本稿は、2023年11月に掲載した記事に、現在の状況を踏まえて修正・追記を行ったものです。内容については、2024年10月25日時点のものであることを、あらかじめお断りします。
イスラエルとイスラム組織ハマスの戦闘が始まって1年が過ぎました。現状では収束に向けた道筋は見えず、企業は紛争の拡大・長期化を見据え、情報収集の強化や安全確保など危機への備えを引き続き進めていく必要があります。
1.直近の情勢および今後懸念されるビジネスへの影響
中東情勢をめぐっては、イスラエルに敵対するイスラム組織指導者らへの攻撃を受けて、これら組織とイスラエル軍との間で応酬が続くなど、イランとイスラエルの報復攻撃の連鎖が懸念されています。2024年8月には外務省がレバノン全土に危険情報で最高レベルとなる退避勧告(レベル4)を発表し、同年9月以降は、欧米や日本など各国によるレバノンからの退避も本格化しています(2024年10月時点)。中東地域においては、紛争拡大による空路封鎖や発着便運休などの人の移動制限への懸念は今後も高まることが想定されます。
中東情勢の緊迫化を受けて、原油価格の上昇につながる可能性にも目配せが必要でしょう。産油国からのタンカーが通るホルムズ海峡は、有事に対して危険性が高まり、航行が滞る可能性があります。今後も、石油施設への攻撃やホルムズ海峡封鎖等の懸念を背景に、原油価格を巡る不透明感は継続すると思われます。
また今後も情勢悪化によって、欧米とアジアを結ぶ海上輸送の動脈である紅海をはじめとする周辺海域の航行が妨げられた場合、世界経済へ大きな影響を及ぼすことが想定されます。特に2024年に入ってからは、海運やエネルギー会社は紅海を避け、アフリカ南端の喜望峰周りの航行ルートなどに切り替える動きが見られました。海上保険料の上昇に加え、輸送日数の増加や運航コストが上がれば、物流の遅れや物価上昇が懸念されます。
今後の事態の推移は極めて見通しにくいと言えます。武力衝突が周辺諸国に拡がっており、中東の広範囲が不安定になる状況が続いているためです。衝突の影響は、イスラエル経済へも波及しています。影響が大きいと思われる分野の1つが、電子部品などのハイテク分野です。イスラエルは先進的なスタートアップを多数抱え、同分野は国内総生産(GDP)の2割近くの利益を上げています。戦闘の長期化や紛争拡大のリスクが、個人消費の減退や労働力不足に加え、同国のハイテク産業への投資を冷え込ませる可能性があります。欧州諸国のなかにはすでに、対イスラエル貿易の見直しに出る国も少なくありません。
2024年4月以降は、イスラエルとの関係が緊迫化しているイランでも、紛争拡大を懸念して、駐在員の国外退避のほか、出張を原則取り止める企業が出てきています。イスラエルとの本格衝突は、特に、エネルギー資源に依存するイラン経済に大きな打撃を与えるリスクがあります。米欧からの制裁に加え、紛争拡大によってさらなる経済的打撃が生じる恐れがあります。影響は、イスラエルやイランなどの当事国だけでなく、観光客の減少や物流への影響など近隣国の経済にも影響を与えており、衝突の激化により今後も経済的な被害が拡大するおそれがあります。
世界の多国籍企業に目を向けると、今回の戦闘の影響で、中東諸国や東南アジアなどのイスラム諸国を中心にイスラエルを支援する米国企業への不買運動が広がっているなかで、イスラエル企業との提携見直しや、中東地域の事業縮小・従業員解雇を検討する動きが散見されます。欧米諸国内でも抗議活動が相次いでおり、人道的な観点から、関連事業への国際的な世論の変化も見逃せません。さまざまな観点から、日本企業を含む世界の提携先との事業計画の見直しを余儀なくされる可能性にも配慮が必要でしょう。
米国大統領選の影響も事態の推移に影響を与える要素の1つです。原油価格高騰により、ガソリン価格の上昇につながれば選挙戦への打撃につながる懸念があるため、現政権はイスラエル側に抑制的な行動を促すなど、事態のエスカレーションを強く警戒しています。米大統領選後の米国の対応が注目されるなかで、企業としては米国新体制下の国際情勢の行方を見据えながら対応を進める必要があります。
2.リスク管理活動の継続的な見直し
こうしたなか、中東に関わりを持つ日本企業は、まずインテリジェンス体制を改めて点検することが肝要です。事業責任者や現地責任者等の情報ニーズを把握したうえで、中東各国政府や紛争の動向、その他各国の反応について、欧米メディアのニュースだけでなく、中東や東南アジアなどのイスラム諸国発の情報にもアンテナを張るべきでしょう。政府等の動向だけではなく、多様な国際的世論をも注視する必要があります。現地子会社が情報収集を担当する場合は、日本との情報共有の頻度や共有項目、日本側の担当者、経営陣に情報を上げる基準なども決めておくことが重要です。米国大統領選後に就任する新大統領の中東対応次第で情勢が大きく変動する可能性もあるため、複数のシナリオと対応の準備を進める点も欠かせません。
中東を含む海外社員の安全確認マニュアルもあいまいな項目を解消しておくべきです。邦人従業員の家族を含めた退避先、退避基準、手当、現地従業員の安全確保方法など確認事項は多岐にわたります。また、その内容に基づくシミュレーションを通じた認識共有も重要です。
調達部門はサプライチェーン全体を見渡し、供給不安が起きやすい原料・部品を今一度洗い出すことが推奨されます。事態の推移によってはコストよりも安定供給を優先して調達先の多元化や切り替えも進める考え方もあります。また、情勢悪化を踏まえた判断だけではなく、紛争や人権侵害の発生・継続に加担することになっていないかとの視点で事業やサプライチェーンを見直すことも肝要です。
重要なのが経営陣によるリスク管理です。周辺諸国への武力衝突の拡大や長期化、周辺海域の船舶の航行困難や、欧州やアジアといった他地域へのサプライチェーンの影響などの経営インパクトの大きいシナリオを順に検討し、収益への影響度や事業撤退・縮小を含めた対応方針を精査する必要があります。事態急変までに起きる予兆事象も、現段階でできるだけ列挙しておき、予見可能性を高める努力が求められます。
また、事業継続等の経営判断においては、収益だけではなく、ステークホルダーの声を踏まえた人道的な観点に焦点が当たる傾向が強まっています。紛争が長期化するなか、人道的観点や国際世論への配慮から、中東などイスラム諸国での関連ビジネスの積極的な発信を控える傾向も見受けられます。
事態が緊迫すれば経営陣は経営企画、人事労務、調達、生産販売、現地拠点などから迅速に情報を集め、連携を促す必要があります。部門間の調整にあたるチームや担当者の設置など、有事対応力の向上は今回の問題に限らずとも非常に重要だと言えるでしょう。
【リスク管理見直しのポイント】
視点 | 担当部門例 | 留意点 |
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インテリジェンス体制 | 経営企画、現地子会社 |
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リスクシナリオの分析 | 経営企画、リスク管理 |
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海外役職員の安全確保 | 人事労務、リスク管理 |
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重要物資の安定的供給確保 | 調達・購買 |
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情勢の変化や人道的観点を踏まえての事業やサプライチェーンの見直し | 経営企画、調達・購買 |
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有事の部門間連携 | 経営企画、リスク管理 |
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