営環境に対するシミュレーションを飛躍的の高度化につながります。従来見えていなかった市場やアプローチにまで光を当てる、ビジネスを拡大できる機会を得ることができます。これにより、未来志向のビジネス判断が、実世界での大がかりな試行錯誤なしに行える道が拓かれるのです。

この大きな変化は巨視的には、多元的なリアリティと「真の知能」への扉を開く鍵となるのです。

 

 

1人間が洞窟の奥で壁に映る影しか見ず、それを唯一の現実だと信じている状態を示し、その人々が洞窟の外にある本当の光や実在に気づけば、影が単なる投影に過ぎないことを理解できる、という考え方。

2「唯一の正解」を追求するのではなく、複数の可能性を同時に理解し、それらの相互関係を把握しながら、より豊かな意思決定を可能にする新しい思考の枠組み。
 

執筆者

KPMGアドバイザリーライトハウス
デジタルインテリジェンスインスティテュート
齊藤 弓 / コンサルタント

監修者

KPMGアドバイザリーライトハウス
デジタルインテリジェンスインスティテュート リード
佐藤 昌平 / マネージャー

KPMGコンサルティング
テクノロジートランスフォーメーション 
山邊 次郎 / シニアマネージャー

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