VRF海外ケーススタディに学ぶ統合的思考の実践

長期的な価値創造を目指して、統合的思考を自ら実践し、バリューチェーン全体での協業を主導することが、取締役会や経営者の役割となってきています。統合的思考の実践を試みる組織の参考となるよう、VRF(価値報告財団)が公表しているケーススタディから、海外企業の先進事例をご紹介します。

統合的思考の実践を試みる組織の参考となるよう、VRF(価値報告財団)が公表しているケーススタディから、海外企業の先進事例をご紹介します。

2022年8月1日、価値報告財団(Value Reporting Foundation、以下「VRF」)統合的思考に関する原則 v1.0(Integrated Thinking Principle v1.0)およびスタートガイド「統合的思考へのトランジション」を公表しました。これらの概要については、2022年9月30日付けの記事で紹介し、統合的思考に関する原則を利用することの意義を解説しています。本稿では、統合的思考の実践を試みる組織の参考となるよう、統合的思考の実践という長い旅路を、海外の革新的な組織がどのように歩んでいるのか、その経験をケーススタディとしてご紹介します。

なお、本稿はVRFが公表している統合的思考のケーススタディのサマリーを、VRFの許諾を得て、ご紹介するものです。

2022年8月1日、VRFのIFRS財団への統合完了が公表されました。IFRS財団は、国際会計基準審議会(IASB)と国際サステナビリティ基準審議会(ISSB)が求める報告の結合性(connectivity)を重視しており、両者をつなぐ有益なツールとして、統合的思考の原則および統合報告フレームワークの採用を積極的に推奨しています。

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先進事例にみる統合的思考の実践ポイント

  • 取締役会や経営層自らが、統合的思考の意義を理解し、その必要性を認識したうえで、その取組みを主導している。
  • 組織の意思決定や説明責任、コミュニケーションを向上させるために統合的思考に取組んでいる。
  • パーパス実現に向け、財務・非財務両方に関する価値創造ドライバーを包括的に組み込んだ戦略策定において不可欠なものとして、統合的思考の実践に継続的に取り組んでいる。
  • 取締役会や経営層のみならず、組織全員の賛同や参加を得ることで、組織文化として統合的思考を組織に根付かせ、目的意識をもった事業活動を行っている。
  • すべての事業活動にサステナビリティの観点を反映するため、コミュニケーションを通じてステークホルダーのニーズを理解し、戦略へ落とし込んでいる。
  • 統合報告書を通じて、統合的思考の実践状況をステークホルダーへ明らかにすることで、組織の持続的な価値創造に対する理解を促し、ビジネスのレジリエンス向上へと繋げている。

ケーススタディの概要

ケーススタディは、統合的思考を実践する企業に、以下の点についてヒアリングした結果をもとに取り纏められています。

  • 統合的思考を導入するきっかけ
  • 統合的思考をどのように用いて戦略を策定したか
  • 統合的思考がどのように戦略展開に役立ったか
  • どのような効果があったか

本稿では、ケーススタディのなかから、次の3社についてご紹介します。

社名 国・業種 ケーススタディ概要
Munich Airport/
ミュンヘン・エアポート
ドイツ・空港業 1949年に設立し、空港管理のあらゆる分野でサービスを提供。
2010年より、統合的思考を用いて、非財務資本と財務資本をビジネスモデルに組み入れてきた。取締役会と経営層によるワークショップを通じて戦略を策定。事業活動のサステナビリティを確保するため、戦略的サステナビリティプログラムにて、サステナビリティ側面の実行・モニタリング・評価を行い、機能・部門横断で担当者が関与している。
Novo Nordisk/
ノボ・ノルディスク
デンマーク・製薬業 95年間にわたり糖尿病治療をリードするグローバルなヘルスケア企業。80ヵ国で約45,300人の従業員が所属し、170ヵ国以上で製品を販売。
2004年以来、当時のCEO兼会長による強いトップダウンのもと、価値創造プロセスを再考し、財務と非財務(プレ財務)の側面を内部プロセスや実務に統合する試みを実施。統合的思考に基づき、ステークホルダーに提供する情報の質と量のバランスを保ちながら、統合報告に取り組んでいる。
Yorkshire Water/
ヨークシャー・ウォーター
イギリス・水道事業 約3,900人の従業員が所属し、500万人以上の人々と13万の企業に、上下水道と環境サービスを提供。
約10年前から、取締役会と上級管理職、組織文化の強力な支えのもと、統合的思考の実践に取り組んでいる。マルチキャピタルアプローチを組み込むことで、企業のレジリエンス向上と、ヨークシャー地域への長期的な価値創造に役立てている。

ケーススタディ1:ミュンヘン・エアポート

ステークホルダーの理解を深めることで、サステナビリティの視点を戦略に統合

同社は従来、企業戦略とサステナビリティ戦略を分けていましたが、包括的で統合された戦略を確立し、価値創造プロセスをステークホルダーに明示する必要性を、組織内部で認識するようになりました。そのため、2010年より統合的思考と統合報告に共に取り組んでいます。統合的思考と統合報告を一緒に適用することは、価値創造に向け取り組むべき主要なイシューのよりよい理解に有用だと、同社は述べています。

統合的思考へのアプローチ

  • トップによる戦略ワークショップの実施:取締役会と経営層で戦略ワークショップを実施し、自社のビジネスプロセスがサステナビリティ要因に与える影響を分析・特定。
  • 統合報告書の作成:統合報告フレームワークを用いて、ビジネスモデルや、アウトプットとアウトカムの位置づけを明確化。統合報告フレームワークとの整合をとりながら、財務情報と非財務情報をひとつのレポートに統合。統合報告の取組みを通じて、情報収集プロセスを評価。

さらに、統合的思考をどのように用いて戦略を策定し、いかに戦略を実行したのか、その特徴を次のとおり説明しています。

統合的思考による戦略の策定

  • 戦略策定:戦略ワークショップで、航空業界の将来シナリオの分析とステークホルダーとの対話結果の組込みを実施。その成果として、2025年戦略の中核となる5つの戦略的アクション領域を特定。
  • 進捗の測定・評価:主要業績評価指標(KPI)を定義し、戦略的サステナビリティプログラムにおいて、戦略の進捗をKPIで測定・評価。
  • 主要イシューの特定・管理:年次の戦略プロセスの一環として、持続可能な発展に必要な主要イシューを定義し、マネジメントプロセスへ組み込み、組織全体で実行。
  • 妥当性の検証:自社のアプローチの妥当性を検証するため、航空業界以外の業界/企業とも対話を実施。


戦略の実行における特徴

2025年戦略の実行にあたり、すべての事業活動でサステナビリティの観点が考慮されるよう、ステークホルダーの意見を徹底的に反映しています。「そうすることにより、世間や特定のステークホルダーが私たちに何を期待しているのかの理解が可能となる」と、同社Hans-Joachim Bues氏(Senior Vice President兼Corporate Communications and Politics)は述べています。

同社では、以下の手順でステークホルダーエンゲージメントを実施しました。

VRF海外ケーススタディに学ぶ統合的思考の実践_1

前述の統合的思考と統合報告への取組みにより、次のようなベネフィットがあったと同社は述べています。しかし、同社はインタビューの締めくくりに「統合的思考の実践はまだ道半ばだ」と述べました。


統合的思考のベネフィット

  • 包括的な戦略策定の実現:財務とサステナビリティの両方に関連する価値創造ドライバーをすべて組み込んだ包括的な戦略の策定を実現した。
  • 組織文化の醸成:トップダウンアプローチにより、誰もがサステナビリティの重大さに敏感であるという強力な組織文化の醸成に繋がった。

ケーススタディ2:ノボ・ノルディスク

患者・従業員・企業が属する地域社会と国際社会の両面で、長期的視点にたった意思決定を実践

同社は、当時のCEO兼取締役会会長のØvlisen氏によるトップダウンのアプローチで、統合的思考に取り組みました。同氏は、包括的な方法で価値創造プロセスを再考するよう組織に促し、トリプルボトムライン(TBL)の概念を導入しました。統合的思考の狙いは、価値創造プロセスにおいて、財務と非財務(プレ財務)の側面の双方を統合的に考慮し、目的意識をもって事業活動を行うことにあったといいます。統合的思考は継続的なプロセスであり、組織の意思決定の実践です。そして、統合報告はこの深いプロセスを伝えるためのレンズであると、同社は考えています。


統合的思考へのアプローチ

VRF海外ケーススタディに学ぶ統合的思考の実践_2

統合的思考と同社の戦略には、次のような関係があると説明しています。


統合的思考による戦略の策定

VRF海外ケーススタディに学ぶ統合的思考の実践_3

統合的思考による戦略の実行における特徴

同社では、戦略の実行にあたって、バランススコアカード(BSC)による業績管理システムに代わり、パーパスを長期的に実現するための新しいアプローチとツールの導入を目指しました。

  • 持続可能なビジネスアプローチ:すべての事業にサステナビリティの観点を統合するため、持続可能なビジネスアプローチを導入(例えば、新製品開発プロジェクトのマニュアルに環境配慮を盛り込み、ライフサイクルアセスメントによる環境影響評価を実施)。
  • Novo Nordisk Way:患者・従業員・企業が属する地域社会と国際社会の両面で、長期的視点にたった意思決定を可能とする内部管理ツールとして、価値評価を基軸としたNovo Nordisk Wayの整備に着手。
  • Facilitation(Novo Nordisk Wayの適用度評価):経営陣と従業員が、日常業務と意思決定において、どの程度Novo Nordisk Wayを適用しているか評価するため、Facilitationと呼ばれる独自の体系的なアプローチを採用。長年ノボ・ノルディスクに勤務し、会社を熟知しているメンバーが評価を実施し、経営陣はNovo Nordisk Wayに関するギャップと改善点の報告を受け、アクションプランに合意。また、Novo Nordisk Wayは、パフォーマンス管理とインセンティブスキームの中核もなしている。

同社Cora Olsen氏(前Global Lead Integrated reporting)は、「統合報告はステークホルダーに会社で何が起こっているのかを確実に伝えるためのガイダンスツールである」と述べており、前述の統合的思考と統合報告への取組みにより、同社は次のようなベネフィットがあったと説明しています。


統合的思考のベネフィット

  • ステークホルダーニーズへの対応力向上:統合的思考の実践により、ステークホルダーの継続的に進化するニーズを特定・評価し、そのニーズを満たすことが可能となった。
  • 企業報告の内容改善:統合的思考と統合報告の採用により、情報の質と量のバランスが取れた社内外への報告が可能となった。
  • 企業報告の透明性向上:内部コミュニケーションがより円滑となり、外部に対する透明性が向上した。

ケーススタディ3:ヨークシャー・ウォーター

顧客とより広い社会に最大のベネフィットをもたらすため、マルチキャピタルアプローチを導入し、リスクや影響・価値を定量化

同社は、統合的思考への取組みを、顧客と規制当局両方のニーズに応える機会として捉えていました。また、ESG要因やサステナビリティ、長期的なレジリエンスに対する投資家の関心がますます高まるなか、自社への投資がもたらすポジティブな影響を投資家に示す必要性を認識していました。そこで約10年前から、取締役会と上級管理職、組織文化が強力な支えとなり、統合的思考の実践に取り組んでいます。


統合的思考へのアプローチ

VRF海外ケーススタディに学ぶ統合的思考の実践_4

さらに、統合的思考をどのように用いて戦略を策定し、どのように戦略を実行したのか、その特徴について、次のとおり説明しています。

統合的思考による戦略の策定

さらなるパーパス主導の組織を目指し、顧客やより広い社会に対する長期的な価値創造の実現を目指し、マルチキャピタルアプローチに基づき、戦略を策定しています。

  • ビジネス影響の定量化:マルチキャピタルアプローチにより、自社の活動によるポジティブとネガティブ両面の影響を把握するとともに、ステークホルダーに明確に伝え、長期的な傾向の把握に努めている。
  • 包括的な意思決定:同社の意思決定が、長期的な事業の成功と顧客の福利や事業環境の健全性に結び付いていることを確かなものとするために、マルチキャピタルアプローチを導入。最も広い意味での価値の創造、保護、成長を支援している。


戦略の実行における特徴

取締役会と経営陣の統合的思考への取組み支援により、組織全体の文化に統合的思考を組み込み、短中長期的な目標の検討を可能としています。

  • Decision-Making Framework(DMF):意思決定を改善し、5ヵ年計画の実行を支援するため、資産・リスク管理のフレームワークであるDMFを導入。DMFでは、リスクと価値を定量化し、資産と事業に関する投資と経営の意思決定を最適化。顧客とより広い社会に最大のベネフィットをもたらすために、マルチキャピタルフレームワークを使用。
  • Six Capitals Land Tool:同社はヨークシャー地方最大規模の土地所有者でもあることから、土地管理のためのSix Capitals Land Toolを現在開発中。自然資本に属する資産の価値を評価し、自然を楽しむレクリエーションや観光 (社会資本)、教育(知的資本)の場や機会を提供するなど、さらなる価値を生み出す機会の特定に役立てている。
  • Social Value Committee:企業戦略にマルチキャピタルアプローチを組み込むため、取締役会とともに、新たなダッシュボードを通じて全ての資本の状況について報告を受け、戦略の実行状況等をモニタリングしている。
  • 役員報酬方針:役員賞与に炭素排出量削減などの成果を結びつけ、統合的思考とリンクさせている。
  • Total Impact and Value Assessment(TIVA):6つの資本を用いて、同社が顧客と環境に与えるプラスとマイナス両面の影響の理解を深めている。リスクと社会的価値創出に関するより広い視野を獲得し、ポジティブな影響と価値を高めるための機会にもフォーカスしている。
  • サステナブルファイナンス・フレームワーク:企業戦略に完全に適合し、持続可能な債権をさまざまな形式で調達して、資本支出と運営支出のほぼすべてを賄っている。

同社は、前述の統合的思考と統合報告への取組みにより、より多くの情報に基づき、さらなるサステナビリティに焦点を当てた意思決定に必要となる、組織のリスクと価値への理解を深めています。「調べれば調べるほど、ヨークシャー・ウォーターがお客様に提供する価値を守り、成長させるために、縦割り組織を打破し、従来のアプローチを超えるために、資本の概念が役立つと分かってきた」と、同社CEOのLiz Barber氏は述べています。

統合的思考のベネフィット

  • ビジネスのレジリエンス向上・地域への長期的な価値創造:6つの資本アプローチをさまざまな事業分野(資産管理、土地、財産等)に統合することで、事業の費用と利益だけでなく、投資の潜在的な社会的・環境的影響の把握が可能となり、ビジネスのレジリエンスが向上するとともに、ヨークシャー地方における環境・経済・社会に対する長期的なベネフィットの創造が可能となった(ヨークシャー地方への影響については、年次レポート“Our Contribution to Yorkshire”で、年間の影響や、収益化された影響価値、経年トレンド等を示すメトリクスを踏まえながら、TIVAの評価結果を説明)。
  • サステナビリティ債の調達:サステナブルファイナンス・フレームワークを通じて、ESGにより焦点を当てた投資家からの資金調達が強化され、これまでに12億ポンド超のサステナビリティ債の調達を実現。TIVAの実施により、同社は年次の投資家向けインパクト報告書で、正味のポジティブなベネフィットを示すことが可能となり、投資家が6つの資本全てに対する投資の影響を見積もることを可能とした(同社はESGイシューに関するエンゲージメントを強化しており、投資家含むステークホルダーから、インパクト報告に向けた包括的で統合的なアプローチについて、肯定的なフィードバックを獲得している)。

執筆者

有限責任 あずさ監査法人
KPMG サステナブルバリューサービス・ジャパン
伊藤 友希