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      本稿では、日本の宇宙産業が大きな成長局面を迎えるなかで、人材不足が産業全体のボトルネックとなりつつある現状を整理します。そのうえで、人材に求められる知識・技能を体系化した「宇宙スキル標準」が策定された背景と、その役割について解説します。



      はじめに

      日本の宇宙産業は、研究開発を中心とした時代から、宇宙技術を社会実装し、事業として成長させるフェーズへと移りつつあります。政府は宇宙基本計画において、2020年に約4兆円だった国内宇宙市場を2030年代早期に約8兆円へ拡大する目標を掲げています。その実現に向けて、宇宙技術戦略、官民投資ロードマップ、宇宙戦略基金など、研究開発から事業化までを後押しする政策や投資環境の整備も急速に進んでいます。

      しかし、政策や資金、優れた技術だけで産業が成長するわけではありません。新たな技術を事業へと結び付ける人、複雑なシステムを設計・開発する人、製造や品質を支える人、衛星や地上設備を運用する人、データから新たなサービスを創出する人、さらには契約・法務・調達・人事など事業基盤を支える人材がいて初めて、投資は産業としての成果へとつながります。宇宙産業の成長を左右するのは、「技術」だけでなく、それを担う「人材」の存在です。

      一方で、多くの企業では「どのような人材が必要なのか」「宇宙業界で求められる能力とは何か」を明確に言語化できておらず、人材の採用・育成・キャリア形成が個社ごとの経験や属人的な判断に依存してきました。また、宇宙業界に関心を持つ人にとっても、自身の経験や専門性が宇宙分野でどのように活かせるのかがわかりにくく、業界への参入障壁の一因となっています。

      こうした課題を解決するため、2026年2月、内閣府宇宙開発戦略推進事務局は宇宙分野で求められる知識・技能を体系化した「宇宙スキル標準」を公表しました。宇宙スキル標準は、宇宙産業に存在する職種や必要なスキルを共通言語として整理することで、企業の採用・人材育成を支援するとともに、学生や異業種人材が宇宙業界へ挑戦しやすい環境を整備することを目的としています。

      本連載では、宇宙スキル標準の全体像から具体的な活用方法までを解説します。第1回となる本稿では、まず宇宙産業を取り巻く環境変化と人材課題を俯瞰し、なぜ今、宇宙スキル標準が必要とされているのかを整理します。第2回以降では、職種体系やスキル構造、企業での採用・育成への活用方法、個人のキャリア形成への活用などについて、具体例を交えながら紹介していきます。

      1.宇宙産業は「開発」に加え、「実装・事業化」を担う産業へ

      宇宙開発は長らく、国家安全保障、科学探査、基幹通信などを支える、長期かつ大規模なプロジェクトを中心に発展してきました。現在も、これらの領域が宇宙産業の重要な基盤であることに変わりはありません。

      一方で近年は、人工衛星の小型化やコンステレーションの拡大、クラウドやAIを活用したデータ処理、民間ロケット、月面開発、軌道上サービスなど、新たな技術や事業領域が次々と生まれています。これに伴い、宇宙産業は、一部の政府機関や専門企業だけでなく、多様な企業や人材が価値創造に参加する産業へと変化しつつあります。

      この変化の本質は、単にプレイヤーの数が増えたことではありません。従来、技術的な成立性が中心的な論点であった宇宙プロジェクトに、顧客課題の把握、事業モデルの構築、量産体制、運用効率、サプライチェーン、規制対応、資金回収といった経営・事業上の論点が重なるようになったことにあります。優れた技術を開発するだけでなく、その技術を顧客価値へと転換し、安定的に提供し、継続的な収益を生み出すことが求められています。すなわち、研究開発の成果を、社会で繰返し利用される持続可能な事業へと転換する能力が、これまで以上に重要になっています。

      こうした産業構造の変化は、求められる人材像にも変化をもたらします。高度な専門性を持つ技術者が引き続き不可欠であることは変わりません。同時に、複雑なシステム全体を設計・統合する人材、複数の企業や組織を動かすプロジェクトマネジャー、量産や品質管理の仕組みを構築する人材、顧客の業務を理解してサービスを設計する人材も必要です。

      さらに、法務、知的財産、調達、財務、人事、情報セキュリティなど、事業と組織の基盤を支える人材の役割も拡大しています。宇宙産業における人材課題は、技術者など特定の職種だけに閉じた問題ではありません。構想から開発、製造、運用、事業化、組織運営に至るまで、価値連鎖全体を支える人材基盤の問題として捉える必要があります。

      【宇宙産業における人材基盤の重要性】
      Japanese alt text: なぜ今、宇宙産業で「人材基盤強化」が必要なのか_図表1 出所:「宇宙スキル標準」(内閣府)を基にKPMG作成

      2.市場拡大のスピードと、人材供給には時間差がある

      政府が掲げる市場拡大の方向性は、宇宙産業に大きな成長機会をもたらします。2026年6月に示された「宇宙基本計画工程表改訂に向けた重点事項」では、2020年に4兆円だった宇宙産業の市場規模を8兆円へ拡大する目標について、その達成時期を2030年代早期から2030年へ前倒しするとともに、2040年には少なくとも13兆円規模の市場を日本企業が国内外で獲得することを目指す方向性が示されました。

      政策の対象も、個別技術の研究開発にとどまりません。ロケット・射場、人工衛星・サービス、月面探査・低軌道技術などを対象とした官民投資の拡大に加え、商業化、サプライチェーンの強化、需要創出、海外市場の獲得までを一体的に進める方向へと広がっています。

      一方、人材は、設備や資材のように必要になった時点でただちに調達できるものではありません。システムエンジニアやプロジェクトマネジャーは、複数の実案件に携わり、異なる制約条件のもとで意思決定を重ねることで判断力を身につけます。製造、試験、品質保証に必要な技能も、現場での反復や不具合への対応を通じて蓄積されます。事業開発人材についても、宇宙技術と顧客業務の双方を理解し、両者を結び付けられるようになるまでには時間を要します。

      そのため、市場が本格的に立ち上がってから人材の採用や育成を始めたのでは、事業機会の拡大に人材供給が追いつかない可能性があります。

      さらに、限られた経験者が複数の案件を兼務し、少数の人材に判断や調整が集中する状態にも注意が必要です。短期的には案件を成立させることができても、知識や判断基準が特定の個人に偏れば、組織として同様のプロジェクトを繰り返し遂行する力は高まりません。若手への経験移転が進まず、経験者の異動や退職によって能力が組織から失われるリスクも生じます。

      市場拡大の目標と整合した人材戦略を構築するためには、現在の欠員数だけを見るのではなく、将来必要となる能力、その獲得時期、育成に要する期間、適切な配置、知識・技能の継承までを見通す必要があります。

      3.本当のボトルネックは「量・質・循環」の3層にある

      宇宙分野の人材課題を「求人に応募が来ない」という一点で捉えると、打ち手は採用広報や処遇改善に限定されてしまいます。しかし、産業全体の視点で見ると、人材課題は大きく「量」「質」「循環」の3層に整理できます。

      第1層は、量の不足です。宇宙産業への参入企業や新規プロジェクトが増える一方で、宇宙分野で実務経験を持つ人材の母集団は依然として限られています。特に、システムエンジニア、プロジェクトマネジャー、品質保証、衛星運用などの経験者は短期間で育成できず、需要の拡大に供給が追いつきにくい状況にあります。

      第2層は、能力の質と組み合せの不足です。個々の専門技術に優れた人材がいても、それだけで事業は成立しません。複雑なシステム全体を俯瞰して設計・統合する力、技術と顧客課題を結び付ける力、品質・コスト・納期をバランスよく管理する力など、多様な能力を適切に組み合わせて初めてプロジェクトは成功します。重要なのは、「優秀な人材」を漠然と求めることではなく、どの業務に、どの能力を、どのレベルで配置するかを設計することです。

      第3層は、人材循環の不足です。宇宙産業で必要とされる能力の多くは、実は他産業にも存在しています。しかし、他業界で培われた経験が宇宙分野へ十分に移転されず、教育機関で学んだ知識も実務へ結び付きにくい状況があります。さらに、企業内でも保有スキルが可視化されていないため、適切な配置転換や育成が進まず、人材が必要な場所へ流れにくくなっています。

      つまり、宇宙産業の人材課題は、「人がいない」ことだけではありません。人は存在していても、その能力が見えず、適切に組み合わされず、必要な場所へ循環していないことが、産業全体のボトルネックとなっています。宇宙スキル標準が特に効果を発揮するのは、この「見えないために流れない」という課題に対して、仕事と能力を共通の言葉で可視化し、人材の流動性を高める点にあります。

      4.宇宙業界の「敷居の高さ」は、能力より情報の非対称性から生まれている

      宇宙産業は大きな成長が期待される一方で、多くの学生や社会人にとっては、依然として「特別な人だけが働ける世界」という印象があります。しかし、その印象は必ずしも実態を正確に表しているわけではありません。

      実際には、IT、製造、通信、インフラ、コンサルティングなど、さまざまな業界で培われた能力が宇宙産業でも活用できます。たとえば、システム設計、ソフトウェア開発、品質保証、データ分析、プロジェクトマネジメント、営業・事業開発などは、宇宙業界に限らず共通して求められる能力です。自動車や航空機の設計、半導体の品質保証、通信ネットワークの運用、クラウドやAIの開発経験なども、宇宙分野で十分に活かせる可能性があります。

      それにもかかわらず、多くの候補者は「宇宙工学を専攻していない」「宇宙開発の経験がない」という理由だけで、自分には応募資格がないと考えてしまいます。一方、企業側も「宇宙経験者歓迎」といった求人を出すことで、本来対象となるはずの人材を自ら狭めてしまうことがあります。

      つまり、人材が存在しないのではなく、人材と仕事の接続可能性が見えていないことが問題なのです。宇宙業界の敷居の高さは、能力要件そのものよりも、「どの仕事に、どのような能力が必要なのか」が十分に可視化されていないことから生まれています。

      そのため、必要なのは採用基準を緩めることではありません。むしろ、「入社時点で必要な能力」「他業界から移転できる能力」「入社後に習得できる知識」を整理し、仕事と能力の対応関係を明確にすることです。そうすることで、候補者は自らの経験が宇宙分野でどのように活かせるかを理解でき、企業もより幅広い人材を採用できるようになります。

      宇宙産業の持続的な成長に必要なのは、限られた宇宙経験者を奪い合うことではありません。他産業に存在する能力を宇宙分野へ接続する仕組みを整えることです。その共通言語となるのが、次節で紹介する宇宙スキル標準です。

      5.宇宙スキル標準は、仕事と人をつなぐ「翻訳インフラ」である

      宇宙スキル標準は、宇宙開発分野における業務、スキル、ロール、スキルレベル、関連する学問・資格・育成プログラムなどを体系的に整理したものです。2026年2月に決定版が公表され、企業だけでなく、教育機関、自治体、人材サービス、そして宇宙分野を目指す個人まで、幅広い主体による活用が想定されています。

      宇宙スキル標準の価値は、単にスキルの一覧を作成したことではありません。企業が求める能力と、個人が持つ経験を共通の言葉で表現できるようにした点にあります。これにより、「他産業で培った経験が、宇宙分野のどの仕事に活かせるのか」を具体的に読み替えることが可能になります。まさに、仕事と人をつなぐ「翻訳インフラ」としての役割を果たすものです。

      個人は、自らの経験をスキル単位で整理し、目指す仕事とのギャップや今後学ぶべき内容を把握できます。企業は、採用、配置、育成、評価を一貫した基準で設計できるようになります。教育機関は、教育プログラムと産業界が求める能力との対応関係を示すことができ、人材サービスは候補者と求人をより適切にマッチングできるようになります。さらに、自治体や業界団体にとっても、地域企業の人材育成や産学官連携を進めるための共通基盤となります。

      宇宙スキル標準は、人材を画一的に評価するための基準ではありません。産業にかかわる多様な主体が共通言語を持ち、人材と仕事をより適切に結び付けるための基盤です。宇宙産業の持続的な成長には、このような「人材を見つけ、育て、つなぐ仕組み」が不可欠であり、宇宙スキル標準はその中心的な役割を担うことが期待されています。

      【宇宙スキル標準の位置付け】
      Japanese alt text: なぜ今、宇宙産業で「人材基盤強化」が必要なのか_図表2 出所:「宇宙スキル標準」(内閣府)を基にKPMG作成

      6.おわりに:連載に向けて

      本稿では、日本の宇宙産業が成長局面を迎えるなかで、人材課題は単なる「人手不足」ではなく、産業全体の成長を左右する「人材基盤」の課題であることを整理しました。政策、資金、技術が揃っても、それらを事業や社会実装へ結び付ける人材と組織がなければ、産業は持続的に成長できません。

      宇宙スキル標準は、こうした課題に対して、仕事と人を共通の言葉で結び付けるための基盤です。

      次回は、その宇宙スキル標準の全体像を取り上げます。22のスキルカテゴリ、59のロール例、業務・スキル・スキルレベルの関係を読み解きながら、企業や個人が実務でどのように活用できるのかを解説します。

      参考情報・関連リンク

      執筆者

      KPMGコンサルティング
      マネジャー 平田 悠樹
      コンサルタント 近藤 英介

      内閣府より委託を受け、日本の宇宙開発分野の人材に求められるスキルを体系的に整理した公式スキルブック 「宇宙スキル標準」を策定しました。

      内閣府策定の「宇宙スキル標準」を基に、宇宙産業の成長に必要な人材と組織について、キャリア設計・採用・育成等の実践方法を読み解きます。

      宇宙産業における戦略立案から実行までを包括的に支援します。

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      KPMGコンサルティング

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