「大企業こそ、デジタル経営に本気で取り組まなければならない」。コロナ禍以降、こうした意見は多く聞かれるようになりました。実際に、各社で取り組みは進んでおり、一部にはトランスフォーム(変革)の道筋が立った、という企業もあると言います。
では、そんな企業はどのような軌跡でそれを達成したのか? そして、その先にどんな未来を描いているのか? そこにある「揺るぎない企業の根幹」とはどのようなものなのか? 三井物産株式会社デジタル総合戦略部の真野雄司氏と、KPMG Ignition Tokyo 茶谷公之が語り合った対談の内容をお伝えします。
アジア最大手の民間病院グループIHHとの取り組み
茶谷 :事前にうかがったところによると、アジア最大手の民間病院グループIHHとも何か新しい取り組みをされているとのこと。その場合はシンガポールから人材を出しているのでしょうか?
真野 :IHHとの取り組みは確かに主にシンガポールやマレーシアが中心になっています。東京側では、ウェルネスやヘルスケアを担当する当部のDX3室がシンガポールと連携して対応している、ということになります。
茶谷 :IHHで掲げられているペイシェントエクスペリエンスを支えることになるのだと考えますが、どういったゴールを目指しておられますか?
真野 :目指しているのは、IHHのデータを活用して患者の体験価値を向上することです。
取り組みには2つの目的があり、その中心にはデータの塊がある、というイメージです。中心から一方は、病院事業の徹底的な効率化、もう一方はそこから派生する新規事業、この両方を目指しています。
特にペイシェントエクスペリエンスについては、患者の待ち時間短縮のために何ができるか、といったことや、日本のように皆保険制度が導入されていない海外において患者達が不安に感じる「どれくらいの費用負担が発生するのか?」ということに対し、これまでに蓄積されたデータをすべて活用して「この内容とこの診療であればおよそこのくらいの費用が必要になる」といった治療前の診断見積もりをなるべく正確に出してどこまでの治療を受けるか判断できるようにする、といったことが挙げられます。
さらに、遠隔診療やAI診断のサポートなど、「患者さんの幸福を高めるにはどうしたらいいか」というテーマに対してできることを徹底的に進めていくこともスコープに入っています。
一方、派生するビジネスとしては、病院経営の効率化を支援しつつ「病院にかからないようにするにはどうするか」ということへの取り組みが挙げられます。つまり未病の領域、ウェルネスの部分です。個人の病気予防や健康管理として、「どうやったら医者にかからずに済みますか?」ということを患者さんのデータをもとに作る、といったことを今進めているところです。
茶谷 :コロナ禍で日本の病院も危機的な状況に陥り、テクノロジーの必要性が指摘されるようになりました。こうした取り組みは日本でも早く始まって欲しいものです。
真野 :そうですね。我々がアジアから入ったのは、日本ではやはりやむをえないという部分もありますが、医療に関係する事柄が法律でがんじがらめに縛られているので、新しい取り組みがしづらく、「それならば、先にアジアでやろう」という議論になった、という背景があります。
人権とビジネスの問題におけるデジタル活用の方向性 〜複雑で重層化するサプライチェーンをいかにマネジメントするか〜
茶谷 :昨今、この話題も聞かずにはいられません。三井物産として、ESGやSDGsとはどのように向き合っておられるでしょうか?
真野 :今や、経営の柱になってきていると考えています。少し私のバックグラウンドをお話しすると、今の部に着任する前は、IRを担当していたので、投資家とのエンゲージメントは主な業務の1つになっていました。三井物産の事業の中には、石油・石炭・発電所といったグリーンハウスガス(温室効果ガス)の排出に繋がるものがあるので、経営陣を中心に「サステナブル」に関する問題意識は高く持っています。そのため、事業のポートフォリオを変えていくことに積極的に取り組んでいるところでもあります。
一方、当然のことながらグリーンハウスガスを削減していくことが重要であることは間違いないのですが、削減だけを追い求めると、今の主力事業であるエネルギー関連や鉱山といった事業を単純に減らすことになるので、利益が出せなくなってしまいます。ですから、その代わりになる、今度は伸びる事業を見つけて、注力する必要があります。
ESGで示すなら、環境(Environment)については脱炭素を踏まえた攻めの事業をやっており、今後は加速させていくことになるでしょう。ソーシャル(Social)も同様で、人材育成だけでなく、人権を考えたサプライチェーンの構築は最も重要なことの1つです。総合商社にとって、サプライチェーンは非常に重要なのですが、本当に人権的に問題がないか、例えば、フェアトレードの最大化をどうやったら証明できるのか、考えを深めているところです。
おそらく解決の糸口になるのがブロックチェーンの技術だと思うので、それをどう活用するか、検討を始めている最中です。
茶谷 :サプライチェーンと人権問題は日本でも注目されるようになっていますし、農作物については安全性などを含めて、トレーサビリティの重要性は増しています。三井物産の社内でブロックチェーンの開発も始められるのでしょうか?
真野 :そうですね。内部と外部のリソースも交えて、トライアルをやっている最中です。例えば、人権のビジネスについては、初めは古典的にサプライヤーに対してアンケートを取ったり、サステナビリティに関する推進ルールを設定してそれをもとに確認を進める、といったことをしていきました。また、ISO認証を取得した取引先を選定する、というのもスタンダードな取り組みだといえます。
しかし、より透明性や正当さを担保するためには、ブロックチェーンの技術を活用してデータでも確認できるようにするのが今後の理想の姿です。そう遠くない将来に、そういったことができるようになると思っていますし、三井物産としても実証実験をやっている最中です。
茶谷 :ESGやSDGsについて、監査や税務の立場から見ると、財務諸表に出ているような数値だけではない、ある種の会社としての人格というか社格のようなものが評価されることになる、という理解です。
そうすると、今挙げられたようなサプライチェーンの正当性を証明する、という過程では、非構造化されていて、かつ自然言語や日本語以外の情報も扱う必要が出てくるということで、少し厄介にも感じられます。三井物産ではその点について、どのような打ち手を考えておられますか?
真野 :やはり、多種多様な物事をデータとして集める必要があるのは間違いありません。その時、1つのポイントとして挙げられるのが、「データそのものをどうやったら集められるか」ということです。例えば、アフリカにおけるサプライチェーンを想像したとしましょう。我々は様々な農産物を扱っていますが、その生産地からロジスティックなどにおいて、データをどうやって集めるのか、スタート地点である農場においてどうやったらデータをインプットしてもらえるのか、それをしてもらえるようにするにはどうすればいいのか、難しい問題でしょう。
おそらく、入力されたデータを加工して活用することはある程度可能になると思いますが、インプットの部分には工夫が必要だと考えています。具体的には申し上げられませんが、仕組みづくりの重要性は認識しているところです。
茶谷 :そこはまさにUXの世界ですね。DXの推進やテクノロジーの導入というより、人の心理を深く見て理解し、どうすれば正しいデータを入力してもらえるか、設計していく必要があるのだと感じました。
三井物産はどうビジネスをデジタルネイティブにしていくか?
茶谷 :ここまで、社内の意識改革やDX人材の育成方法、社外との連携、先ほどはUXの考え方についても話が広がりました。DXの実践とは、プロセスのデジタル化に始まり、ビジネスモデルのデジタル化、ビジネスモデルを完全にデジタルに変えてしまう、という3つほどのステージがあると考えています。では、三井物産において、ビジネスモデルをデジタルセントリックにする、デジタルネイティブにしていくにあたっての構想とはどういったものでしょうか?
真野 :我々が考えているDX事業戦略の「攻め」の部分についてですね。今、6つの分野を定義しています。(下図、「DX事業戦略における6つの攻め筋」参照のこと)
まずは、効率化することによって、コストを下げてボトムラインを引き上げる。そして、顧客とのエンゲージメントを深めてトップラインを引き上げる、売上げの向上を進める、というのが挙げられます。その上で、まったく新しい事業を作るートランスフォーメーションするーということを考えています。
新しい事業として考えているのは、まず、消費者事業です。実は三井物産としては従来あまり得意分野ではなかったのですが、先ほど話に出た医療データのプラットフォームや、最近はBtoCのビジネスとしてコンシューマー向けに直接商品を開発することに挑戦し始めています。
三井物産が得意とすることの中で全く新しい挑戦としては、社会インフラが挙げられます。中でも、次世代モビリティやスマートシティの推進はこれまでとは一味違ったことです。KDDI社に提供してもらったデータを使いながら、人がどう動いて、どこから来たか、といったことをAIで推定し、「ここに集まっている人達はどこから来たどういう年齢の人達なのか」といったことを分析する試みを始めています。その情報をもとに、都市インフラ整備や自動運転によるモビリティなどを考えていく、というわけです。
そのほかにも、通常はビジネスからスタートして技術を探すものですが、「技術からスタートするものにも挑戦しよう」ということで、AIのガン診断について、Preferred Networks社と共同で取り組んでいます。血液から13種類のがんをなるべく早期に発見する、というもので、間もなく新たな展開に発展させられるかと思っています。
また、これも「そんなこともやっているのか!」と感じられるかもしれませんが、ビッグデータ分析によって試合ごとの需要予測をして価格を最適化して販売するダイナミックプライシングについても早い段階で注目してきました。今ではJリーグで10チーム以上、プロ野球の球団で4球団ぐらいが導入しています。あとは、不動産のSTO(Security Token Offering)やデータドリブン創薬も、全く新しいチャレンジです。
茶谷 :どれも非常に興味を掻き立てられます。こうした事業を立ち上げる際、どういったきっかけで始まるのでしょうか?
真野 :技術側にいる人が事業を思いつくパターンと、ビジネス側にいる人が技術を活用するパターンと、両方があります。
例えばAIのガン診断は完全に技術発のサービスです。Preferred Networks社との連携の中で「こういうものがある」という話が出てきて、「それならもう少し深堀りしてみよう」というところから始まったものですね。
一方で、不動産のSTOはビジネス側から上がってきた構想に技術が合わさった例です。ビジネス側としては、「投資家層の裾野を広げたいが、どうすれば広がるか?」と考えていた中で、ブロックチェーンの存在を知り、「これは使えるかもしれない!」とひらめいたのがきっかけでした。
こうして見ると、我々は「オペレーション&テクノロジー」と呼んでいますが、ビジネスの現場が近いということは1つの重要な強みになっているように感じます。そこにいる人達に少しでもデジタルの知識を“武装”させることで、事業展開の選択肢が広がるのだと思っています。
総合商社の進化論〜30年後、50年後の姿とは?〜
茶谷 :ここまでお話をうかがっていると、本当に「それも総合商社がやるのか!」と驚かされます。これで最後の質問にさせていただこうかと思うのですが、真野さんは30年後や50年後、三井物産が総合商社と呼ばれていると思われますか?
真野 :その質問はグッときますね。個人的なコメントではありますが、おそらく「呼ばれている」と思っています。
この記事を読んでいらっしゃる方の中には、ここで「総合商社とは何なのか?」という疑問が浮かんできた方もいらっしゃると想像します。その定義は非常に難しく、IRを担当していた時代にもたびたび投資家から投げかけられる質問でした。我々は、鉄鉱石やエネルギー、食糧に自動車、化学品やヘルスケア分野、金融分野の事業も展開しています。そうなると、投資家の反応は「何だかよく分からない」というようになり、投資に結びつかないことすらありました。
しかし、そうは言っても総合商社としての三井物産は、戦前や第二次世界大戦後に一時解体された旧三井物産※の時期も含めると、140年以上、その名前を継いできた企業です。その140年間、看板だけは「総合商社」だったのですが、中身は時代の変化を受けたり、それに先んじて物凄い勢いで変わってきたりしたのだと考えています。
※法的には旧三井物産と現在の三井物産には継続性はなく、全く別個の企業体である。
過去にもたびたび「商社不要論」や「商社冬の時代」というようなことを言われましたが、それでもどんどん形を変えて生き残ってきましたし、おそらくこれからも形を変え続けて存続していくのだと思います。
茶谷 :今の姿は一時的なもの、というわけですね。
真野 :そうです。「今はこういう仕事をしています。しかし、もしかしたら30年後は似ても似つかないことをしているかもしれないです」というのが総合商社の、我々の真骨頂なのだと思います。
対談者プロフィール
真野 雄司
三井物産株式会社
執行役員 デジタル総合戦略部長
1986年三井物産入社、日本と米国で化学品営業に従事、その後経営企画部に異動し、2008年全社情報戦略タスクフォースを組成してリーダーを務め、2009年初代情報戦略企画室長。その後、化学品事業開発部長、米州本部CAOを務めた後に、2016年IR部長。2019年4月執行役員となり、同年6月IT推進部長。経営戦略におけるDXとITの統合を提唱し、10月統合により設立されたデジタル総合戦略部長。更にその後、全社に分散していたDX/IT関連組織を全て統合して大規模な組織改編を実施、2020年4月に現在のデジタル総合戦略部を組成。「DX総合戦略」を策定し、三井物産グループ全体のデジタルトランスフォーメーション、データドリブン経営やDX人材戦略を推進。
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