未来のために「デザインする力」を――ファースト・プリンシプルから描く創造の可能性

一般社団法人日本デザイン思考協会 代表理事 尾崎太朗氏をお迎えし、KPMGアドバイザリーライトハウス代表取締役の中林真太郎が「デザインシンキング」とビジネスや社会のイノベーションについてその可能性を伺いました。

一般社団法人日本デザイン思考協会 代表理事 尾崎太朗氏に、KPMGアドバイザリーライトハウス代表取締役の中林真太郎がビジネスや社会における「デザインシンキング」の可能性を伺いました

人間の創造性や創意工夫の価値について議論をすることが増加しています。そこで今一度考えておくべき思考があります。それが“ファースト・プリンシプル”と呼ばれるものであり、物事を基本原理から考え直す思考法を指します。既存の類推や前例に頼るのではなく、最も基礎的な真理から物事を組み立てていきます。この考え方の起源は古代ギリシャの哲学者アリストテレスにまで遡り、彼が「第一原理」と呼んだものから発展しました。

しかし哲学や思考のみでは実態となって社会変革を推し進めることは困難な側面があります。そこで注目されるのが、課題解決やイノベーションを生み出す1つの方法論としての「デザインシンキング」というものが提唱されました。この手法は私たちが今直面している課題や状況を踏まえ、どのように社会に貢献できるか、そして、これからの社会をどう変えていけるのか、その可能性について有識者の意見を聞きました。

今回は、一般社団法人日本デザイン思考協会 代表理事 尾崎太朗氏をお迎えし、KPMGアドバイザリーライトハウス代表取締役の中林真太郎が「デザインシンキング」とビジネスや社会のイノベーションについてその可能性を伺いました。

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右から:
一般社団法人日本デザイン思考協会 代表理事 尾崎 太朗 氏

株式会社 KPMGアドバイザリーライトハウス 代表取締役 パートナー 兼
KPMGジャパン CDO/チーフデータオフィサー 中林 真太郎

(以下、敬称略) 
※所属や肩書は、2025年5月当時のものです

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1.「楽しい」という感覚を取り戻す

中林:人間に意思決定の示唆を与えてくれる人間以外の存在、AIがより存在感を強めています。同時に、世界中で人間の創造性が見直されようとしていますよね。私見ですが、世界中のニュース等では経済、政策、ダイバーシティの考え方について、多様で噛み合いにくい議論が多く取り上げられていますが、これらから感じることは人間の持つ想像力・発想力の大事さです。この“想像力・発想力”は不思議と世界中の多くの人の共感がえられる交点、共通言語のような存在になり得るようにも感じます。

その“想像力・発想力”のさらなるブースターになるだろう、デザインシンキングについて共有をしてくださいますか。

尾崎:デザインシンキングは、課題解決やイノベーション創出のための方法論です。思考法としての「マインドセット」と、実践的な「プロセス」の2つの側面から成り立っています。

マインドセットには、チャレンジを楽しむ姿勢や、チーム内で安心して意見を出し合える“心理的安全性”の確保が含まれます。プロセスには、「共感する」「課題を発見・再定義する」「創造する」「プロトタイプをつくる」「テストする」の5つのステップがあります。なかでも最も重要なのは、ユーザーに深く共感することで本質的な課題を発見すること。この“人間中心”のアプローチこそが、デザインシンキングの最も特徴的で、本質的な部分だと考えています。

中林:既存の枠にとらわれず、新しい発想を生み出すための方法ということですね。尾崎さんたちは、そのデザインシンキングを教育の現場にも広めようとされているわけですが、具体的にどのような取組みをされているのでしょうか。

未来のために「デザインする力」を-2

一般社団法人日本デザイン思考協会
代表理事 尾崎 太朗 氏

尾崎:日本デザイン思考協会の主な取り組みの1つとして、さいたま市教育委員会と連携し、「子どもの学び方」や「教師の教え方」を見直す新たな教職員研修「デザイン思考マスター研修」を展開しました。

この研修では、デザインシンキングの学びを通じて、教職員が自ら探究的な学び方を体験し、それを教科指導などの実践に活かすことを目的としています。 

また、私個人としては服飾専門学校の理事も務めていますが、授業ではパターンや縫製といった技術的な要素が中心で、「なぜその服をつくるのか」という問いかけがあまり行われていませんでした。そこで、デザインシンキングを実践的に学ぶ場として、ご縁もあり、学内でアイドルの衣装制作プロジェクトを立ち上げました。学生・教職員・アイドル本人・事務所関係者を巻き込んだ、まさにデザインシンキングのプロセスを体現するプロジェクトとして取り組んでいます。

衣装のユーザーはアイドル自身です。学生たちはアイドルやファンにインタビューを行い、アイドルの活動背景や普段のライブ会場などについても調査します。なかには週に4回も衣装を着るアイドルもいるため、限られた予算の中でいかに着回すか、メンテナンス性をどう確保するかといった点も考慮する必要があります。

そうした要素を踏まえてアイデアを出し、プロトタイプを制作していきます。これはまさに、デザインシンキングのプロセスそのものです。

完成した衣装はアイドルのライブで実際に使用され、ファンの声を直接聞き、次の改善に活かしていきます。楽しく試行錯誤、まさに「実験」の連続ではありますが、教育的にも創造的にも、大きな価値を持つプロジェクトだと実感しています。

中林:実験は大事ですよね。それに、「楽しい」という感覚を取り戻すこともすごく大事なのかもしれません。

尾崎:試行錯誤の過程は大変ですが、同時にとても面白く、手応えがあります。プロトタイプをつくり、実際に使ってもらい、フィードバックを受けて改善を重ねる。その繰り返しの中で、「自分たちの考えたものが誰かに届く」という実感を得られます。それが、学びの喜びであり、創造の楽しさだと感じています。

振り返ると、前職で新規事業開発系の部長に大きくキャリアチェンジした頃も、忙しくても夢中で仕事に取り組んでいました。すべてが自分ごとで、つらさのなかにも楽しさがありました。「楽しい」という感覚は、成長や挑戦の力になると、あらためて感じています。だからこそ、「楽しい」をどうつくるかは、個人の成長だけでなく、チームや組織、そして会社全体の力を引き出すうえでも、とても大事な要素だと考えています。

2.ファースト・プリンシプルは人間同士が対等に会話する中で再認識される

中林:教育現場におけるデザインシンキングの広がりとつながり合いについて教えてください。

尾崎:今、教育の現場では「エージェンシー」——つまり、自らの目標を設定し、他者と協働しながら自律的に行動していく力——が求められています。この考え方は、OECDの「Education 2030」などから文部科学省を通じて教育課程に反映され、現場にも波及してきました。ただ、現場の先生方にとっては、十分な背景説明や支援がないなかで突然求められても、対応が難しいのが実情ではないでしょうか。

とはいえ、「自分で目標を立てて行動してみる」「間違ってもいいからやってみよう」といった考え方自体は、昔から教育現場に根づいてきたものでもあります。そこで私たちは、まず「目標を設定し、実行してみる」という再現性のあるプロセスを、現場で体験してもらうことが重要だと考えました。その第一歩として、2024年夏、さいたま市で教職員向けのデザインシンキング研修をスタートしました。これはあくまで実験的な取組みでしたが、嬉しいことに現在では教育現場での実践が急速に進んでいます。

中林:そのデザインシンキング研修とは、どういうものなのでしょうか。

尾崎:この研修は、さいたま市の選抜された教職員を対象に実施しているプログラムです。単に知識としてデザインシンキングを学ぶだけでなく、実際に授業や学校現場で生かし、実践することに主眼を置いています。研修後には各自の教室で実践に取り組んでいただく流れになっており、現場で試し、振り返るサイクルを重視しています。

実際、研修を終えた先生方は、生徒を巻き込みながら自主的な実践に挑戦されています。たとえば、ある先生はSDGsをテーマにした授業を展開し、生徒に課題を整理させ、その解決策を考えさせる活動に取り組まれました。また、別の学校では「2030年、学びと体験に満ちたワクワクする学校行事をデザインしよう」というテーマで校内研修が行われ、先生方自身が発案した企画を、生徒と共に具体化していくプロセスが生まれています。

こうした取組みを通じて、学びの主体が先生から生徒へと広がり、教室全体に波及している様子が見られます。

自分で「何を解くべきか」を考え、目標を立て、実行に移す——この流れは、まさにデザインシンキングの再現性あるプロセスであり、実は先生方が日々の授業のなかで自然に行っている要素でもあるのです。

中林:デザインシンキングのトレーニングを受けた教職員が、子どもたちの主体的な学びを促進するということですね。広くさまざまな学校で取り組んだら面白そうですね。

尾崎:はい。先生方が研修を通じて学び、実際に生徒を巻き込んで授業に取り組むことで、教室全体が変化し始めています。こうした動きが、さまざまな学校に広がっていくことには大きな可能性があると感じています。

一方で、多くの教職員にとって、民間企業や他の地域との接点はまだ少なく、活動が自治体内にとどまりがちなのが現状です。そこで私たち日本デザイン思考協会では、教育現場と企業・社会との橋渡し役を果たすべく取組みを進めています。

実際に、さいたま市で行った研修には、教職員に加えて民間企業や大学生にも参加してもらい、「解くべき課題」についてフラットに意見を出し合う場をつくりました。組織や立場を超えて対話するなかで、それぞれの視点が交差し、新たな気づきやアイデアが生まれていく。そうした越境的な学びの場にこそ、大きな価値があると感じています。

3.イノベーションのドライバーを探し続ける

尾崎:一般的に、教育の現場では必ずしも潤沢に予算があるわけではなく、「お金がない」という制約のなかで、さまざまな創意工夫がなされています。

中林:制約があるからこそ、教育の現場ではそれを乗り越える創意工夫が生まれるとも考えられますね。

尾崎:はい、そのとおりだと思います。創意工夫を通じて課題を解決する体験は、できるだけ早い段階から積み重ねていくことが大切です。だからこそ、今の教育現場にはアップデートが必要だと感じています。

一方で、こうした力が当たり前のように育まれる環境が整えば、将来的には「デザインシンキング」という言葉すら、特別なものとして使われなくなるかもしれません。

中林:「日常に溶け込む 」ということがキーワードかもしれませんね。

未来のために「デザインする力」を-4

尾崎:人間にしかできないことは何だろうと考えたとき、デザインシンキングでいう「課題を発見し、再定義すること」や「共感すること」が挙げられるのではないかと感じています。問いを立てるには、自分自身が直接得た一次情報が非常に重要です。たとえば、肌感覚や表情の変化といった微細な情報をもとに課題を捉え直すことは、現時点では人間にしかできないことです。そして、心からの共感もまた、人間ならではの能力だと思います。

ただし、こうした一連の思考や行動の流れを“再現性のあるプロセス”として体系化すること自体は、いずれAIに委ねられるようになるのかもしれません。

4.教育の現場・社会がアップデートされた先にあるもの

中林:教育の現場ではどのような発見があったのでしょうか。

尾崎:大きな発見が2つありました。1つは、前職でCSR活動の一環として中高生にデザインシンキングのプロセスを教えたときのことです。ある生徒が活発に発言していたのですが、担任の先生が「彼はいつも授業中に寝ているんです」と驚かれていました。

つまり、普段の一方的な授業では興味を持てなかった彼が、自分で課題を見つけて目標を立て、実行していくプロセスのなかでは力を発揮できたということです。実は、こうした例は一度きりではありません。機会さえあれば、これまで“やる気がない”と思われていた生徒たちも、驚くような力を発揮できる—それを目の当たりにして、とても印象に残りました。

中林:能力を覚醒させるような感じでしょうか。

尾崎:そのとおりです。もう1つ印象的だったのは、さいたま市での研修後に先生方からいただいた実践報告です。先ほどご紹介したSDGsをテーマにした授業で、生徒がペルソナ(仮想のターゲットユーザー)にウミガメを設定し、海洋汚染をウミガメやその“家族”の視点から捉えてアイデアを出していました。

本来ペルソナといえば人間を中心に据えるのが一般的ですが、この生徒は無意識のうちに、地球環境を生き物の視点で考えるLife Centered Design的なアプローチを実践していたんです。その柔軟な発想力と応用力には本当に驚かされました。

この授業は、2024年度にさいたま市教育委員会の教育長賞も受賞されていました。子どもたちが生き生きと学び、先生方がそのきっかけをつくっている。そんな姿に立ち会えて、あらためて私自身「やっていてよかった」と心から思える出来事でした。

中林:子どもたちはいつもと違う風景のなかに、今までと違うスイッチがあることに気付いたのかもしれませんね。

尾崎:そうだと思います。普段は授業中に寝てしまうような子が能力を発揮できたり、ペルソナにウミガメを設定して学びを深めたりする。そんなふうに、少しだけ“学びの風景”を変えてみることで、子どもたちのスイッチが入る瞬間が生まれる。それを目にすることが、私の原動力になっています。

中林:やり方とか考え方をほんの少し教えてあげると、そのスイッチを押しやすくなる。これは学生にも社会人にも共通していると思いますが、どうすればそのスイッチを押しやすくなると思いますか。

尾崎:「心理的安全性のある“余白の時間”」をつくることだと思います。必要なのはお金や場所ではなく、“時間”です。そしてもう1つは“機会”。たとえば、異なる立場や背景を持つ人たちと一緒にワークショップで社会課題に取り組んでみる。そんな他流試合のような場に出ることで、自分が持っている知識や経験が誰かの役に立つ。その実感が自信につながるはずです。

中林:余白の時間があると、それまでと違う感覚を持てるようになるし、新しいものをつくり出すことができるようになる。

尾崎:外資系企業の中には、新しい発想を生むための時間を意識的に確保しているところもありますが、日本企業ではまだ一般的とはいえません。経営陣の重要課題として捉えられているケースも、少ないように感じています。

5.創造性が残り続ける社会に向けて

中林:社会では合理化が色々な局面で進んでいます。そのなかで人が関わる部分の価値は創造性であるという点を強く感じます。

尾崎:おっしゃるとおりです。合理化が進むなかでも、人が関わる部分には必ず創造性が求められます。たとえば、蓄積されたデータをどう見せるか、どんな切り口で意味づけるか—そうした判断や表現には、人の感性が欠かせません。

プロセス全体が効率化・自動化されていくなかで、人が関与できるのは“頭”と“尻尾”—つまり、最初の問いを立てる場面と、最後に価値を決める場面だけになるかもしれません。でも、だからこそ、その前後に残された人の役割には、これまで以上に創造性が必要になるのだと思います。

中林:今ではAIもデザインを生成でき、絵を描くプロセスそのものが高速化、自動化されています。しかしながらデザインをつくり出す人間の感性や能力、“発見する力”というものは残っていきますね。

尾崎:まさにそうですね。AIが得意なのは“再現すること”であって、“発見すること”ではありません。たとえば、簡単なイラストや図解のような仕事はAIに置き換わりつつありますが、本質的な問いを立てたり、感覚や経験をもとに表現したりすることは、まだ人にしかできません。だからこそ、そうした領域にこそ、これからの創造性が生きる余地があると思います。

中林:今はまだ名前が付いてないようなことを定義して、つくっていかなければ、コモディティのほうに引っ張られて埋没してしまいます。

尾崎:本当にそう思います。私たちがすでに持っているポテンシャルや創造性は、意識的に引き出す機会がないと埋もれてしまいます。少し環境や問いかけを変えるだけで、子どもも大人も、驚くような力を発揮することがあります。だからこそ、そんなスイッチを押すようなきっかけを、社会全体にもっと増やしていくことが大切だと思います。

中林:今日の対談を通して、デザインシンキングが、教育現場だけでなく、社会全体に大きな影響を与える可能性を感じました。最後に、デザインシンキングを学んだ方、これから学ぼうという方にメッセージをお願いします。

尾崎:デザインシンキングは、課題を解決するための手法であると同時に、自分らしく働くことや、生き方を見つめ直すきっかけにもなると感じています。また、そのプロセスのなかでは、一緒に考え、一緒に動く仲間にも出会える。それが何よりの財産です。

私自身も今、現場でこの手法を使いながら、サービスや仕組みをつくり続けています。これまでに出会った小中高生や先生方と、いつか社会で肩を並べて仕事ができたら—そんな未来を本気で楽しみにしています。

変化はいつだって、小さなきっかけから始まります。

その一歩のそばに、デザインシンキングがあり、私の経験が少しでもお役に立てば嬉しいです。

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