先進技術の発展とルールメイキングの時間差

生成AI、量子コンピューティング、没入型リアリティ技術など、テクノロジーの進化は、従来のビジネスの在り方を刷新し、新たな価値や収益機会を次々と生み出しています。企業はこうした予兆をいち早く捉え、事業化や市場投入を見据えた投資、共同研究やアライアンス等の外部連携、ガバナンスやリスク管理の体制構築をはじめとする事業推進の主要要件について機動的な意思決定が求められます。

しかしながら、技術革新のスピードに対し、製品・サービスの開発や市場への導入の前提となるルールや規範の整備が追い付いていない場面も少なくありません。適用法令や許認可、規格適合や相互運用性の基準、ガバナンス体制、社会受容を支えるコンセンサスなどの不在・不一致は、意思決定の確度とスピードを損ない、商用化への移行を遅らせます。結果として、たとえ新たなビジネスチャンスの芽を特定できていたとしても、事業化の見通しが立たず、社内外のステークホルダーの合意やコミットメントを得られない可能性があります。他方、ルールや規範が形成される前に独自判断で拙速に踏み出した結果、コンプライアンス違反やレピュテーション毀損、場合によっては深刻な社会的炎上に発展することもあり、長期的な是正コストを要するとともに、信頼低下にもつながりかねません。

図表1:先進技術の発展がもたらす機会と不確実性

先進技術の発展がもたらす機会と不確実性

指針の空白を勝ち筋に変える

テクノロジーの進展に対しルール・規範の整備が追い付かない状況を、本稿では「指針の空白」と呼びます1。指針の空白は、法や規制など強制力のある「ハードロー」、業界基準や倫理綱領など企業の遵守が求められる「ソフトロー」、社会の中で共有されている慣習や価値観のような「社会規範」の三層にまたがって生じます。これらは重なり合い、いずれかが曖昧だと意思決定の拠り所が定まらず、円滑なビジネスの展開に支障をきたす恐れがあります。

しかしながら、裏を返せば、空白の範囲と時期を先読みし、先手の布石を打てる企業は、まだ定まっていない「市場の前提条件」を実質的に方向づけることが可能でしょう。つまり、同じ空白が捉え方によっては勝ち筋にも負け筋にもなります。

図表2:指針の空白と企業の勝ち筋/負け筋

指針の空白と企業の勝ち筋/負け筋

4つのアプローチ

指針の空白にどう対応すべきでしょうか。以下では4つのアプローチの要点を提示します。これらのアプローチは相互補完的で、状況に応じて組み合わせて適用することを前提とします。

(1)戦略的フォーサイト

戦略的フォーサイトとは、テクノロジーの発展やそれに伴う課題、政治・経済・社会の変化の兆しを捉え、不連続な変化や不確実性に備えるアプローチです2。潜在的なビジネス機会やリスクをいち早く察知し判断の確度を上げることで、未知の領域でも後追いの対処に陥らず、未来洞察に裏打ちされた戦略をもつことができます。企業が望ましい未来像を描き出し「今何をすべきか」を逆算できれば、指針の空白は不確定要素ではなく、むしろ優位性を構築するための起点となるでしょう。戦略的フォーサイトは、ハードロー、ソフトロー、社会規範のどこに、どの程度の空白や不整合が、いつ顕在化し得るかを見極め、続く3つのアプローチをどの順番で、どう組み合わせるかの判断を支えます。

(2)攻めのルールメイキング

攻めのルールメイキングとは、ハードローの空白に対し、企業自らが官公庁や業界団体と建設的に連携し、実証データと運用モデルに基づき制度設計に関与するアプローチです。日本企業は、「ルールは従うもの」という姿勢が強いと言われることもありますが、主要市場の先行企業は、上述した関係主体との計画的な対話を通じて早期からルールメイキングに関与し、自社のビジネスを円滑に立ち上げる土壌づくりを進めています。重要なのは、公共性への配慮を前提に、自社の強みが生きる初期条件を提案し、将来の規制対応コストや調整コストを抑えることです。ビジネス活動とルール形成を同期できれば、制度確定前から動き出せるようになり、市場設計の主導権を取りやすくなります。

(3)競争×共創の標準戦略

競争×共創の標準戦略とは、ソフトローの空白に対し、産官学民の多様なステークホルダーと連携し、ビジネスを動かす共通の運用原則をボトムアップで整えるアプローチです。競争領域ではコア技術や差別化データなどを保護する一方、非競争領域では安全性やセキュリティに関わる原則、相互運用性を担保するインターフェースやデータ仕様などを共創します。資金、人材、データ、検証環境などを、ライセンス、共同プロジェクト、業界コンソーシアムなどの枠組みを通じて確保し、合意した共通ルールを実務レベルに落とし込みます。こうした競争と共創の成果として形成される事実上の標準(デファクト)は、法的拘束力をもつ制度設計への重要なインプットになり得ます。

(4)信頼性の設計

信頼性の設計とは、社会規範の空白に対し、製品・サービスの設計段階から「信頼」を機能要件として組み込むアプローチです3。社会が安心して製品・サービスを受け入れるためのコンセンサスがなければ普及は進みません。期待と懸念を早期に把握し、安全性、プライバシー、インシデント対応、同意/オプトアウト管理などの原則に整理したうえで、製品仕様や運用プロセス、情報の取り扱い、対外コミュニケーションの実践へ落とし込みます。共創ワークショップやプロトタイプ検証といった参加型の実証機会を設け、現場での使われ方、理解度、リスクの現れ方を確かめ、優先修正点を特定します。こうした取組みをとおして社会受容性を高め、誤解や反発のリスクを抑えることが可能になります。

図表3:指針の空白に対処する4つのアプローチ

指針の空白に対処する4つのアプローチ

次回以降について

シリーズ第1回の本稿では、テクノロジーの発展とルールメイキングの時間差によって生じる「指針の空白」が、今後のビジネスの勝ち筋にも負け筋にもなることを確認し、空白に対処するための4つのアプローチを紹介しました。次回以降は、さまざまなテクノロジーを取り上げ、新たなビジネス機会とそれに伴う指針の空白に焦点を当てながら、各アプローチの観点から日本企業がどのように臨むべきかを掘り下げていきます。

1 指針の空白(policy vacuums)は、コンピュータ技術の発展により「これまで不可能だった行為」が可能になった結果、その行為をどう扱うべきかを示す法律、慣行、倫理規定が存在しない、または不十分な状態を指す概念として提唱された。科学技術がもたらす課題に現行のルールや規範が対応しきれていない事態を示す際に現在でもしばしば参照される考え方である(参考:Moor, J. H. 1985. What Is Computer Ethics?, Metaphilosophy, 16(4): 266–275.)。

2 科学技術が社会にもたらす正と負の影響を研究開発の初期段階から探索的・予見的に把握し、健全かつ着実な社会実装につなげる取り組みはELSI(倫理的・法的・社会的課題)やRRI(責任ある研究・イノベーション)として知られており、さまざまな分野・テーマで議論と実践の蓄積がある(参考:科学技術振興機構 研究開発戦略センター. 2023. 科学技術・イノベーションの土壌づくりとしてのELSI/RRI:戦略的な科学技術ガバナンスの実現に向けて)。

3 事後対応ではなく、開発の初期段階から安全策を確保するアプローチはSafety by DesignやSecurity by Designとして知られている。

執筆

KPMGアドバイザリーライトハウス
デジタルインテリジェンス
シニアコンサルタント 加納 寛之

監修

KPMGアドバイザリーライトハウス
デジタルインテリジェンス
リード マネージャー 佐藤 昌平

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