本稿は、2024年6月開票のインド総選挙や国情が日本企業に与える影響を考察した記事です。以下に記載する内容は、2024年6月末日執筆時点のものであることを、予めお断りします。

ポイント1:政策維持と保護主義の可能性
積極的なインフラ開発や製造業振興といった、モディ政権のこれまでの基本的な政策路線は維持される見通しも、政権維持優先であれば保護主義を強める可能性がある。

ポイント2:規制リスクの再点検
ビジネス機会拡大の期待が高まるなかで、不透明な規制などのリスクの再点検が必要である。

1. 与党連合で過半数維持 ―基本的な政策路線は維持の見通し

2024年6月4日、インド総選挙(下院選)の開票が行われ、ナレンドラ・モディ首相率いる与党のインド人民党(以下、BJP)は、与党連合として過半数を確保しました。しかしながら、BJPは単独では前回2019年に獲得した303議席から240議席へと大幅に減少し、過半数割れを起こしています。これに対し、国民会議派(INC)を中核とする野党連合は議席を大幅に増やしています。与野党の議席差が縮小したことによる、今後の政権運営への影響が注目されています。

【インド下院の勢力図(2019年の総選挙)】

インド総選挙後のビジネス展望とリスク_図表1

【インド下院の勢力図(2024年の総選挙)】

インド総選挙後のビジネス展望とリスク_図表2

出典:ページ末尾記載の各公表データを基にKPMG作成

辛勝とはなったものの、総論としてモディ首相は、3期目も積極的なインフラ開発や製造業振興といった、これまでの基本的な政策路線を維持する見通しです。一方で、経済状況に対する国民の不満を反映した総選挙を経て、内政面では格差是正や失業率改善を求める声が高まる可能性があります。
次章では、「これまでのモディ政権」と「これからのモディ政権」の要点を概観し、日本企業がインド進出や新規投資をするうえで考えるべき論点を整理します。

2. モディ政権下の産業政策の変遷とビジネス機会

モディ首相は2014年に始まった1期目から、産業基盤強化を目指して国内製造業振興のイニシアチブである「メイク・イン・インディア」を掲げ、2022年までに国内総生産(GDP)に占める製造業のシェアを25%に引き上げることなどを目標としてきました。同方針のもと、国内製造業に対する補助金や税制優遇措置を適用する「段階的製造プログラム(PMP)」や「生産連動型優遇策(PLI)」、また、道路や港湾、鉄道などのインフラ整備を推進してきました。そのほかにも、州ごとに異なる税率を全国で一本化する「物品・サービス税(GST)」の導入に代表される税制や法制度の改革、強靭な金融システム構築などの施策を実施してきました。さらに、自動車、バイオ、防衛、機械、電子(半導体)、IT、鉱業、再生可能エネルギー、医薬などの幅広い業種の外資誘致や補助金投入等も進め、輸出拠点化を含めたグローバル製造業のハブ形成を目指しました。

【モディ政権が実施した主な産業振興策】

年月 近年の主な施策
2014年 製造業振興策「メイク・イン・インディア」を掲示
外国直接投資(FDI)の規制緩和、計画委員会の廃止
2015年 土地収用法(2013年制定)改正が頓挫
2016年 高額紙幣廃止措置、破産・倒産法の制定
2017年 携帯電話部品のインド国内での製造促進などを目的に、段階的製造プログラム(PMP)を導入
全国統一の物品・サービス税(GST)導入
2019年 国家電子産業政策(NPE2019)を発表
2020年 サプライチェーン強靭化に向けた「自立したインド」構想を打ち出し、大規模経済対策を実施
生産連動型優遇策(PLI)、電子部品・半導体製造促進スキーム(SPECS)等を導入
防衛、航空、保険等のセクターにおけるFDIの規制を緩和
労働法体系を4つの法律に集約(労働法改正)
2021年 農業の構造改革を目指した農業関連3法が廃止
国家インフラ統合計画を発表
電子産業の誘致・育成を推進する包括的な産業振興策を発表(インド半導体ミッションなど)
2023年 輸出振興の実効性を高める目的で「貿易政策2023」を発表(終期を定めず実施)
2024年 インド国内で電気自動車(EV)の工場設置を条件に、低関税でEV輸入を可能とする政策を発表

今後のモディ首相の動向については、政権3期目においても補助金支給や外国からの投資呼び込みなど、引き続き製造業育成に注力すると予測されています。GDPに占める製造業比率は、2023年時点で約17%と、目標とする25%に届かず、改革は道半ばであるからです。与党BJPは選挙前に公表した公約で、強固な産業インフラを発展させ、エレクトロニクス、防衛、モバイル、自動車などの分野で世界的な製造拠点を構築し、雇用を創出するとしています。

【BJPが公約で明記した重要セクター】

主なセクター 世界的な製造ハブに向けた施策の方向性
食品加工 最先端技術を用いたスマート食品加工拠点構築
防衛 防衛産業の国産化と輸出を拡大
鉄道 鉄道分野での製造・研究・開発を推進、世界的な製造ハブに
航空 商用航空機製造に向け、国内の製造エコシステム確立
船舶 「メイク・イン・インディア」イニシアチブの下で造船を促進
医薬品 原薬の製造・研究開発強化、新薬の研究開発投資を奨励
エレクトロニクス 携帯電話製造で世界第2位に。今後は製造を3倍に拡大し、設計力を梃子に独自ブランドを発展、2030年までに世界的な製造ハブへ
半導体 半導体の設計と製造レベルの引き上げ
自動車 EVの普及・製造促進、全国規模のEV充電器インフラの確立
鉱物 重要鉱物の探査や確保を支援、他国との連携も推進
繊維 研究開発投資や技術支援、インフラ整備
ダイヤモンド 最先端技術を用いた合成ダイヤモンド製造で国際市場をリード
バイオ 循環経済の促進に向けた高性能バイオマニュファクチャリングの促進

出典:ページ末尾記載の各公表データを基にKPMG作成

ここで、特筆すべきセクターとして自動車産業を取り上げます。

(1)インド乗用車市場は商機拡大の見通し

インド自動車工業会(SIAM)によると、2023年度(2023年4月から2024年3月)の新車販売台数は前年度比12.5%増の約2,400万台で、中国と米国に次ぐ世界3位を維持しました。

【インドの国内自動車販売台数推移(カテゴリー別)】

インド総選挙後のビジネス展望とリスク_図表3

出典:ページ末尾記載の各公表データを基にKPMG作成

インド政府は、「生産連動型インセンティブ(PLI)スキーム」と呼ばれる製造業振興政策を通じて、自動車や自動車部品の分野に補助金を投入してきました。同スキームは2026年まで継続する見通しで、今回の総選挙後も自動車市場は堅調な成長を続けると見込んでいます。特に注目すべきは多目的乗用車(SUV)で、販売台数に占めるシェアは年々拡大しています。所得増加や中間層の拡大で高価格帯のSUVが売れていることが背景で、地場大手が高いシェアを持つこの品目での日本勢の巻き返しが期待されます。

(2)電気自動車(EV)普及策は継続の見通し

EV普及策も継続される見込みです。インド政府は、2030年までを念頭に、EVの新車販売の割合を乗用車の3割、二輪車の8割に到達させる目標を掲げています。この目標達成に向け、インド政府はEV購入者への補助金支給や登録料免除などの内容を柱とするEV普及促進策「FAME(Faster Adoption and Manufacturing of Electric Vehicles)」や、電動二輪車や電動三輪車購入への補助金支給などの施策を含む電動モビリティ推進スキーム「EMPS2024(Electric Mobility Promotion Scheme 2024)」を導入しています。直近の現地報道においては、総選挙後も新政権による同様の振興策の継続が予想されています(2024年6月末日時点)。

外資系メーカーによる関連投資も盛んになっています。インド政府が2024年に入り、グローバルメーカーによる国内生産を促進する目的で、一部のEV製品を低関税で輸入可能とする政策を発表したことなどが要因です。需要増加や政府による補助金施策を背景に、比較的安価な電動二輪車や電動三輪車の普及が進んでいます。生産コストの高さや充電インフラ整備などの課題が指摘されているものの、大きな成長が予測されています。電池、半導体、化学、鉱物産業などにかかわる企業にとって商機が多いと言えるでしょう。

【インドのEV普及策およびEV販売台数の推移】

インド総選挙後のビジネス展望とリスク_図表4

マクロトレンドでは期待高まる

インドの2024年、2025年の経済成長率は6%台半ばから7%台前半と堅調に推移し、2030年までに世界3位の経済大国になるとの予測もあります。長期的な成長を見込んで有望な投資先の1つとしてインドへの注目が高まっています。世界一の人口規模と国民の所得増による購買力の増加、米中関係を背景とした代替先としてのマクロトレンドは継続する見通しです。

3. インドにおけるビジネス上の課題とリスク

保護主義の行方

リスクの観点からは、新政権下での保護主義の動向が短期的に重要なポイントとなりそうです。総選挙により、貧富の差や失業率といった社会課題への有権者の不満が浮き彫りになったことで、モディ首相が経済開放に対する国内の反発に以前より神経質になる可能性があります。電子機器・ICT製品等の戦略物資の輸入規制や関税引き上げなど、国内企業の保護に重きを置く保護主義を強めることも考えられます。新政権の舵取りは連立を組む他党との調整が必要となり、改革の足取りが遅くなるという懸念も示されています。

モディ首相は国内産業振興の名のもとに、保護主義的な側面をしばしば見せてきました。東アジアの地域的な包括的経済連携(RCEP)交渉から2019年に離脱したことや、最終的に見直したものの2023年に突如ノートパソコンなどの輸入を免許制にすると発表したことは、その代表例と言えます。また、世界貿易機関(WTO)は、インドが2014年以降にWTO協定上無税(0%)を約束している携帯電話、基地局、音声・画像等の送受信装置などのICT製品の関税を最大で20%に引き上げていることについて、WTO協定に不整合であると判断し、2023年にインドに対し措置の是正を勧告しています。

米国通商代表部(USTR)の世界の貿易障壁についての報告書によると、2022年度のインドの輸入関税は、最恵国税率(WTO加盟国からの輸入品に対して一律に適用される関税率)が平均18.1%と高く、世界最高水準であり、自動車や医薬品、加工食品などでも高い関税率を科しています。保護主義的な経済・通商政策は米国や欧州、中国などでも広がっており、インドでもその傾向が強まるかどうか注視する必要があります。

不透明な規制環境や保護主義リスク

選挙結果と直接の関係はないものの、インドでは不透明な法規制や不十分なインフラ、煩雑な通関手続きといった課題が長年指摘されてきました。前述のUSTRによる貿易障壁の報告書でも、インドの法制定時の透明性の欠如や予測困難な規制・関税措置を問題視し、インド市場の予測可能性が損なわれていると懸念を示しています。

同報告書では、非関税障壁についても指摘されており、行政の裁量権が大きく、税関当局から大量の書類提出を求められること、輸入品の申告価格が拒否されることなど、税関手続きの透明性の欠如が問題視されています。USTRはまた、各国の知的財産の保護・執行状況についてまとめた「スペシャル301条報告書」において、知的財産保護についても効果的な政策が実施されていないとして、米国はインドを中国などと同じく「優先監視国」に指定しています。インドへの注目度やビジネス機会が高まる中でリスクや課題を見直す必要性が高まっています。

【インドでビジネスを進めるうえでの留意点】

視点 論点例 概要
生産・販売・投資 インフラの未整備
  • 半導体やEVの海外からの投資が相次ぐが、電力や物流などインフラが依然として不十分との指摘
土地改革
  • 土地収用問題などによるプロジェクト遅延が散見、モディ氏が土地収用法改正に再び挑むかは不透明
製品ボイコット
  • 国境紛争で対中関係が悪化した際、反中デモや中国製品へのボイコットが拡大
汚職問題
  • 不動産や建設業、公共部門などをの汚職撲滅が継続的な課題
政策プロセス
  • 不透明な政策決定過程による予測可能性の低下(不意打ち的な規制や追加関税、政策撤回)
貿易 関税率
  • 最恵国税率の平均は2022年に18.1%(世界の主要国で最も高い水準)
  • 農産物、アルコール、加工食品、医薬品、オートバイ、自動車など幅広い商品に高関税を適用
さまざまな非関税障壁
  • 輸入許可のライセンス申請に詳細な内容を要求されたり、ライセンス取得までに長い遅延が発生
  • 税関の仕組みが複雑で行政の裁量が大きい
    (大量の書類を要求されたり、輸入品の申告価格が拒否されたりするケースも)
環境 大気汚染
  • 大都市中心に大気汚染が進展、車両交通規制やディーゼル発電機の規制で企業活動に影響
人権 人権問題
  • 米国はインドの人権問題を懸念(中長期的には、貿易分野等で圧力を強める可能性)
労務 労働改革(改正労働法)
  • 解雇規制の緩和やストライキの事前通知などを定めた改正労働法を巡る動向
    (労働者側や野党の反対などで施行が遅延、州法の改正が先行)
知的財産 著作権・特許権
保護
  • 偽造品や模倣品が広く流通(模倣品の多くは中国からの流入との指摘も)
  • 米国の「優先監視国」に指定(特に特許権侵害や商標・著作権侵害摘発に課題)

本文および図表の数値は下記資料を参考にしています。

執筆者

KPMGコンサルティング
シニアコンサルタント 原 滋

助言
KPMGコンサルティング
シニアエキスパート 恩田 達紀(元ハーバード大学国際問題研究所 客員研究員)

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