国際秩序や安全保障環境が変化するなか、欧州では戦略的自律を高めようと、経済安全保障や産業政策、規制の見直しを進める動きが強まっています。こうした政策転換は、サプライチェーン、投資判断、サステナビリティ対応など、企業活動にも影響を及ぼします。本稿では、欧州の政策変化を整理し、日本企業に求められる実務対応について考察します。
1.欧州が目指す戦略的自律とその背景
欧州では、域内の政治的な分断と域外の安全保障環境の変化が重なり、政策判断の前提が大きく揺らいでいます。域内では、2015年の欧州難民危機などを契機に、難民・移民の受け入れやEUの権限をめぐる議論が広がりました。こうした不安を背景に、右派ポピュリズム政党などEUに懐疑的な政党が支持を伸ばし、EUの結束よりも自国の主権を重視する主張が強まっています。その結果、EUとして足並みをそろえて政策を進めることの難しさが、以前にも増して意識されるようになっています。
域外に目を向けると、米国、中国、ロシアとの関係も欧州の政策運営に影響を及ぼしています。米国は自国の利益を優先する姿勢を強めていることから、欧州は安全保障面において米国に過度に依存しない体制づくりを迫られています。対中国関係についても、欧州にとって中国は経済面で重要な貿易相手国である一方、防衛・経済安全保障上の懸念も踏まえ、重要物資の安定確保やサプライチェーンの強靱化を図る観点から、慎重な対応が求められています。ロシアについても、ウクライナ侵攻後の対ロシア制裁やエネルギー調達の多角化をめぐり、欧州各国の立場や利害が完全には一致していません。
このように、欧州を取り巻く地政学リスクは単一の要因で説明できるものではなく、各加盟国の国内政治、安全保障環境の変化、不可分な経済的相互依存が複合的に作用しています。これらの課題は短期間で解消される可能性が低く、企業にとっては欧州が今後も戦略的自律を目指した政策や規制を採用する前提で、事業への影響を継続的に把握することが重要になります。
2.経済安全保障を軸とした政策転換
先述の地政学環境の変化を受け、欧州では経済安全保障を政策の中心に据える動きが強まっています。その象徴の1つが、2023年6月に欧州委員会が公表した「欧州経済安全保障戦略」です。同戦略は、重要技術の流出やサプライチェーンの途絶、特定国への過度な依存といったリスクを念頭に、EUとしてリスクを低減しながら、競争力や技術基盤を確保する方向性を示しました。加盟国ごとの対応に委ねられていた課題を、EU全体の政策課題として位置付けた点に特徴があります。
この方針は、具体的な制度にも反映されています。たとえば、「欧州半導体法」は、2030年までにEU域内で生産される半導体の世界シェアを少なくとも20%に引き上げることを目標としています。また、「重要原材料法」は、レアアースなどの戦略物資について、域内での採掘、加工、リサイクルを促し、調達の安定性を高めることを狙いとしています。これらの施策は、単なる産業振興策ではなく、重要技術や原材料をどのように確保するかという経済安全保障上の課題への対応といえます。
さらに、欧州委員会は2026年3月、域内産業の競争力強化を目的とする「産業加速法」案を公表しました。同法案では、脱炭素関連技術や電気自動車、太陽光パネルなどの分野において、公共調達や対内投資に関する参入条件の見直しを通じて、域内企業や域内製品を後押しする方向性を打ち出しています。自由貿易をはじめとする国際協調を主導してきた欧州においても、戦略的重要産業については、その保護・育成と域外依存の低減を重視する姿勢が強まっています。
一方で、欧州が閉鎖的な方向へ一方的に進んでいるわけではありません。価値や政策目的を共有する同盟国・地域との連携は引き続き重視しており、共同研究、技術協力、サプライチェーンの再構築などを通じた事業機会も生まれています。日本企業にとっては、規制リスクを把握するだけでなく、欧州企業や研究機関との連携、友好国間での調達・生産体制の構築、補助金や公共調達の活用可能性を検討することが重要になります。
3.日本企業に求められる実務対応
欧州の政策転換は、産業政策、調達・投資、サステナビリティ関連規制など、複数の領域で企業活動に影響を及ぼしています。欧州はこれまで、環境・人権・ガバナンスの各分野で先進的な規制整備を進めてきましたが、足元では、企業の競争力や域内産業の成長とのバランスを重視する動きが強まっています。
CSRDやCSDDDなどの環境関連規制における報告義務やデュー・ディリジェンス要件についても、企業負担を踏まえた簡素化や適用範囲の見直しが議論されています。一方、これはサステナビリティ関連政策の重要性が低下したというより、経済安全保障や産業競争力との整合を図る段階に入ったものと捉える必要があります。
日本企業にとっては、規制の一部が簡素化されることで、欧州市場での事業展開や投資判断における選択肢が広がる可能性があります。一方で、制度設計が見直される過程では、対象企業、適用時期、開示・報告水準などが変動しやすくなります。そのため、単一の見通しに基づいて対応を決めるのではなく、規制が強化される場合、緩和される場合、あるいは国・分野ごとに運用差が生じる場合など、複数のシナリオを前提に事業計画を検討することが重要です。
あわせて、欧州の政策形成プロセスを継続的に把握し、自社事業への影響を早期に評価する体制づくりも求められます。現地法人、本社、法務・コンプライアンス、サステナビリティ、調達・生産部門が連携し、規制変更がサプライチェーンや投資、販売戦略に与える影響を確認することが有効です。また、現地の業界団体や商工会議所などを通じて、政策当局との対話や意見発信を行うことも、制度設計の動向を把握し、自社の事業環境を整えるうえで重要な選択肢となります。
執筆・編集
KPMGコンサルティング
リードスぺシャリスト 白石 透冴
コンサルタント 前田 桃子