本稿では、近時の人権を巡るルール・ガイドラインの動向を概観の上、「法務・コンプライアンスリスクサーベイ2022 持続可能な経営に向けた変革」(以下、「本調査」)を基に、日本企業の人権に関する取組み状況・課題、企業に求められる取組みのポイントを紹介します。
<ポイント>
- 各国政府による人権関連の取組み強化
欧米等において人権デューデリジェンス(注1)の実施の義務化等、企業に対して人権に関する取組みを求める規制の整備が加速しており、欧米等で事業を展開するグローバル企業にとって、人権施策はビジネス展開の前提条件になりつつある。近時、日本においても政府から「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン」が公表され、企業は取組みの推進にあたって参考にすることができる。 - 日本企業の取組み状況・課題(本調査結果より)
KPMGコンサルティングとトムソン・ロイターの共同調査結果によると、苦情処理メカニズム(注2)の導入、人権デューデリジェンスの実施は、現時点では日本企業において十分に進んでいない状況にある。また、課題として、人権施策に関する理解が従業員・経営層ともに社内で十分に浸透していないこと、(人権デューデリジェンスの未実施等により)優先すべき課題を把握できていないこと等が挙げられる。
目次
1.人権を巡るルール・ガイドラインの動向
2022年現在、人権を巡るルール・ガイドラインに関して、国内外で顕著な動向が見られています。
日本では、2022年9月、人権尊重の取組みに関するガイドライン「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン 」(以下、「人権尊重ガイドライン」)が公表されました。人権尊重ガイドラインは人権デューデリジェンス等の人権尊重に向けた取組みの進め方を具体的に示唆するものであり、今後取組みを進める上での参考になると思われます。なお、人権尊重ガイドラインを踏まえた人権デューデリジェンスのポイントについてはPart2を参照ください。
上述の人権尊重ガイドラインは法的拘束力を有するものではありませんが、欧米を中心とする海外に目を向けると、人権に関する規制の整備も加速しています。2022年2月には、企業に環境・人権に関するデューデリジェンスを義務づける「コーポレート・サステナビリティ・デューデリジェンス指令案」(以下、「EU指令案」)が欧州委員会から発表されました。EU域外で設立された企業も、EU域内での売上高や人権・環境の観点から負の影響の高いリスクが懸念される産業(高インパクトセクター)に該当するか等の観点から対象企業となり得るため、EU市場にて一定の事業規模を有する日系企業にも影響が及ぶ点に注意が必要です(図表1)。
対象企業には、サプライチェーン上の人権・環境デューデリジェンスや苦情処理メカニズムの整備等が義務付けられますが、EU指令案への対応は一朝一夕に進められるものではなく、かつ、自社のみで完結するものでもないため、対象となる日系企業は早急に取組みを検討・開始することが必要です。なお、EU指令案の公表前年である2021年7月には、EU企業が事業活動とサプライチェーンの管理において強制労働に関与するリスクに対処するためのデューデリジェンス・ガイダンス文書が欧州委員会と欧州対外行動庁から発表されました。これはEU指令案が施行までに時間を要すること等を踏まえて、デューデリジェンス実施の上での指針を企業に示すものです。
2022年9月には強制労働により生産された製品のEU域内での流通を禁止する規則案(以下、「EU禁止規則案」)が欧州委員会から発表されました。このEU禁止規則案は強制労働により生産された製品をEU市場に流通させること、またEUから域外に輸出することを禁止するものであり、EU市場に製品を流通させる、またはEU域外に輸出するすべての事業者を対象としています。米国では、2015年貿易円滑化・貿易執行法が施行されており、人権侵害被疑物品の米国内への輸入禁止措置がとられています。なお米国では、2022年6月、特定の地域で生産された製品の輸入を対象とした強制労働防止法が施行されています。このような情勢下、人権尊重に向けた企業の取組みは、欧米市場等で事業展開するための前提条件になりつつあるといえます。その他、主な人権に関するルール・ガイドラインの策定状況については、図表4 を参照ください。
【図表1:コーポレート・サステナビリティ・デューデリジェンス指令案 対象企業】
EU域内の企業(EU加盟国の法律に基づいて設立された企業) | グループ1 | 従業員 500 名超かつ、全世界純売上高 1.5 億ユーロ超の企業 |
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グループ2 | 従業員 250 名超かつ、全世界純売上高 0.4 億ユーロ超の企業で、全世界純売上高の 50%以上が高インパクトセクターにて売上高のある企業 <高インパクトセクター(例)> ・繊維皮革関係(皮革及び関連製品の製造業等) ・農林水産業関係(農業、林業、水産業、食品製造業等) ・金属関係(鉱物資源の採掘業等) |
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EU 域外の企業(EU 加盟国以外の法律に基づいて設立された企業) | グループ1 | EU 域内での純売上高 1.5億ユーロ超の企業 |
グループ2 | EU域内での純売上高 0.4億ユーロ超の企業かつ、全世界純売上高の50%以上が高インパクトセクターにて売上高のある企業 |
2.日本企業の取組み状況・課題
本調査では、企業がすでに実施済みの取組みとして、「経営トップによる人権尊重に関するメッセージ発信」「人権方針の策定」「社員向け人権研修」が上位3位を占めました(図表2参照)。一方、苦情処理メカニズムの導入、自社内やサプライヤーを対象とした人権デューデリジェンスの実施は、現時点では日本企業において十分に進んでいるとはいえない状況です。人権に関する方針の策定や理解を求める活動から始めているものの、幅広いステークホルダーから問題の芽を把握し、解決するための仕組みの整備や、自社ビジネスにより、どのような人権への負の影響があり得るかについての把握するプロセスの整備・運用の不足感、負の影響の解消に向けた取組みは未だ浸透していない状況が見受けられます。特に、(社外の)サプライチェーン上の人権への負の影響の特定や、是正措置は十分に行われていない状況が伺われます。
【図表2:人権に関する取組み状況】
(2)人権リスク管理における課題
企業が抱える課題としては、「従業員・現場の理解」「優先すべき課題の特定」「経営層の理解」が上位3位を占めました(図表3参照)。図表2によれば、人権施策のうち、トップメッセージの発信や社員向け人権研修は相対的には多くの企業で行われているとされているものの、依然として現場・経営層ともに十分に理解を得られておらず、また、人権デューデリジェンスを実施していないこと等により、優先すべき課題も特定できていない企業が多いという状況が伺われます。人権施策に関する理解を得るには、その必要性を周知するだけではなく、具体的な施策の内容、進め方を明確にして、効率的に取組みを進めるためのツールを準備する必要がありますが、人権施策を進める上でのHowの部分に課題感を有する企業も多いことが伺われます。
【図表3:人権リスク管理における課題】
「従業員・現場の理解」「経営層の理解」を深めるにあたっては、言うまでもなく、経営層を含めた人権に関する教育・周知活動を継続的に実施することが必要です。教育にあたっては、ビジネスモデル、国や地域等ごとに懸念される人権侵害を踏まえて、日常業務と人権リスクの繋がりを理解できる内容とすることが重要です。なお、取組み上の工夫として、自社の人権研修カリキュラムの修了者を人権推進リーダーに設定し、当該リーダーを通じて、調達や販売・マーケティング等、人権リスクの高い機能に特化した研修をするといった事例も見られます。
また、「優先すべき課題の特定」をするには、前述のとおり、自社内だけではなくサプライチェーンを対象とした人権デューデリジェンスを進め、人権課題の把握を進めることが肝要です。人権デューデリジェンスの実施にあたっての基本的な視点としては、自社の活動による人権への影響を第一に評価することが挙げられ(具体的な進め方についてはPart2参照)、人への負の影響の深刻度について、影響を与える人権の性質を踏まえて、その規模・範囲・救済の困難度を評価することが中心となります。ビジネスによって重視すべきポイントは異なりますが、社会の変化によって、そのポイントも継続的に変化します。
たとえば、近時は、武力紛争の影響を受けるケース(当該地域の自社および取引先の従業員等)や、コロナ禍で職を失う等して脆弱な立場に置かれたケース、外国人技能実習生などの外国人労働者への配慮が留意すべき例として挙げられます。そして、人権デューデリジェンスの実施にあたっては、形式的・画一的になっていないか、社会情勢・法規制やビジネスの変化を踏まえたものになっているか、ステークホルダーの声を踏まえているか、デューデリジェンスの結果を是正措置や取引判断等に活用されているかなどに留意して、実効的な取組みとすることが大切です。
注1:企業が「自社・グループ会社及びサプライヤー等における人権への負の影響を特定し、防止・軽減し、取組の実効性を評価し、どのように対処したかについて説明・情報開示していくために実施する一連の行為」 と定義される。(出所:ビジネスと人権に関する行動計画の実施に係る関係府省庁施策推進・連絡会議「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン」 )
注2:企業の影響により人権侵害が発生した場合、被害者が申立てを行い適切な是正を求めることのできる仕組み
名称(策定年) | 発行機関/国 |
---|---|
ビジネスと人権に関する指導原則(2011年) |
国際連合 |
OECD多国籍企業行動指針(1976年) |
OECD |
責任ある企業行動のためのOECDデューデリジェンス・ガイダンス(2018年) “OECD Due Diligence Guidance for Responsible Business Conduct” |
OECD |
紛争鉱物資源に関する規則(2017年) |
EU |
EU企業が事業活動とサプライチェーンの管理において強制労働に関与するリスクに対処するためのデューデリジェンス・ガイダンス文書(2021年) |
EU |
企業持続可能性報告指令(CSRD)案(2021年) |
EU |
コーポレート・サステナビリティ・デューデリジェンス指令案(2022年) “Corporate Sustainability Due Diligence Directive (proposal)” |
EU |
強制労働により生産された製品のEU域内での流通を禁止する規則案(2022年) |
EU |
2015年現代奴隷法(2015年) |
イギリス |
親会社及び発注会社の注意義務に関する 2017 年 3 月 27 日法律 2017-399 号(2017年) |
フランス |
児童労働デューデリジェンス法(2019年) “Child Labour Due Diligence Act/Wet Zorgplicht Kinderarbeid” |
オランダ |
サプライチェーン・デューデリジェンス法(2021年) |
ドイツ |
1930 年関税法第 307 条(1930年) |
米国 |
ドッド・フランク法(2010年) |
米国 |
2010年カリフォルニア州サプライチェーン透明法(2010年) |
米国(カリフォルニア州) |
貿易円滑化・貿易執行法(2015年) |
米国 |
グローバル・マグニツキー人権問責法(2016年) |
米国 |
ウイグル強制労働防止法(2021年) |
米国 |
ウイグル強制労働防止法(UFLPA)の「輸入者向けの運用ガイダンス」(2022年) “Uyghur Forced Labor Prevention Act U.S. Customs and Border Protection Operational Guidance for Importers” |
米国 |
豪州2018年現代奴隷法(2018年) |
オーストラリア |
責任ある企業行動及びサプライ・チェーン推進のための対話救済ガイドライン(第1版)(2019年) | 日本(責任ある企業行動及びサプライ・チェーン研究会) |
責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン(2022年) | 日本 |
出所:日本貿易振興機構(ジェトロ)公表資料、「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン」(ビジネスと人権に関する行動計画の実施に係る関係府省庁施策推進・連絡会議)の訳語をもとにKPMG作成。
執筆者
KPMGコンサルティング
アソシエイトパートナー 水戸 貴之
シニアマネジャー 新堀 光城
シニアコンサルタント 泉 麻里奈
関連リンク
法務・コンプライアンスリスクサーベイ2022 持続可能な経営に向けた変革
本調査の対象企業、有効回答数は以下のとおりです。
- 本調査の対象企業:国内上場企業、および売上高400億円以上の未上場企業約4,000社の法務・コンプライアンス部門
- 本調査の有効回答数:422件