「ビジネスと人権」は、事業規模、地域、業種を問わず、企業が事業展開を行ううえで検討必須の観点です。
本稿では、Part1でご紹介した人権を巡るルール・ガイドラインの概観、日本企業の人権に関する取組み状況・課題の解説に続き、企業が取るべきアクションの全体像とポイントを概説します。
<ポイント>
- 企業による人権尊重のための取組みの全体像
企業は、ビジネスと人権に関する指導原則(以下「指導原則」)の要請する、人権方針の策定、人権デューデリジェンスの実施、救済に向けた取組みのほか、これらの取組みの基盤となる人権施策推進体制を整備することが求められている。人権デューデリジェンスにあたっては、人への負の影響を第一に考え、ステークホルダーの声や事業モデル、活動地域・国等を踏まえてリスクが高いと想定される課題に注力することが重要である。
目次
1.企業による人権尊重のための取組みの全体像
2.人権デューデリジェンスの基本的なポイント
<ご参考>
「ビジネスと人権」の現在地
Part1:サーベイから見える課題
Part3:人権デューデリジェンスの進め方
1.企業による人権尊重のための取組みの全体像
2022年9月、政府より「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン」(以下「人権尊重ガイドライン」)が公表されました。人権尊重ガイドラインは、国際スタンダードを踏まえ企業による人権尊重の取組みを促進することを狙いとしています。日本企業における人権に関する取組み状況については、KPMGコンサルティングとトムソン・ロイターが実施した「法務・コンプライアンスリスクサーベイ2022 持続可能な経営に向けた変革」(以下、「本調査」)からも、人権デューデリジェンス等の取組みを十分に実施できていない企業が多い状況がうかがわれ、日本企業全体の取組水準の底上げが急務であると考えられます(詳細についてはPart1参照)。
Part2にあたる本稿では、企業に求められる人権尊重の取組みの全体像を概説したうえで、その重要な一要素である「人権デューデリジェンス」を実施する際の基本的なポイントを解説します。
【図表1 人権尊重のための取組みの全体像】
(1)方針
人権方針は、「企業が、その人権尊重責任を果たすという企業によるコミットメント(約束)を企業の内外のステークホルダーに向けて明確に示すもの」(注1)です。人権方針の策定にあたっては、自社の方針が指導原則の定める人権方針の要件を満たしているかという「適合性」と、ステークホルダーの意見が反映されているかという「客観性」の2つを確保することが重要です。図表1においては、この2点を確保するという観点からのポイントとして「経営トップの承認」「ステークホルダーの意見反映」等を記載していますが、この他にも、方針を周知・浸透させるための各種取組み(研修の実施、トップからの継続的な発信等)を推進し、人権方針の策定自体がゴールとなることを回避する必要があります。
(2)人権デューデリジェンス
人権デューデリジェンスの具体的な実施プロセスについてはPart3(近日公開予定)で詳述しますが、(i)人への負の影響(人権リスク)を「特定」し、そのリスクと自社の関わりを「評価」する(ii)実際に特定された負の影響の「防止・軽減」を図る(iii)防止・軽減措置の実施状況・結果を「モニタリング」する(iv)一連の措置やプロセスの「情報開示」をする(図表1中の「人権DD」参照)という一連のプロセスは、人権リスク対応のPDCAサイクルと捉えることもできます。実施にあたっては、バリューチェーン上のリスクの高い部分に合理的な当たり付けを行い、効率的に実施することが重要です(2章参照)。
(3)救済
救済とは、「人権への負の影響を軽減・回復すること及びそのためのプロセス」(注2)をいい、主に苦情処理メカニズムの構築と是正措置の実施(または是正のための協力)を通じて行うことが考えられます。苦情処理メカニズムはサプライチェーン上の人権保護等、責任ある企業行動に関わる広汎な問題の解決を図るプラットフォームであり、自社グループ内だけでなく社外ステークホルダーも利用できる制度を想定しています。また、自社グループだけでは解決できない問題についてもサプライヤー等と協働しながら解決を図ることが望ましいとされます(解決のアプローチの一例としては、外部の専門組織・団体が提供する苦情処理メカニズムのプラットフォームを利用し、蓄積された知見や助言を交えること等が考えられます)。多くの企業が内部通報制度を設けていますが、苦情処理メカニズムにおいては、こうした特徴に対応したシステムを構築する必要がある点に注意が必要です。
(4)体制
人権尊重のための取組みを推進するにあたり、その基盤となる人権施策推進体制の整備を進める必要があります。実務上は、社内の必要な関連部署との連携が得られず社内調整が難航することによって取組み全体が遅延する、非効率化するといったことも考えられます。ここでポイントとなるのは、トップコミットメントです。トップが人権の重要性を理解し、自社として取組みを行う意義をトップダウンで、かつ、継続的に発信することにより社内理解が促され、関連部門(調達部門や人事部門等)間の連携が図りやすい環境を整えることが可能です。また、リード役となる専任部門の設定、委員会レベルで人権に関する取組みの推進を行う場合には、委員会(サステナビリティ委員会、人権委員会等)の設計も重要です。
ここまで人権の取組みの全体像として、取組みの各構成要素について概説しました。以下では、人権デューデリジェンスについて、人権尊重ガイドラインを踏まえ実効的な取組みを行うために必要な視点を解説します(具体的な実施方法については、近日公開予定のPart3参照)。
2.人権デューデリジェンスの基本的なポイント
人権デューデリジェンスは、ステークホルダーとの対話を重ねながら、人権への負の影響を防止・軽減するための継続的なプロセスであり、以下の視点から実施されることが重要です。
(1)人への負の影響を第一の評価軸に
人権デューデリジェンスにおいては、指導原則が定めるように、人権への負の影響を中心に据えることが大切です。企業リスク評価では、企業に対するリスクの影響度・発生可能性を評価軸に採用することが多く見られますが、人権の視点からは(企業ではなく)人への影響を第一に検討します。
(2)ステークホルダーの声と協力
人への負の影響を効果的に特定し、解消するためには、実際に影響を受け得るステークホルダー(例:自社グループの従業員、業務委託先の従業員)や、人権侵害に関与・防止し得る立場に置かれたステークホルダー(例:自社グループ/サプライヤーのマネジメント層)を中心として、できる限りステークホルダーの声を聞き、現に直面している人権上の悩みの声を聞くことが問題解決の第一歩です。また、人権問題は自社の特定部門のみで解決し難い問題が少なからずあり、さまざまなステークホルダーの理解や協力を得ながら進める必要がありますが、その対応の一環として、先に述べた苦情解決メカニズムが重要施策となります。なお、Part1で紹介したEUのコーポレート・サステナビリティ・デューデリジェンス指令案(以下、「EU指令案」)では、苦情解決メカニズムの構築が必須事項として議論されています。
(3)人権版リスクベースアプローチ
人への影響を第一に検討するにあたり、事業モデルや活動地域・国等により注力すべきポイントが変わります。以下、その際の参考となる視点例を紹介します。
- 脆弱な立場にあるステークホルダー
脆弱な立場にあるステークホルダーは、より深刻な負の影響を受ける可能性があるため特に注意を払う必要があります。たとえばコロナ禍においては、サプライチェーン上の脆弱な立場にある人々が解雇されるなどの不利益を受ける事例も散見されます。 - 紛争地域における配慮
紛争当事国・地域での事業活動については、特に高いリスクがあります。(言うまでもありませんが)戦争は人命侵害、生活基盤の破壊、性的な暴力、少数民族等への差別的な取扱い等が発生し得る、究極の人権侵害行為です。紛争当事者が地域において広く影響力を持つことから意図せずこれに加担してしまう可能性があり、サプライヤー等が紛争に関係しているかどうかを理解することが重要です。 - 事業モデルに応じた人権問題の傾向
事業モデルによって想定される人権リスクは異なり、人権デューデリジェンスの実施にあたっては事業モデル別の傾向を踏まえ、自社の活動において特に注意の必要な領域を意識する必要があります。業界ごとに特に懸念される人権侵害の例については、以下の図表3を参照ください。なお、EU指令案は図表2をはじめとする人権侵害を対象として特に明示しており、業界を問わずこれらに関する課題にも注意する必要があります。また、想定される人権侵害は不変的なものではなく、AIを利用したマーケティングによる不利益や差別の発生のように、技術革新に伴い新たに問題として生じてくる人権侵害も存在するという点にも注意が必要です。
【図表2 コーポレート・サステナビリティ・デューデリジェンス指令案の対象とする人権侵害(例)】
・公正かつ良好な労働条件を享受する権利の侵害 ・児童労働 ・強制労働 ・集会・結社の自由の侵害 ・最低賃金規制違反 |
【図表3 業界別人権侵害(例)】
業界 | 対象 | 懸念される人権侵害(例) |
---|---|---|
建設・建機 | 自社グループ・サプライチェーン上の労働者 | ・建設現場における外国人従業員(技能実習生等)の不当な扱い(危険労働や過重労働、残業代未払い、労災隠し、暴力、パスポートのはく奪等) ・安全教育の実施不足による建設現場での労働者への危害の発生 |
消費者・利用者 | ・有害な化学物質を含有した建築材の使用、土壌調査や耐震性テストの不備による健康被害 | |
地域社会 | ・建設プロジェクトや賄賂による用地取得に伴う地域住民の強制立退き ・建設時の騒音、振動や地域の生態系の破壊による地域住民の生活への悪影響 ・重機の販売先企業による環境破壊や地域住民の土地没収 |
|
鉱物資源、エネルギー | 自社グループ・サプライチェーン上の労働者 | ・採掘現場における安全対策の不十分な環境での労働(安全教育を実施しない、必要な防護服を支給しない等) ・採掘現場での児童労働 |
消費者・利用者 | ・違法なカルテル・不当な供給制限等による利用者の不利益 | |
地域社会 | ・採掘に伴う現地の聖域や文化遺産の破壊、強制立退き ・資源開発に伴う水源の汚染による地域住民の水アクセスの低下 ・採掘現場地域の警察・民間警備会社による地元労働者や地域住民への暴力 |
|
アパレル | 自社グループ・サプライチェーン上の労働者 | ・労働安全衛生面の対策が不十分な環境での縫製作業の強制(不適切な照明・換気状態、耐震性の不足等) ・製造工場における不公正な賃金・労働条件での労働(模造品の生産現場を含む) ・染色作業時やコットン栽培時の化学物質使用による従業員の健康被害 |
消費者・利用者 | ・ファッションショーやアパレルアイテムの不適切な宣伝による人種・マイノリティへの差別の発生 | |
地域社会 | ・染色・加工時に使用する化学物質を含む排水の不適切な処理による地域の水質汚染 | |
消費財 | 自社グループ・サプライチェーン上の労働者 | ・パーム農園での児童労働・強制労働 ・消費財の生産工場での化学物質使用に伴う労働者の健康被害 ・メーカーからのコスト圧縮の圧力によるサプライヤーにおける最低賃金・生活賃金の確保不備 |
消費者・利用者 | ・不安定な社会情勢下における消費者の生活必需品へのアクセス制限 | |
地域社会 | ・プラスチック製品製造・廃棄に伴う環境破壊による地域住民の生活の質の低下 | |
食品 | 自社グループ・サプライチェーン上の労働者 | ・中間水産加工業者による生産者賃金の搾取や労働者への船上での暴力・強制労働 ・農園における児童労働、農薬使用による健康被害の発生 ・小規模農家への不公正な契約での農作物取引 |
消費者・利用者 | ・不適切な製品表示による消費者の健康被害や、特定の宗教上禁忌とされる食品の含有を明示していなかったことによる信教の自由等の侵害 | |
地域社会 | ・農園開発に伴う地域住民の強制立退き ・原料調達先での乱獲によるコミュニティの漁獲量の著しい減少 |
|
製薬 | 自社グループ・サプライチェーン上の労働者 | ・化学物質の使用に伴う工場従業員の健康被害の発生 ・パンデミックによる増産に伴う長時間労働の発生 |
消費者・利用者 | ・十分な情報提供のない状態での臨床研究への参加による被験者の安全・健康管理の不備 ・新薬の副作用による健康被害 ・遺伝子研究における個人情報の不適切な管理によるプライバシーの侵害 |
|
地域社会 | ・医薬品や化学物質の漏出による環境汚染に伴う、地域住民の食料の汚染 ・紛争地域の住民の医療品へのアクセスの制限 |
|
IT・情報通信 | 自社グループ・サプライチェーン上の労働者 | ・エンジニアや委託先生産工場従業員の過重労働 ・紛争鉱物の採掘に伴う児童労働 ・フリーランスやギグワーカーの不当な低賃金の発生 |
消費者・利用者 | ・情報の収集や利用に係るユーザーのプライバシー権の侵害(生体認証に使用するデータ収集を含む) ・AI利活用ビジネスにおける倫理上の問題の発生 ・コンテンツの不当な削除による表現の自由の侵害 |
|
地域社会 | ・サーバーファームの複合冷却システム等、ITシステムの維持管理に伴う水資源の利用による、現地コミュニティの利用可能な水資源の減少 | |
自動車 | 自社グループ・サプライチェーン上の労働者 | ・オートメーション等の技術導入に伴う大量解雇の発生 ・自動車製造の下請工場における外国人従業員(技能実習生等)の不当な扱い(危険労働や過重労働、残業代未払い、労災隠し、暴力、パスポートのはく奪等) |
消費者・利用者 | ・自動運転により発生した事故の責任が不明確なことによる不利益の発生 | |
地域社会 | ・大規模工場閉鎖による地域の雇用の減少およびこれに伴う地域住民の生活の不安定化 |
(参照)日本経済団体連合会「人権を尊重する経営のためのハンドブック」、経済人コー円卓会議日本委員会「2021年度ステークホルダーエンゲージメントプログラム(人権デューデリジェンスワークショップ)」等を参照しKPMGコンサルティングにて作成
注1、注2:ビジネスと人権に関する行動計画の実施に係る関係府省庁施策推進・連絡会議「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン」より抜粋
執筆者
アソシエイトパートナー 水戸 貴之
シニアマネジャー 新堀 光城
シニアコンサルタント 泉 麻里奈
シニアコンサルタント 吉田 愛子
関連リンク
法務・コンプライアンスリスクサーベイ2022 持続可能な経営に向けた変革
本調査の対象企業、有効回答数は以下のとおりです。
- 本調査の対象企業:国内上場企業、および売上高400億円以上の未上場企業約4,000社の法務・コンプライアンス部門
- 本調査の有効回答数:422件