この記事は、「日本経済新聞電子版(期間:2023年5月19日~6月19日)」に掲載された広告特集です。発行元である株式会社日本経済新聞社の許可を得て、ウェブサイトに掲載しているものですので、他への転載・転用はご遠慮ください。
いま、期待される企業価値の定義が大きく変わってきている。財務的な成果だけでなく、環境や社会へのサステナビリティーに関わる経営方針が、企業のリスク低減や機会創出となるため、企業自らの価値の再定義と経営者の説明責任の在り方への変革が求められている。2015年12月にG20(20カ国・地域首脳会合)の要請を受けて、金融システムの安定化を目指す金融安定理事会(FSB)によって設立された「気候関連財務情報開示タスクフォース(TCFD)」が17年に公表した最終提言は、いまやビジネスの“一般常識”として広く浸透している。その背景には、意思決定に資する情報に関する報告の変容と、企業の説明責任の誠実な遂行への期待があると言えよう。そこで、資本市場が求める企業報告を具体的に提示した先駆的なイニシアティブであるTCFDの日本人メンバーとして当初から枠組みづくりに関与してきた東京海上ホールディングス フェローの長村政明氏と、KPMG/あずさ監査法人 パートナー(当時)の芝坂佳子が、中長期的な企業価値の実現に必要な視点について意見を交わした。
「気候変動が経営課題であること」を明確にしたTCFD
芝坂 「気候変動」は、さまざまなサステナビリティーに関わる課題の根底にあり、特に、財務的な影響という点で極めて大きなリスクと機会となっています。それゆえに、FSBがフィナンシャル/キャピタルマーケット(金融/資本市場)の安定と意思決定を支えるため、適切な情報開示が不可欠と認識して発足させました。
当初は民間の任意ベースで始まった取り組みが、いまや法的な開示制度のなかに組み込まれています。これは、TCFDが過去の議論や関係諸機関の取り組み成果などを土台として現実的なアプローチをとられたからだとも言えます。一方で、急速な展開のなか、TCFDの意義が十分に理解されないまま、「開示が目的」となっている側面も否めません。
今後、サステナビリティーに関わる報告を有意義なものとするためにも、TCFDの開示にとどまらない本来の意義や特徴をどのように総括されていますか。
長村 政明 氏
東京海上ホールディングス
フェロー(国際機関対応)
TCFDメンバー
長村 FSBは気候変動そのものというよりも、それが金融機関や企業にもたらすリスクおよび機会として、とくにその財務的影響に注目していたのが大きな特徴です。これまでは財務報告の枠外にあったものを、メインストリームの財務報告の一部と位置付けられるよう開示を推奨したことから、大きな波が押し寄せてくるという予感はありました。その背景には、気候変動のリスクや機会が金融/資本市場の安定を揺るがしかねない課題であるとの認識があります。
しかしながら、企業戦略の有効性や市場の安定に必要な規制・監督手法を議論するにも、気候変動のリスクや機会について理解するのに必要な情報の入手可能性が十分ではなかったことから、制度づくりに着手する前に気候関連情報の可視化を進めるための民間有識者会合として発足したのがTCFDです。TCFDでは開示主体が現状のリスクや機会にとどめず、気候関連問題を中長期的な経営課題として、シナリオ分析を用いたフォワードルッキングな視点で自社戦略のレジリエンス(回復力)を評価することも含め、意思決定者である経営者が「自社としてどうするのか」を財務的な観点で示すことを期待しており、そこに意義があると考えています。
TCFDへの取り組みをサステナブルな価値向上に生かす
芝坂 現在、検討されているさまざまなサステナビリティー開示基準の策定に向けた取り組み、例えば「国際サステナビリティ基準審議会(ISSB)」や「欧州サステナビリティ報告基準(ESRS)」などは、TCFDが提起した4つの柱「ガバナンス」「戦略」「リスク管理」「指標・目標」をベースにしています。これは、サステナビリティーに関する経営課題を企業価値の観点から再定義し、利用者にとっても有用な情報とするための柱として適切だからだと考えます。
TCFD提言に基づく開示が進むなか、日本ではどのような普及に向けた取り組みが行われ、また経営者は説明責任を果たすために、どのようなアプローチをとっているのでしょうか。
長村 まず、TCFDでは気候変動リスクの性質を明確にしました。その結果、移行リスク/物理的リスクの発現形態について整理したことに加え、リスクだけでなく機会の側面にも注目し、気候変動がもたらす事業機会について、中長期的な経営課題の一環として捉えられるべきものであると認識されました。
その上で開示の進化に伴い、情報利用者と開示主体の双方での認識のすり合わせが進み、投資家と企業のエンゲージメントの際のコミュニケーションツールとなり、指標やシナリオ分析の向上や利用の成熟化、企業評価や格付けなどへの展開、さらには金融システムやリスクエクスポージャーに関する幅広い理解の浸透へと進むことを期待しており、そのための行動を継続的に展開してきました。日本においても官民をあげた幅広い施策が行われてきました。
こうした取り組みを通じ、日本からはTCFDの枠組みや推奨指標の策定過程において数々の有益な視点を提供しました。それに加え、企業の効果的な情報開示や適切な取り組みについて議論を行う目的で設立された「TCFDコンソーシアム」も、国際的に高い評価を得ています。海外で同様の組織が立ち上がっているのもその証左です。ちなみに、TCFD提言に賛同する企業・組織は日本が最多で、世界全体の4分の1以上を占めており、TCFDの枠組みに基づく開示を行う企業も急増しています。
これからISSBなどの動きにも見られるように、気候変動以外のサステナビリティー課題に関する開示への取り組みも進んでいくことになります。企業はこれら諸課題の経営課題における位置付けと企業価値との関係性を明確にすることが大切です。そして報告を進めるためには、国際的に認知された共通のフレームワークを用いることが、開示主体を助けるだけでなく、投資家などの利用者の活用を促進するといった点からも効果的であると考えます。
芝坂 佳子
KPMG/あずさ監査法人
サステナブルバリュー推進部 部長
パートナー
バックキャスティング思考によるシナリオで示す企業の意思
芝坂 今後、財務情報とサステナビリティーに関する情報を結び付け、どのように報告していくのかが議論されるとみています。TCFDでは「シナリオ分析」を用いた開示を促しています。過去の結果としての現在、そしてバックキャスティング思考に基づく持続的な企業価値につながるような報告書には、気候変動だけでなく幅広いリスクや機会を検討し、自社なりの見通しに基づく「経営者の語るストーリー」が不可欠となります。
TCFDがシナリオ分析を提言に組み込んだ背景とその必要性を教えてください。
長村 シナリオ分析を取り入れたのは、TCFD提言への意見募集のなかで寄せられた、投資家や金融機関からの求めに応じたものです。気候変動そのものの影響や長期的な政策動向による事業環境の変化にはどのようなものがあるかを、それぞれの企業の視座から想定し、財務的な成果や企業価値にどのような影響を及ぼすかを検討する手法として、シナリオ分析を位置付けています。シナリオはあくまでも仮説であり、詳細な結果や業績予測を示すことが目的ではなく、企業経営者が経営戦略に基づいて将来の可能性を検討するために用いられるストーリーであるという認識を持っています。
一方、より明確で比較可能な指標を求める声もあります。これを受けTCFDでは、産業横断的に気候関連指標と財務インパクトの再整理を行い、21年10月に全業種共通推奨開示指標を公表しました。開示主体としては財務インパクトを導くことに資するよう、また投資家などの利用者としては開示された気候関連財務インパクトの妥当性判断に資するよう、7種類の定量情報を指標としてまとめたものです。
企業価値に関する報告の潮流とTCFD
芝坂 気候変動に対する報告の取り組みは、サステナブルな企業価値の向上とサステナブルな社会の実現の双方につながるものです。企業がパーパス(社会的存在意義)の実現に向けた活動のなかに、これら二つのサステナビリティーへの貢献と、説明責任を果たすことで得られるステークホルダーとの関係性の維持が不可欠であると考えます。また責任ある報告の要件のひとつとして、企業ごとの価値創造ストーリーに基づく気候変動リスクの報告は不可欠なものと言えます。
サステナブルな企業価値の向上とサステナブルな社会の実現において、TCFDは極めて具体的な取り組みをしています。TCFDが先鞭(せんべん)をつけた報告の領域において、新たに始まっている動きにはどのようなものがあるのでしょうか。
長村 まずはネットゼロ(温室効果ガス排出量実質ゼロ)に向けた金融関連イニシアティブの登場です。Glasgow Financial Alliance for Net Zero(GFANZ)をはじめ、金融各セクターにおいて投融資ポートフォリオなどをネットゼロとする目標を掲げた民間イニシアティブが21年のCOP26に先立って発足されました。こうしたイニシアティブにおける目標設定のなかにもTCFD提言が活用されており、今後もこうした潮流が続くことになるでしょう。
芝坂 サステナビリティーに関する課題の性質のひとつとして、業種はもちろんのこと、企業ごとに及ぼす影響が異なる点にあります。TCFD提言が示す気候変動に関する財務情報の開示が根幹となり、より密接に実際の企業価値につながるさまざまな報告の実現とその実践へと展開していくことになると思います。TCFDメンバーとして精力的に活動する長村さんのますますのご活躍を願っています。
本日はありがとうございました。
対談を終えて
Sustainable Value Creationこそが企業経営の根幹
今回の対談では、TCFDメンバーとして提言の策定に関わった東京海上ホールディングスの長村政明氏から、TCFDの考え方やTCFD提言に取り組む企業の現状などをお聞きした。最後に「TCFD提言を企業経営の根幹で捉えていくことが肝要だ」と個人的意見も述べられている。つまり、TCFDは、単なる開示の取り組みではなく、経営上のリスク低減や機会創出のなかに組み込み、包括的な戦略策定のなかで捉えることが肝要であり、中長期的な企業価値の実現の視点を有する経営者の責務のひとつというのが、長村氏の考えだ。
さらに「TCFDの枠組みに基づく取り組みを、気候変動以外の環境や社会的課題に関する報告の展開につなげていくことが大切である」と説明を加える。共通のフレームワークの有効活用は、課題解決に向けたステークホルダーとの共創関係の構築にもつながっていく。
日本は長村氏の活躍もあって、TCFDにおいて国際的な影響力を発揮できる立場にある。今後検討が進んでいくさまざまな国際的な企業報告に関するフレームワークの検討に際しても、日本の強みを生かし、さらには議論に貢献するという姿勢が求められる。
企業報告は企業経営の説明責任の履行と、持続可能な価値の実現のための活動である。内容と結果に責任を有するのは経営者に他ならない。そのためにも、企業戦略の執行責任者とバリューチェーンを構成するさまざまな事業や実務を結び付け、ユニークなストーリーとして鳥瞰(ちょうかん)的な視座で語ることが、複雑で不確実性の高い経営環境における競争優位を形成していくのだろう。