サステナビリティ開示 人的資本・多様性に関する開示を巡る国内の動向(後)

「週刊経営財務」(税務研究会発行)3578号(2022年10月31日)に「サステナビリティ開示 人的資本・多様性に関する開示を巡る国内の動向(後)」に関するあずさ監査法人の解説記事が掲載されました。

「週刊経営財務」(税務研究会発行)3578号(2022年10月31日)にあずさ監査法人の解説記事が掲載されました。

この記事は、「週刊経営財務3578号」に掲載したものです。発行元である税務研究会の許可を得て、あずさ監査法人がウェブサイトに掲載しているものですので、他への転載・転用はご遠慮ください。

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1.はじめに

本年6月13日に、金融庁/金融審議会(ディスクロージャーワーキング・グループ)から公表された「金融審議会 ディスクロージャーワーキング・グループ報告-中長期的な企業価値向上につながる資本市場の構築に向けて-」(以下「DWG報告」という。)には、サステナビリティに関する有価証券報告書等における開示のあり方について提言が示されている。とりわけ人的資本・多様性に関する開示については、関連する法改正が行われるなど国内における周辺制度の動きも活発化している。

本稿では、前稿(「【サステナビリティ開示】人的資本・多様性に関する開示を巡る国内の動向(前)」( No.3577 (2022年10月24日号))に続く形で、内閣官房に設置された非財務情報可視化研究会によって本年8月に公表された「人的資本可視化指針」の概要を中心に解説する。なお、本文中の意見にわたる部分は、筆者の私見であることを申し添える。

2.人的資本への投資に係る開示の課題

気候変動リスクをはじめとするサステナビリティ課題は、中長期的に企業価値に大きな影響を与えることが想定される一方で、企業収益に直ちに影響するとは限らないため、リスクの程度や企業としての対応のあり方を貨幣価値に置き換えることが難しい領域である。このため、サステナビリティ課題に関する情報は、非財務情報の一部として報告されることが多い。

他方で、なぜサステナビリティ課題に関する情報が財務情報に表れてこないのかとの不満が高まっており、サステナビリティ課題に関する情報と財務情報をどのように結び付け、全体として整合性の取れた報告を行い得るかが企業報告にとって大きなテーマとなっている。KPMGジャパンが実施したCFOサーベイ20211の中で、サステナビリティ情報と財務情報とを関連付けて包括的な報告を実現する上での課題を上場企業のCFOに尋ねたところ、次の結果となった(【図表1】参照)。

【図表1】サステナビリティ情報の報告について、財務情報と関連付けた包括的な報告を行うにあたっての課題

サステナビリティ開示 人的資本・多様性に関する開示を巡る国内の動向(後)-1

出所:KPMGジャパン CFOサーベイ2021より、筆者作成

本サーベイの結果を踏まえると、多くの企業で、非財務情報について定量情報の開示を可能にする実務的な対応が喫緊の課題となっているほか、経営者や取締役会レベルでサステナビリティに関連する課題を認識し、対応の優先順位付けや戦略の立案を行うことも重要課題となっていると考えられる。本サーベイは、サステナビリティ情報の全般を対象としているが、当該情報に含まれ得る人的資本への投資に係る開示についても、同様の課題があるものと考えられる。

こうした状況の下で、非財務情報を企業開示の枠組みの中で可視化することにより、株主との意思疎通の手段の強化を図るべく、人的資本など非財務情報についての価値を評価する方法について検討を行い、企業経営の参考となる指針をまとめるため、本年2月に内閣官房に非財務情報可視化研究会(一橋大学 伊藤邦雄名誉教授が座長)が設置された。研究会における検討の結果、本年6月29日に「人的資本可視化指針(案)」が公表され、寄せられたコメントを踏まえた後、本年8月30日に「人的資本可視化指針」が公表されている。

3.人的資本可視化指針について

(1)人的資本可視化指針の役割

人的資本への投資や無形資産への投資については、国内外で様々な基準やガイドラインが作成されている。人的資本可視化指針は、こうした中で、特に人的資本に関する情報開示のあり方に焦点を当て、既存の基準やガイドラインの活用方法を含めた対応の方向性について包括的に整理した手引きとして作成されたものである。本指針には、人的資本の可視化の方法や可視化に向けたステップが示されているほか、付録として、参考となる開示指標や開示事例が整理して掲載されている。

また、可視化にあたっては人材戦略の策定とその実践が前提となるため、「人材版伊藤レポート(2020年9月)」及び「人材版伊藤レポート2.0(2022年5月)2」を本指針と併せて活用することにより、人材戦略の実践(人的資本への投資)とその可視化の相乗効果が期待できるとされている。さらに、本指針を制度開示(有価証券報告書等)及び任意開示(統合報告書等)の作成に活用することによって、双方の開示の質が向上して、人的資本に係る企業・経営者と投資家との対話が深まることも期待されている。

(2)人的資本の可視化の目的と前提

人的資本可視化指針において、人的資本を可視化する目的は、自社の人的資本への投資のインプット、アウトプット及びアウトカム(結果)を分かりやすく伝えることにより、投資家をはじめとするステークホルダーによる自社の人材戦略への理解を深め、経営者・従業員・投資家等による相互理解の中で、戦略的な人的資本形成、ひいては中長期的な競争力強化や企業価値向上を実現することにあるとされている。

このため、人的資本について、単に関連する非財務情報を可視化するのみでは競争力強化や企業価値向上にはつながらず、可視化の前提には、競争優位に向けたビジネスモデルや経営戦略の明確化、経営戦略に合致する人材像の特定、そうした人材を獲得・育成する方策の実践、成果をモニタリングする指標・目標の設定など、人的資本への投資に係る明確な認識やビジョンが必要になるとされている。そして、人材戦略が取締役会レベルで議論され、コミットされているかどうか、さらに、現場の従業員の共感を得て浸透しているかどうかが重要であるとされている。

(3)人的資本の可視化のサイクル

人的資本の可視化において、企業や経営者には、経営層・中核人材に関する方針、人材育成方針、人的資本に関する社内環境整備方針などについて、自社が直面する重要なリスクと機会、長期的な業績や競争力と関連付けながら、目指すべき姿(目標)やモニタリングすべき指標を検討し、取締役会レベルで密な議論を行った上で、自ら明瞭かつロジカルに説明することが期待されている。

企業は、人材戦略に関する経営者による議論及びコミットメントと、従業員との対話を通じて構築した人材戦略を実践に移した後、その可視化(情報開示)を通じて投資家との対話を行い、投資家からのフィードバックを踏まえて人材戦略をさらに磨き上げていくこととなる(【図表2】参照)。人的資本の可視化は、こうした一連の循環的な取組みの一環として取り組む必要があるとされている。

【図表2】人材戦略の構築・実践と可視化(情報開示)のサイクル

サステナビリティ開示 人的資本・多様性に関する開示を巡る国内の動向(後)-2

出所:人的資本可視化指針のP.2の図を参考に、筆者作成

(4)効果的な開示に向けて留意すべきポイント

人的資本の可視化の目的を達成するために、人的資本可視化指針では以下に掲げる3つのポイントが挙げられている。

  1. 人的資本への投資と競争力のつながりの明確化
  2. 4つの要素(ガバナンス、戦略、リスク管理、指標と目標)に沿った開示
  3. 開示事項の類型に応じた個別事項の具体的内容の検討


1.人的資本への投資と競争力のつながりの明確化

人的資本可視化指針では、投資家の関心は、開示事項と長期的な業績や競争力との関連性にあるという前提にたって、自社の経営戦略と人的資本への投資や人材戦略の関係性(統合的なストーリー)を描くことが推奨されている。その上で、統合的なストーリーに沿って具体的な事項(定性的事項、指標、目標)を開示することが望ましいとされている。こうしたストーリーの構築にあたっては、「IIRC(国際統合報告評議会)のフレームワーク」や「価値協創ガイダンス2.03」といった、経営の各要素と業績や競争力のつながりを明確化するフレームワークを参照することが有益とされている。

このため、人的資本可視化指針では、人的資本への投資と競争力のつながりを明確にし、その関係性を表現する上で適切な開示事項を主体的に検討していくことが最も重要であるとされている。

2.4つの要素(ガバナンス、戦略、リスク管理、指標と目標)に沿った開示
気候関連財務情報開示タスクフォース(TCFD)提言により、ガバナンス、戦略、リスク管理、指標と目標の4つの要素についての開示が推奨されて以降、サステナビリティ関連の情報開示の分野では、この構成に基づく説明が広く受け入れられつつあり、投資家にとって馴染みやすい開示構造となっている。また、この開示構造は、有価証券報告書において新設が予定されているサステナビリティ情報の記載欄においても採用される方向である。こうした点を踏まえ、人的資本可視化指針では、人的資本についてもこの4つの要素に沿って検討することが効率的であるとされている。

3.開示事項に関する2つの類型
人的資本可視化指針では、開示事項(定性的事項、指標、目標)を具体的に検討するにあたって、上記1.2.の視点を踏まえ、以下に挙げる2つの類型に整理されている。

(イ)自社固有の戦略やビジネスモデルに沿った独自性のある取組み・指標・目標の開示事項

(ロ)比較可能性の観点から期待される開示事項


このうち、「(イ)自社固有の戦略やビジネスモデルに沿った独自性のある取組み・指標・目標の開示事項」については、独自性の特徴に着目し、取組みや開示事項そのものに独自性がある場合と開示事項を選択した理由に自社固有の戦略やビジネスモデルが強く影響する場合に分けて、検討ポイントが示されている。両者の類型と検討ポイントは、以下のようにまとめることができる(【図表3】参照)。


【図表3】開示事項の類型と検討ポイント

開示事項の類型 独自性の特徴 検討ポイント
自社固有の戦略やビジネスモデルに沿った独自性のある取組み・指標・目標の開示事項 取組みや開示事項そのものに独自性がある場合
  • 開示事項と、目指すビジネスモデルや戦略との関連性について説明する。
  • 開示事項を重要だと考える理由を明示する。
  • 関連する指標・目標等の自社による定義と、時系列での進捗と達成度を意識して開示する。
共通的な開示事項から選択した理由に自社固有の戦略やビジネスモデルが強く影響する場合
  • 開示事項を重要だと考える理由を明示する。
  • 統合的なストーリーとの関連を説明する。
  • 国内外の開示基準等に基づく開示との関連付けを行う。
比較可能性の観点から期待される開示事項
  • 制度開示への対応は最低限の前提に立つ。
  • 複数の開示基準に共通する事項かどうかを考慮する。
  • 特定の開示基準のみで示されている場合でも、企業間比較のための開示ニーズが高い事項かどうかを考慮する。
  • 他社と比較可能な形で戦略的に表現・訴求できる事項かどうかを自ら選択して開示する。
  • 自社固有の戦略、ビジネスモデル、リスクマネジメントと関連付けて説明する。

出所:人的資本可視化指針を参考に、筆者作成


4.具体的な開示事項の検討
人的資本可視化指針では、具体的な開示事項の検討にあたって、独自性と比較可能性のバランスを確保すること、また、開示事項には2つの観点(「価値向上」の観点と「リスクマネジメント」の観点)があることを意識した上で説明方法を整理することが重要とされている。

(独自性と比較可能性のバランスの確保)

  • 国際的な開示基準や制度開示で要請される開示事項は、企業間比較ニーズを意識したものとなる傾向があるため、比較可能性に配慮した形での開示を進め、継続的に開示を行う体制を整えることが重要である。
  • 一方、比較可能な情報のみで企業の経営戦略や人材戦略を表現することはできない。このため、企業は、自社の戦略や取組みを説明する独自の開示事項を検討することも必要である4

(「価値向上」の観点と「リスクマネジメント」の観点の整理)

  • 開示事項の中には、価値向上(戦略的な企業価値向上に向けた取組みを表現し、投資家からの評価を得ることを企図する)に関する開示と、リスク(投資家からのリスクアセスメントニーズに応え、ネガティブな評価を回避する)に関する開示の双方が含まれる。1つの開示事項の中に双方の観点が含まれることもある5
  • 企業は、どのような開示ニーズに対応して当該事項を選択・開示するのかを明確にしながら、開示を進めることが望ましい。

(5)DWG報告の提言項目との関係

前稿(「【サステナビリティ開示】人的資本・多様性に関する開示を巡る国内の動向(前)」)で解説したとおり、DWG報告では、人的資本・多様性に関する開示について以下の項目が提言されている(【図表4】参照)。


【図表4】DWG報告の提言項目

開示項目 開示内容
方針の開示 中長期的な企業価値向上における人材戦略の重要性を踏まえた「人材育成方針」 (多様性の確保を含む)や「社内環境整備方針」について、サステナビリティ情報の記載欄の「戦略」の枠の開示項目とすること
方針に係る指標の開示 上記の「方針」と整合的で測定可能な指標(インプット、アウトカム等)の設定、その目標及び進捗状況について、サステナビリティ情報の記載欄の「指標と目標」の枠の開示項目とすること
具体的な指標の開示 女性管理職比率、男性の育児休業取得率、男女間賃金格差について、中長期的な企業価値判断に必要な項目として、有価証券報告書の「従業員の状況」の中の開示項目とすること


これらの開示にあたって、人的資本可視化指針で示されている内容を照らし合わせると、企業は、自社の経営戦略と人的資本への投資や人材戦略との関係性、すなわち統合的なストーリー(前述の「3.(4)-1人的資本への投資と競争力のつながりの明確化」参照)を描きながら、具体的な開示項目(人材育成方針、社内環境整備方針、当該方針に係る指標等)については、独自性と比較可能性のバランスの確保、価値向上の観点とリスクマネジメントの観点など(前述の「3.(4)-4具体的な開示事項の検討」参照)を踏まえて検討することが考えられる。

4.人的資本・多様性に関する開示に向けたヒント

金融庁では、投資家と企業との建設的な対話に資する充実した企業情報の開示を促すため、有価証券報告書について「記述情報の開示の好事例集」を定期的に公表している。特に2021年12月に公表された「記述情報の開示の好事例集2021」(以下「好事例集」という。)には、人的資本・多様性に関する開示に向けたヒントが示されている。

好事例集の冒頭では、投資家・アナリストが期待する主な開示ポイントが挙げられており、人的資本・多様性に関する開示に関連する事項として、以下が示されている。

  • サステナビリティ事項が企業の長期的な経営戦略とどのように結びついているかをストーリー性をもって開示することが重要
  • 女性活躍や多様性について、取り組む理由や目標数値の根拠に関する開示は有用
  • 人的資本投資について、従業員の満足度やウェルビーイングに関する開示は有用
  • 人権問題やサプライチェーンマネジメントについて、自社の取組みに関する開示は有用


その上で、好事例集では、各社の実際の有価証券報告書の記載事項と好事例のポイントが示されている。人的資本・多様性に関する開示の好事例のポイントは以下のとおりである(【図表5】参照)。

5.おわりに

前稿及び本稿において、サステナビリティ開示のうち人的資本・多様性に関する開示を巡る国内の動向について解説した。人的資本可視化指針及び金融庁の好事例集において「ストーリー」が共通のキーワードになっているように、人的資本・多様性を含むサステナビリティ開示は、単に情報を開示するだけでは企業の取組状況が伝わらない可能性があり、経営戦略等とのつながりを意識したストーリーに沿って説明することが重要と考えられる。

こうした点を踏まえると、人的資本の投資に係る開示の検討にあたっては、市場関係者との対話を見据え、経営者が深く関与して社内で議論を積み重ねていくことが極めて重要と考えられる。


【図表5】人的資本・多様性に関する開示の好事例のポイント

有価証券報告書の記載箇所 好事例のポイント
経営方針、経営環境及び対処すべき課題等
  • サステナビリティに関する指標として会社が独自に設定した「海外重要ポジションに占める現地化比率」、「女性管理職比率」等の目標と実績を記載
  • ダイバーシティの推進に向けた取組みについて、女性執行役員の登用の実績や女性社員比率の目標を含めて記載
  • ダイバーシティ&インクルージョンの推進に向けた取組みについて、男性育児休業取得率の実績も含めて記載
  • 多様なキャリアパス・働き方を実現する取組みや経営人材の育成のための取組みについて平易に記載
  • ジェンダー平等に関する取組みについて、エリア別の幹部職に占める女性割合の推移状況を含めて記載
  • 人権の尊重と労働慣行という社会的課題に対し、構築した人権デューデリジェンスのプロセスに関する取組みを記載
事業等のリスク
  • 働き方改革への取組みとして、年間総労働時間の推移を図示しながら平易に記載
  • 健康経営の推進に関する取組みとして、特定保健指導実施率や高ストレス者比率の推移状況を記載

出所:好事例集を参考に、筆者作成

CFOサーベイ2021は、サステナビリティ・トランスフォーメーション(SX)により影響を受けるであろうCFOアジェンダに関連した質問で構成され、国内の上場企業461社のCFOから回答を入手している。

2「人材版伊藤レポート2.0」(正式名称「人的資本経営の実現に向けた検討会 報告書」)は、2022年5月に経済産業省から公表され、人的資本経営を実践に移していくための取組み、重要性及び工夫が取りまとめられている。

3「価値協創ガイダンス2.0」は、2022年8月に経済産業省から公表され、価値創造ストーリーを構築し、質の高い情報開示・建設的な対話を行うためのフレームワークの改訂版である。

例えば、研修やスキル向上のためのプログラムは、多くの投資家が関心を持つ項目である一方、各社のビジネスモデルや求める人材像に応じて内容は大きく異なる。このため、人的資本可視化指針では、統合的なストーリーの中で、自社固有の経営戦略・人事戦略と研修やスキル向上プログラムを結び付けながら、目標・指標等を示していくことが重要であるとされている。

例えば、人材育成やスキルに関する開示は価値向上に力点が置かれる一方で、ダイバーシティに関する開示はイノベーションや生産性といった価値向上とともに、企業の社会的責任に対するリスクマネジメントの観点からも捉えられる開示事項とされている。

執筆者

有限責任 あずさ監査法人
パートナー 公認会計士
前田 啓(まえだ けい)

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