本稿は、時事通信社 金融財政(2026年9月7日 第11419号)に掲載された記事を許諾を得て転載しています。他への転載・転用はご遠慮ください。
1.複雑化する経営課題
地方企業の経営者との対話では、次のような悩みを耳にすることがある。「昔は経営の悩みが分かりやすかった。仕事が増えれば人を採り、資金が足りなければ銀行に相談すればよかった。でも今は、自分が何に困っているのかさえ、うまく言葉にできない」
これは、多くの企業経営者がいま抱えている悩みを象徴しているように思う。人口減少に伴う人手不足が常態化し、物価上昇や賃上げへの対応、DXやAI活用への投資、感染症の拡大や地政学リスクを契機としたサプライチェーンの再構築など、企業を取り巻く経営環境はここ数年で大きく変化した。さらに、経営者の高齢化や事業承継といった中長期的な課題も同時に押し寄せている。
中小企業庁の『2025年版中小企業白書』では、人材確保が企業経営における最重要課題の一つとして位置付けられている。また、価格転嫁、生産性向上、事業承継など、多くの経営課題が同時に存在していることも示されている。重要なのは、課題が増えたことではない。現場では、それぞれの課題を切り離して考えることが難しくなっている点である。
例えば、人材不足は採用だけの問題では終わらない。採用難が続けば、中長期的には中堅層や管理職候補の育成にも影響が及ぶ。権限移譲が進まず、経営を支える人材層も徐々に薄くなっていく。その積み重ねは、事業承継や新たな投資判断にも影響を及ぼすことになる。さらに、その影響はDXやAI活用、生産性向上、賃上げといった新たな経営課題への対応にも及んでいく。人材不足を契機に変革が進む企業がある一方で、それを担う人材の不足が新たな制約となる企業も少なくない。つまり、人材不足は採用だけの問題ではなく、企業の将来にわたって組織や人材のあり方、さらには様々な経営課題にも影響を及ぼす構造的な課題なのである。
組織・人事の視点に立つと、事業承継をめぐる論点も変わって見えてくる。私が後継者育成支援や経営幹部育成、経営体制の構築支援に携わっていた頃、当初は社長の息子をどう育てるかという相談が中心だった。しかし次第に、親族だけでなく社内の有力社員や経営幹部を後継者候補として育成したいという相談が増えていった。それと同時に、「次の社長を支える経営幹部を育てたい」「承継後の経営を支える体制を整えたい」という相談も数多く寄せられるようになった。この変化は、事業承継の関心が「誰を後継者にするか」から、「承継後にどう経営体制を整備するか」へと移り始めていることを示していたように思う。
調査結果にも表れている。帝国データバンクの『全国「後継者不在率」動向調査(2025年)』によれば、全国での後継者不在率は2017年の66.5%をピークに改善を続け、2025年には50.1%まで低下した。一方で、承継経路では内部昇格が36.1%となり、同族承継(32.3%)を上回った。
数字だけを見れば、後継者不足は改善へ向かっているように映る。しかし、現場で本当に問われ始めているのは、後継者がいるかどうかではなく、新しい経営者を支える経営体制をどう築くかという点であると感じる。社長候補はいる。一方で、財務を任せられる人材がいない。営業を束ねる幹部がいない。製造現場を率いる責任者が育っていない。このような状況では、後継者が決まったとしても、新しい経営は十分に機能しない。事業承継では、「誰が社長になるか」という視点だけでは十分ではない。次の経営を支える体制をどう整えるかという視点が重要である。
2.経営体制はどう築くか
前章では、組織・人事の視点から事業承継を見つめると、後継者だけではなく経営体制も重要になることを述べた。では、その経営体制はどのように築けばよいのだろうか。
親族承継、内部昇格、外部人材の登用、第三者承継やM&A。企業が選択できる方法はいくつもある。もちろん、正解は一つではない。重要なのは、どの承継方法を選ぶかではなく、その企業にとって持続可能な経営体制をどう築くかという視点である。
まず、多くの中堅・中小企業で選択されてきたのが親族承継である。創業者の理念や企業文化、地域との信頼関係を自然に引き継ぎやすいことは、大きな強みと言える。一方で、親族であることと経営者としての経験は必ずしも一致しない。近年、後継者育成支援や経営幹部育成に携わる中でも、「後継者は決まっているが、その後の経営に不安がある」という相談は決して少なくなかった。親族承継であっても、次世代の経営を支える人材が育っていなければ、承継後の経営は安定しないのである。
内部昇格も同様である。社内事情や企業文化を深く理解し、取引先や従業員との信頼関係を築いていることは大きな強みである。しかし、その一方で、経営者として必要な経験が十分とは限らない。前出の帝国データバンクの調査では、新任社長の83.9%が業界経験10年以上である一方、経営経験3年未満が69.6%を占めている。営業責任者として成果を上げた人が、資本政策や投資判断を経験しているとは限らない。工場長として現場を率いてきた人が、企業全体の経営判断を担ってきたとは限らない。つまり、多くの新任社長は自社を熟知している。しかし、経営者として求められる役割は、それまでの延長線上だけでは担えないのである。その結果として、「後継者候補はいる。しかし承継が進まない」という状況が生まれる。
一方、近年は外部人材の活用も重要な選択肢となっている。人材紹介市場の拡大や副業・兼業制度の普及を背景に、プロ経営者や外部専門人材を迎え入れる企業も増えている。全国地方銀行協会『地方銀行における「地域密着型金融」に関する取り組み状況(2024年度)』によれば、人材マッチング実績は5,176件に達しており、地域金融機関も人材確保を支援する役割を強めている。外部人材は、新たな知見や経験を組織へ取り込める点で大きな可能性を持つ。その一方で、長年培われた企業文化や価値観、地域との関係性、従業員との信頼関係を短期間で理解することは容易ではない。優秀な人材を迎えることと、経営体制が機能することは必ずしも同じではないのである。
そして、もう一つの選択肢が第三者承継やM&Aである。親族内承継が難しい。社内にも適切な後継者がいない。そのような企業にとって、M&Aは企業を次世代へ引き継ぐための有力な選択肢となる。しかし、M&Aもまた、経営体制を築くための手段であって目的ではない。M&Aが成立しても、新しい経営体制が機能しなければ、本来期待した企業価値は生まれない。
M&Aを通じて新たな経営体制を築こうとする場合には、視点は承継する企業だけでなく、承継を受ける企業にも広がる。買い手企業にとっても、統合後にどのような経営体制を構築するかは、M&Aの成否を左右する重要なテーマである。こうした観点から、近年は人事デューデリジェンスやPMIの重要性が高まっている。人事デューデリジェンスでは、キーパーソンや後継者候補の状況、人材構成、人事制度、組織文化、労務リスクなどを把握し、新しい経営体制を築く上での課題を事前に見極める。その上でPMIでは、買い手と売り手、それぞれの経営陣が共通の方向性を持ち、従業員の理解を得ながら企業文化を融合させていく。財務を担う人材、営業を統括する幹部、現場を率いる責任者など、それぞれが役割を果たし、新しい経営体制として機能して初めて、M&Aは企業価値の向上につながる。
また、PMIは買い手企業だけの取り組みではない。売り手企業の経営者にとっても、M&A後の新しい経営体制が円滑に機能するよう主体的に関わることは、経営理念や企業文化を次世代へ引き継ぎ、従業員の不安を和らげるうえで重要である。PMIは、単なる統合作業ではなく、人事デューデリジェンスで把握した課題を踏まえながら、新しい経営体制を組織の中に定着させ、その力を十分に発揮できる状態をつくるプロセスである。制度や組織を整えるだけでは十分ではない。新しい経営陣が互いに信頼し、従業員が新しい経営方針を理解し、それぞれが役割を果たしながら企業として一体感を持って動き始めることが重要なのである。
組織・人事の立場から見ると、親族承継、内部昇格、外部人材、M&Aはいずれも新しい経営を支える体制をどう築くかという共通の課題へ行き着く。企業が次の世代へ持続的に成長するための経営体制を築くことである。その視点に立てば、人材不足への対応、事業承継、M&A、PMIは、それぞれ独立したテーマではなく、一つの経営課題に向き合うための異なる手段と捉えることができる。
3.地方銀行に求められる「見立てる力」
ここまで見てきたように、人材不足への対応、事業承継、外部人材の活用、M&Aは、それぞれ独立したテーマではない。企業が次の世代へ持続的に成長するために、どのような経営体制を築くかという、組織・人事の視点から見ると、それぞれは密接に関係し合うテーマである。
しかし、経営者から最初に聞こえてくるのは、「経営体制をどう築くべきか」という相談ではない。「人が採れない」「後継者が育たない」「M&Aも考えた方がいいのだろうか」。相談の入口は、もっと漠然としている。
だからこそ経営者が求めているのは、最初から解決策を示してくれる存在ではない。「自社はいま、本当は何に向き合うべきなのか」その問いを一緒に整理してくれる存在ではないだろうか。地方銀行には、その役割を担える強みがある。営業担当者は、月に一度、あるいは何年にもわたり同じ企業へ足を運ぶ。決算書だけではない。経営者の表情を見て、幹部の様子を見て、現場の雰囲気を感じている。
「最近、息子が会社へ戻ってきた」「営業部長が定年を迎える」「幹部が相次いで退職した」「M&Aの提案を受けている」こうした一つひとつは小さな出来事かもしれない。しかし、それらを時間軸でつなぎ合わせることで、企業の将来を左右する変化が見えてくることがある。これこそが地方銀行ならではの強みである。
一方で、その近さは難しさにもなる。地域を代表する企業の経営者は、地域の名士でもありうる。重要取引先であるほど、長年の信頼関係への配慮から、経営の核心に踏み込んだ対話が難しくなる場合もある。地域金融機関として長年培ってきた関係性を大切にしてきたからこそ生まれる難しさがある。
しかし、これまで銀行担当者と企業を訪問する中で、企業から当初共有された相談内容と、対話を重ねる中で明らかになる本質的な課題が異なることもある。「事業承継は問題ありません」そう聞いていた企業で、実際には後継者本人が承継に迷いを抱えていた。「人材不足が課題です」そう聞いていた企業が、本当は経営幹部との関係性や組織運営に悩んでいた。「M&Aを検討しています」そう聞いていた企業が、実際にはM&Aそのものではなく、承継後の経営体制に不安を抱えていたこともあった。
こうした行き違いは、担当者個人の問題ではない。経営者自身も、本当の課題を十分に整理できていないことが少なくないからである。企業経営では、「正しい答え」を探す前に、「本当の問い」を見つけることが重要になる。
私は、この役割は医療における総合診療の考え方に通じる面があると考えている。相談内容を丁寧に整理し、必要に応じて適切な専門家につなぐという点である。地方銀行に求められる役割も、それに近い。人材育成で解決できる課題なのか。組織や経営を見直すべきなのか。第三者承継を視野に入れる段階なのか。M&Aという選択肢が最適なのか。まず、その本質を見立てることである。そして、その見立てがあって初めて、税務、法務、人事、デジタル技術、M&A、PMIなど、それぞれの専門家の力を適切なタイミングで生かすことができる。そのためには、必要なときだけ専門家を探すのではなく、日頃から各分野の専門家と関係を築き、互いの強みや支援内容を理解しておくことが重要である。継続的なコミュニケーションを通じて信頼関係を育んでおくことで、企業にとって最適な支援を迅速かつ的確につなげることができる。
他方、課題の捉え方が十分でなければ、本来必要な支援につながるタイミングを逃し、経営課題がさらに複雑化することも少なくない。例えば私が専門とするM&Aの領域でも、人事デューデリジェンスやPMIを十分に実施しなければ、キーパーソンの流出、労務リスクの顕在化、人事制度の混乱、企業文化の対立などが買収後に表面化し、期待していた企業価値の向上やシナジーを実現できないケースがある。図表は、その代表的な論点と起こり得る影響を整理したものである。
図表:「M&Aで見落とされがちな論点と起こり得る影響」
| 見落とされがちな論点 | 起こり得る影響 |
| キーパーソンや中核人材の把握・リテンション | 統合直後にキーパーソンが退職し、顧客や技術・ノウハウが失われる。事業計画やシナジー実現が大きく遅れる。 |
| 後継者・経営幹部の役割分担 | 新経営体制の意思決定が曖昧となり、責任の所在が不明確になる。現場が混乱し、意思決定のスピードが低下する。 |
| 人事制度・処遇の違い | 給与・評価制度の不整合から従業員の不満が高まり、離職やモチベーション低下を招く。想定以上の人件費が発生することもある。 |
| 組織風土・企業文化の違い | 「旧会社」意識が残り、部門間の連携が進まない。統合後も組織が一体化せず、シナジー創出が遅れる。 |
| 労務リスク・未払賃金等の把握不足 | 買収後に未払残業代や労務問題が顕在化し、追加コストや企業価値の毀損につながる。 |
| 労働組合・従業員とのコミュニケーション | 統合への不安や誤解が広がり、人材流出や組織の混乱を招く。制度変更や組織再編が予定どおり進まない。 |
| Day1(統合初日)に向けた準備不足 | 権限、組織、会議体、就業ルールなどが整理されず、統合直後の業務運営に支障が生じる。 |
| PMIの目的・優先順位の不明確さ | 個別施策が場当たり的になり、制度統合だけが先行する。経営統合の目的や企業価値向上につながらない。 |
地方銀行に求められているのは、すべてを自ら解決することではない。企業との対話を通じて本質的な課題を見立て、その企業に本当に必要な支援や専門家へ適切につないでいくことこそが、これからの地方銀行に期待される経営相談機能ではないだろうか。
4.地域経済を支えるハブとして
ここまで見てきたように、人材不足、事業承継、M&A、デジタル技術への対応など、企業を取り巻く経営課題は、それぞれを切り離して考えることが難しくなっている。だからこそ、企業は個別の課題への対応だけではなく、経営全体を見渡しながら優先順位を判断することが求められるようになっている。
その変化は、一企業だけの問題ではない。前出の『2025年版中小企業白書』でも、取引先企業の後継者不在による廃業が地域経済全体へ波及するリスクが指摘され、「サプライチェーン事業承継」の重要性が示されている。一社の廃業は、一社だけの問題では終わらない。仕入先や販売先、地域雇用、さらには地域産業全体へと影響が広がり、地域経済の持続性にも影響を及ぼす。だからこそ、地域企業を支えることは、その地域の産業基盤を支えることでもある。
地方銀行は、その地域を最も継続的に見続けることのできる存在である。営業担当者は、企業の変化を長い時間軸で見続けている。経営幹部の世代交代が進んでいない。後継者候補が戻ってきた。M&Aの提案を受け始めている。一つひとつは小さな変化であっても、それらを積み重ねて見られることは、地方銀行ならではの強みである。その強みを生かすためには、企業から相談されたことだけに応えるのでは十分ではない。
企業との継続的な対話を通じて変化を捉え、その企業が本当に向き合うべき課題を整理し、必要な支援へとつないでいくことが重要になる。さらに、支援した後も企業の変化を見守り、状況に応じて見立てを更新し続ける。その積み重ねによって初めて、企業との長期的な伴走が実現すると考える。
店舗網や融資機能は、これからも地方銀行の重要な役割であり続ける。その一方で、企業との対話を通じて課題を整理し、企業にとって最適な支援につないでいく機能は、地域金融機関の価値としてこれまで以上に重要になるのではないだろうか。経営者が求めているのは、最初から答えを示してくれる存在ではない。自社が本当に向き合うべき課題は何なのか。どこから着手すべきなのか。その問いをともに整理し、企業の変化に寄り添いながら伴走する存在である。企業を理解する視点は一つではない。財務、法務、営業など様々な切り口がある。その中で、組織・人事という視点から企業を見つめ続けることで見えてくる課題もある。私は、その課題を見立て、適切な支援へつないでいくことこそ、これからの地方銀行の新たな価値につながると考えている。