本稿は、KPMGコンサルティングの「Automotive Intelligence」チームによるリレー連載です。
レベル3自動運転の登場により、運転責任の所在が人からシステムへと移行しつつあります。この変化は、保険制度、法制度、データガバナンスに大きな影響を与え、モビリティ産業全体の構造を再定義しようとしています。本稿では、改ざん不能な走行データの重要性、保険料評価軸の変化、データ流通の課題、そしてブロックチェーンによる新たな可能性まで、モビリティ保険の未来を多角的に探ります。
法制度、産業構造、データガバナンスが交差するモビリティの未来像
レベル3自動運転は「運転主体が状況に応じて人からシステムに動的に移る」という一点だけで、従来の保険・責任スキームを根底から覆す力をもっています。条件付きとはいえ運転者は前方監視義務から解放されるため、事故が起きた瞬間に誰が車両を制御していたのかを客観的に示さない限り、公平な賠償も事故再発防止も成り立たない可能性があります。こうして技術ではなく証拠、すなわち改ざん不能な走行データが安全の最前線で重要となっています。
その証拠を担保する設計思想が、国連欧州経済委員会(以下、UNECE)の規則第157号(以下、UNR157)で義務化された自動運転データ記録装置です。航空機のフライトレコーダーになぞらえられるこの装置は、システムの作動状況、運転者への引き継ぎ要求、緊急回避操作など秒単位で記録し続けます。しかもUNR157は、記録フォーマットの互換性と衝撃後の読み取り性まで細かく規定し、サイバー攻撃や不適切なソフトウェア更新による改ざんリスクにも目を光らせています。データはもはや車載の副産物ではなく、国境をまたぐ「デジタル証言者」へと格上げされたと認識されています。
【責任の重心シフト(イメージ)】
出所:KPMG作成
責任の重心が人間の過失から製品の欠陥へ移ることで、保険のリスク評価軸も変わります。これまでの自動車保険の評価軸であった契約者の年齢や運転歴から、AIアルゴリズムの堅牢性、センサーの冗長設計、ソフトウェア更新体制の成熟度が保険料を左右する時代が到来することになります。欧州では製造物責任指令がソフトウェアに対してサイバー脆弱性を正式に「欠陥」と位置付け、日本においては保険会社からメーカーへの求償についての課題指摘があります。法体系の差異は残るものの、「技術力が低いほど保険料が高くなる」という逆転現象が世界共通の潮流となる可能性があります。
【保険料決定要因の変化】
出所:KPMG作成
ところがデータは簡単には流通しません。自動車メーカーは新たな収益源としてデータを囲い込みたい一方で、保険会社にとって、すばやくスムーズにデータへアクセスできることは、業務を支える重要な要素です。両者のせめぎ合いを緩衝するのが、業界横断のデータ共有基盤や中立的アグリゲータとなります。たとえば欧州ではCatena-Xが「自社データの主権を保ったまま標準化された形式で交換する」という原則を掲げています。多対多の接続地獄を避け、事故調査と保険金支払いを秒単位で回す「データハイウェイ」づくりは、今やモビリティ産業の共同の関心事となっています。
そのなかで注目されているものがブロックチェーンです。たとえばスマートコントラクトを組み合わせれば、自動運転車両におけるデータ記録装置(Data Storage System for Automated Driving:DSSAD)から「システム起因の事故」と判定した瞬間に賠償金が自動送金される未来も考えることができます。信頼コストの削減こそが、自動運転エコシステムを経済的に成立させる鍵となるのではないでしょうか。
しかしながら短期的には痛みも避けられない可能性があります。高価なセンサーと訴訟不確実性により、導入初期の保険料は上昇する公算が大きいからです。それでも長期的には事故件数が減少し、保険市場規模そのものが縮小するというパラドックスが考えられます。個人向け保険は細る一方で、自動車メーカーと連動した埋込型保険や製造物責任保険が増加する可能性があります。保険会社は低コスト体質でレガシーを守るか、技術評価力を磨いて成長領域に賭けるのか、選択が必要な時期に差し掛かっているのではないでしょうか。
同時に自動車メーカー側にも宿題が山積みです。UNECEの規則が定める三位一体――運転システム、サイバーセキュリティ、ソフトウェア更新――の遵守は最低条件であり、収集データの開示方針やプライバシー保護の透明性まで示さなければ、ユーザーの信頼は得られないでしょう。技術の「限界」を明示し、必要ならば人が介入できる設計余地を残すことも、社会受容を高める有効策となるのではないでしょうか。
結局のところ、自動運転レベル3は単なる技術イノベーションではありません。法制度、産業構造、データガバナンスの三領域が同時進行で進められる、モビリティ史上の大きな社会技術的転換点です。データを巡る新たな協調と競争、保険会社のビジネスモデル刷新、そして国際的な責任ルールの調和が進むかどうかにより、安全の利便のバランスが決まってくる、そのような状況です。ハンドルを握るのが人でもシステムでもない瞬間を、私たちがどう受け止めるのか。その社会的合意形成こそが、次の10年を形づくる走行試験路になるのではないでしょうか。
執筆者
KPMGコンサルティング
プリンシパル 轟木 光