連載「トレンドレーダー」は、身近になりつつある高度な技術と関連するビジネスユースケース、果敢に挑戦する企業の取組みなどをご紹介し、多くの企業にとって新しい打ち手の参考となるインサイトをお届けします。 |
1. リテールメディアとは
リテールメディアとは、小売企業が保有する顧客データとデジタル技術を活用し、自社のECサイトやスマートフォンアプリ(以下、アプリ)、店舗内サイネージ等の各種チャネル上で広告等を配信するマーケティング手法だ。この手法は、従来の物販収益に加えて広告掲載料や販売促進費という新たな収益源を小売企業にもたらすと同時に、広告主・メーカーには精度の高いターゲティング広告やキャンペーン等の販売促進活動を可能とし、消費者には自分に関連性の高い情報提供による購買体験の向上を実現する。すなわち、小売企業、広告主・メーカー、消費者の三者すべてにメリットを与える「三方よし」の関係を構築する点が、リテールメディアの最大の特徴である。
一方で、リテールメディアは、デジタル技術への投資における新たな競争の場も形成しつつある。従来、メーカーはキャンペーンを展開し、一時的に売上を増加させることはできたものの、どのような嗜好性を持った消費者が購入したかを把握することはできていなかった。しかし、コンビニエンスストアなどが提供するアプリを通じたクーポン配信等の販売促進は、過去の購買実績から判断・推測してターゲティングされており、対象となる消費者を適切に選別したうえでクーポン等を配信することで、高い費用対効果が見込まれる仕組みになっている。言い換えれば、小売企業が有するデジタル技術やデータ分析の精度によって、キャンペーンによる費用対効果(ROI)は大きく左右される。ゆえに、メーカー側では、より高いROIを見込める先進的なデジタル戦略を展開する小売企業に対して、販売促進費(キャンペーンや値引きの原資となるメーカーの費用)の優先的な配分を行う可能性が高まっているといえる。
2. データ活用の本質と統合的なデータ解析の重要性
リテールメディアの根幹をなすのは、オンラインとオフラインの双方から収集される多様なデータの活用だ。具体的には、顧客データとして、購買履歴、会員情報、ウェブサイトやアプリの閲覧履歴等が挙げられる。加えて、実店舗ではPOSシステムによる購買記録、来店者数、店内の動線、滞在時間などの行動データが取得される。さらに、売上データや在庫データも含めた統合的なデータ解析により、顧客の購買傾向やセグメントが明らかにされ、広告やキャンペーンの内容に応じた配信タイミング、配信チャネルの最適化が可能だ。
北米の大手小売チェーンは、豊富な購買データを活用してオンラインと店舗双方でターゲティング広告を実施し、広告経由の購買率を向上させると同時に、新たな収益源としての広告事業を成長させている。また、国内の老舗百貨店は、ショールーミングストアを開設し、店内のAIカメラ等で収集した顧客行動データとオンラインデータを組み合わせ、ブランドに対して定量的な顧客インサイトを提供することで、商品開発やマーケティングの精度向上に貢献している。これらの事例は、データ活用とオンライン・オフラインの融合がリテールメディア成功の決定的要因であることを示している。
3. リテールメディアをめぐる新たなトレンドと戦略
店舗数やロケーション等の特性を活かし、リテールメディアの展開方法にも新たなトレンドが生まれている。例えば、テレビ離れが進んでいるZ世代に対して、店舗のデジタルサイネージでテレビ局の番組宣伝を行い、テレビ視聴に誘導するという新しい流れだ。特に、全国に約56,000店舗(2025年4月時点)点在しているコンビニエンスストアは、その圧倒的な店舗数と地理的な分布、来店客層の多様性を背景に、マスメディアとしての新たな価値を創出しつつある。本来は広告媒体のひとつであるはずのテレビ局自身が、広告主として自局の番組をリアル店舗で宣伝するという、従来の広告モデルとは異なる関係性が形成されている点は注目に値する。テレビ番組の広告コンテンツを投影した結果、視聴率に一定の影響を及ぼす可能性も確認されており、テレビ局は番組の視聴率向上を図るとともに、スポンサー枠を確保しやすくなるという新たな好循環も期待できる。地方の番組宣伝は地方の店舗に限定して配信できるといった柔軟性も強みだ。
また、収集される多様なデータを巡っては新たな競争も激化している。POSデータを保有する小売業者と、決済データを持つペイメント事業者の間で繰り広げられる、顧客IDの獲得と活用を巡る競争だ。例えば、モバイル決済サービスでの決済と小売業者独自のアプリでの決済では、取得できるデータが異なる。前者はPOSデータを直接取得することはできない。つまり、決済金額しか把握できず、何をどのように買ったかという購買における詳細情報を把握することは不可能だ。一方、小売企業が提供するアプリは、IDとPOSデータを紐づけできるため、消費者一人ひとりの属性と購買特性、嗜好性をより精細に把握することができる。昨今、小売業者が自前の販促の仕組みを構築しようとする動きは、こうした背景から生まれている。
4. 今後の課題と持続的成長に向けた展望
小売店舗はもはや単なる物販の場ではなく、テレビのようなマス向け広告メディア、あるいは全く異なる新たな情報発信メディアとなりつつある。この変化は、保険や自動車といった店舗で直接販売していない商品の販促にも新たな可能性を開いている。リテールメディアは多目的化が進み、それぞれの小売業者の特性を活かした独自の広告活用が模索されている。
その一方、小売企業、広告主・メーカーがさらに効果的にリテールメディアを活用するには、いくつかの留意すべきポイントが存在する。
第1に、個人情報保護への対応だ。近年のプライバシー規制強化により、サードパーティCookieの利用制限が進むなか、小売企業は自社で収集したファーストパーティデータの活用を一層進めるとともに、消費者が安心してデータを提供できる環境整備を図る必要がある。
第2に、AIや機械学習を駆使した高度なデータ分析基盤の構築が不可欠なことだ。これにより、マーケティング施策検討へのデータ活用やレコメンデーションエンジンの改善が期待される。
第3に、リテールメディアの特性として、広告と購入情報との結びつきが弱く、精細な広告効果の測定は必ずしも容易ではないという点だ。単に店内サイネージやスマホアプリから情報を発信するだけでは広告効果を把握できず、投資対効果を明確に示せなければ、小売業者や広告主の参入を喚起することは難しい。ゆえに、精細に効果を測定できる仕組みを組み込むことが肝要となる。例えば、ID-POSや多様な行動データを統合的に解析し、「誰が、どの商品を、いつ、なぜ買ったか」を導き出す高度なデータアナリティクスや、店頭のカメラやセンサーを用いた画像分析の活用は、リアル店舗における広告接触の定量化を可能にする。前述のコンビニエンスストア業界や先行企業の成功事例から知見を学び取り、活用することも有効だ。加えて、これらの技術や分析基盤を提供する外部ベンダーとの協業も有効な選択肢となるであろう。
リテールメディアは、現在ではサイネージによる店頭表示だけでなく、アプリを活用した総合的なデジタル施策へと進化している。初期導入コスト(壁面強度、ネットワーク、液晶ディスプレイ)の問題を解決し、POP広告の電子化という範疇を超え、効果測定も容易かつ精細になりつつある。今後は、AR(拡張現実)やVR(仮想現実)といった新技術の活用により、従来にない広告体験を創出し、消費者のエンゲージメントをさらに強化する取組みも重要だ。加えて、広告収入以外の新たなビジネスモデルの模索や、マーケティング支援事業、プラットフォーム提供など、収益源の多様化を図る試みが、今後の競争優位性を左右するであろう。
監修
KPMGアドバイザリーライトハウス
執行役員パートナー 松尾 英胤
執筆
KPMGアドバイザリーライトハウス
デジタルインテリジェンスインスティテュート リード
マネジャー 佐藤 昌平
デジタルインテリジェンスインスティテュート
コンサルタント 齊藤 弓