保育園の待機児童問題やワクチンの適正分配など、さまざまな社会課題において「最適な組み合わせ」を見つける鍵とされるマッチング理論。採用や配属といった人事面で活用することで、より適切な人材配置を行い、早期離職を防ぐことが期待されます。
今回は、現代ビジネスに欠かせないマッチング理論の第一人者である、東京大学大学院経済学研究科・教授の小島 武仁氏と、KPMGジャパンの中林 真太郎、大池 一弥、岡 智諒による座談会を実施。組織運営におけるチャレンジとソリューションを解き明かしていきます。
学理を社会に実装する「東京大学マーケットデザインセンター」
中林:2020年に小島先生が立ち上げた東京大学マーケットデザインセンター(以下、UTMD)は、学術研究にとどまらず、企業や自治体などの課題に対し、さまざまなアプローチを「社会実装」している点で高い関心をもっています。
小島氏:ありがとうございます。伝統的な経済学を「理学」とするなら、我々のやっていることは「工学」に近いと思っています。たとえば、ニュートン力学の理論だけを用いて橋をつくっても崩れてしまいます。調達可能な材質の強度や、その場所に吹く風の強さ、状況に応じたカスタマイズが社会実装には不可欠というわけですね。
UTMDでは、マッチング理論をキーワードに研究と実践を重ねています。企業の人事配属や就職活動、入試などの場面で「お互いに幸せになれるようなマッチング」を実現する仕組みを設計し、さまざまな団体に使っていただいています。
中林:私が共感している点の1つですが、小島先生のアプローチは数学的なセオリー等、グローバルレベルで研究、展開されている基本論理、つまり「考え方」を現場に持ち込んで、その科学的有効性を具体的に実証されている姿勢に刺激を受けております。これは企業や社会の課題を数学的手法で解くという方法はソフトの側面であるデータとアルゴリズムが増加する社会において、今後より一層高まる考え方だと思っています。
大池:近年は、ビジネスと純粋な経済学の接点が今まで以上に増えているように感じますね。
小島氏:学問の世界においても、「社会に使える実学を見直していこう」という大きな流れがあると思います。実は、マッチング理論自体は半世紀以上前からあったのですが、その時は数学者の思考実験として見過ごされていました。あくまでもパズルのようなもので、本当に社会に役立つとは誰も気づかなかったのです。
しかしその後、この方法論が実際に使われていることがアメリカで発見されます。内定辞退や青田買いが多発していた研修医の配属問題に対して、病院は誰が欲しいか、研修医はどの病院に行きたいか、希望ランキングのリストを全部出してもらうのです。それをコンピューターで処理した結果、よりよいマッチングができるようになりました。これまで実際に活用されていなかったマッチング理論ですが、「実は役立つのだ」とわかったわけです。
この最初のマッチング理論は非常に上手くできているものの、利用シーンによっては使えなかったり、それだけでは解決しない問題もあったりします。よりさまざまな情報を加味してマッチングできるようにするなど、さらに発展させるべく研究を進めています。
マッチング理論で「配属ガチャ」問題にアプローチ
大池:実際にマッチング理論は、どのように企業で応用されているのでしょうか?
小島氏:たとえば我々は、医療機器メーカーのシスメックスさんと「配属ガチャ」の課題に取り組みました。せっかくコストをかけて新卒を採用したのに、希望した部署に行けず、やる気を失ってしまうような事態を減らしたい、という目的です。
まずは新入社員と各部署それぞれが自身をアピールして、相互理解を深めてもらいます。そして、どの部署に行きたいか、誰を採用したいか、希望リストを提出してもらいました。その情報を元にシミュレーションを行い、配属先を決定したのです。
結果として、もともと離職率は低い企業様でしたので、その点については大きな変化がなかったものの、社員の満足度が非常に高くなりました。定期アンケートで他部署に異動したいと回答する社員の数も減っています。
岡:昨今エンゲージメントの向上が企業の課題となっていますが、社員が退職する理由には、大きく3つあると考えています。すなわち「その企業そのものに合わない」「賃金が合わない」「上司とのコミュニケーションが悪い」です。マッチング理論の適用によって、相性問題を解決できれば、部署の雰囲気が良くなり、適切に登用されて、選ばれる会社になっていくという好循環を起こせると感じます。
人的資本経営とデータ分析の課題
岡:マッチングの際、第1希望はA、第2希望はBとランキングにするだけでなく、「こういう思いで第1希望です」といった心理的でなかなかデータ化しにくい、理由や熱意の部分を、マッチング理論に組み込むことも可能なのでしょうか?
小島氏:重要な質問ですね。追加で情報を得る場合、それが本当に価値を持つのか、吟味する必要があります。たとえば採用面接時に「ウチの会社は第1希望ですか?」と学生に聞いても、その答えには何の価値もありません。みんなYESと言うに決まっているからです。人の心を理解するのは難しいものです。本音を隠してしまうこともあります。なんでもかんでも質問すればいいわけではなく、本音を引き出し価値のある情報を得るためにコストを支払えるかどうか、といった工夫が必要です。
大池:もしうまく情報が取れたら、マッチングの満足度はもっと上がりますか?
小島氏:お金のない人にご飯や物資を配る「フードバンク」の活動例についてお話ししますね。これは寄付ベースの活動で、受け取り側の需要がわかりませんでした。その地域に余っているものを送ったが、必要なものではなく結局無駄になる、ということが起きてしまっていました。そこで彼らはオークション制を導入しました。タダでもらえるなら何でも欲しいと言うでしょうけど、多少なりとも身銭を切ってもらうことで、地域ごとに切実に欲しいものの濃淡がわかるようになり、結果として効率化につながったのです。
中林:施策の結果を、どのような指標で測るかも重要ですね。従来の指標/KPIと呼ばれるものの多くは経済的観点に重点をおいてきました。その指標によって人や組織、社会を動かしていくという観点からみれば、観点の異なる新しい指標/KPIをデザインするというアプローチも重要なことだと感じています。
小島氏:一番よく使われるのは金銭評価ですが、データセットにお金が無い場合は、ある程度客観性のある、選好を推定できるような指標をピックアップしています。
岡:昨今は「人的資本経営」が注目されており、人材の生産性にフォーカスされています。私も人材の最適配置の分析支援などに携わっているのですが、一番気になるのが効果測定です。人事のサイクルは1年と長いので、なかなか定点観測が難しく、パフォーマンスをどう計るべきかに悩んでいます。
人事のデータはそのほとんどがテキストです。そこで、人事の本質はテキストデータに存在するのではないかと着目し、KPMGが独自に開発した自然言語分析ツールを用いて、人事業務の高度化のご支援をしています。小島先生は、マッチング理論における、テキストデータの活用についてはどのようにお考えですか?
小島氏:私たちも同じように苦労をしています。大規模なマッチング理論を導入する際には、よい指標がなかなか見つかりません。すでに膨大に存在しているテキストデータを活用することは、非常に大事だと思います。
ただ、あとから解釈をするためには、データの生成段階から着眼しなければなりません。どのようなデータを用意し、規格化すべきなのか? といったことは、多くの企業の協力を得て、検証を進めていきたいと考えています。
マッチング理論を成功させるために必要なこと
小島氏:私は究極的な願いとして、みんなが幸せになれば良いと思っています。それを実現するための手段としてマッチング理論があります。理論の骨子は1962年に考案された「枯れた技術」と言えますから、それだけ社会実装はしやすいと思っています。先端技術がいきなり応用されることはなかなかありませんから。「せっかくあるのに使われていなかった技術理論」として、興味を持っていただければと思います。ただ、いきなりこの理論を使いましょう、と言われても困るでしょうから、各企業・団体が独自にカスタマイズしていくことを、今後もお手伝いしていきます。
中林:マッチング理論のような数学的処理(アルゴリズム)をビジネスに実装する場合、どれくらいのプロジェクトの規模感で試していくべきなのでしょうか?あまりに大きな社会実装で試すと複雑で結果が不透明であったり、検証が難しかったりと、困難になることが想定されます。
小島氏:大きな問題に対してABテストを実施するには、非常にコストがかかります。統計的に有意義なものをやることは前提として、実験室的な感覚で試せる規模感が良いと思います。
岡:今回のお話を聞いて、人事にマーケティングや経済学の手法を取り入れていかねばならないと強く感じました。人事データは機微な個人情報を含みますから、どのように扱うかも含めて、KPMGとして引き続き研究していきます。
大池:配属ガチャという言葉が流行るように、ほとんどの日本企業では、会社は選べても部署は選べないのが現状です。生産性を高めていくための施策として、非常に参考になるお話を聞けたと思います。具体的に「マッチング理論を取り入れていきたい」と考えた企業は、どのような準備をすべきなのでしょうか。
小島氏:「目的を明確化し、それに応じたソリューションを選ぶこと」と、当たり前のことをお伝えした上で、選好分析に詳しい人に聞いてみる、ということが大事だと思います。施策のうわべだけコピーしようとして失敗する例は、いくらでも挙げることができますから。
私たちの場合、「アルゴリズムのカスタマイズまでして欲しい」「マッチング理論について濃い講義をして欲しい。あとは独力でやりたい」という要望に応じて、企業の支援をしています。
中林:数学的理論に基づいた学術的アプローチで、社会構造を変えられる、日本の現場・実務に貢献できるというのは、アルゴリズムが社会の運営に浸透していくようになっていくと考えると、大きなポイントだと思います。
大池:私たちKPMGもプロフェッショナルファームとして多様な専門性がありますが、個々の領域に閉じるのではなく、互いの力を掛け合わせることで、より大きな社会的価値を提供できると考えています。
小島氏:「あらゆることを人事視点で深掘りする」という企業的縦軸と、「人事を含む社会現象を俯瞰する」という大学的横軸を掛け合わせれば、お互いを補えることはあると思います。そうすることで、本質をつかみ取れるアプローチをしていきたいですね。