気候変動対策が国家・企業の直面する責務・課題となるなか、温室効果ガスの排出枠や削減を数値化し、市場取引を可能にする「カーボンクレジット」が注目を集めています。一方、その具体的な仕組みや市場の実態に関しては、パリ協定6条2項の運用を始め、市場整備が続々と進んでいるものの、いまだ一般には広く理解されていないのが現状です。
本連載では、「カーボンクレジットに関する世界の潮流と日本企業の勝ち筋」と題して、カーボンクレジットの需給動向、国内外の法規制、そして2030年以降を見据えた市場の展望までを多角的に読み解いていきます。
目次
1.世界のネットゼロ潮流とクレジットの役割
(1)ネットゼロのための設備投資の停滞
出所:KPMG作成
パリ協定の締結以降のネットゼロに向けたグローバルな潮流において、2024年に開催されたCOP29(国連気候変動枠組条約第29回締約国会議)では、2035年までに年間3,000億ドル、最終的には1.3兆ドル※1を気候変動対策に投資するという国際的な合意が成立しました。この決定を受けて、世界全体でネットゼロ実現に向けた資金動員が加速するとの期待が高まりました。
しかし、各国の行動計画は未だ出揃っていません。2030年から2035年にかけたNDC(Nationally Determined Contribution、パリ協定に基づく各国が提出する温室効果ガスの排出削減目標)の提出国はCOP29から6ヵ月が経過した2025年5月の時点でも、全締約国のうちわずか11%に過ぎず各国の足並みの乱れが懸念されます※2。
さらに、産業界にも逆風が吹いています。たとえば自動車業界では、大手グローバルメーカーが相次いでEV(電気自動車)関連の投資計画を縮小。電力分野でも、再生可能エネルギー推進に向けた制度改革が進められているものの、洋上風力発電の建設プロジェクトがコスト高や供給制約を理由に次々と中断されるなど、特にインフラ投資の停滞が顕著になっています。
(2)クレジット需要の増加基調
各国のNDCの提出の停滞や、企業による脱炭素のための設備投資の鈍化とは対照的に、カーボンクレジット市場は堅調な拡大基調が見込まれます。とりわけ、技術的・政治的な不確実性により投資リスクが高まるインフラ領域に比べ、比較的柔軟に取引可能なカーボンクレジットは、資金の受け皿として注目を集めつつあります。
さらにここ1年ほどで、クレジット取引の流動性の向上や、資産価値としての安全性確保に向けた国際的な取組みも加速しており、市場への信頼感を後押ししています。こうした流れを受けて、今後もカーボンクレジットへの需要は一層高まっていくことが予想されます。
2.クレジット需要向上に関する要因(article6.2/6.4、国際炭素市場・調整の概要)
出所:KPMG作成
(1)取引の流動性を高める要因
カーボンクレジット市場において、とりわけ注目を集めているのが、COP29で合意されたパリ協定6条2項※3のアップデートです。今回のアップデートにより、クレジットの国際移転と二重計上の防止に関するルールとプロセスが正式決定され、国家間取引の枠組みの本格運用が開始しました。これにより、クレジットの取引機会の飛躍的な拡大が期待されます。
加えて、各国で進む炭素国境調整メカニズムの導入も、取引の流動性向上に拍車をかける要因です。代表的な例として、EUで段階的に適用が進むCBAM(Carbon Border Adjustment Mechanism、炭素国境調整措置)※4では、域外からの輸入製品に「相応の炭素コスト」が課される仕組みが整えられており、周辺国に対してETS(排出量取引制度)の整備を促す効果も見込まれています。
こうした動きと6条2項との制度的な枠組みが今後進んでいくことで、クレジットの利用シーンはさらに多様化し、国際間の需要創出や民間主体による自主的な取引の後押しとなる可能性が高まっています。
(2)資産の安全性を高める要因
また、従来のクレジット市場では、「グリーンウォッシュ」と呼ばれる問題が度々指摘されてきました。これは、企業が実際には十分な環境対策を講じていないにもかかわらず、質の低いクレジットを購入することで、あたかも環境配慮型の企業・製品・取組みであるかのように見せかける行為を指します。
こうした課題に対処するため、クレジットの品質担保に向けた取組みが国際的に活発化しています。なかでも注目されているのが、ICVCM(The Integrity Council for the Voluntary Carbon Market)※5によるCCP(Core Carbon Principles、コアカーボン原則)認証です。ICVCMは、環境負荷の削減効果が科学的に裏付けられた高品質なクレジットにCCPラベルを付与しており、今後の取引における信頼性向上に大きく貢献すると見られています。
また、パリ協定6条4項では、国連が主導するプロジェクトベースのクレジット発行制度が規定されており、こちらもより厳格な認証基準が導入される見込みです。6条2項との制度的接続が進めば、市場全体で品質の底上げが期待され、クレジットの資産としての安定性と信用力の向上につながると考えられます。
3.日本のGX政策と国内のカーボンプライシング
GXリーグやGX-ETSの導入により、日本でも民間主導のカーボンクレジット市場整備の進展が見込まれます。パリ協定6条2項との制度的接続や情報開示基準の整備により、国際取引への展開が期待されています。
日本におけるカーボンクレジットに関連する取組みとして、経済界を中心に最も注目されているのが「GXリーグ」です。GXリーグでは、温室効果ガス排出削減目標を企業が自主的に掲げる形でコミットメントを明確化しています。今後も参加企業の増加が見込まれており、企業連携による脱炭素推進のプラットフォームとして存在感を強めています。
なかでも注目されるのが、排出量取引制度「GX-ETS」の動向です。2025年現在は試運用フェーズにあり、2026年度からの本格稼働が政府により宣言されています。この制度は、従来の一律的な炭素課税とは異なり、市場原理を活かした柔軟な設計となっている点が特徴です。企業ごとの創意工夫による排出削減努力が評価される仕組みとなっており、企業主導での本格的な炭素市場の形成が国内でも現実味を帯びてきています。
また、GXリーグを通じた民間主導のカーボンプライシング基盤が整備されつつあるなかで、今後はパリ協定6条2項との制度的接続も期待されています。これにより、国内での削減努力が国際的なクレジット移転にも活用される可能性が広がり、日本発の環境価値取引の活性化が視野に入ってきています。
さらに、情報開示に関する規制環境の整備も、日本の環境価値取引の活性化の重要な要因になっていくと考えられます。具体的にはSSBJ(サステナビリティ基準委員会)による開示基準の整備や、グローバル基準であるIFRSサステナビリティ開示基準との適合といった動きがあり、こうしたサステナビリティ開示基準の整備が、日本企業に対して、炭素排出に関する定量的かつ透明性のある説明責任を求める潮流を形成していくことが予測されます。
4.まとめ(今後の展望)
※1 「COP29 UN Climate Conference Agrees to Triple Finance to Developing Countries, Protecting Lives and Livelihoods 」(国際連合)
※2 「GLOBAL STATUS OF 2035 NDC SUBMISSIONS 」(IASGYAN)
※3 「パリ協定第6条の解説 」(環境省)
※4 「Carbon Border Adjustment Mechanism 」(欧州員会)
※5 Integrity Council for the Voluntary Carbon Market