はじめに――知性そのものが形成する社会

貴社の組織のAI活用は、いまどの段階にあるでしょうか。

部署ごとにバラバラにツールを導入し、個別最適の分散型で止まっていないでしょうか。それとも、部門をまたいでデータやエージェントをつなぎ、組織横断の統合に踏み出せているでしょうか。

2025年の生成AI動向を俯瞰すると、「分散(Distribution)」と「統合(Integration)」という、一見相反する2つの潮流が同時に加速した年だったことが見えてきます。

個人や部門単位で多様なAIエージェント・専門モデルが乱立し、分散的な活用が広がる一方で、マルチエージェントやワークフロー自動化、他技術との連携を通じて、統合されたシステムとしてAIを組み込む動きも進みました。

本稿では、この2つが「ねじれたトレンド」ではなく、むしろこれからの知性社会の当たり前の構造であることを、「インテリジェンシア(Intelligentsia)」という概念で整理します。

本稿で用いる「インテリジェンシア(Intelligentsia)」は、一般的な「知識人階級」の意味ではなく、Intelligence(知性)とEcosystem(生態系)1を組み合わせた独自の概念です。

ここでは、生成AIが単なるツールの集合体から進化し、多様なAIエージェントが役割分担しながら相互作用し、価値を創造する知性の生態系と定義します。本稿では、このエコシステムという枠組みを借りつつ、AIエージェント社会における「構造的な階層性」という一つの切り口に焦点を当て、個人層・組織層・社会層という3つのレイヤーで整理しています2

自然界の生態系では、多様な生物種がそれぞれの役割を担い、自律的に行動しながらも相互依存し、全体として動的な均衡を保っています。2025年の生成AI社会も同様に、セクター特化型LLMという「多様な種」が誕生し(分散)、マルチエージェント・システムという協調関係を形成して(統合)、全体として1つの知性社会、つまり「インテリジェンシア」を構成しています。

本文では2025年を「インテリジェンシアの萌芽が見えた年」と位置づけ、2026年を「それをどれだけ早く、自社の競争力として社会実装できるか」が問われる年として展望します。

1.インテリジェンシアの三層構造――統合と分散の調和

インテリジェンシアはエコシステムで用いられる3つの階層で構成されており、各階層で「分散」と「統合」が調和しています。

分散(Distribution)

多様性・専門化・自律性 統合

統合(Integration)

協調・一貫性・全体最適化

個人層(Individual Layer)

多様な専門性と人格を持つ「デジタル市民」の出現

 

専門性の分化

•セクター特化型LLM

•タスク特化モデル

 

人格・スタイルの多様化

•異なる性格・口調を持つ複数のパーソナリティ

•用途に応じたエージェントの使い分け

 

個別ツール選択

•部門・個人単位でのAIツール選択

•エージェントの乱立(個別最適)

マルチモーダル統合

•視覚+言語+運動制御など複数モダリティの統合

•一貫した対話体験の提供

 

人格再現の統合

•1人の人間の多面性(認知・感情・価値観)を統合

•個人の知識・経験・判断パターンの包括的再現

 

パーソナルOS

•個人のナレッジ・履歴・ワークスペースの統合

•メール・会議・プロジェクト履歴の一元化

組織層(Organizational Layer)

役割分担と協調による集団的問題解決

役割分化

•専門エージェントの役割分担

•タスク分業に基づくエージェント編成

 

分散処理

•マイクロサービス・アーキテクチャ

•エッジAI:現場での分散判断

•各デバイス・システムの自律動作

マルチエージェント協調

•複数エージェント統合フレームワーク

•エージェント間のハンドオフと動的連携

 

ワークフロー統合

•業務プロセスのend-to-end統合

 

組織目標へのアラインメント

•全体最適を目指した協調オーケストレーション

社会層(Societal Layer)

現実世界との相互作用とセクター横断的協調

セクター自律展開

•セクターごとに自律したAIサービス・プラットフォーム

•各産業の独自発展と深化

 

個別パーソナライゼーション

•一人ひとりへのきめ細かな最適化

 

分散ネットワーク

•エッジ知性ネットワークの拡大

•ローカルAIノードの分散配置

 

分散ID管理

•デジタルID・クレデンシャルの分散管理

•ブロックチェーンによる個別ID保証

セクター横断協調

•医療×金融×行政等の統合サービス

•業界標準・データ連携基盤の整備

 

全体体験最適化

•利用者視点での統合的サービス設計

•個別最適を統合した全体最適

 

物理とデジタルの融合

•都市インフラ:交通+エネルギー+公共の統合運営

•現実世界とデジタル世界の継続的同期

 

信頼基盤の統合

•分散台帳技術による行動記録の統合管理

•ルール・監査の共通基盤

 

社会全体最適化

•公共政策・インフラ運用における協調

•規制当局・倫理委員会による監督

 

 

2.個人層――「デジタル市民」の多様性

人間社会の強みは個人の多様性です。同じ「人間」でも、性格、能力、専門性はそれぞれ異なります。この多様性(分散)が、複雑な問題への多角的アプローチを可能にします。

2025年11月にリリースされた大規模言語モデルは、8種類のパーソナリティプリセットを提供しました。これは異なる「人格」を持つデジタル個人の創造です。1つの基盤モデル(統合)から、アイデア創出や業務処理に適した多様な個性を持つエージェント(分散)が生成される、これがインテリジェンシアにおける統合と分散の共存です。

さらに重要なのは、セクター特化型LLMの台頭です。法務分野では契約書レビューや判例検索に、金融分野では金融レポート分析やリスク評価に、医療分野では診断支援や医学文献解析に、製造分野では生産最適化に、小売分野では顧客対応と在庫管理に、公共・行政分野では政策文書作成と市民対応に特化したモデルが登場しました。

こうした専門特化AIは各領域の専門用語や規制、ベストプラクティスを学習しており、人間社会における「職業」や「専門職」のデジタル版と言えます。人間社会における職業分化が、AI社会でも再現されつつあるのです。

3.組織層――専門家チームとしてのマルチエージェント

2025年のマルチエージェントAIは、人間社会が組織やチームを形成して協働する組織構造をデジタル空間に再現しています。

マルチエージェント統合フレームワークが提供するのは、単なる「複数AIの並列実行」(単純な分散)ではなく、役割分担、相互コミュニケーション、集団意思決定を行う「デジタル組織」(統合)の基盤です。

法律業務のプロジェクトでは、契約書読解エージェント(弁護士役)、判例検索エージェント(リサーチャー役)、財務分析エージェント(会計士役)、統合エージェント(プロジェクトマネジャー役)など専門化された個別エージェント(分散)が、1つのプロジェクト目標に向けて協調し(統合)、最終的な判断は人間が行う(Human-in-the-loop3)というワークフローが実現されつつあります。

エージェント協調システムでは、「このレシピの材料を買って配送して」という依頼に対し、検索、抽出、カート管理、決済の各エージェントが連携してタスクを完遂します。各エージェントは自分の専門に集中し(分散)、全体として1つの目的を達成(統合)します。

4.社会層――現実世界との相互浸透と技術融合

人間社会は都市・交通・エネルギー・食料といった物理世界の制約のなかで、多様な個人や組織が分散的に活動しつつ全体として機能しています。インテリジェンシアの社会層でも、現実世界とデジタル世界の連動、さらには他の先端技術との融合により、統合と分散が社会レベルで実現されつつあります。

A.生成AIベースの社会実装――セクター横断的協調

高齢者向け総合サービスの事例では、複数セクターのAIが1人の高齢者を包括的に支援します。医療AIが健康状態を評価・服薬管理・異常の早期検知を行い、金融AIが年金・資産管理の助言や詐欺リスクの警告を提供し、行政AIが利用可能な公共サービスを案内し、教育AIが生涯学習プログラムを提案するというような横断的協調(統合)が、高齢化社会における重要なソリューションとなるでしょう。

B.技術融合による社会層の拡張

インテリジェンシアは、生成AIだけでなく、ロボティクス、量子コンピューティング、IoT、ブロックチェーンといった技術と融合することで、社会層における統合と分散をさらに深化させています。

(1)ロボティクス×AI――知性に「身体」を与える(統合)

大型展示会の接客ロボットは、5言語対応、非接触バイタル測定、感情認識を生成AIで統合し、来場者の状態に合わせて対話を変えました。2025年に発表された第3世代ヒューマノイドロボットは、ビジョン・言語・アクション統合AIを搭載し、人間の生活空間で家事や介護など人と共存する作業を学習しています。Forresterは「新たな企業ユースケースの20%がロボティクス革新から創出される」と予測4しており、ロボットが「知的同僚」や「共感パートナー」として活躍する時代が近づいています。

(2)量子×AI――異なる「思考様式」の協働(分散)

量子コンピューティングとAIの融合は、異なる計算パラダイムの分散協働です。タクシー配車最適化の事例では、量子が膨大な組合せを並列探索し(分散)、AIがその結果に現実的制約を適用します(統合)。量子とAIが「異なる専門家チーム」として協働することで、新たなソリューションが生み出されつつあります。

(3)IoT×AI――分散知性ネットワーク(分散と統合の循環)

Gartnerは「2029年までにエッジコンピューティングの60%に生成AIが組み込まれる」と予測しています。工場では、製造装置、物流ロボット、品質検査、在庫管理の各エージェントがローカルで判断し(分散)、リアルタイムに情報共有し協調します(統合)。エッジに配置された生成AIが、各デバイスの「文脈」を理解してその場で最適な判断を下します。

(4)ブロックチェーン×AI――信頼基盤の構築(統合)

ブロックチェーンは、分散したAIエージェントの行動を統合的に記録・検証する信頼基盤です。AIエージェントが自律的に発注・支払いを行う際、「どのエージェントが何を決定したか」「いくらまで自動支払いを許容するか」を明確に記録し、問題発生時に責任の所在を特定できる仕組みが不可欠です。2025年7月に米国で成立した包括的法律「GENIUS Act」により、デジタル通貨の法的位置づけが明確化され、企業がAIエージェントの決済手段として採用しやすくなりました。ブロックチェーンは、AIエージェントが自律的に経済活動を行う際の「ガバナンスとガードレール」として機能し始めています。

結論――統合と分散の調和が創るTrustedインテリジェンシア

2025年は、生成AIが個人レベルでは「デジタル市民」の多様化を促し、組織レベルでは「第2のデジタル組織」を生み、社会レベルでは他技術と融合しながら、分散と統合の循環を形づくり始めた年だったと言えます。

 

そのうえで、2026年に向けて、経営者として改めて自問すべき問いを、3つに整理します。

  1. あなたの組織では、部門ごとにAIが乱立し「個別最適の分散型」で止まっていないでしょうか。
  2. 組織横断での統合されたAI活用の全体像を、経営・現場・ITが共通言語で語れる状態になっているでしょうか。
  3. インテリジェンシアを信頼できるものに保つための倫理・セキュリティ・説明責任のガバナンスは整っているでしょうか。

 

2026年は、インテリジェンシアが「実験」から「実装」と移る節目の年となるでしょう。分散と統合のハーモニー、そして信頼を土台に、自社のAI活用を「インテリジェンシア」の実現として、ぜひ具体化していきましょう。

 

  1. 「エコシステム」という言葉は、もともと生物学から来た概念であり、ビジネスの世界では資金・人材・データといった経営資源の循環的な共存関係や、競争と淘汰のダイナミズムを指して使われています。
  2. 資金循環や競争淘汰といった他の側面は本稿のスコープ外としますが、これらも今後のインテリジェンシア研究における重要な論点です。
  3. Human-in-the-loopは本来、すべてのレイヤーに共通するガバナンス原則であり、
    ・個人層では「本人の自己決定権・最終判断」
    ・組織層では「専門家・経営によるレビューと責任所在」
    ・社会層では「法規制・民主的プロセス・社会合意」として具体化されることを意図しています。
  4. Forrester「Predictions 2026: Automation At The Crossroads

執筆

KPMGアドバイザリーライトハウス
デジタルインテリジェンスインスティテュート
コンサルタント 齊藤 弓

監修

KPMGコンサルティング
テクノロジートランスフォーメーション 
シニアマネジャー 山邊 次郎

KPMGアドバイザリーライトハウス
デジタルインテリジェンスインスティテュート リード
マネジャー 佐藤 昌平

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